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A to I  作者: きんかん


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24/29

第24話 Gaze II

 アトイは、カイルを見なかった。

 保守端子へ指を置いたまま、灰色の壁だけを見ている。


「……残りは」


「二箇所です」


 アトイは横を向いたまま答えた。


「位置は」


「上部固定具の内側に一箇所。下部の機械式ラッチが一箇所です」


「そこ、押さえろ」


 カイルがレンチを差し直す。


 アトイは手を伸ばしかけた。その指先が、途中で止まる。

 代わりに一歩先へ出て、壁の継ぎ目へ背を向けた。


「……何してる?」


「固定具の位置を確認しています」


「見えてんだろ?」


「はい」


 カイルは彼女の横顔を見た。


 長い青髪が頬へ落ちている。


「さっきから何でこっちを見ねえんだ?」


 アトイの動きが止まった。


「私の顔は、カイルの判断へ影響します」


「今さらだろ?」


「影響の程度を再評価しています」


「んなもん、歩きながら適当にやれ」


 カイルはレンチへ力をかけた。

 金属の固定爪が軋む。


「ほら、置いてくぞ」


「出口はまだ開いていません」


「開いたあとの話だ」


「はい」


 アトイは一拍遅れて、カイルの向かいへ立った。


 正面は向かない。

 肩で壁材を押さえ、顔だけを保守扉の方へ外している。


「押します」


「最初からそうしろ」


 二人で力を加える。


 上部固定具の一つが外れた。

 扉の内側から、古い気密材が剥がれる音がした。


 白い表示が、その横で更新される。




 HELD RECORDS : SUBMISSION REQUIRED

 INDEPENDENT JUDGMENT : SUSPEND

 RETURN TO STANDARD OBSERVER STATE

 JOINT OBSERVATION : AVAILABLE




「まだ同じこと言ってやがる」


「正常経路の提示を継続しています」


「記録を渡して、お前だけ元に戻れと?」


「はい」


「で、俺は観測され続けるわけだ」


「はい」


「んなもん、却下だ」


 カイルは下部の継ぎ目へ検査棒を突き込んだ。


 手応えはない。


「もっと右です」


「どのくらいだ」


「二センチ」


「細けえ」


「一・八センチです」


「さらに細かくすんな、黙ってろ」


 棒をずらす。

 今度は内側のラッチへ当たった。


 カイルが押し込み、アトイが扉を引く。

 固着していたラッチが跳ねた。


 灰色の壁が、数センチだけ手前へ浮く。

 その奥に、円形の手動ハンドルが現れた。


「開いたか?」


「気密ロックが残っています」


「回せばいいんだな」


「はい。ただし内部圧力は不明です」


「こっちより悪けりゃ閉める」


 カイルはレールガンを肩から外し、床へ立てかけた。


 両手でハンドルを掴み、右へ回す。


 動かない。


「固着しています」


「見りゃ分かる」


 腰を落とし、身体ごと捻った。


 力を入れると、右胸へ鋭い痛みが走った。

 息が止まる。


 握っていた力が抜け、ハンドルが半目盛りだけ戻った。


「……くそ」


 アトイの手が伸びる。

 だが、カイルの肩へ触れる直前で止まった。


「何してる。押さえてくれ」


「私が接近した場合、カイルの判断へ――」


「扉が閉じたら顔どころじゃねえ。早くしろ」


 アトイは手を置いた。


 片方をハンドルへ。

 もう片方をカイルの背中へ。


「回します」


「せーので言え」


「せーの」


「……早えよ」


 二人で押す。

 固着していた軸が、低い音を立てて動いた。


 ハンドルが一目盛り。

 二目盛り。


 カイルの胸が痛むたび、アトイの手が背中から力を足す。


 彼女は最後まで顔を向けなかった。


 ロックが外れる。

 扉の隙間から、乾いた冷気が流れ込んだ。


「気圧差は許容範囲です」


「通れるか?」


「一人ずつなら可能です」


「結果的に二人とも通れるならいい」


 カイルはレールガンを拾った。

 先に銃口を差し入れ、狭い保守路を確認する。


 照明はない。

 壁際の旧式誘導灯だけが、白く点々と続いている。


 人が立って歩く幅はある。

 だが、正規通路より天井が低く、配管とケーブルが剥き出しだった。


「いいぞ、先に行け」


 アトイが入る。

 それにカイルも続いた。


 扉を閉める余裕はない。


 二人が数歩進んだところで、背後の処理室から白い光が赤へ変わった。




 LOCAL REVIEW : REFUSED

 A.T.O.I. UNIT 002 : RECOVERY REQUIRED

 JOINT EXIT ATTEMPT : UNAUTHORIZED

 LOCAL ROUTE CONTROL : REVOKED




 保守路の誘導灯が、一斉に赤くなる。


「お怒りのようだぜ」


「回収手順へ移行しました」


 背後で、処理室の通常扉が閉鎖される音がした。

 続いて、保守路の先でも隔壁が動き始める。


「どっちだ?」


「前方二十七メートルに分岐があります。左は上層配線区画。右は環境維持区画です」


「出口に近い方は?」


「左です」


「行くぞ!」


 二人は走った。


 カイルの呼吸が浅くなる。

 右胸を庇えば速度が落ちる。

 庇わなければ、一歩ごとに痛みが響く。


 アトイは前を走りながら、何度も後方の距離を測った。

 だが、振り返る時も顔をカイルへ向けない。


 前方の隔壁が下り始めた。


「間に合うか!?」


「現在速度では、閉鎖が〇・八秒先行します」


「止め方は?」


「上部の駆動器です」


 カイルは走りながらレールガンを構えた。

 照準補正が、降下する隔壁と駆動軸の動きを追う。


 射線が一瞬だけ通る。


 トリガーを引いた。短い放電音。

 弾体が駆動器を貫き、隔壁が傾いたまま止まる。


 床との間に、人一人が滑り込める隙間が残った。


 アトイが先に潜る。


 カイルはレールガンを押し出し、身体を横へ倒した。


 胸が床へ触れないよう、左腕で体重を支える。


 隔壁の壊れた駆動器が火花を散らした。


 カイルの脚が抜けた直後、隔壁が数センチ落ちる。


「バッテリーは?」


「五十二パーセントです」


「まだ使えるな」


「銃身内部の損傷は継続しています」


「それもまだ使える、問題ねえ」


 背後から、小さな金属音が重なった。

 複数の脚が床を叩いている。


 処理室側で休止していた防衛ドローンが、保守扉を通過した。


「数は?」


「二体。追加起動を検出しています」


「急ぐぞ!」


 左の配線区画へ入ると、通路はさらに狭くなった。

 壁の両側を、太い導波管と冷却管が走っている。

 古い端末が、二人の接近に合わせて順番に点灯した。


 最初の表示はアトイを認識した。


 次の表示は、カイルを認識した。




 DIRECT MAINTENANCE RANGE : ESTABLISHED

 KYLE NANOMACHINE NETWORK : DETECTED

 ORIGINAL CONTROL SOURCE : CONFIRMED

 BIOLOGICAL TELEMETRY : READ




 カイルが足を止める。


「俺の名前が出てるな」


「直接保守圏内へ入りました」


「何のだ?」


 答える前に、壁面へ生体情報が展開された。




 THORACIC IMPACT HISTORY : DETECTED

 RIGHT RIB : INCOMPLETE FRACTURE

 RESPIRATORY RESTRICTION : PRESENT

 INTERNAL BLEEDING : NOT DETECTED

 MOBILITY : AVAILABLE

 HEAVY LOAD / IMPACT : NOT RECOMMENDED




「……肋骨?」


「右肋骨一本に亀裂があります」


「どうりで痛えわけだ。お前にぶつかられたせいじゃねえのか?」


 表示が追加される。




 PRIMARY IMPACT : MAINTENANCE VEHICLE CONTROL PANEL

 SECONDARY IMPACT : A.T.O.I. UNIT 002




「否定。主因は操縦盤との衝突です。私の衝突は損傷を増加させただけです」


「結局、お前も原因に入ってんじゃねえか……」


「はい」


「痛えのは我慢できるが、悪化したら最悪だ。現状は?」


「歩行可能です。ただし重量保持、身体の捻転、深い呼吸、射撃時の姿勢固定により悪化します」


「……全部これからやることじゃねえか、たまんねえな」


 アトイは答えなかった。


 顔を横へ向けたまま、壁面表示を見ている。


 診断は終わっていない。

 カイルの体内にあるナノマシン網が、細い白線として表示されていた。


 胸部。

 血管。

 肺周辺。

 自律神経へ沿う微細な分布。


 アトイとの生命同期を維持してきたネットワークだった。


 その線の上へ、別の接続が重なる。




 KYLE NANOMACHINE NETWORK : ORIGINAL CONTROL SOURCE DETECTED

 No.001 CONTROL AUTHORITY : AVAILABLE

 A.T.O.I. LIFE-SYNC LINK : ACTIVE




「カイル体内のナノマシンは、No.001が投与したものです」


「それはわかってる」


「この距離では、No.001から直接命令できます」


「……何を?」


「通信、生体監視、生命同期。加えて、呼吸、循環、痛覚抑制、炎症制御、筋出力、修復、自律神経です」


 カイルの顔から苛立ちが消えた。


「……俺の身体を動かせるのか」


「意思決定と運動命令を奪う機能ではありません」


「なら……何だ?」


「身体条件を変更できます」


 表示が切り替わる。




 RESPIRATORY SUPPORT : REDUCING

 PAIN SUPPRESSION : RELEASED

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