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グレイスフィールドの風  作者: 青葉
冬至の光市と占い師
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30/37

㉚


 天幕を出たエリシアは、まだ心臓の鼓動が落ち着かないまま夜市の通りを歩いていた。歩きながら頭の中をぐるぐると巡るのは、つい先程のコハクの言葉。


『あの男の子との子孫が龍皇の魂を目覚めさせる』


(いやいやいやいや! そんなわけ…そんなわけないでしょ…!)

 心の中で何度も否定するが、否定すればするほど、脳裏に浮かぶのは黒髪の少年の顔。顔に熱が集まっていくのを止められない。

 夜市は相変わらず賑わっている。あちこちから人々の笑い声が響き、色とりどりの灯りが通りを照らしている。

 けれど、今のエリシアには、そのどれもが遠い世界の出来事のように思えた。目に映る景色も、耳に届く喧騒も、どこか薄い膜の向こう側にあるようで。ただ自分の鼓動だけがやけに大きく耳に響いてくる。


 やがて、セリオの夜店が見えてきた。

 そこには何事もなかったかのようにアルトが立っており、隣に立つカイルと何やら楽し気に話している。

 いつもの表情、いつもの声、普段通りの佇まい。


 ――そうだ、何も知らないのだ。

 自分たちの子孫がどうとか、龍皇の魂がどうとか。そんなとんでもない話を聞かされたのは、自分だけ。


 エリシアは、思わず歩みを止めた。

 ぼんやりとその姿を眺めていると、その視線を感じたのかアルトがエリシアに気づいて振り返った。

「あ、おかえり、エリシア」

 そう言われた瞬間――


「っ…!」


 エリシアは反射的に視線を逸らした。


(あ、あれ? なんだこれ、顔見れない! あれ? あれれ?)

 目の前にいるのは、いつもと変わらないアルトのはずだ。なのに、どういう訳か顔をまともに見ることができない。

「? どうした? 具合悪い?」

 不思議そうに首を傾げたアルトが、心配そうにエリシアの顔を覗き込もうとする。が、そこからさらに反射的に顔をそむけてしまった。

「い、いや! 全然! 元気! …あ、あっち見てるだけ!」

 慌てて後ろの屋台を指差すが、そこには特に何もない。あえて言うならセリオが客対応している。

 特に変わったものはない。これと言って話題にできそうなものもない。

 カイルが横で首を傾げた。

「なんか挙動不審だな…」

「そ、そんなことないけど!?」

 エリシアは何とか平静を装おうと、ぎこちなく笑顔を作ろうとするが、頬が熱くてうまく表情筋が動かない。

(おお落ち着け…落ち着け…! 落ち着けあたし…!)

 心の中で必死に自分に言い聞かせる。


 そもそも、アルトを意識する必要なんてないのだ。コハクの言葉だって、あくまで未来の可能性の話にすぎない。そう、可能性。まだ何も決まっていないのだから、気にする必要なんてないはずだ。それなのに、どうしてこんなにも調子がくるってしまうのか。 

(あたしはショタコンなんかじゃない…はず…!)

 いや、そもそも、そういう問題ですらない。

 自分はただ、予言のせいで変に意識してしまっているだけだ。そこは間違いない。

 ……間違いない、はずなのだ。


「エリシア、本当に大丈夫か? さっきから全然こっち見ないけど」

「だ、大丈夫だってばぁっ!」

 アルトの何気ない一言が、見事に思考を吹き飛ばした。

(だから! そうやって普通に話しかけてこないでよぉぉぉっ!)

 

 結局その夜、アルトとカイルが帰路につくまで、エリシアはひたすら平静を装いながら、心の中で何度も悲鳴を上げ続けることになるのだった。





 翌日。


 昨夜の衝撃も一晩ぐっすり眠ったおかげで何とか落ち着き、エリシアはいつも通りの足取りで冒険者ギルドの扉を押し開けた。昼間は多くの冒険者で賑わいを見せるギルドも、朝早いこの時間帯では人影もまばらだ。

(さて、今日は軽めの依頼でも探そうかな。っと、その前に昨日の報告~)

 そう思いながらカウンターに目を向けると。


「はい、これで登録完了です。ギルドカードをお渡ししますね」

 受付嬢の明るい声。その正面に立つ人物の姿が、視界に飛び込んできた。

「…え?」

 エリシアの足が止まる。

 白いローブ、青みを帯びた艶めく黒髪、楚々とした立ち姿。昨夜、天幕で衝撃的な話をしてきた巫女姫、コハク。

(なななんでここに!?)

 何かもう、嫌な予感しかしない。


「姉さま!? 何してんの!?」

 思わず声が裏返る。普段は滅多に取り乱さないエリシアの焦った様子に、近くにいた冒険者たちがちらりとこちらを振り返った。

 コハクはギルドカードを受け取りながら、エリシアに笑顔で軽く手を振る。

「エリシアちゃん、おはよう~。うふふ、冒険者登録しちゃった」

「いやいやいや! 巫女姫が冒険者ってどういうこと!? 国は!? 霊峰は!?」

 エリシアが慌てて詰め寄る。声を潜めるどころか逆に少し大きくなってしまい、周囲の視線がさらに集まってしまう。

「昨日も言ったでしょ? あの国つまらないんだもの」

「つまらないって…! いや、そういう問題じゃなくて!」

 エリシアは額に手を当て、深々とため息をついた。

 この巫女姫様は、本当にどこまで自由なのだろう。

 その隣では、コハクが受け取ったばかりのギルドカードを大事そうに指先で撫でていた。初めて手にした玩具を喜ぶ子供のように、満足げな笑みを浮かべている。どうやら、冒険者登録そのものは相当お気に召したらしい。


「…で? まさか、面白そうだからって理由だけで登録したんじゃないですよね?」

「あら。失礼ね、エリシアちゃん」

 コハクは少しだけ頬を膨らませた。

「一応言っておくけど、私だって意味もなく冒険者登録した訳じゃないのよ?」

 その言葉に、エリシアが眉をひそめる。

「何か目的があるってこと?」

「ええ。だって、これならエリシアちゃんと一緒に行動できるもの!」 

「は?」

 思わず間の抜けた声が漏れた。


 どうしてそうなる。いや、冒険者登録をすれば一緒に行動しやすくなるという理屈はわかる。わかるが、なぜわざわざ自分と行動する必要があるのか。


 エリシアが答えを探している間に、コハクはすっと一歩近づいた。

 そして、周囲に聞こえないよう、声をほんの少しだけ潜める。


「エリシアちゃん、きっと意地張っちゃってうまく行動できそうにないから」

 にこりと笑い、まるで秘密を打ち明けるようにそっと囁く。

「あの男の子とうまくいくように、私がサポートしてあげるね♡」

「…っ!!!?」

 衝撃の提案。


 エリシアの脳裏で、昨夜の会話が一斉に蘇る。

 龍皇の魂。子孫。アルト。

 そして、目の前で満面の笑みを浮かべる、余計なお世話の権化。

(やめてやめてやめて! そんなサポートいらない! 絶対いらないから!!)

 エリシアは必死に心の中で叫ぶが、コハクの笑顔は揺るがない。

 そもそも、アルトと無理にどうこうなるつもりなどないのだ。だから、サポートなど必要ない。必要ないったら、必要ないのだ。


「…姉さま」

「なあに?」

「お願いだから、余計なことしないで…」

 絞り出した声は、もはや懇願に近かった。

 だがしかし、コハクにはその必死な思いは届かない。


「大丈夫よ、エリシアちゃん。私に全部任せて!」

 どこからくる自信なのか、顔を輝かせてコハクが堂々と言い放った。


(な、何ひとつ大丈夫じゃないぃぃぃっ!!)


 エリシアの心の叫びは、朝の冒険者ギルドの喧騒に、誰にも知られることなく消えていった。




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