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A to I  作者: きんかん


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第29話 Hold IV

 足場の先には、上へ続く保守階段があった。


 カイルは壁へ手をつき、立ち上がる。

 アトイの腕を肩へ回し、身体を引き上げた。


「上まで、あとどれくらいだ?」


「垂直距離、二十八メートル。保守階段五層。手動隔壁二箇所。屋上ハッチ一箇所です」


「遠くはねえな」


「カイルの現在速度では――」


「やめろ、知らないほうがいい情報だってある」


「はい」


 二人は階段を上り始めた。


 カイルが一段上がる。アトイの身体を引く。

 アトイは壁の手すりを掴み、上半身で補助する。


 一段。


 もう一段。


 階下では、ワイヤーが切れる音がした。

 残りの四脚ドローンが別の経路を探し始めたようだった。


 施設内の環境マイクが、二人の荒い呼吸と金属音を拾っていた。




   *




 ARGUSゲール外縁中継局の外壁は、現行の図面には存在しなかった。


 正確には、外壁そのものはある。

 だが、そこに埋め込まれた保守用接続盤と、屋上へ続く旧式設備が図面から消えていた。


 ルーカスは手袋を外さず、携帯端末の有線ケーブルを接続盤へ差し込んだ。


 端末の表示が乱れる。


 現行政府規格。

 旧戦争規格。

 No.001系統の権限信号。

 それらが、互いを正規接続として認めないまま重なっている。


「施設内部の音声を拾えます」


 部下が言った。


「映像は?」


「断片的です。環境マイク、作業用通話装置、防衛機の収音器が同じ保守網へ集約されています。内部処理には入れません」


「十分です。開いてください」


 ノイズ。


 金属が軋む音。


 誰かの呼吸。


『……呼吸が浅くなっています』


 女の声だった。


 平坦で、正確な声。


『下げるな。俺が引く。お前は俺の方を――切るな』


 男の声が途切れる。


 回線損傷。

 設備ノイズ。

 音声の一部が欠落する。


『……カイルの生命維持を優先します』


 ルーカスは画面を見た。


 生体対象、一名。

 No.002系外界観測端末、一体。


 中央から与えられた命令は、旧戦争資産の回収と、生体対象の拘束だった。

 抵抗時には、生体対象の無力化が許可されている。


「上位から、屋上設備起動前の突入を求められています」


 部下が言った。


「まだです」


「しかし、対象は屋上へ向かっています」


「だからです。屋上設備の状態を先に確認します」


 ルーカスは内部の簡易位置表示を開いた。


 偵察ドローンから送られてきた二つの反応が、ほとんど重なっている。


 一方が他方を運んでいるのか。

 片方が片方へ接続されているのか。


 表示だけでは判別できない。


 だが、音声は聞こえた。


 男が引く。

 人型が男の生命維持を優先する。


 それはどう聞いても、所有者と資産の会話ではなかった。

 お互いがお互いを助け合い、必死に生きようとしている声だった。


 ルーカスは旧戦争資産の回収を命じられている。

 それは時に危険な武器や化学物質であり、一般人が扱えば重大事故につながりうるものだからだ。


 しかし今、彼が見ているものが、そういうものとはとても思えなかった。

 より多くの、判断材料となる情報が必要だった。


「……屋上側の射撃管制を待機させてください」


「捕捉後、即時交戦では?」


「いいえ、待機です」


 部下は短く頷き、端末へ指示を入れた。




   *




 四層目の保守階段で、カイルの足が止まった。


「休止を推奨します」


「……追いつかれるだろ」


「心拍が上昇しています」


「階段上ってんだ。当たり前だろ」


「右肋骨周辺の固定負荷が上昇しています」


「そりゃお前が重いせいだ」


「否定しません」


「否定しろよ」


 アトイは返答しなかった。


「処理落ちか?」


「音声処理能力を低下させています」


「喋ってんじゃねえか」


「最低限です」


「都合のいい最低限だな」


 最上部の踊り場へ出た。

 頭上に、円形の屋上ハッチがあった。


 その横には使い捨ての酸素マスクが掛かっている。だいぶ古びてはいるが、まだ使えそうだった。

 顔面全体を覆うもので、今では廃れた形のものだ。

 しかし、これでも屋外での活動は十分にできる。


「マスクがあるってことは、ここはエアロックか? いや、古い施設だから当時は無くても外に行けたのか」


「旧戦争でテラフォーミング環境が破壊されたという記録があります」


 屋上へ出るハッチには手動開放輪がある。

 だが、中央の軸へ固定具が噛み込んでいる。

 施設側が閉鎖したままだ。


 カイルはアトイを壁際へ座らせた。


「ここにいろ、開けてくる」


「移動できません」


「嘘つけ、這いずってでも動こうとするだろ」


 カイルはレールガンを下ろし、ハッチ脇の保守カバーをこじ開けた。


 内部の歯車が見える。

 機械式ロック。

 二本の固定爪。

 一本は手が届く。

 もう一本は、ハッチの反対側だ。


「どこを壊す?」


「手前の固定爪を外してください。奥側は、私が外します」


「届くのか?」


「上半身制御を一時的に増加します」


「代わりに何を切る?」


「音声処理です」


「そう言いながら喋ってるじゃねえか」


「最低限です」


「それ、さっきも聞いたぞ……」


 カイルは手前の固定爪へ、ハッチ裏に付いていた工具を突き込んだ。


 押す。

 動かない。


 体重をかける。

 右胸が痛む。


 アトイが両腕で床を押した。

 動かない脚を引きずり、ハッチの反対側へ身体を寄せる。

 片手で支持枠を掴み、もう片方の手を内部へ差し込む。


「カイル、今です」


 人工筋肉が、一瞬だけ高出力で動いた。

 奥側の固定爪が外れる。同時に手前側の固定爪も緩み、工具が隙間に入った。


「……助かったけどよ、やっぱり動き回るじゃねえか」


 固定が外れた後、二人で手動開放輪を回した。


 ハッチが軋む。


 一目盛り。

 二目盛り。


 ハッチの隙間から赤い光が細く差し込んだ。

 火星の空の色だった。


「よし、いけそうだ」


「外部に複数の照準反応があります」


 カイルの手が止まる。


「施設のドローンか?」


「異なります。政府規格。中継局外周から接近しています」


「まさか、回収屋か?」


「可能性があります」


「閉めるか?」


「階下のドローンが、最下層隔壁を通過しました」


 下から、金属脚の音が響いた。


 遠い。

 だが、上ってくる。


 カイルは開放輪をもう一度回す。


「前も後ろも、ろくなもんじゃねえな」


「今度はカイルが選択してください」


「お前、面倒くせえ奴になったな……」


「はい」


「開けるぞ、上の連中のほうが少しはマシだろ」


「はい」


 カイルは横にある酸素マスクを付け、動作確認をしてからハッチを押し上げた。


 赤い空。

 冷たい風。


 砂塵が、隙間から一気に吹き込んだ。


 カイルが先に屋上へ出る。

 レールガンを構え、周囲を確認する。ひとまず、攻撃を仕掛けてくるものはなさそうだった。


 屋上中央には、巨大な白いアンテナが立っていた。

 灰白色の耐熱塗装は剥がれ、金属製のトラスマストが赤い空へ伸びている。

 長方形の送信板は、マストへ沿って折り畳まれていた。


 太い電力ケーブル。

 導波管。

 固定金具。

 停止した保守用昇降機。


 古い機械だった。


 No.001の姿はない。

 声もない。


 カイルはハッチへ戻り、アトイの腕を掴んだ。

 彼女の身体を屋上へ引き上げる。


 胸が痛む。


 アトイが内側から支える。

 カイルが外側から引く。


 二人で、アトイの身体を赤い空の下へ出した。


「破壊するのは、あれか」


「はい。ただし現在は中央給電部が送信板の裏に隠れています」


「開くまで待つのか?」


「接続開始時に露出します」


「分かった」


 その時、屋上外縁の観測器が二人へ向いた。


 遠くで、空中戦術指揮車の影が浮上する。

 機体側面の射撃管制が、アトイへ照準を合わせた。




 UNKNOWN HUMANOID ASSET : TARGETED

 BIOLOGICAL SUBJECT : IDENTIFIED

 ENGAGEMENT REQUEST : PENDING




 外部接続盤の前で、部下が言った。


「対象を確認。交戦しますか」


 ルーカスは、送られてきた映像を見た。


 負傷した男が、歩けない人型を支えている。

 人型は男の胸元を見ている。

 生体表示と呼吸を追っている。


 どちらがどちらを運んでいるのか。

 一瞬、分からなかった。


 旧第七線へ二人を誘導した。

 回収系統を停止させなかった。

 損傷禁止の一行を、安全保証として扱った。


 画面の中の傷と、歩けない脚と、途切れかけた呼吸。そのどこまでが自分の判断の結果か、ログからは切り分けられない。


 だからこそ、ルーカスは目を逸らせなかった。


「待て」


 射撃管制が停止する。




 ENGAGEMENT : HOLD




 カイルは、屋上外縁の機影を見た。


「……撃ってこねえな」


「発砲保留指令を確認しました」


「信用できるか?」


「不明です」


 階下の駆動音が近づく。


 一層。

 もう一層。

 屋上直下の階段へ、四脚ドローンが入った。


「このままじゃ上がってくるぞ」


 アトイはハッチの内側を見た。


 階段の上端。

 踊り場を壁へ固定する二本の支持ピン。

 補修された接合部。

 古い床梁。


「上端の接続部を破壊してください」


「落とすのか?」


「はい。階段と踊り場を縦穴へ落とします」


「戻れなくなるぞ?」


「はい」


 カイルは屋上を見た。


 白いアンテナ。

 外周の空中戦術指揮車。

 赤い空。


 他に道はない。


「最初から戻る道なんか、なかったようなもんだな」


 レールガンを構える。

 ハッチの縁から、階段上端の接続部を狙う。


「右側の支持ピンです」


「見えてる」


「腐食が進んでいます。一本を破壊すれば、荷重が左側へ集中します」


「もう一本は?」


「自重で破断する可能性があります」


「可能性か」


「選択してください」


「やるぞ」


 トリガー。

 放電音。

 弾体が右側の支持ピンを貫いた。


 階段が傾く。

 金属脚の音が止まった。

 下からドローンの赤い照準レーザーが見える。

 左側の接合部が軋む。


「まだ落ちねえ!」


「左側へ荷重が移動しています」


「見りゃ分かる!」


 階段の途中で、四脚ドローンが上へ跳んだ。

 その衝撃で、残った接合部に亀裂が走る。


 カイルは二発目を撃った。


 左側の固定板が割れた。

 階段と踊り場が、まとめて縦穴へ落ちる。


 防衛ドローンの脚が空を掻く。

 金属の塊が、下層の足場を巻き込みながら落下した。


 一度。


 二度。


 三度。


 衝突音が遠ざかる。

 最後に、大きな崩落音。


 砂塵と古い断熱材が、ハッチから吹き上がった。


 カイルはハッチを閉じようとした。

 だが、歪んだ縁が噛み合わない。


「閉まらねえな」


「階段は失われました。ドローンの即時到達経路はありません」


「ついでに、俺たちの戻る道もな」


「はい」


 カイルはレールガンを担ぎ直した。


 アトイをアンテナの方向へ向ける。


 その時。


 屋上ハッチ周辺の表示板が、一斉に点いた。

 アンテナ基部にも、白い文字が走る。


 折り畳まれていた送信板の固定金具が、一つずつ外れ始めた。


 No.001は姿を見せない。

 声も出さない。


 ただ、分類を始める。




 DIRECT CLASSIFICATION : START

 A.T.O.I. UNIT 002 : IDENTITY REVIEW REQUIRED

 MISSION COMPLIANCE : FAILED

 RECOVERY TO ORIGINAL OBSERVER STATE : REQUIRED




 赤い空の下で、白いアンテナがゆっくりと目を開き始めた。

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