第15話 Eye IV
ログの奥で、また子供の声が聞こえた。
TIME TO OXYGEN FAILURE : 00:21:14
SURVIVOR COUNT : 3
RESCUE ROUTE : NONE
No.005 : RESPONSE DEGRADED
No.009 / I : ACTIVE
『おとうさんは?』
対象Bが言った。
『おとうさん、だいじょうぶ?』
女は何かを言おうとして、言えなかった。
男は反応しない。
子供は、男の服を握っている。
白い投影体は、子供の前で膝をつく高さまで下がった。
顔は粗い。
けれど、目元だけが不自然に鮮明だった。
対象Bが見上げなくてもいい高さに、そこにいるよう調整されている。
「私に、届いているよ」
『あなた、だれ……?』
「アイです」
『あい』
「はい」
『ひとりなの……?』
「いいえ」
子供の泣き声が、少しだけ低くなる。
『だれかいるの……?』
「大丈夫。聞こえてるよ」
『どこ……?』
投影体の手が、対象Bの手元まで伸びた。
触れようとしたわけではない。
そこにいると分かる形を、対象Bの近くへ置いただけだった。
光の指先は、対象Bの手の甲をすり抜けた。
「ここにいるよ」
位置情報、物理的近傍なし。
局所投影ノード、第七避難所壁面。
対象Bとの表示距離、〇・七メートル。
実体なし。
接触機能なし。
救助手段なし。
発話継続。
「あなたの声を聞いているよ」
『じゃあ、ひとりじゃない?』
「うん」
対象B、呼吸数低下。
酸素消費量、低下。
恐怖反応、低下。
女が顔を伏せた。
『それ、嘘じゃないの』
No.009 / I、照合。
物理的同伴、なし。
救助可能性、なし。
音声応答、あり。
観測継続、あり。
記録保持、あり。
虚偽判定、不能。
応答生成。
「いいえ。私たちには聞こえています」
女が笑った。
笑いとは呼べない、息の漏れ方だった。
『……都合の良い言葉ね』
「応答を継続します」
『……そう』
女は子供を見る。
『ほら。お話してくれるって』
対象Bは、女の服を握ったまま、小さく頷いた。
カイルが、低く言った。
「……嘘じゃねえってか」
アトイはログを見ていた。
「該当発話を虚偽として分類できません」
「ひとりじゃないって言って、助けには来ねえんだろ」
「救助経路はありません」
「なら、それは嘘だ」
「……照合不能です」
「だろうな」
旧第七線は静かだった。
だが、その静けさは、もう無音ではなかった。
古い声がある。
聞こえてしまった声がある。
聞こえていると返した声がある。
それだけが、救助不能な区画に残っていた。
TIME TO OXYGEN FAILURE : 00:12:02
SUBJECT C : CRITICAL
SUBJECT B : PANIC REDUCED
SUBJECT A : VOCAL RESPONSE STABLE
No.009 / I : ACTIVE
対象Cの呼吸は弱くなっていた。
対象Bは、対象Cの腕の中にいる。
対象Aは、対象Bの正面に座っている。
非常端末の赤い録音灯は、まだ点いている。
対象C、発話。
『ごめんな』
対象B、反応。
『なに? パパ』
『……寒いな』
『うん』
『ママのそばにいてやってくれ』
『パパは?』
対象C、応答遅延。
呼吸、乱れ。
『ママの手、離すなよ』
対象C、眼球運動低下。
意識レベル、低下。
対象B、対象Cを揺する。
『パパ?』
アイの白い投影体が、少し近づいた。
「お父さんの手を握ってあげてください」
対象B、対象Cの手を握る。
「強く握ってください」
対象B、握力増加。
現在の第七避難所で、アトイの指もカイルの手袋へ食い込んだ。
無意識という分類を、アトイはまだ持っていない。
カイルは痛いとも、離せとも言わなかった。
『つめたい』
「しっかり、握ってください」
『パパ、つめたい』
対象C、生命反応低下。
対象A、顔を歪める。
『パパを暖めてあげて、ね?』
対象B、対象Aを見る。
『手、離さないで』
対象B、対象Cの手を握る。
対象A、非常端末を見る。
『……アイ、聞こえてる?』
「はい、聞こえています」
『この子に、何か言って』
応答候補、多数。
慰撫。
説明。
沈黙。
虚偽。
事実告知。
呼吸誘導。
No.009 / I、応答生成。
「泣いても大丈夫です。息だけ、ゆっくりにしてください」
『それだけ?』
「小さく吸ってください」
対象B、吸気。
「ゆっくり吐いてください」
対象B、呼気。
「もう一度。小さく吸ってください」
対象B、吸気。
「ゆっくり吐いてください」
対象B、呼気。
呼吸数、低下。
発声量、低下。
恐怖反応、低下。
酸素消費量、低下。
泣き声、断続。
対象C、生命反応消失。
SUBJECT C : LOST
CURRENT LOG LOST : 1
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 3,904,119
対象Bは、対象Cの手を握ったまま泣いている。
『ねえ、パパ……?』
女は答えられない。
アイは答えた。
「聞こえています」
対象B、顔を上げる。
「小さく吸ってください」
対象B、吸気。
「ゆっくり吐いてください」
対象B、呼気。
「あなたの声は、聞こえています」
対象Bは、対象Cの手を握ったまま、泣いた。
記録は止まらなかった。
止まれなかった。
この応答は、三百九十万四千百十九回目の未帰還応答だった。
数値に感情分類は付与されない。
だが、その数だけ、誰かが最後に話しかけていた。
対象Cが失われても、対象Aと対象Bはまだ生存している。
対象Aと対象Bが生存している限り、応答は継続する。
応答が継続する限り、恐怖反応は低下する。
恐怖反応が低下すれば、酸素消費は抑えられる。
酸素消費が抑えられれば、生存可能時間は延びる。
救助経路はない。
それでも、生存可能時間は延びる。
延びた時間に、救助は来ない。
それでも、応答は継続する。
TIME TO OXYGEN FAILURE : 00:04:41
SUBJECT A : ACTIVE
SUBJECT B : ACTIVE
CURRENT LOG LOST : 1
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 3,904,119
RESCUE ROUTE : NONE
No.005 : RESPONSE LOST
No.009 / I : ACTIVE
『ねえ、アイ』
女が言った。
「はい、聞こえています」
『名前、残るの?』
「はい。記録されています」
『この子のも』
「はい。記録されています」
『あの人のも』
「はい。記録されています」
『誰かが読むの?』
送信系統、断絶。
上位照合系、応答なし。
記録保留。
送信予定、未定。
読取可能性、低。
応答生成。
「記録されています」
『そうじゃなくて』
女は、ゆっくり息を吸った。
吸って、咳き込み、子供の頭を抱く手に力を込めた。
『誰かが、私たちの声を聞くの?』
No.009 / I、応答遅延。
記録。
保持。
送信。
証言。
記憶。
分類不能。
「聞こえています」
『あなたじゃなくて』
「聞こえています」
『……そう』
女は小さく笑った。
『都合の良い言葉ね、本当に』
「応答を継続します」
『じゃあ、聞いて』
「はい」
『私は、最後まで開けようとした』
「はい」
『嘘じゃない』
「はい」
『この子は、泣き虫じゃない』
「はい」
『あの人は、最後まで手を握ってた』
「はい」
『それだけでいい』
「記録しています」
『違うわ』
女は目を閉じた。
『あなたが、覚えていて』
No.009 / I、応答遅延。
記録。
保持。
送信。
証言。
記憶。
分類不能。
応答生成。
「はい。聞こえています」
女の呼吸が少しだけ楽になった。
楽になったように、記録は判定した。
対象B、発話なし。
酸素濃度、低下。
対象B、意識低下。
対象A、心拍低下。
No.009 / I、応答継続。
「小さく吸ってください」
対象B、反応なし。
「ゆっくり吐いてください」
対象B、反応なし。
「聞こえています」
対象A、反応なし。
「聞こえています」
対象B、生命反応、低下。
「聞こえています」
SUBJECT B : LOST
CURRENT LOG LOST : 2
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 3,904,120
女は、まだ子供を抱いていた。
「聞こえています」
SUBJECT A : LOST
CURRENT LOG LOST : 3
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 3,904,121
SURVIVOR COUNT : 0
CURRENT LOG LOST : 3
CUMULATIVE RESPONSE TARGETS : 18,204,334
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 3,904,121
RESCUE ROUTE : NONE
RESPONSE COMPLETE : FALSE
OBSERVATION COMPLETE : TRUE
TRANSMISSION STATUS : HOLD
EVIDENCE LOCK : ACTIVE




