⑮
作戦決行日当日。
まだ日が明ける前、アルトはふと目を覚ました。
窓の外は群青色の闇に包まれ、東の空がわずかに白み始めている。耳を澄ますと、階下から低い声と金属の擦れる音が聞こえてきた。
そっとベッドを抜け出し、裸足で階段の上まで行く。
そこから見えたのは、鎧を身に着けた父ブランと、兄テオの姿だった。
父は肩の留め具を確かめ、兄は剣帯を締め直している。二人とも表情は引き締まっていて、普段の穏やかな朝とは違う空気が漂っていた。
「では行ってくる」
「行ってきます、母さん」
「二人とも気を付けてね」
母リオナのその声は柔らかいが、どこか不安を押し隠しているようにも聞こえた。
父と兄は短くうなずき、玄関の扉を開ける。外の冷たい空気が一瞬家の中に流れ込み、アルトの頬をかすめていった。
やがて扉が閉まり、リビングは急に静かになる。
アルトは胸の奥がざわつくのを感じながら、階下からは見えない位置に身を潜めた。
――今日は、何か特別な日なんだろうか。
けれど、その答えを知る者は、もう家を出てしまっていた。
鎧の金属が擦れ合う音が時折響き、馬の鼻息が白く立ちのぼる。
まだ日も昇りきらぬうちから、練兵場の広場には今日の任務に参加する者たちが集まっていた。
騎士団の面々は磨き上げられた甲冑に身を包み、無言で武具の最終確認を行っている。その中にはアルトの兄テオの姿もある。
魔導兵たちは瞑想をして魔力の流れを整えたり、魔導具の調整を行ったりしている。
その傍ら、冒険者ギルドから招集された6人は、広場の端で小さく輪を作っていた。
背伸びしてストレッチしている者、身だしなみを気にして服の裾や袖を整える者、空を見上げて雲を眺める者――緊張感に包まれた騎士団や魔導兵たちとは対照的に、彼らの周囲にはどこか緩い空気が漂っている。
「しっかし、朝っぱらからこんなに人が集まると、なんか祭りみたいだな」
背中に巨大な戦斧を背負った大男ゴルドが、腕を組みながら周囲をぐるりと見まわし、低く呟いた。
「ちょっと、祭りなんて不謹慎ですよ、ゴルドさん」
「ねー、あっちの騎士さんとかめっちゃコワイ顔してるし」
エリシアが眉をひそめてたしなめると、ミーナもひそひそ声でそれに付け加える。視線の先では、鎧に身を包んだ騎士が無表情のまま槍を点検している。
殺気立つと言う程ではなくとも、このピリピリとした空気は否応にも緊張感を高めていく。
「ううう…さすがに緊張してきちゃったなぁ」
普段なら飄々と芝居がかった口調で場を和ませるリックが、今日ばかりは自身の得物である長弓を両手で抱えるようにしながら、肩を震わせていた。顔色もどこか青ざめ、唇がわずかに引きつっている。
「急に豆腐メンタルとかやめてよね」
隣に立っていたミーナが、持っていた杖の先端でリックの脇腹を軽くつついた。
「あ、ちょ、やめ…僕は繊細なのっ」
「へたれアーチャー、ウケるしw」
「ああもう、きみたちが図太いだけでしょー!?」
そのやり取りに、(ちょっとだけ)緊張していた空気がほんの少しだけほぐれていった。
そんな時。
「ええと、エリシアさん、て人はいますか?」
柔らかな声が背後からかかる。振り向くと、黒髪の若い騎士が立っていた。
穏やかな笑みを浮かべた優しそうな顔立ちは、どこか人を安心させる雰囲気をまとっている。鎧は使い込まれているが、手入れの行き届いた輝きを放っていた。
「エリシアはあたしですけど」
名乗ると、青年は一歩近づき、胸に手を当てて軽く会釈する。
「俺はテオ・フェルナード。アルトの兄です」
「えっ、アルトの?」
「弟を助けてくれたと聞きました。本当にありがとう」
深く頭を下げるその声音には、飾り気のない真摯な感謝が滲んでいる。エリシアは一瞬きょとんとしたが、すぐに首を横に振り、そっと頭を上げるよう促した。
「お礼はちゃんとアルトからももらいましたよ。だから気にしないでください」
そう言って、エリシアは軽く微笑んだ。
「なんだ、あんたアルトの兄ちゃんか?」
不意に背後から声がかかる。振り向けば、冒険者ギルドでアルトを猫かわいがりしている一人でもあるゴルドが、興味深そうにテオを見ていた。
「はい、あなたもアルトのお知り合いで?」
「おうよ。ギルドに遊びに来たときは一緒に茶ぁ飲んでる仲だぜ」
「ギ、ギルドへ遊びに…?」
テオの眉がわずかに上がり、想像していなかった弟の交友関係に、驚きの色が浮かんだ。
「そうそう。あいつ、妙に人懐っこいからな。気づいたらギルドの連中に囲まれて笑ってやがる」
ゴルドが豪快に笑いながら続ける。
「もしよかったら今度は兄ちゃんも一緒にどうだ? 茶くらい奢ってやる」
「…それは、ありがたいですが」
「ちょ、ちょっと!」
リックが慌ててゴルドの腕を引っ張る。
「き、騎士様に何言ってんの! 失礼でしょ!」
「ああ、騎士っていうだけで、俺は平民ですから。そんなに畏まらないでください」
テオは柔らかく笑い、軽く手を振ってみせた。その穏やかな物腰にリックは一瞬言葉を失い、気まずそうに視線を逸らした。
「ねえゴルド、お茶おごってくれるの? あたしもいい?」
横に立っていたミーナが目をキラキラさせて会話に割り込む。
「あのなぁ、ミーナ。俺の財布は底なしじゃねえんだぞ」
「さすがに図々しすぎると思うよ、ミーナ…」
ゴルドは苦笑しつつも、頭を掻きながら視線を逸らした。
「まあ、そうだな。アルトの兄ちゃんが来るなら、ついでにお前らもまとめて奢ってやるよ」
そう言って、豪快に笑い飛ばす。
「やった~!」
ミーナが両手を上げて喜び、リックは呆れたようにため息をつく。エリシアはその様子にクスクス笑った。
そんな賑やかなやり取りを、テオは少し驚いたような、それでいてどこか嬉しそうな表情で眺めていた。
「…アルトと仲良くしてくれてありがとう」
「ん?」
「良ければ、今後もあいつと仲良くしてやってください」
「はい、もちろん!」
テオが笑顔で手を差し出し、エリシアもそれをしっかりと握り返した。
やがて、練兵場にある壇上に、この別動隊を率いるブラン・フェルナードが進み出た。背筋をまっすぐに伸ばし、鋭い眼光で集まった者たちを一人残さず射抜くように見渡す。
次の瞬間、力強い声が冷え切った朝の空気を切り裂いた。
「――全員、整列! 隊列を組め!」
その号令は、練兵場全体に雷鳴のように響き渡る。
騎士たちは一斉に姿勢を正し、鎧の継ぎ目が擦れ合う金属音が波紋のように広がった。
先程まで緩んだ空気を纏っていた冒険者組も、すぐさま表情を引き締め、騎士団の左横へと縦一列に並ぶ。その動きには、先程までの笑い声の名残は微塵もなかった。
全員が整列を終えるまで、およそ一分。
壇上からその整然とした隊列を見渡し、ブランは満足げに頷いた。
「これより任務を開始する! 各自、作戦フローは頭に叩き込んでいるな? 現場での動きを再確認し、不備のない様に心掛けよ!」
鋭い声が再び空気を切り裂き、広場全体に緊張の波を走らせる。
「騎士隊は小隊、もしくは単独で時間差をつけて移動。現場付近での合流は禁止、それぞれの持ち場へ直行し潜伏せよ。魔導兵は索敵魔導具を携行し、囮部隊の進行ルート周辺に展開。冒険者ギルドの者は地形や隠密に長けた者を先行させ、奇襲の起点を築け!」
遠くで鳥のさえずりが微かに響き、東の空がゆるやかに暁に染まっていく。
冷たい風が頬を打ち、彼らの纏うマントをはためかせた。
「――これより、現場へ向かう! 一000までに、必ず配置に着け!」
その号令が放たれた瞬間、整然とした隊列が一斉に動き出し、練兵場は足音と金属音の奔流に包まれた。




