④
アルトとエリシアが知り合ったのは夏の終わりの頃だ。そこから既に三か月ほど経過し、今現在季節は秋から冬へ変わろうとしている。
グレイスフィールドの町には騎士団の支部があり、その庁舎からほど近く、石畳の道がゆるやかに曲がりながら広場へと続いている。
道の両脇には秋の名残を抱えた並木が立ち並び、風が吹くたび葉がひらひらと石畳の上に舞い落ちていく。視線を上げれば、灰色の石で築かれた騎士団の城塞が、澄み切った空気の中でくっきりと浮かび上がっていた。その高い塔と堅牢な城壁は町の人々にとって変わらぬ安心の象徴であり、夕暮れ時にはその影が町全体を包み込むように伸びていく。
市場では、秋の恵みを惜しむように、焼き栗の香ばしい匂いや煮込みスープの湯気が漂っていた。露店には最後の収穫となる林檎やカボチャが並び、商人たちは手袋越しに硬貨を受け取りながら、笑顔で客を送り出す。子どもたちは吐く息を白くしながら駆け回り、時折、落ち葉を蹴り上げては歓声を上げる。
アルトはマフラーに顔を埋め、エリシアの隣を歩いていた。彼の黒髪は風に揺れ、頬は風の冷たさで赤く染まっている。
寒くないか、とエリシアが尋ねると、アルトはそっけなく「平気だよ」と答える。
強がるようなその声と意地を張った様子を面白そうに眺めながら、エリシアは手にした紙袋を差し出した。
「ほら、さっき買った焼き栗。まだ熱いと思うから気を付けて」
アルトは一瞬ためらい、でも結局受け取って口に放り込む。
熱さに顔をしかめる彼を見て、エリシアは声を上げて笑った。
「ほら、やっぱり熱いでしょ」
アルトは少しむっとした表情を見せるが、その雰囲気はとても楽しそうだ。
広場の中央では旅芸人が様々な芸を披露しており、子どもたちの歓声が響く。エリシアは足を止め、しばらくその光景を眺めた。
「こういう賑やかなの、好きなんだよね。見てるだけでもわくわくしてくる」
アルトは横目で彼女を見ながら、「俺は…あんまり」と小さく呟く。
もちろん嘘だ。アルトは賑やかなのが大好きな元気印の12歳だ。
ただ、こういう場所で父や兄が警備している姿を何度も見てきたから、今はちょっと落ち着かないのだ。
二人が知り合ってから三か月ほど経とうとしているが、アルトは未だに自分の家名をエリシアに教えていなかった。家名を教えたところで父兄が騎士団に所属しているとはわからないだろうし、ことさら秘密にするつもりもないが、何となく告げていない状態だ。
それは秘密というより、まだ胸を張って名乗れる自信がないからだ。父や兄のように強くなれた時、初めて堂々と言える――そう思っている。
ちなみになぜ二人が今一緒に歩いているかというと、その日エリシアの受けた依頼を、アルトが手伝うと言い張ってついてきたからだ。
本日の依頼は『町はずれの農家へ荷物を届ける』という、冒険者としては肩慣らし程度の簡単な仕事である。その依頼書を一緒に見ていたアルトが、「俺もいっしょに行く!」と言い出したのだ。
驚いたエリシアが、遊びに行くんじゃないんだからとその申し出を断ろうとするが、周りにいた顔なじみの冒険者たちがこぞってアルトの味方をしたのだ。
あれからちょくちょくギルドに顔を出すようになったアルトは、他の気のいい冒険者たちとも打ち解け、よく会話をするようになっていた。彼らの盛りに盛った冒険譚を目を輝かせて聞いている姿がよく見られている。あんまりにも素直に驚き、喜んで聞いてくれるものだから、冒険者たちは彼がかわいくて仕方ないらしい。
エリシアがだめだと言ってもその声は無視された。完全にアウェイである。
彼女はため息をつきながらも同行を許したのだった。
二人はグレイズフィールドの南門を出て、やがて街道に通じる、馬車が余裕ですれ違えるくらいの広い農道に出た。
乾燥した冷たい風が頬をかすめ、吐く息は白く靄のように溶けていく。両脇には冬枯れの畑が広がり、遠くには雪をかぶった山並みが淡く霞んで見える。
二人で引く荷車の上には農家へ届ける麻袋がいくつも積まれている。袋の中身は乾燥ハーブや保存食、そして冬支度に必要な小さな工具類。思ったよりも量が多い。そして当然だがその分重い…。
「ほら、やっぱり俺も来て正解だろ?」
胸を張るアルトの黒髪が、冬の陽を受けてきらりと光る。
「まあ、確かに助かったけど…これはただの荷物運びなんだからね。何かハプニングあるとか期待しないでよ」
「でも、もしも何かあったら今度はオレが守るから!」
「あー、はいはい、ありがとねー」
軽く受け流すが、けれど心の中では微笑ましさと少しの頼もしさを感じ、彼にばれないようにクスリと小さく笑った。
その時、道の真ん中で、ふわふわした丸い影がぴょこんと跳ねた。
それは小さな魔物――毛玉のような体につぶらな瞳を持つ、通称「もふもふ」と呼ばれる魔物だった。ちなみに正式名称はポムポロス。丸い果実の妖精という意味だ。
丸くて、やわらかそうで、心なしかうるんだ瞳をこちらに向けている。冬の陽を浴びて、毛並みがほのかに光っていて、まるで雪の上に落ちた綿菓子だ。
「…もふもふだ!」
アルトの声が弾む。
冬毛でさらにふくらんだその魔物は、まるで毛玉が生きているよう。
もふもふは警戒するでもなく、ぴょん、ともう一度跳ねて、二人の足元に近づいてきた。
エリシアは反射的に腰の短剣に手をかける。
「だめだよ、エリシア!」
「でも魔物だよ? 放っておくと農作物を荒らすかも」
アルトは少し考え、荷車の手前に置いてあったドライフルーツを手に取った。さっきまで歩きながらつまんでいたおやつである。
「ほら、これ食べて帰れよ」
もふもふは嬉しそうにそれをくわえ、ぴょんぴょんと立ち去っていった。
「ほらな、戦わなくても解決できるんだ!」
得意げな顔をするアルトを胡乱気な目で見返し、エリシアがぽつりと言った。
「でも、そのドライフルーツ、あたしが買ったおやつだったんだけど?」
「…よし、農家さんが待ってる! 進もう!」
「おいっ」
二人の楽し気な笑い声が農道に響いた。
農家に着くと、依頼主の老夫婦が温かく迎えてくれた。
戸口を開けて出てきた老夫婦は、二人を見つけるなり顔をほころばせる。
「まあまあ、寒い中よく来てくれたねぇ」
「さあ、中に入りなさい。温かいスープがあるから飲んでいくといい」
室内に入ると薪の香りと、煮込まれた野菜の甘い匂いがふわりと包み込む。壁際には干したハーブが吊るされ、窓辺には小さな鉢植えが並んでいた。
エリシアは荷車から荷物を降ろして室内に運び込み、依頼の品を確認してもらう。老夫婦は深々と頭を下げ、「助かったよ、本当にありがとう」と感謝の言葉を繰り返した。
アルトは差し出された湯気の立つマグを両手で受け取り、熱さに少し顔をしかめる。だが、口に含んだ瞬間、思わずふっと笑みがこぼれていた。その笑顔を見て、エリシアも自然と頬を緩める。
「次はどんな依頼が来るかな」
「うーん、できればおやつを取られないやつがいいな。ってゆうか、次の依頼も連れてくとは言ってないからねっ」
そんな軽口を交わしあう。
窓の外では、灰色の空から細かな雪がちらほらと舞い始めていた。
冬の足音が静かに近づいていた。
野生の生き物に餌を与えてはいけません…




