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A to I  作者: きんかん


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第17話 Fractal I

 旧第七線の奥へ進むにつれ、第七避難所の灯りは遠ざかっていった。


 白い表示灯はもう見えない。

 アイの残骸も、壊れた壁も、最後まで応答を続けた記録核も、曲がった通路の向こうへ沈んでいる。


 それでも、アトイの中には声が残っていた。


『聞こえています』


『あなたが、覚えていて』


 カイルの手も、まだ残っていた。


 二人の指は繋がったままだった。


 通路は少しずつ狭くなり、床の傾斜も緩くなっている。壁際を走る古い配管からは低い振動が伝わっていたが、身体同期を乱すほどではない。


 アトイは自分の内部状態を照合した。


 カイルの循環反応、安定。

 呼吸変動、許容範囲。

 ナノマシン同期遅延、低下。


「身体状態は安定しました」


「そうか」


「はい」


 カイルは前を見たまま、繋いでいた手をわずかに動かした。


「……もういいか?」


「身体状態は安定しています」


「それは聞いたって」


「では、質問の意味を特定できません」


「……手だよ」


 アトイは、自分たちの手を見た。


 指を離せばいい。

 動作としては単純だった。


 それでも、離れるまでに一拍かかった。


 カイルは何も言わなかった。


 アトイの指が離れ、二人の手の間に冷たい空気が入る。


「安定状態を確認しました」


「分かった」


 カイルは手を作業着のポケットへ突っ込んだ。


 その先で、通路が広がっていた。


 壁の片側が大きく窪み、古いシャッターが半分だけ開いている。上部の文字は剥げていたが、残った記号から保守設備用の格納庫だと分かった。


 カイルがシャッターの下へ屈み込む。


「ん、何かあるな」


「旧線保守車両を検出しました」


「動くと思うか?」


「未確認です」


「そりゃそうだ、だからこれから確認すんだよ」


 格納庫には、屋根のない小型保線車が一台残っていた。

 錆びた車輪、簡素な操縦盤、区画別マスリデューサー。持ち帰られなかったのではない。ここから持ち帰れた者がいなかったのだ。


 保守端末は何度か起動に失敗し、薄い黄色の文字を返した。




 OUTER RELAY ROUTE : PARTIAL

 RAIL MAINTENANCE VEHICLE : REQUIRED

 ESTIMATED ARRIVAL : 00:47:20




「徒歩なら?」


「四時間十九分です」


「乗るぞ」


 カイルは固着した接触器をレンチで叩き、古い車両を起こした。作業用電源は生きている。彼は即席ケーブルを組み、レールガンへ接続した。




 BATTERY RESERVE : 31%

 EXTERNAL DEVICE CHARGE : ACTIVE

 TRACTION OUTPUT : 84%

 MASS REDUCTION : 71%

 POWER MARGIN : 6%




「走る、軽くする、充電する。全部で同じ電気を食っています」


「あとで撃てなくなるよりましだ」


「過熱します」


「煙が出る前に抜く」


「不正確です」


「現場じゃ十分だ」


 カイルは操縦桿を押し込んだ。

 モーターが錆を引き剥がし、保線車は大きく震えて前へ出た。格納庫を抜ける際に後部をぶつけ、工具箱の中身を散らしたことだけは、成功に含めないことにした。


 下り勾配へ入ると速度が上がった。

 古い信号柱、崩れた足場、閉じた支線が前照灯の外へ流れる。


「十秒後、右へ旋回。続いて上方障害です」


「今度は早いな」


「設定を変更しました」


 二人は低い配管の下へ身を伏せた。左右に結ばれた青い髪と、琥珀色の髪留めが車体の振動に揺れた。


 旧線は暗かった。


 だが、止まってはいなかった。


 車両が一つ目の旧中継点を通過した時、壁際の白い灯りが一斉に点いた。


 アトイの目が止まる。


「どうした?」


 返答は、すぐにはなかった。




 UNSENT RECORD CLUSTER : DETECTED

 RECEIVER : A.T.O.I. UNIT 002

 HANDOVER : AUTOMATIC

 UNSORTED RECORDS : 18




「記録受領処理を開始しました」


「勝手に送信されてんのか?」


「はい」


「んなもん、止めちまえよ」


「停止権限がありません」


「さっきと同じじゃねえか。なんでまたお前に?」


「第七避難所証跡パッケージを保持しているため、移動式回収端末として認識された可能性があります」


「荷物持ち扱いじゃねえか」


「機能上は近似しています」


「納得すんな」


 次の支線、その次の避難区画を通過するたび、未送信記録が流れ込んだ。




 UNSENT RECORD CLUSTER : DETECTED

 HANDOVER : AUTOMATIC

 UNSORTED RECORDS : 214




 避難所番号。切断時刻。応答回数。途切れた名前。

 内容を開かなくても、人の声が含まれていることは分かった。


「まだ増えるのか?」


「はい」


「止められねえ、捨てられねえ。厄介だな」


「……まだ、判定していません」


 車輪が継ぎ目を叩いた。


 五つ目の中継点を通過した時、アトイの視界に別の表示が重なった。




 MOBILE STORAGE CAPACITY : APPROACHING LIMIT

 EMERGENCY TRANSFER : RECOMMENDED

 RECOVERY UNIT : REQUESTED




「緊急転送要求を受信しました」


「何を転送するって?」


「現在保持している未選別記録です」


「どこへ?」


「旧線内の回収系統です。上位分類先は確認できません」


「渡したら処理が軽くなるのか?」


「処理負荷は低下します。前方監視、経路制御、車両補助へ割り当て可能な資源が回復します」


「なら、先に預けりゃいいだろ」


 アトイは転送先の識別子を照合した。


 古い。

 途中で切れている。

 No.001系統へ接続していた形跡はある。


 だが、その先が見えない。


「回収後の分類先を確認できません」


「あとで取り戻せねえのか?」


「保証されません」


「まぁ、いいじゃねえか。それとも渡しちゃまずいもんでもあるのか?」


 アトイの内部に、第七避難所の記録が浮かんだ。


『あなたが、覚えていて』


 それ以外の記録は、まだ開いていない。

 渡してよいのか。

 渡してはいけないのか。

 どちらとも判定できない。


「……まだ、判定していません」


「全部か?」


「はい」


「一個も?」


「提出可能候補は、現在三件です」


「じゃあ、それだけ渡せ」


「転送要求は一括です」


「融通利かねえな」


 表示には二つの選択肢があった。




 EMERGENCY TRANSFER

 ACCEPT / DEFER




 拒否ではない。

 受け入れるか、遅らせるか。


 アトイは、後者を選んだ。


「保留します」




 TRANSFER DELAY : UNAUTHORIZED

 AUTONOMOUS RECOVERY : INITIATED

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