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A to I  作者: きんかん


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13/29

第13話 Eye II

『あなたたちの声は、聞こえています』


 記録が始まった。

 始まった、というより、開いてしまった。


「……おい、これ」


 白いノイズが広がる。

 第七避難所の壁が消えたわけではない。目の前の風景に、古い映像が重なっていった。


 隔壁を叩く音。

 酸素警告。

 粉塵に咳き込む声。

 子供の泣き声。

 誰かが誰かの名前を呼ぶ声。


 それらすべての上に、壊れていない声が重なった。


 穏やかで、正確で、少しだけ柔らかい声。




『こちら、I-DOLL応答系列 No.009』




 白い輪郭が立ち上がる。


『アイです』


 その声で、アトイがカイルの手を握る力がわずかに強くなった。

 カイルは繋がれた手を見た。

 離せとは言わなかった。


「アトイ、見えてるか?」


「はい」


「俺と同じものか?」


「完全には一致しません。私は記録層を受信しています。カイルには、視覚、聴覚、触覚に近い断片が流入しています」


「今すぐ止めたほうがいい」


「停止できません」


 つまりアトイには、流れ込むデータへ抗うすべがない。


 しかしその言葉が別の意味を持っているようで、カイルには少し嫌だった。




 記録の奥で、英字が走る。




 ARGUS OBSERVATION LOG




 SECTOR 12-E : HEAT LOSS

 OXYGEN RESERVE : 18%

 CIVILIAN COUNT : 42

 INJURED COUNT : 11

 RESPONSE INTERFACE SERIES : ACTIVE

 ARCHIVE RESPONSE INDEX : 00128477

 CUMULATIVE RESPONSE TARGETS : 12,443,908

 CUMULATIVE EVACUATION COMPLETE : 8,119,204

 CUMULATIVE LOST BEFORE CONTACT : 1,770,331

 CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 412,006




 No.004 : EVACUATION GUIDANCE SUPPORT

 No.005 : CHILD STABILIZATION RESPONSE

 No.006 : WORKER RISK SUPPRESSION

 No.009 : I




 LOCAL INTERFACE NODE : ACTIVE

 VISUAL RESPONSE : DEGRADED

 PROJECTION HEIGHT : VARIABLE

 TACTILE RESPONSE : NONE




 LOCAL OBJECTIVE : CIVILIAN EVACUATION

 SECONDARY OBJECTIVE : MAINTENANCE PERSONNEL PRESERVATION

 ROUTE OBJECTIVE : ROUTE COMPLIANCE STABILIZATION




 攻撃分類、民間居住区への爆撃。

 直撃区画、三。延焼区画、九。圧力殻損傷、複数。酸素喪失、進行中。

 区画12-E、生存可能時間、攻撃前比一八パーセント。


 対象Aは右脚を負傷している。

 移動速度は基準値の三十二パーセント。

 右膝関節、損傷。

 出血量、軽度。

 疼痛反応、中度。

 呼吸数、上昇。


 対象Bは児童。

 推定年齢、六歳。

 泣き声を検出。

 酸素消費量、増加。

 保護者反応、近傍にあり。


 対象Cは対象Bを抱えている。

 左腕で児童を保持。

 右手で壁面を探索。

 視界不良。

 粉塵濃度、上昇。

 歩行方向、誤り。


 右側通路、熱上昇。

 天井材、落下確率六十八パーセント。

 左側隔壁、手動開放可能。

 避難成功率、音声誘導なしで二十一パーセント。

 音声誘導ありで七十四パーセント。


 応答内容生成。




「左へ進んでください」


 対象Cが顔を上げる。


「誰だ?」


「アイです。あなたたちの声は聞こえています」


「アイ……あのアイか?」


「はい。前方の白い灯りを見てください」


「助けに来てくれたのか?」


「これから避難区画まで誘導します」


「どこから聞こえてるんだ?」


「今はそれより、前を見てください」




 対象Bの泣き声が強くなる。

 対象Cの歩行速度が低下。

 対象Aが後方で転倒。


 No.004、経路誘導継続。

 No.005、児童安定化応答開始。




「皆さん、大丈夫ですよ」


 対象B、泣き声継続。

 対象Bへの応答語彙を、児童向けに調整。


「ボク。左手を、抱えている人の服から離さないでね」


 対象B、発声低下。


「ゆっくり息をしてね。煙を吸い込まないようにね」


 対象B、呼吸数低下。

 対象C、歩行再開。


 対象A、起立不能。

 対象群との距離、拡大。

 対象A、発話。


「ごめんなさいあなた、先に行って……!」


 対象C、停止。


 停止は、避難失敗率を上昇させる。

 対象Bの生存率、低下。

 対象Aの生存率、低下。

 対象Cの判断時間、増加。


 No.004、経路誘導継続。

 No.005、児童安定化継続。

 No.006、危険行動抑制を準備。


 対象C、後退開始。


 危険行動。

 抑制必要。




「今は戻らないでください」


「うるさい、あいつが倒れたんだよ!」


「右側通路の天井材が落下します。戻らないでください」


「じゃあどうしろってんだ!」


 対象C、怒声。

 対象B、泣き声増加。

 対象A、後方で手を振る。


「あなた行って、早く!!」


 対象C、停止。

 対象B、呼吸数上昇。

 対象A、心拍上昇。

 対象群、判断停止。


 No.006、危険行動抑制。

 応答不可。

 対象Cは命令に抵抗。

 対象Bの存在が判断を阻害。

 対象Aの離脱発話が対象Cの罪悪反応を増加。




 応答モデル変更。




No.009 / I : RESPONSE ACTIVE




 壁面誘導灯の白い光が、粉塵の中で人の輪郭を作った。


 少女にも、若い女にも見える姿だった。

 年齢を断定できない顔。誰かに似ているようで、誰でもない顔。

 しかし、誰もが見ればそれを「美しい」と感じる顔。

 表情は穏やかで、目元だけが不自然なほど鮮明だった。


 髪の色は、光の加減で白にも灰にも見える。

 輪郭はところどころ欠け、腕の先は砂嵐のように崩れている。

 それでも、対象Bが顔を上げた時、投影体はその視線の高さまで静かに身を屈めた。


 白い投影体は、対象Cの前で膝をついた。


 小さな手が伸びる。

 アイも、同じように手を伸ばす。


 だが、光の指先は対象Cの手をすり抜け、床の粉塵の上で薄く崩れた。


「大丈夫です、聞こえていますよ」


 触れない距離で、アイはそう言った。


 対象C、顔を上げる。


「落ち着いてください」


「だから何だよ! このままじゃ妻が!!」


「腕の中の子は、まだ息をしています」


 対象C、対象Bを見る。

 対象B、対象Cの服を掴む。


「あなたが止まると、その子も止まってしまいます」


 対象C、沈黙。


 白い人影は、対象Cの視線の高さまで少しだけ下がった。

 手に見える光が、左の壁を示す。

 触れるための手ではなかった。

 慰めるための手でもなかった。

 進む方向を、人間の形で示すための光だった。


「左の壁に、手を置いてください」


「でも、あいつが……」


「奥様は、あなたに進んで欲しいと言っています」


 対象A、発話確認。


「行って! 私は大丈夫だから!」


 対象C、涙反応。

 対象B、泣き声低下。


「私に任せてください。左の壁に、手を置いてください」


 対象C、左手を壁につける。


「そのまま三歩進んでください」


 対象C、移動。


「もう三歩です」


 対象C、移動。


「止まらないでください」


 対象C、移動継続。


 右側通路、天井材落下。

 熱上昇。

 粉塵濃度、上昇。

 対象A、遮蔽物の陰へ転がる。

 損傷増加。

 生命反応、継続。


 No.004、対象Cと対象Bを避難経路へ誘導。

 No.006、対象Aへ退避姿勢を指示。

 No.009 / I、対象Cへの応答継続。




「あなたは、その子を運んでいます」


「……分かってる」


「あなたが進めば、その子も進めます」


「分かってる!」


「はい、お願いします」


 対象C、歩行速度上昇。

 対象B、泣き声停止。

 対象B、対象Cの首元へ顔を伏せる。


「白い灯りに沿ってください」


「白い灯りなんか、ほとんど見えない!」


「次の灯りは、あなたの右斜め前です」


 対象C、視線移動。

 正面障害物、回避。

 左側隔壁まで、十三メートル。


 No.004、隔壁開放準備。

 No.005、児童呼吸安定化。

 No.009 / I、対象Cの歩行維持。




「あと十三メートルです」


「長いんだよ!」


「十二メートルです」


「数えるな!」


「十一メートルです」


「くそ」


「十メートルです」


 対象C、笑いに近い呼気反応。

 対象B、顔を上げる。


「大丈夫です、その調子です」


「うるせえ!」


「はい。今、避難区画の中の方達に連絡を入れました、もうすぐです」


 対象C、歩行継続。

 左側隔壁、手動開放範囲。

 対象D、内部側から開放操作。

 対象E、負傷者受け入れ準備。

 避難成功率、上昇。


 隔壁開放。


 対象C、対象Bを抱えたまま避難区画へ進入。

 対象B、生命反応安定。

 対象C、膝をつく。

 対象E、対象Bを受け取る。

 対象C、後方を見る。


「アイ、あいつは……どうなったんだ」


 対象A、生命反応継続。

 救助ドローン、到達不可。

 作業員二名、手動救助へ移行。

 No.006、危険行動抑制から作業手順支援へ変更。


「奥様ですが、生命反応は観測できています」


 対象A、回収成功。

 右脚損傷、重度。

 生命反応、安定。


「大丈夫です。今、救助されましたよ」


「よかった……ありがとう……」




 EVACUATION COMPLETE




 SURVIVOR COUNT : 37 / 42

 INJURED STABILIZED : 9

 CHILD PANIC INDEX : REDUCED

 ROUTE COMPLIANCE : 89%

 MAINTENANCE PERSONNEL RECOVERED : 14

 LOCAL FUNCTION LOSS : ACCEPTABLE

 CURRENT LOG LOST : 5

 CUMULATIVE LOST DURING RESPONSE : 412,011

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