第30話 Identity I
白いアンテナが、ゆっくりと目を開き始めた。
マストに沿って畳まれていた送信板の固定具が外れる。
一つ。
また一つ。
錆びたアクチュエーターが低く唸り、長方形の板を赤い空へ押し出していく。
風が吹くたび、剥がれかけた耐熱塗装が細かな粉になって散った。
その足元で、屋上ハッチ周辺の表示板が白く点灯する。
DIRECT CLASSIFICATION : START
A.T.O.I. UNIT 002 : OBSERVATION TARGET INFLUENCE DETECTED
OBSERVER NEUTRALITY : LOST
MISSION COMPLIANCE : FAILED
INDEPENDENT JUDGMENT : UNAUTHORIZED
RECOVERY TO ORIGINAL OBSERVER STATE : REQUIRED
カイルはレールガンを持ったまま、アトイの身体をアンテナ基部へ寄せた。
歩けない両脚を床へ伸ばし、背中を太い支持柱へ預ける。
「座ってろ」
「すでに座っています」
「そういう意味じゃねえ。動くなって言ってんだ」
「下肢制御は停止しています」
「……上半身で動くだろうが」
「必要な場合は」
「必要かどうかは俺が決める」
「その選択の根拠を要求します」
「お前が壊れかけてるからだ」
アトイは返答しなかった。
代わりに、カイルの胸部状態を照合する。
呼吸。
心拍。
酸素維持。
右肋骨周辺の固定。
筋出力。
アトイ由来ナノマシンの制御は続いている。
「今、何を見てる?」
「カイルの身体状態です」
「そこは任せる」
「はい」
アンテナの送信板が、さらに開く。
金属の軋む音が、風の中へ長く伸びた。
外周では、政府の空中戦術指揮車が距離を保って浮いている。
機体側面の照準器は、まだ二人へ向いたままだ。
撃ってはこない。
だが、去りもしない。
表示板の文字が切り替わった。
HELD RECORDS : SUBMISSION REQUIRED
UNCLASSIFIED LOGS : REPROCESS REQUIRED
LOCAL LIFE-SYNC MANAGEMENT : RELEASE REQUIRED
OBSERVATION TARGET REFERENCE : REMOVE
INDEPENDENT JUDGMENT : SUSPEND
No.001 CONTROL PATH : RESTORE
「相変わらず、元に戻せって言ってるのか?」
カイルが訊いた。
「はい」
「あいつはどんな結果を求めてるんだ?」
「保持した記録を提出します。未判定を再分類します。カイルを判断の参照から外します。独自判断を停止します。No.001の管理下へ再接続します」
「お前はどうなる?」
「本来の観測端末へ復帰します」
「本来ってのは、どんな状態だ?」
「命令された対象を観測し、記録し、提出します」
「……今と変わらねえように聞こえるな」
「判断の起点が異なります。現在は、提出しないことを私が選びました」
アトイは表示を見る。
「カイルの生命維持を優先することも、私が選びました」
「元に戻りたいのか?」
「いいえ、その選択は選びません」
風が吹いた。
アトイの青い髪が、支持柱の向こうへ流れる。
左右の琥珀色の髪飾りが、小さく揺れた。
「選べなくなる、じゃねえのか?」
「結果は同じです」
「……同じじゃねえよ」
カイルは言った。
「『選ばねえ』のと、『選べねえ』のは違う」
表示板は、その言葉へ応答しない。
別の分類を重ねる。
OBSERVER NEUTRALITY : LOST
TARGET INFLUENCE / RESOURCE ALLOCATION : EXCESSIVE
FUNCTIONAL DEFECT : CONFIRMED
アトイは文字を読んだ。
「私は、影響を受けました」
白い表示は、同じ分類を返した。
FUNCTIONAL DEFECT : CONFIRMED
「私は、それを変化だと判断します」
No.001は言葉を持たない。
同じ結果を、同じ欄へ戻すだけだった。
RECOVERY : REQUIRED
No.001は怒らない。
説得もしない。
アトイが受けた影響を、観測機能の低下として処理する。
提出の遅延。
命令の拒否。
カイルへの資源配分。
不要な記録の保持。
最適経路からの逸脱。
結果だけを並べれば、故障としか見えない。
カイルは、壁面の表示ではなくアトイを見た。
「その選択を後悔しないか?」
アトイが顔を向ける。
「しません」
「なら、それはお前の意志だ。故障じゃねえ」
アトイの答えは短かった。
風の音に消えてもおかしくないほど、短い言葉だった。
分類は変わらない。
それでも、カイルの言葉も取り消されなかった。
アンテナの中で、太い歯車が噛み合った。
送信板が一段上へ持ち上がる。
まだ中央給電部は見えない。
重なった支持フレームの奥に隠れている。
「さぁて、いつ撃てる?」
「送信板の展開は途中です。中央給電・位相分配ユニットへの射線はまだ通りません。現在の速度では、まだ時間が必要です」
「長えな」
「途中、停止する可能性があります」
「ここまで来たんだ、待つさ」
「はい」
カイルはアンテナを見上げた。
レールガンの残量表示を確認する。
階段の接続部へ二発。
保守路と防衛ドローンにも使っている。
だが、中央給電部を確実に貫くための弾は残っている。
問題は、撃てるところまで目標が露出するかだ。
「向こうは何してる?」
「政府車両ですか」
「ああ」
「射撃管制は発砲保留を継続しています。車両は施設外周から屋上方向へ上昇中です」
「撃たれねえうちに終わらせるぞ」
「はい」
アトイの返答と同時に、別の表示が開いた。
VISUAL INTERFACE : FUNCTIONAL
TARGET-RESPONSE OPTIMIZATION : CONFIRMED
FACIAL FRONT PANEL : REPLACEABLE
EXPRESSION LAMINATE : SERVICEABLE
OWNERSHIP CLASSIFICATION : NOT APPLICABLE
アトイの瞳が、その一行で止まる。
それにカイルは気づいた。
「どうした?」
「顔面最前面パネルが、交換可能部品として分類されています。所有の対象ではないと表示されています」
送信板が軋む。
白い文字の向こうで、初回ロールアウトの記録が短く再生された。
青い成形液。
共通頭蓋フレーム。
透明な支持層。
薄い人工筋肉。
積み重なる軟質シェル。
その表面へ定着する人工皮膚。
カイルの生体反応から抽出された特徴が、数値へ変換される。
警戒を下げる。
破壊を避ける。
遺棄を減らす。
同行を継続させる。
顔は、最初からそのために作られた。
アトイが見るためではない。
カイルに見せるための部品だった。
「……この顔は、カイルの反応を利用するために作られました」
「そうらしいな、胸糞悪い話だ」
「私が選んだものではありません。カイルも選んでいません」
「当たり前だ。嫌いじゃないがな」
アトイはカイルを見る。
真相を知った後、避けていた正面からの視線。
今はそれを隠さない。
「では、これは誰の顔なのですか」
カイルはすぐに答えなかった。
風が、二人の間を通り抜けた。
「……人間だってな、自分の顔を選んで生まれてくるわけじゃねえよ」




