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A to I  作者: きんかん


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16/33

第16話 Eye V

 応答ログは、そこで止まった。


 いや、止まったように見えただけだった。


 記録の末尾に、別の照合が重なる。


 更新日時が新しく、それは旧戦争中のログではなかった。

 戦後の記録だ。


 カイルは、嫌な予感を覚えた。




 POSTWAR REVIEW FRAGMENT

 CLASSIFICATION AUTHORITY : No.001-LINKED REVIEW NODE

 DIRECT SITE RECOVERY : DENIED

 REASON : EVIDENCE LOCK / JUDGMENT SYSTEM INVOLVED




 AI補助判断への過剰依存を認定。

 I-DOLL系列による民衆感情誘導は、戦争継続意思を過剰に維持した可能性あり。

 No.009応答ログは、救助不能状況下においても希望的反応を継続。

 対象群の恐怖反応低下、秩序維持、証言保全を確認。

 ただし、民間人の現実認識を遅延させた可能性を否定できない。




 ARGUS深層系統、封鎖対象。

 I-DOLL応答系列、凍結対象。

 未送信観測記録、No.001-LINKED REVIEW NODE預かり。

 公開不可。

 現場証跡、移動不可。

 応答筐体、修復不可。

 周辺環境、保全継続。




 TOTAL REVIEWED I-DOLL RESPONSE LOGS : 390,221

 LOGS MARKED EFFECTIVE : 274,008

 LOGS MARKED HARMFUL : 116,213

 INDIVIDUAL TESTIMONY ADOPTED : 0




 視界に重ねられていた景色が、元に戻る。しかし、最後のログは消えなかった。


 カイルは、しばらくその文字を見ていた。


 そして、低く笑った。

 笑い声ではなかった。


「便利なもんだな」


 アトイは、カイルを見た。


「何がですか」


「死人に責任を押し付けることさ」


「死亡者は反論できません」


「……そうだな。こういうのを死人に口なしって言うんだ、覚えとけ」


「記録しました」


「そういうところだぞ」


 カイルは吐き捨てた。

 だが、すぐに黙った。


 アトイの言葉は、間違っていなかった。


 死亡者は反論できない。

 救助不能区画で応答を聞いていた者たちは、もういない。

 アイに名前を残してくれと言った女も。

 父親の手を握っていた子供も。

 最後まで抱いていた男も。


 誰も、戦後の報告書には反論できない。


 だから、報告書だけが残る。


 感情誘導。

 過剰依存。

 戦争継続意思の維持。

 希望的反応。


 そういう言葉で、死者の声が畳まれていく。


 カイルはアイの残骸を見た。


 硬化して割れた顔。

 動かない首。

 壊れたまま保全され続けた筐体。


「こいつは、悪かったと思うか?」


 アトイはすぐには答えなかった。


「No.009は、救助を完了していません」


「そんなことは聞いてねえ」


「No.009は、救助不能状況で応答を継続しました」


「それも聞いてねえ」


「No.009は、対象者の恐怖反応を低下させ、酸素消費を抑制しました」


「違う、それはただの事実だ」


 カイルは、ひどく疲れた声で言った。


「こいつは、悪かったのかって聞いてんだ」


 アトイはアイの残骸を見た。


 観測記録。

 救助不能。

 応答継続。

 証言保全。

 送信保留。

 分類保留。

 有効。

 有害。

 公開不可。


 分類は可能だった。

 だが、それだけでは足りなかった。


「……照合不能です」


「そうか。なら、それでいい」


「はい」


 カイルはアイの残骸へ近づいた。


 近づいて、途中で足を止めた。

 手を伸ばせば、壊れた肩に触れられる距離だった。


 だが、触れなかった。


「触るなって顔してる」


「顔面パネルは破損しています」


「そういう意味じゃねえ」


「はい」


 アトイが静かに返事をした。


 カイルは目を細めた。


「今の『はい』は分かってる方のやつか?」


「はい」


「ややこしいな、お前」


「はい」


 カイルは小さく息を吐いた。


 その時、アイの残骸の胸部で、記録核が強く光った。


 白い文字が、再び浮かぶ。




 UNSENT RESPONSE LOG : HANDOVER COMPLETE

 RECEIVER : A.T.O.I. UNIT 002

 ORIGINAL SITE : SEVENTH SHELTER

 EVIDENCE LOCK : ACTIVE

 No.001 DIRECT RECOVERY : DENIED

 UPPER TRANSFER : PENDING

 REQUEST : SUBMIT TO No.001-LINKED CLASSIFICATION NODE




 アトイの瞳の奥で、観測レンズが収縮した。


「提出要求を検出しました」


「誰からだ?」


「上位分類系統です。No.001系統に類似します」


「お前の親か」


「完全一致ではありません。旧戦争期レビュー系統、またはNo.001に接続された分類ノードと推定します」


「で、何を出せって?」




「未送信応答記録。I-DOLL No.009応答ログ。第七避難所証跡パッケージ」




「つまり、今見たやつ全部か」


「はい」


「出したらどうなる?」


 アトイは少し黙った。


「分類されます」


「それで?」


「統合されます」


「それで?」


「公開可否、利用可否、害益評価、再接続可否が判断されます」


「つまり、また畳まれる」


「……可能性があります」


 カイルは笑わなかった。


「お前は、どうするんだ?」


 アトイの視線は、壊れた筐体の胸部で止まっていた。


 直されず、片付けられず、古い規則に守られ続けた死体。


 その死体の中で、最後の返事だけが、終わっていなかった。


『あなたが、覚えていて』


 それは命令ではなかった。

 送信要求でもなかった。

 分類項目でもなかった。


 ただの、最後の声だった。


「この記録は」


 アトイは言った。


「送信ではなく、保持します」


 カイルは、何も言わなかった。


 その沈黙を、拒否とは判定しなかった。


 アトイはログを閉じない。

 閉じずに、保持する。


「……理由は?」


 カイルが訊いた。


 アトイは答えようとして、止まった。


 合理性。

 証跡保全。

 送信先不整合。

 No.001系統への直接提出リスク。

 判断系統による証言改変可能性。

 カイルの反応。

 対象Aの発話。

 No.009の応答継続。


 どれも理由だった。

 どれも、理由として足りなかった。


「嫌だからです」


 合理性の列が、そこで途切れた。

 初めて、提出先も効率も持たない答えだけが残った。


 カイルが、ゆっくりとアトイを見る。


「……今、何て言った?」


「私が、嫌だからです」


「それは理由になるのか?」


「不明です」


「なら教えてやる。……なる。そういう時もあるんだ」


 アトイは瞬きした。


「記録します」


「しておけ」


「はい」


 白い表示灯が一つ消えた。

 もう一つ、消えた。

 最後の一つだけが、しばらく残った。


 それは、道を示す光ではなかった。

 救助を告げる光でもなかった。


 ただ、誰かが最後まで聞いていたことを示す、小さな目だった。


 やがて、その光も消える。


 暗闇だけが残った。


 だが、アトイの中には、まだ声が残っている。


『聞こえています』


『あなたが、覚えていて』


 カイルはレールガンを担ぎ直した。


「行くぞ」


「はい」


「持てるか?」


「携行型レールガンであれば、質量軽減作用がなくとも保持可能です」


「そうじゃねえ。お前が、その重いもんを持てるかってことだ」


 アトイは少しだけ視線を落とした。

 それから、カイルを見た。


「分かりません」


「だろうな」


「ですが……」


 アトイは、もう動かないNo.009の記録核を見ていた。


「私は、保持します」


 カイルは何かを言おうとして、やめた。


 旧第七線の奥で、別の表示が浮かんだ。




 SIMILAR EVIDENCE LOCK : DETECTED

 RESPONSE SERIES FRAGMENTS : MULTIPLE

 UNSENT RECORD CLUSTERS : MULTIPLE

 ROUTE TO OUTER RELAY : PARTIAL




 アトイの目が、その表示を追う。


「第七避難所以外にも、同型の保全区画を検出しました」


 カイルは、ゆっくりと顔を上げた。


「……ここだけじゃねえんだな」


「はい」


「アイは、同じことを何度も何度もやってたのか」


「はい。類似構造をいくつも検出しています」


「そうか」


 カイルは奥を見た。


 もう、逃げ道とは思えなかった。

 ここは、街の下に残った道だ。

 誰にも回収されず、誰にも公開されず、古い規則に守られてきた、送られなかった声の道。


 その奥に、まだ何かがある。


 アイは、ここで止まった。


 アトイは、歩く。


 カイルはアトイの手を見た。

 まだ、握ったままだった。


「手、離すか?」


 同期状態は安定している。

 身体維持のために握り続ける必要は、もうなかった。


「離したくありません」


 カイルは一拍だけ黙った。


「そうか。なら、もう少しこのままだ」


「はい」


 アトイは、ほんのわずかに指へ力を込めた。


「カイルも、離さないでください」


「しつこいな」


「はい」


「……しつこくしていいぞ」


「許可を確認しました」


 二人は、第七避難所を後にした。


 背後では、アイの残骸が座っていた。

 直されず、片付けられず、守られ続けたまま。


 だが、最後の返事だけは、もうそこだけにはなかった。

 今は、アトイの中にある。


 聞こえています。


 その言葉は、もう救助ではない。

 慰めでもない。

 命令でもない。


 それは、証言だった。


 そして、アトイはそれを持ったまま、旧第七線のさらに奥へ歩き出した。

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