⑪
冬の日暮れは早い。19時を回ったグレイスフィールドの街は、すでに深い闇と冷気に包まれていた。
南門の外壁を叩く風が時折、窓ガラスをガタガタと震わせる。外の通りは人影もまばらで、遠くから馬車の車輪が雪を踏みしめる音がかすかに響いてきた。
守衛長室の中では暖炉の炎が赤々と揺れ、薪がはぜるパチパチという乾いた音が静寂を切り裂いている。
壁には南門周辺の詳細な地図が貼られ、机の上には未整理の報告書が積み上がっていた。
部屋の中央に置かれている応接セットのソファには、グレイスフィールド第二部隊隊長ブラン・フェルナードと南門守衛長ガレス・エドモンドが、テーブルをはさんで向かい合うようにして座っている。
そこへエリオットとセリーヌ、両副守衛長が共に入室し、扉を閉めると同時に姿勢を正し、敬礼をした。
「尋問の結果を報告に来ました」
「話せ」
ガレスが軽く頷きながら先を促す。
「奴らの所持品から魔導通信機を押収。履歴から隣町ダスクヘイブンの裏組織・クロノワールの幹部、R・Cと24時間以内に通信していたことが判明。組織に何らかの情報を渡す意図があったと見られます」
エリオットの声は落ち着いていたが、報告の内容は決して軽くない。
「おそらく黒幕はクロノワール頭領、ドレイガン・マルロック。ただ今回捕縛した男たちは捨て駒の可能性が高く、仮に組織に問いただしたとしても、シラを切られる恐れが大きいと考えます」
報告を聞き、ブランが顎に手を当てため息をついた。
「動機の核心まではさすがに掴めないか…」
「はっきりとした証拠がなければ、こちらから動いても逆に足元をすくわれるな」
ブランの正面に座るガレスは椅子の背にもたれ、両腕を組んで低く唸り、一つ提案をする。
「巡回ルートや防衛の薄い時間帯を探っているなら、こちらも餌を撒いて様子を見る手もあるのでは?」
しかし、その提案にエリオットは首を横に振った。
「いえ、下手に挑発すれば、交易路への襲撃が早まる危険があります」
「…それも一理あるか…」
ガレスは深く息をつき、壁に貼られた南門周辺の地図を見上げた。
「では、警備を強化しつつ、巡回ルートを一部偽装して、奴らが食いつくかどうか見極めてみるのはいかがでしょう?」
それまで静観していたセリーヌが右手を軽く上げて意見を述べた。
「巡回ルートを偽装し、あえて防衛を薄く見せます。ただし実際には伏兵を配置し、何かの動きがあった場合即座に対応・捕縛できるようにするのです」
「…囮作戦ということか」
ガレスが低く呟く。暖炉の炎がぱちりと音を立て、室内の空気がわずかに張りつめた。
「成功すれば証拠も実行犯も一度に押さえられます」
「しかしなぁ…」
ブランが渋い顔をする。
「そもそも、巡回ルートを探って何を企んでいるのかが分からないんだ」
仮に襲撃を計画していたとして、それがいつ行われる予定なのかも不明の状態なのである。
エリオットもブランに同意するように首を縦に振った。
「襲撃が行われるまで、その囮作戦を続けるわけにもいかないでしょう」
「やはり難しいか…」
同僚の言葉に、案を述べたセリーヌが小さく唸る。彼女自身もそこは引っかかっていたのだろう。特に自分の意見を押し通すこともせず、眉間にしわを寄せて他に何か良い案はないかと考え始めた。
「…今回の件は、俺が一度預かるということでいいでしょうか」
ガレスに許可を得るように、ブランが静かに口を開く。三人の視線がブランへと集中した。
「このまま支部長へ報告します。きっかけは小さい事件だが…なんだか嫌な予感がする」
彼の騎士としての直感が鋭く警鐘を鳴らしている。その感覚は長年の経験がもたらす、核心に近いものだった。
「もし他にも怪しい動きをする奴がいたら、即座に拘束しておいてください」
言いながらソファから立ち上がり、出口へと足を進める。皮のブーツが石床を踏む音が、やけに大きく響いた。
ガレスは腕を組んだまま、短く「了解した」とだけ答えた。
ブランは、その足で騎士団支部の庁舎へ向かい、支部長室の扉を叩いた。
時刻は遅かったが室内の灯りはまだ消えていない。騎士団グレイスフィールド支部長、レオニード・ヴァルクは机に向かい、分厚い書類の束に目を落としていた。
報告を受けたレオニードは、深く刻まれた額の皺をさらに寄せ、視線を上げる。
「…巡回ルートを探られていた、か。」
低く唸るような声が、部屋の空気を重くした。
「はい。拘束した者を尋問したところ、背後に隣町の裏組織が関わっている可能性が浮上しました。奴らは我々の動きを把握し、地下金庫に保管された『暗号記録』を狙っている恐れがあります」
レオニードは短く息を吐き、椅子の背にもたれた。机上の書類に視線を落とすが、その目は遠くを見ているようだった。
「……となれば、内部の備えも見直す必要があるな」
彼はゆっくりと視線を戻し、はっきりと告げた。
「念のため警備関連の書類をすべて確認しろ。今夜中にだ」
「はっ!」
ブランは敬礼するとそのまま踵を返し、部屋を飛び出した。
建物内に残っていて今動ける者たち全員に、資料書庫と事務室を捜索に取り掛からせるのだ。
伝令が駆け、書類棚が次々と開け放たれる。紙をめくる乾いた音が幾重にも重なって響き、廊下を行き交う騎士たちの靴音が石造りの床に響く。彼らの低く抑えた声がそれに交差し、机の上には束ねられた書類が次々と積み上げられていく。まるで庁舎全体が一種の戦場のような緊張感に包まれていた。
夜更けの庁舎に緊張と焦燥が入り混じった空気が満ちていく。その中で、若い騎士の一人が棚の奥を探っていた手を止め、顔色を変えた。
「…ない」
かすれた声が、紙をめくる音の中に沈むように漏れた。周りの者が振り返る。
騎士は慌てて一つのファイルを抱え、同じく書庫で書類をあさっていたブランに向かって大声で叫んだ。
「フェルナード隊長! 書類が一部見当たりません!」
「支部長!」
支部長執務室の扉が勢いよく開き、ブランと若い騎士が駆け込んできた。
「護衛任務の計画書が一部、見当たらないようです」
告げられた報告を受け、レオニードの眉がぴくりと動く。
「…どの任務だ」
「来週の魔導結晶輸送隊の護衛計画書です。西門経由となるのですが、ルートを記した用紙の一部が抜き取られています」
「魔導結晶…」
低く呟く声が部屋の空気を重くする。若い騎士は思わず背筋を伸ばした。
「抜き取られたのはいつだ」
「おそらく1~2日以内かと。書庫にこのファイルを入れたのが一昨日の17時と記録されています」
レオニードは机の上に広げた地図を見下ろし、指先で西門周辺をゆっくりとなぞった。
魔導結晶は魔道具や魔科学機器の動力源である。
その供給が滞れば、工房や商人は大きな損失を被り、価格は急騰するだろう。庶民は魔法灯や暖房器具といった生活魔導具を使えなくなる恐れも出る。
さらに輸送隊が襲撃を受けたとなれば交易信用が失墜し、商隊がグレイスフィールドを避ける動きも出てくる可能性もある。そうなった時の経済的・社会的影響は計り知れない。
レオニードは眉間に皺を寄せ、短い沈黙ののち決断を下した。
「内部調査を開始する。ただし外部には決して公表するな。混乱を招く恐れがある」
重要書類の紛失、あるいは抜き取り――これは偶然や外部侵入だけでは片付けられる話ではない。書類棚の位置、保管方法、時間帯による庁舎内の人の流れ…これは内部犯の可能性は否定できない。
「各門の警備を直ちに強化するよう伝えろ。合わせて、ここ数日分の通過記録を確認。資料庫に出入りした者も全員洗い出せ。内部の者も疑え!」
「はっ!」
「了解です!」
命令を受けたブランと若い騎士は力強く敬礼すると、踵を返して足音を響かせながら部屋を後にした。
残された執務室には、レオニードの深いため息だけが重く漂っていた。




