第14話 Eye III
記録は、そこで一度途切れた。
カイルは、しばらく何も言わなかった。
アトイも、ログを閉じなかった。
「……助かったんだな」
ようやく、カイルが言った。
「救助記録です」
「見りゃ分かる」
カイルは低く吐き捨てた。
だが、その声にいつもの雑な怒りは混じっていなかった。
壁の奥で、また別の表示が開く。
「続きがあります」
「まだ見るのか?」
「記録が連続しています」
「……最悪だな」
カイルはそう言ったが、止めろとは言わなかった。
POST-EVACUATION INTEGRATION LOG
SECTOR 12-E : PARTIAL RESTORE
HEAT LINE : TEMPORARY
WATER PRESSURE : STABILIZED
MAINTENANCE PERSONNEL RETURN RATE : 62%
WORKFORCE RETURN WINDOW : 04:00:00
FRONTLINE SUPPLY DELAY : REDUCED
CIVILIAN MORALE INDEX : STABILIZED
LOCAL PRODUCTION LOSS : MINIMIZED
対象Cは、二時間後に再登録された。
作業員分類。
軽度粉塵吸入。
心理反応、動揺。
職務復帰猶予、四時間。
対象Aは、右脚の機能を喪失。
修復不能。
補助義肢割当、待機。
作業分類、変更。
後方整備記録へ移行。
対象Bは、児童区画へ移送。
保護者照合、継続。
夜間恐怖反応あり。
No.005、応答継続。
区画12-Eの避難は成功。
火星都市機能、部分維持。
前線補給遅延、二十七分短縮。
市民士気指数、安定。
労働復帰率、許容範囲。
救助記録、統合完了。
カイルの眉間に、深い皺が寄った。
「……助けた人数だけじゃねえのか、これは」
「復旧率、労働復帰率、兵站維持率も記録されています」
「助けた人間が、また戦争に戻されてやがる」
「救助対象は、生存後も都市機能に接続されています」
「もうちょっと気の利いた言い方はないのかよ……」
「不適切でしたか」
「不適切っつうか、正確なんだろうが最悪だ」
見ている。
数えている。
助けている。
戻している。
人間の呼吸も、泣き声も、歩行速度も、恐怖反応も。
水圧も、熱損失も、補給遅延も、労働復帰率も。
同じ線の上に乗せている。
カイルは、低く言った。
「救助記録じゃないのか? これは」
「救助記録です」
「混じりっ気が多すぎんだよ」
アトイは答えなかった。
答えられなかったのではない。
分類が、まだ追いついていなかった。
救助。
維持。
復旧。
継戦。
希望。
運用効率。
それらはログの中で分かれていなかった。
同じ行に並んでいた。
NEXT RESPONSE QUEUE : 184
UNRESOLVED DISTRESS CALL : 51
RESCUE ROUTE FAILURE : 7
CUMULATIVE RESPONSE TARGETS : 12,444,092
CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 412,011
No.009 / I : ACTIVE
古い音声が、砂嵐のようなノイズの奥から浮かび上がった。
『こちら、第七避難所』
声は、先ほどとは別の女のものだった。
息が荒い。
背後で、誰かが泣いている。
『隔壁が開かないの』
ノイズ。
『子供が、まだ――』
ノイズ。
『誰か、聞こえているなら』
声が途切れる。
また、繋がる。
『聞こえているなら、応答して』
カイルは目を細めた。
「……次があるのか」
「はい」
「救えるやつか?」
アトイは、答えられなかった。
SEVENTH SHELTER : INTERNAL RECORD
UNSENT RESPONSE LOG : PLAYBACK
HANDOVER RECEIVER : A.T.O.I. UNIT 002
RESCUE STATUS : UNRESOLVED
EVIDENCE LOCK : ACTIVE
文字が崩れ、映像が濃くなる。
攻撃分類、民間避難経路への追撃爆撃。
直撃区画、二。
隔壁作動不能。
退避坑、崩落。
換気系統、断絶。
第七避難所、生存可能時間、三十二分。
救助経路、なし。
対象A。
女性。
推定年齢、三十六。
右肩負傷。
肋骨損傷の可能性。
粉塵吸入、中度。
心拍数、上昇。
発声、継続。
対象B。
児童。
推定年齢、五歳。
泣き声、断続。
呼吸数、上昇。
体温、低下。
対象Cの衣服を掴んでいる。
対象C。
男性。
推定年齢、四十一。
下肢損傷、重度。
失血反応あり。
意識レベル、低下。
対象Bを左腕で保持。
隔壁、開放不能。
右側退避坑、崩落。
左側保守路、熱損傷。
上部換気孔、直径不足。
救助ドローン、進入不可。
有人救助隊、到達予測時間、七時間十八分。
酸素残量から算出される生存可能時間、三十二分。
救助経路、なし。
応答継続。
『こちら、第七避難所』
女の声がした。
カイルの目の前に、別の第七避難所が重なる。
古い避難区画。
今よりも少しだけ新しく、今よりもずっと壊れている場所。
天井から粉塵が落ちている。
照明は半分死んでいる。
隔壁の向こう側では、何かが燃えているらしく、隙間から赤い光が漏れていた。
女は非常端末に顔を近づけていた。
端末の外装は割れ、音声入力部は粉塵を噛み、赤い録音灯だけが不規則に瞬いている。
『隔壁が開かないわ。手動レバーも駄目みたい』
女が咳き込む。
咳に血が混じる。
『子供がいるの。聞こえているなら、応答して』
壁面のひび割れた投影板に、白い光が滲んだ。
光は一度崩れ、また集まり、人の形を作ろうとした。
顔は粗い。
輪郭も欠けている。
それでも、そこに誰かが立ったように見えた。
人間が安心するための顔。
人間が声を向けるための口。
人間がひとりで死なないための、作られた相手。
「聞こえていますよ」
女が顔を上げる。
『誰?』
「アイです。あなたたちの声は聞こえています」
『アイ……本当に、あのアイなの?』
「はい」
『私たちを助けに来てくれたの?』
沈黙。
沈黙時間、二・四秒。
対象A、心拍上昇。
「聞こえていますよ。安心してください」
『……それは、助けに来たって意味じゃないのね』
女の手が、端末から離れた。
指先が震えている。
対象Bが泣き出す。
アイの白い投影体は、児童の方へ表示位置を変えた。
歩いたのではない。
壊れた投影板から投影板へ、光の位置が切り替わっただけだった。
それでも、子供の目には、誰かが近くへ来たように見えた。
「泣いても大丈夫だよ。息だけ、ゆっくりにしようね」
子供の泣き声は続く。
「小さく吸って、ゆっくり吐いてね」
子供の呼吸が、わずかに遅くなる。
「お父さんの服を、強く握ってね」
子供は、対象Cの服を握った。
対象Cは壁際に座っている。
脚から血が流れていた。
子供を抱えた左腕だけが、まだ力を残している。
『だれか、来るの?』
男が言った。
アイの投影体が、壁際へ移る。
「大丈夫。聞こえてるよ」
『来るの?』
救助経路、なし。
有人救助隊、到達不能。
隔壁開放、不可。
対象Cの生存可能時間、推定十九分。
対象Bの生存可能時間、推定三十四分。
対象Aの生存可能時間、推定二十八分。
応答生成。
「声は届いているからね」
対象Cが目を閉じる。
対象Cが、対象Bの頭を撫でる。
『よかった……』
カイルの喉が、ひどく乾いた。
「おい」
「はい」
「今のは嘘か?」
アトイは、すぐには答えなかった。
「該当発話に、虚偽情報は含まれていません」
「来るとは言ってねえからか」
「はい」
「最低だな」
「はい」
アトイはまた否定しなかった。
記録は進む。
女は隔壁へ向かった。
手動レバーを引く。
失敗。
再試行。
失敗。
再試行。
右肩損傷悪化。
アイの声が重なる。
「それ以上の操作は、右肩の損傷を悪化させます」
『うるさいっ!』
「それでは隔壁は開きません」
『うるさいって言ってるでしょ!!』
「止めてください。隔壁は開きません」
女が拳を隔壁に当てる。
額を隔壁に当てる。
呼吸が乱れる。
『じゃあ、どうしろっていうのよ!』
「声を出さず、小さく呼吸してください」
『ふざけないで』
「今は、酸素消費を抑えてください」
『ふざけないでよ!』
「手を止めて、座ってください」
『もうやめて!!』
怒声。
子供の泣き声。
男の呼吸の乱れ。
白い投影体は、少しだけ位置を変えた。
女と子供の間に立つように。
「その子が、あなたの声を聞いています」
女が止まった。
「どうか、座ってください」
女は振り返った。
子供が彼女を見ていた。
泣きながら、見ていた。
女は壁際に座った。
肩で息をしながら、子供を抱き寄せる。
酸素消費量、低下。
恐怖反応、継続。
応答継続。
記録が、一度揺れた。
現実の第七避難所が戻る。
アイの残骸は、壊れたまま座っている。
白い表示灯が、カイルの横顔を薄く照らしていた。
カイルは何も言わなかった。
言わないまま、奥歯を噛んでいた。
アトイはアイの残骸を見た。
「救助経路はありません」
「ああ、聞こえてた」
「当時の記録上、救助経路はありません」
「じゃあ、なんでこいつは応答してるんだ」
「恐怖反応の低下、酸素消費の抑制、最終証言の保全が目的と推定されます」
「救えねえなら、そんなこと言うなよ」
アトイは答えなかった。




