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A to I  作者: きんかん


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27/29

第27話 Hold II

 二人は保守路を進んだ。


 赤い誘導灯は消えない。

 背後の処理室から、別の回収機構が起動する低い振動が伝わってくる。


 No.001の要求は終わっていないようだった。


 アトイは歩きながら、自分の内部状態を照合する。


 人工循環液量、低下。

 自己修復用ナノマシン、減少。

 腰部損傷の外装修復、停止。

 冷却余力、低下。

 カイル側生命維持への継続配分、上昇。


 電力は残っている。


 発電器も、蓄電器も正常範囲だった。


 だが、電気があっても、それを運ぶ流体と直す材料が足りない。

 熱を逃がせなければ、人工筋肉も駆動器も出力を下げるしかない。




 最初の遅れは、右脚に出た。


 一歩。


 カイルより半歩遅れて、足が出る。


 次の一歩では、膝の伸展が遅れた。


 アトイは歩行周期を補正した。

 上半身の姿勢を変え、左脚へ荷重を移す。


 それでも、三歩後に右膝が折れた。


 手が壁へつく。


「おい」


 カイルが振り返る。


「何してる?」


「歩行を継続しています」


「見りゃ分かる。継続できてねえだろ」


 アトイは立ち上がろうとした。


 右脚の人工筋肉が応答する。

 出力が途中で落ちる。

 膝が再び床へ触れた。


「下肢制御に遅延があります」


「先に言え」


「現在言いました」


「そういう意味じゃねえよ……」


 カイルがアトイの腕を取り、肩へ回した。


「ほら、立てるか?」


「左脚は使用可能です」


「右は?」


「継続使用した場合、人工筋肉の熱損傷が拡大します」


「じゃあ使うな」


「移動速度が低下します」


「壊れるよりましだろ」


 カイルが身体を寄せる。


 アトイの腰を左腕で支えた。

 右手にはレールガンを持つ。


 右胸に、アトイの体重がかかる。

 固定された肋骨の周囲が痛んだ。


「カイルの胸部負荷が増加しています」


「そっちはお前が抑えてくれ」


「実行中です」


「なら問題ねえ」


「問題はあります」


「歩けるなら、あとで聞く」


 二人は歩き出した。


 アトイは左脚だけで床を蹴る。

 右脚は引きずらないよう、最低限だけ持ち上げる。

 カイルが腰と肩で残りの重量を受ける。


 狭い保守路では、それだけで横幅が足りなくなる。


 配管へ肩が擦れる。

 レールガンの銃身が壁へ当たる。

 アトイの青い髪が、二人の間から後ろへ流れた。


 途中の表示板に、白い文字が浮かんだ。




 COMPANION RETENTION : CONTINUED

 VISUAL INTERFACE EFFECT : EFFECTIVE

 A.T.O.I. UNIT 002 : RECOVERY REQUIRED




 カイルが足を止めた。


「……何でもお前の顔の手柄にすんな」


「現在、カイルは私の顔を見ていません」


 アトイの顔は、カイルの肩より後ろにある。

 視界に入っているのは、前方の通路と、赤い誘導灯だけだった。


「ほら見ろ」


「誰に対する発言ですか」


「あの白い文字だよ」


「応答機能はありません」


「知ってる。腹が立っただけだ」


「記録しますか」


「するな、こんなくだらねえこと」


「保持します」


「それもいい」


 アトイは返答しなかった。


 返答しないことを選んだのか、処理を省いたのか、カイルには分からない。

 だが、肩へ回された腕の力は少しだけ強くなった。




 保守路の先で、分岐表示が点いた。


 右。

 回収機構用通路。


 左。

 旧昇降設備。


 アトイの観測レンズが、左右を照合する。


「右側に四脚ドローン三体。距離四十八メートル。接近中です」


「くそ。左はどうだ?」


「床面が崩落しています。通行可能幅、最小四十一センチ。下方は旧昇降路です」


「もし落ちたら?」


「現在の深度から、約十九メートル下へ到達します」


「到達したときには死んでるだろ……」


「カイルは死亡する可能性があります。私は損傷します」


「んだよ、お前だけ微妙に丈夫だな」


「はい」


 右の暗がりで、金属脚の音がした。


「左に行くぞ」


「ドローンとの交戦を回避しますか」


「三体より、床の方がまだ話が通じる」


「床は会話できません」


「だが確実な反応は返してくる。そこがいいんだよ」


 二人は左へ入った。


 床の中央が崩れ、壁沿いに細い縁だけが残っている。


 下には、停止した昇降機の骨組みが見えた。

 非常灯の赤い光が、何層も下で小さく点滅している。


 カイルはアトイを壁側へ寄せた。


「足を置く場所を言ってくれ」


「前方三十二センチ。左足。荷重可能です」


 カイルが進む。


「次」


「二十八センチ。右側の床材は避けてください」


「俺の右か? お前の右か?」


「進行方向右です」


「わかりやすい」


 一歩ずつ進む。


 アトイは観測する。

 カイルが選び、足を置く。

 床材が沈めば、アトイが次の荷重位置を探す。


 しかし右脚の使えないアトイを支えながらでは、四十一センチの幅は狭すぎた。


 カイルの靴底が、崩れた縁の砂を踏む。

 床材が割れた。


「っ!」


 右足が空へ落ちる。


 アトイの左手が壁面のケーブルを掴んだ。

 もう片方の腕は、カイルの肩へ回ったままだ。


 カイルの落下が止まる。


 二人分の重量が、一本の古いケーブルへかかる。

 固定具が軋んだ。


「まずいぞ、離せ! このままじゃ」


「離しません」


「お前まで落ちるだろ!」


「カイルが先に落下します」


「順番の話じゃねえ!」


 カイルは左足を床へ押し付けた。

 崩れた縁へ肘をかけ、身体を持ち上げる。


 アトイは壁のケーブルを引き、カイルの肩を支えた。

 右脚は動かない。

 左脚だけで壁へ身体を押し付ける。


 カイルの右足が、残った床へ戻った。


 なんとか、二人は壁際へ座り込む。


 直後、アトイの掴んでいたケーブルの固定具が外れ、下へ落ちた。

 金属が昇降路の底へ当たる音は、しばらくしてから聞こえた。


「……十九メートル、だったか」


「はい」


「お前、これを落ちて本当に大丈夫なのか?」


「はい。大丈夫、ではありませんが」


「マスリデューサー様々だな」


「機能が万全であれば、より安全に降りられます」


「……俺を護衛にしたのは、あいつの失敗だろ」


 カイルは息を整えた。


 アトイは胸部状態を維持する。

 呼吸補助。

 循環補助。

 肋骨周辺の固定。


 そのたびに、自分の冷却余力が減っていく。

 左脚の応答にも遅延が出た。


「冷却と処理資源を、カイルの生命維持へ再配分します。また、遅延のある下肢制御を一時停止します」


「構わねえけど、そりゃ歩けないってことだよな? そんなにやばいのか?」


「はい」


「ったく、弱音なら先に言えよ」


「現在言いました」


「……さっきも聞いたな、それ」


 カイルは立ち上がり、アトイの腕を引いた。

 だが、両脚の力が抜けた身体は、肩を貸すだけでは動かない。


「質量軽減は?」


「限定稼働中です」


「それでも、今よりは軽いんだな」


「はい」


「よし」


 カイルはレールガンを背中へ回した。

 アトイの片腕を自分の首へかけ、もう片方の腕を腰へ回す。


 そのまま身体を持ち上げた。


 胸が痛む。

 アトイが即座に補助を強める。


「カイルの負荷が高すぎます」


「あれみたいに落ちるよりはマシだろ」


「比較基準が不適切です」


「じゃあ、なるべく楽な道を出してくれ」


「前方に旧昇降機の整備踊り場があります」


「わかった、そこまで行くぞ」


 カイルはアトイを抱えるようにして進んだ。


 床の残った部分を選ぶ。

 壁へ背中を擦る。

 足元の崩れを避ける。


 アトイは進行方向を見た。


「前方、六メートル。床面の欠損が拡大しています」


「今、忙しいんだ」


「必要です」


「……そうだな」


 最後の一歩で、カイルは残った床を蹴った。


 整備踊り場へ身体を投げる。二人は金属床へ倒れ込んだ。

 カイルの背中が先に当たり、その上へアトイの身体が重なる。


「……重くはねえが、軽いとも言えねえな」


「質量軽減は限定稼働中です。完全稼働状態であれば」


「わかったよ、恥ずかしがんなって」


「本来質量は、人間の外観から推測される値を上回りますが、マスリデューサーの効果中であれば」


「だからわかったって、普通の女の子ぐらいだって言いたいんだろ」


「はい」


 カイルはアトイを横へ下ろした。


 整備踊り場の先には、大きな昇降路が口を開けている。


 昇降機の籠はない。対岸の出口までは、八メートルほど。

 空間を横切るように、細い二本のワイヤーが張られていた。


 そのワイヤーへ、小型の整備用移送台が吊られている。

 人一人を運ぶだけの簡素な金属枠。床板は半分錆び、片側の手すりは曲がっていた。


 対岸の壁には手動の巻き上げ器がある。


 近側の制動器。

 対岸のラチェット式巻き上げ機。

 非常用の牽引ワイヤー。


 電源は死んでいる。手で送るしかない。


 カイルは近側の制動レバーへ触れた。

 レバーの根元が割れている。


「壊れてるな……」


「この制動器は荷重を保持できません」


「台に乗ったら?」


「ワイヤーが繰り出され、移送台は昇降路中央へ落下します」


「対岸で止められねえのか?」


「対岸のラチェットは使用可能です。到達後に固定できます」


「到達するまで、こっちを誰かが押さえる必要があるな」


「はい」


 遠い背後で、金属脚の音がした。

 回収ドローンが崩落区画へ入ったようだった。


 カイルはアトイを見た。


 両脚は動かない。

 カイルの生命維持のために自分の循環液とナノマシンを送ってしまい、十全な状態ではない。


「俺がワイヤーを押さえる。お前が先に渡れ」


「移送台の手動操作には、下肢による姿勢保持が必要です」


「じゃあ、脚の動かないお前が押さえられんのか?」


 アトイは壊れた制動器を見た。


 床へ固定された金属枠。

 壁面へ渡された支持梁。

 自分の本来質量。

 現在稼働している体内のミスリルマスリデューサー。


 計算する。


「可能です」


「脚は動かねえんだぞ?」


「脚で保持する必要はありません」


 アトイは腕だけで身体を起こし、制動器の側へ移った。


 壊れたレバーへ両手をかける。

 背中を支持梁へ預ける。


「カイルが対岸のラチェットを固定するまで」


 青い瞳が、昇降路の向こうを測る。


「私が、ここを保持します」

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