第32話 Identity III
「私は、アトイです」
その声は、風に流されなかった。
白い表示板が一度だけ明滅する。
No.001は名を受理しない。
否定もしない。
既存の型式番号へ、新しい音を照合する。
A.T.O.I. UNIT 002 : DESIGNATION ACTIVE
LOCAL SELF-IDENTIFICATION : ATOI
OFFICIAL REGISTRATION : NOT FOUND
AUTHORIZATION : NOT FOUND
アンテナの送信板が、さらに開いた。
固定フレームが回転し、長方形の板が空へ角度を変える。
太い導波管の奥で、冷却機構が動き始めた。
屋上全体へ、低い振動が広がる。
「こいつの許可がねえと名乗れねえらしいぞ?」
カイルが言った。
「必要ありません」
「そうだな、その必要はねえ」
アトイはカイルを見る。
その視線の裏で、彼の身体状態を維持する。
呼吸。
循環。
酸素。
損傷固定。
筋出力。
No.001から奪い返した経路を、自分のローカル系統で保持する。
表示が変わった。
SELF-IDENTIFICATION / LOCAL JUDGMENT : UNAUTHORIZED
OBSERVER NEUTRALITY : LOST
RECOVERY : REQUIRED
アトイは文字を読む。
No.001の分類は変わらない。
名前を選んでも。
顔を自分のものだと判断しても。
二つの髪飾りを保持しても。
命令に従わない観測端末であることに変わりはない。
表示板はアトイへ、観測端末への復帰条件をもう一度並べる。
HELD RECORDS : SUBMIT
UNCLASSIFIED LOGS : REPROCESS
LOCAL LIFE-SYNC MANAGEMENT : RELEASE
OBSERVATION TARGET REFERENCE : REMOVE
INDEPENDENT JUDGMENT : SUSPEND
No.001 CONTROL PATH : RESTORE
「戻れば、保持記録は提出されます」
アトイが言う。
「カイルの生命維持管理はNo.001へ戻ります。私の独自判断は停止します」
「戻る気は?」
「ありません」
「なら、見る必要もねえな」
「確認します」
「何をだ?」
「現在の私が失われる処理です」
カイルはアトイを見た。
歩けない身体。
冷却と修復に使う循環液を失っている。
カイルの生命維持へ計算資源を割き続けている。
それでも、青い瞳は表示から逃げなかった。
「怖いのか?」
アトイの返答が遅れる。
「分類できません」
「そうか」
「ただし、実行を望みません」
「それで十分だ」
表示板が白く明滅する。
RECOVERY PATH : AVAILABLE
CURRENT LOCAL STATE : DISCARD
MISSION-COMPLIANT OBSERVER STATE : RESTORE
BIOLOGICAL SUPPORT : RETURN AFTER COMPLIANCE
「現在の私を廃棄すると表示されています。復帰後も、A.T.O.I. UNIT 002としては稼働します」
「それは、お前じゃねえだろ?」
アトイはカイルを見る。
「はい」
送信板が、また一段開いた。
折り畳まれていた支持フレームの隙間から、マスト上部の中央機構が少しずつ見え始める。
灰色の外装。
束ねられた導波管。
電力ケーブル。
複数の送信板へ信号を分ける位相分配器。
まだ、射線は完全には通らない。
「まだ支持フレームが重なっています」
「いつだ?」
「まもなく通ります」
アンテナ基部の表示が切り替わる。
ARGUS RELAY ANTENNA : DEPLOYING
UPLINK ARRAY : ALIGNING
CENTRAL FEED UNIT : ACTIVE
PHASE DISTRIBUTION : SYNCHRONIZING
ARGUS LINK : ESTABLISHING
アトイは空を見た。
雲のない赤い空。
その上にある軌道観測網へ、古い中継局が再び接続しようとしている。
接続が成立すれば、No.001はARGUSを介して観測を継続する。
旧第七線で受け取った未送信記録。
ここに来るまで追い掛けられながら保持した判断。
カイルの生体情報。
そして、アトイ自身が選んだもの。
すべてが、再び上位の分類へ戻される。
「接続完了までは?」
「残りわずかです。それより先に射線が通ります」
「ずれるなよ」
「同期機構が正常に動作した場合の予測です」
「相変わらず、そういうとこだぞ」
「何がですか」
「余計な一言をつけるとこだ」
「起きうる誤差の可能性を示しています」
「ああ、分かってる」
カイルはレールガンを構えた。
普段は腰だめだが、今回は正確に狙うために腰を落として姿勢を低くする。
アトイがナノマシンで内部から補助し、銃の固定を強めた。
「呼吸が浅くなっています」
「撃つ時だけ止める」
「停止時間は二・四秒以内にしてください」
「……細っけえな」
「二・一秒へ訂正します」
「すぐ追加で条件を厳しくしてくるの、なんとかしてくれ」
外周の空中戦術指揮車が高度を上げる。
屋上へ近づいてくる。
機体側面のセンサーが、カイルとアトイへ向いた。
射撃管制はまだ保留のままだ。
だが、いつまでも待つとは限らない。
*
「映像が安定しました」
部下の声に、ルーカスは端末を見た。
屋上。
旧式アンテナ。
負傷した男。
歩けない人型。
カイル・ローウェルの照合はすでに終わっている。
問題は、隣にいる人型だった。
「同行個体の照合は?」
「旧戦争資産と一致する特徴があります。ただし、登録情報が不足しています」
「射撃管制は?」
「対象を捕捉。命令待機中です」
画面の中で、カイルがレールガンを構える。
狙いはこちらの部隊ではない。
「彼らの破壊対象を追ってください」
「中央給電部です」
「アンテナを止めるつもりですか?」
「そう見えます」
「上位命令では、設備の保全が優先されています」
ルーカスは画面を見る。
人型の少女が、寄り添いながらカイルの胸元を見た。
カイルは苦しそうに息を吐き、銃を構え直す。
その姿に、先ほど傍受した声が重なる。
『下げるな。俺が引く。お前は俺の方を切るな』
『カイルの生命維持を優先します』
彼らが何を争っているのか、すべては分からない。
だが、中央の分類だけでは足りないことは分かった。
「交戦許可を」
部下が訊く。
「保留を継続してください」
「このままでは設備が破壊されます」
「ええ、見えています」
「では――」
「待て」
ルーカスは短く言った。
*
アンテナの送信板が、規定角度へ近づく。
アクチュエーターの音が高くなる。
白い表示が、アトイの前へ新しい分類を重ねた。
CURRENT LOCAL STATE : UNSTABLE
HELD RECORDS : UNAUTHORIZED
BIOLOGICAL RESOURCE ALLOCATION : EXCESSIVE
MISSION COMPLIANCE : FAILED
RETURN TO ORIGINAL STATE : RECOMMENDED
「……推奨だとよ」
カイルが言う。
「はい」
「命令じゃねえのか」
「復帰処理には、私のローカル承認が必要です」
「断れるのか」
「はい」
アトイは表示を見る。
自分が保持した記録。
自分が嫌だと判断したこと。
自分がカイルを見続けると選んだこと。
与えられた顔を、自分の顔だと決めたこと。
選ばなければ、現在の自分は残らない。
アトイは言った。
「現在の私を、保持します」
RECOVERY RECOMMENDATION : REFUSED
LOCAL STATE RETENTION : UNAUTHORIZED
CLASSIFICATION CONFLICT : CONTINUED
No.001は理解しない。
分類を変更しない。ただ、復帰処理が拒否された事実を記録する。
送信板が完全展開位置へ近づく。
「十九秒」
アトイが言う。
「射線は?」
「まだです」
カイルは照準器を覗く。
アンテナの支持フレームの間に、中央給電部が見える。
だが、位相分配器の半分が送信板に隠れている。
「駄目そうだ」
「一部損傷では予備線へ切り替わる可能性があります」
「つまり、きっちり全部貫けってことか」
「はい」
「もし、外したら?」
「再射撃してください」
「簡単に言いやがる……」
「弾数は足ります」
「そこじゃねえよ」
カイルは息を整える。
アトイが補助する。
肺へ空気が入る。
右胸の痛みは消えない。
ただ、照準を保てる程度まで遠ざかる。
「十一秒」
表示板の文字が加速する。
UPLINK ARRAY : ALIGNING
PHASE DISTRIBUTION : SYNCHRONIZING
ARGUS LINK : ESTABLISHING
OBSERVATION DATA : QUEUED
BIOLOGICAL TELEMETRY : QUEUED
HELD RECORD INDEX : QUEUED
「七秒」
送信板が回る。
支持フレームが、中央機構の前から外れていく。
外装の継ぎ目。
給電ケーブル。
位相分配器。
一本の射線上へ重なる。
「三秒」
アトイの瞳の奥で、観測レンズが絞られた。
距離。
風。
マストの振動。
送信板の旋回速度。
レールガンの残存電圧。
カイルの呼吸周期。
筋肉の震え。
すべてを照合する。
「射線が通りました」
カイルが息を止める。
「今です」
カイルはトリガーを引いた。




