⑲
王国騎士団グレイスフィールド支部は、支部長レオニード・ヴァルクを頂点に、5名の隊長と東西南北の門を管理する4名の守衛長、その下に騎士、魔導兵、従騎士、現地兵士を擁する、総勢400人を超える大規模組織である。
レオニードは国内に10名しかいない大隊長の一人で、4年前からこの地に赴任し、支部を率いてきた。
五名の隊長は、オルフェン・レイナス、ブラン・フェルナード、エミール・ローレンツ、レオン・ハルトバルト、コンラート・ヴェルナー。
中でも筆頭隊長のオルフェンは、冷静沈着かつ豪胆な性格で知られる。
有事には自ら前線に立ち士気を高めるカリスマ性を備え、時にレオニードの代理として中央にも赴くことも多い。支部内外からの信頼も厚く、その存在は支部の柱ともいえる。
また、グレイスフィールドはアイゼンヴァルト辺境伯領に位置しており、辺境伯騎士団とも良好な関係を築いてきた。
辺境伯騎士団が外敵を、王国騎士団は内敵を警戒し、互いに信頼と協力のもとで領地を守護してきたのである。
かつて大雪により補給路が断たれた際には、両団が即座に連携し、辺境伯騎士団が物資を運び、王国騎士団が街道を確保したことで、民は一人の犠牲もなく冬を越すことができた――その逸話は、今も領民の間で語り継がれている。
そしてアイゼンヴァルト辺境伯からグレイスフィールドの管理を任されているのがアレクシス・クロムハルト子爵であり、同様にダスクヘイブンの管理を任されているのがルシアン・グリム子爵である。
どちらも辺境伯に権利を与えられて管理を任されているのだが、同格の貴族同士は基本的に独立しており、お互いに直接の命令権などは存在しない。干渉も本来は最小限にとどめられるはずだった。
だがグリム子爵は代替わりしてから、どうもグレイスフィールドに対してマウントを取りたがる傾向が強い。
尋問ではグリム子爵の名は出てこなかったが、今回の襲撃に何らかの関りを持っている可能性が高いと見られていた。
その真相を確かめるべく、捕えた襲撃犯から押収した証拠品を携え、筆頭隊長オルフェン・レイナスが組織クロノワールとの交渉に赴くこととなった。
オルフェンは、朝早くから部下を二人引き連れてダスクヘイブンへと来ていた。
クロノワール――この町を陰から支配する裏組織。彼らに罪を認めさせ、出頭させることが今日の目的だ。
三人は王国騎士団であることを隠す気などさらさらなく、むしろ誇示するかのように、騎士団の団服を身にまとい、腰に団の紋章を刻んだ剣を佩いている。後ろを歩く部下の一人が持つ鞄の中には、先の襲撃事件で押収した証拠品が収められている。
路地の奥、石造りの門の向こうに、周囲の建物より二回りは大きな館がそびえている。その入り口の両脇には、二人の屈強な男が立っていた。片方は片目に黒い眼帯を掛け、もう片方は腕に無骨な銀の腕輪をつけている。
彼らは近づいてくる見慣れない三人を値踏みするかのように睨みつけた。
「……王国騎士団か」
威嚇するような声音に、しかしオルフェンは一歩も引かず、静かに口を開く。
「グレイスフィールド支部、隊長のオルフェン・レイナスだ。頭領に話がある。通せ」
短い沈黙の後、男二人は互いに視線を交わし、やがて半歩後ろに下がった。そのまま中に入るよう顎で促す。
オルフェンは一度だけ深く息を吸い、扉を押し開けた。
中に足を踏み入れると、視界に入ったのは魔導ランプに照らされた長い廊下。そして目の前には30代ほどの細身の男。仕立てのいいスーツに身を包み、口元だけで笑みを形作っている。
「グレイスフィールド支部の騎士の方ですね。お待ちしておりました」
その声は丁寧だが温かみはない。形だけの歓迎のあいさつだ。
「奥でドレイガン様がお待ちです。ご案内いたしましょう」
男は軽く会釈し、背を向けて歩き出す。
結果的には、拍子抜けするほどあっさりとアジトの奥へと通された訳だが。待っていた、という言葉に少しの不気味さを覚えながら、オルフェンは無言でその背中を追った。
薄暗い廊下を進み、突き当りの扉が開かれる。そこは広々とした応接間。中央に重厚な机が据えられ、その奥に一人の男が腰掛けている。
ドレイガン・マルロック――組織クロノワールの頭領。
小太りな体を上質なスーツで包み、片耳には金のピアス。年齢は五十を越えているはずだが、その眼光は鋭く、同時に底知れぬ狡猾さを宿しているようだった。
「まさか王国騎士団の隊長殿に、こんな場所まで足を運んでいただけるとは」
揶揄とも歓迎ともつかぬ声音で迎えられる。口元には相手の出方を図るかのような笑みが浮かび、神経を逆なでする。
オルフェンは無言のまま机を挟んでドレイガンの正面の位置に移動した。背後には、彼に付き従う二人の騎士が静かに続く。
「…昨日、輸送隊を襲撃されるという事件があった」
オルフェンは遠回しな言い方を避け、直接事件のことを口にした。それは相手の反応を見るためでもあったのだが。
「ああ、その件ですね。分かっておりますとも」
ドレイガンはわざとらしく大きく頷き、肩をすくめてみせた。
「…『分かっている』?」
「ラッド・クロウでしょう? 私の側近だが、あいつは時々独断で動く癖がありましてな。今回も、どうやら暴走したらしい」
「……!」
その口ぶりは、まるで自分は被害者であるかのような言い方だ。
――責任を切り離し、部下にすべてを押し付ける気か。
駒を差し出すことで自らの立場を守る。裏社会では珍しくもない、冷徹な手口だ。
いや、そもそもの話、まさか相手の方から『R・C』の名を出してくるとは思っていなかった。本来なら、押収した襲撃犯の証拠品を突き付け、そこからラッド・クロウの名を引きずり出す予定だったのだ。
「奴は責任を持ってこちらで処分します。騎士団の手を煩わせることはいたしませんとも」
恩着せがましく語るドレイガンの口元には、相変わらず薄い笑みが張り付いている。オルフェンは知らず奥歯をかみしめていた。
部下の持つ鞄の中には襲撃犯の証拠品が入っている。だが、もはや交渉の切り札にはならないだろう。
このままドレイガンのペースで進めさせるわけにはいかない。どうにかして主導権を握らなければならない。
「…さっき『分かっている』と言っていたな。襲撃の計画をお前も知っていたのではないか?」
ドレイガンは一瞬だけ動きを止めた。貼り付けたようなその笑みは崩れないが、目の奥には濁った光が宿る。
「…隊長殿」
低く、湿ったような声が広間に落ちた。
「人聞きの悪いことをおっしゃる。私はただ、部下の不始末をお詫びしようとしているだけだというのに」
机の上に置いた指で、その滑らかな表面をゆっくりと叩く。
コツ、コツ、コツ
一定のリズムで刻まれるそれが、妙に耳に残る。
「計画? そんなもの、私が知るはずないでしょう」
「知らないという割には、襲撃事件のことは分かっていると答える。矛盾が過ぎるのではないか?」
「いやですねぇ。私にも情報網というものがあるのですよ。こう見えて裏ではそれなりに顔が利きましてね。日々、実に多くの情報が私どものところに舞い込んでくるんですよ」
オルフェンは何も言わない。ただ、視線だけを鋭く返した。
「今日は襲撃の証拠品もお持ちいただいているのでしょう? ぜひ拝見したいものですな」
ドレイガンの語り口は柔らかいが、その奥には探るような、嘲るような気配が潜んでいる。
証拠品はもともと組織側に突き付けるつもりで持ってきていた物だ。見せること自体に問題はないが、いかんせん交渉材料としてはすでに役にたたない物となってしまっている。
「襲撃者の持ち物…見せていただけないのですか?」
部下が視線を送ってくる。
「…隊長。どうしますか」
「…かまわん。押収品を」
「…はっ」
鞄から取り出したのは銀バッジと魔導通信機。
「…これらの押収品から貴様らクロノワールの関連が浮かび上がった」
オルフェンが魔導通信機に魔力を流すと、淡い光が空間を照らし、空中に通信履歴が浮かび上がる。そこには『R・C』の文字が表示されている。
「たしかに『R・C』の履歴が残ってますな。これは言い逃れができない。いやはや、なんてことだ」
ドレイガンは芝居がかった口調で、わざとらしく肩をすくめて驚いてみせた。
「…けれど」
ゆっくりとオルフェンに顔を向ける。
「これは、私が加担した証拠にはなりませんね?」
その言葉には一切の揺らぎも迷いもない。
オルフェンは黙って視線をぶつけるが、ドレイガンの表情に動揺が浮かぶことは微塵もなかった。
「…少なくとも、貴様らクロノワールが襲撃犯のバックにいたことは事実だ」
「先程も申し上げたでしょう、部下の暴走だと」
ドレイガンは背もたれに体を預け、まるで世間話でもしているかのような軽い口調で返してくる。
「なら、その部下――ラッド・クロウはどこだ。奴に話を聞かせろ」
「奴ならもうここにはいませんよ」
「いない?」
オルフェンの眉が顰められる。
「言ったでしょう。責任を持って処分します、と」
「…!」
「騎士団の手は借りませんよ。ご安心を」
ドレイガンの口元が歪む。その笑みは勝者の余裕か、あるいは露骨な挑発か。
「…それは口封じと同義か」
ドレイガンの笑みが、さらに深まる。
「何をおっしゃるのやら。私は組織の秩序を守るための措置をしただけですよ」
「秩序?…貴様らの秩序は、罪を闇に葬ることか」
「…おやおや。隊長殿は何か誤解されているようだ」
ドレイガンの声は穏やかだが、その言外に潜む圧が空気を重くする。互いの視線が絡み合い、広間の空気は限界まで張りつめていた。
オルフェンは深く息を吐き、わずかに顎を引いた。
――これ以上は、危険かも知れない。ここで強引に踏み込めば、逆に足元をすくわれる。
焦りは感じているが、冷静さはまだ失ってはいない。
「…今日はここまでだ」
業腹だが引き際を間違えれば取り返しのつかないことになってしまう。
「引き上げる」
「はっ」
低く告げると、背後の二人の騎士に視線を送り、押収品を回収させた。
「おや、もうお帰りですか」
ドレイガンは椅子から一歩も動かず、顔に笑みを張り付けたまま部下に命令する。
「お客様がお帰りだ。出口まで送って差し上げろ」
「畏まりました、ボス」
この広間まで案内してくれた男が、今度は外までの道を先導する。
広間を出る直前、ふと、オルフェンが足を止め、振り返ってドレイガンに問いかけた。
「そうだ、最後に一つ聞きたい」
「…なんでしょう?」
「ルシアン・グリム子爵はご健勝か?」
一瞬、空気が揺らぐ。揺らぎは、目の前の案内の男からだ。
「…さあ? グリム子爵とは特に面識はございませんので」
「…そうか」
ドレイガンの声に動揺は見られず、そこで会話は終了し、オルフェンは再び歩き出す。
「またお会いできるのを楽しみにしてますよ」
どこか棘のあるその声を背に受けながら、オルフェンと二人の騎士は広間を後にした。




