㉑
アルトは授業が終わると、挨拶もそこそこに教室を飛び出した。
いつも一緒に帰っているカイルには、午前中に「今日は先に帰る」と伝えてあるから問題ないだろう。
家に着くなり、玄関の扉を勢いよく開け、雪まみれの靴を脱ぎながら声を張り上げた。
「父さーん、ただいま!」
しかし返事はない。
「……あれ?」
そのとき、キッチンから母リオナが顔をのぞかせた。
「おかえり、アルト。お父さんなら、まだ帰ってきてないわよ」
「えー…昼には帰るって言ってたのに」
「急なお仕事だって。仕方ないわよ」
アルトは唇を尖らせ、鞄をテーブルの上に置く。小さくため息をつき、しょんぼりと椅子に腰を下ろした。
アルトの声を聞いたテオが二階から降りてくる。案の定、がっかりと肩を落とす弟の姿を見てテオは苦笑を浮かべた。
――やっぱり、こうなると思った。
「アールト。おかえり」
「ただいまぁ…」
律儀に返事をしてくれるが、どう見てもご機嫌ななめだ。
「なんだよ。父さんがいないだけでこの世の終わりみたいな顔して」
「…してない」
「してるしてる。『父さん不足』って顔に書いてあるぞ」
「そんなん書いてないし!」
ムキになって否定する弟の頭を、テオは笑いながらクシャっと撫でた。
「よし、父さんが帰ってくるまで俺が遊んでやってもいいぞ」
「…兄さんが遊びたいなら、おれが遊んでやってもいいよ」
「なんだ、言い返す元気はあるじゃないか」
思ったよりも大丈夫そうだと、テオがほっとした表情を浮かべた。
「…そういえば、アルトお前、冒険者ギルドに遊びにいってるんだって?」
「えっ」
なぜそれを知っている、という顔をしてアルトが固まる。
「ちょっと一緒に仕事する機会があってな。そこで挨拶させてもらったんだ」
気のいい人たちだよな、と笑うテオを、アルトが怪訝そうな顔で見上げた。
「仕事? 騎士団と冒険者が?」
「まあ、色々あるんだよ。合同で依頼を受けることもあるし、情報交換もするしな。…で、その時お茶に誘われたんだよ」
「えっ? ナンパ!? 誰に!?」
「なワケないだろ。お前と二人でギルドに遊びに来ないか、ってさ」
「…あ。びっくりしたぁ」
「お前の思考回路にびっくりだよ」
テオは苦笑しながら弟の額を軽く指で弾いた。
「せっかくだから今日行ってみるか? お前、顔なじみも多いんだろ」
「兄さんと一緒に? …まあ、行ってもいいけど」
アルトは一瞬だけ嬉しそうに笑い、それから照れくさそうに視線を逸らし、テーブルの上の飲みかけのマグカップをいじった。
――うん、やっぱり俺の弟はかわいい。
心の中でそんなことを考えてるテオは、間違いなくブラコンである。
街の大通りにある冒険者ギルドは、昼下がりにもかかわらず活気に満ちていた。
木製の大きな扉を押し開けると、笑い声や数多の足音など、ざわめきが一気に押し寄せてくる。
「うわぁ、やっぱり賑やかだなぁ…」
テオは感心したように広いホールを見渡した。
奥のテーブルでは、鎧姿の男たちが仲間と腕相撲で盛り上がり、隣の席では地図を広げた二人組が真剣に作戦を練っている。
受付カウンター前では、依頼票を手にした冒険者たちが順番を待ちながら談笑していた。
その他にも、たくさんの冒険者たちがそれぞれの仲間たちと楽し気に過ごしている。その雑多で温かい空気に、テオは少しだけ肩の力を抜いた。
「兄さん、あんまりキョロキョロしないでよ。田舎から出てきた人みたい」
「お前なぁ…初めて来たんだから仕方ないだろ」
「あれぇ? アルトくん?」
二人でひそひそ話していると、すぐそばで明るい声がアルトの名を呼んだ。振り向くと、大きな三角帽子を被った魔法使いの女性――ミーナがこちらを見下ろしていた。そうして横に立つテオにも気づく。
「あ! お兄さんも一緒だね」
そうしてこれ以上ないくらいの笑顔を浮かべた。
「やったー! ゴルドのおごりだー!」
ミーナの歓喜の叫びは、周囲の冒険者たちの視線を一斉に集めた。
「おい、ミーナ! 何勝手なこと言ってんだ!」
奥の席から椅子を軋ませて立ち上がったのは、筋骨隆々の大男――ゴルド・ブラストだ。その大声はホールのざわめきを押しのけるほどよく通る。
「だってだって、ほら! テオさんだよー」
「…ん? おお、アルトの兄ちゃんか!」
ちょっと険しい顔をして歩み寄ってきたゴルドだが、アルトとテオの顔を見た途端、その相好を崩した。
「そうか、二人で遊びに来たんだな! なら奢らないわけにはいかねえな!」
そう言って豪快に笑う。
「? 奢るって何?」
アルトが不思議そうな顔をして兄を見上げる。テオはその問いに答える代わりに、昨日の会話を思い出していた。
『まあ、そうだな。アルトの兄ちゃんが来るなら、ついでにお前らもまとめて奢ってやるよ』
…うん、確かに言ってた。
「あの、俺のことは別に気にしなくてもいいので…」
遠慮がちにテオが声をかけるが、
「遠慮すんなって! アルトもアルトの兄ちゃんももう俺らの仲間だろう!」
「ねー、エリシアは? さっき受付にいたよねぇ?」
「この時間じゃ昼飯はもう食い終わってるだろうしな。でもギルドの食堂は甘いものもメニューにあるからな!」
「あ、新作スイーツこないだ出てたからあたしそれにしたいー」
ゴルドもミーナも、まるで話を聞いてくれない。
え。なにこれカオス。
若干引き気味のテオの背後から、柔らかな声がかかった。
「あはは、ちょっと強引でびっくりしちゃうよね」
振り向くと、ちょうど依頼帰りだったのか、長弓を背負った青年――リック・フェザーが苦笑を浮かべて歩み寄ってくる。
「あ、リックさん」
「こんにちは、アルトくん」
アルトに穏やかな笑顔で挨拶をした後、リックは視線をテオへと移す。
「強引だけど、いい奴らだから。よければ彼らの好意を受け取ってくれるとうれしいな」
そう言ってリックは軽く片目をつむり、指先でウインクを飛ばしてくる。星のエフェクトが飛んでくるのが見えた(幻)。
「あ、はい…」
昨日は騎士であるテオに遠慮がちな態度を取っていたが、今日はずいぶんと話しやすい雰囲気だ。ただ、いちいち決めポーズを挟んでくるのが謎すぎて、逆にすごく気になってしまう。
そんなテオの疑問を察したのか、アルトがさらりと説明する。
「リックさんはこれが通常運転なんだ」
「…へえ、そうなんだ(棒)」
「リックは存在がうざいから来なくていいよー」
「なんっで君はそうゆうこと言うかな!?」
ミーナが毒を吐いてリックがツッコミを入れる。ここまでがテンプレートだ。安定のカオス。
「あれー。騒がしいと思ったらアルト来てたんだね。テオさんも」
エリシアが奥から手を拭きながら出てきた。どうやらトイレに行っていたらしい。
ぱたぱたっと軽やかに駆け寄ってくると、ぺこりとお辞儀して挨拶をする。
「アルト、こんにちは。テオさん、昨日はお疲れさまでした」
――あ、この子、なんか普通だ…
ゴルドの暑苦しい豪快さでもなく、ミーナの突き抜けた自由奔放さでもなく、リックの意味不明な謎ポーズでもない。
その落ち着いた対応に、なぜか小さな感動を覚えてしまうテオだった。




