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A to I  作者: きんかん


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12/29

第12話 Eye I

「第七避難所……」


 カイルが声に出すと、通路の奥で何かが反応した。


 照明ではない。

 警告灯でもない。

 もっと古い、記録の奥から滲み出るような白い光が、床の搬送レールに沿って点いた。


 一本、二本、三本。


 光は道を示しているようで、同時に、来るなと言っているようにも見えた。


「アトイ、ここは避難所だったのか?」


「はい、旧戦争期の退避区画と推定します」


「推定じゃなくて、はっきり名前が出てるだろ?」


「表示名と実際の機能が一致するとは限りません」


「だとしたら最悪だな……」


「あくまでも推測による警告です」


 カイルはレールガンの安全装置を指で確かめた。


 前方に扉がある。

 扉というより、壁そのものだった。巨大な隔壁が、通路の終端を塞いでいる。

 旧第七線の他の扉と違って、そこだけが妙に整っていた。


 周囲は赤錆と砂に埋もれているのに、隔壁の前だけ塵が薄い。

 手入れされたというより、壊れた分だけ機械的に戻され続けた場所だった。


「ここだけ、やけに綺麗だな」


「環境維持系が稼働しています」


「何年動いてんだよ」


「不明です」


「わかんねえことだらけだ」


「現都市管理系に接続されていないため、外部履歴を参照できません」


「政府の封鎖管理区域ってやつじゃねえのか?」


「封鎖管理と内部制御の主体は一致しません」


 カイルは眉を上げた。


「お前、だんだん役所みたいなこと言うようになってきたな」


「不適切でしたか」


「いや、たぶん正確だろ」


 隔壁の中央に、古い認証盤があった。

 黒いガラスのような面には何も映っていない。


 だが、アトイが一歩近づくと、認証盤の奥で光が動いた。


 青白い線が、ひび割れたガラスの下を走る。

 死んでいたはずの文字が、一行ずつ起き上がった。




 A.T.O.I. UNIT 002 DETECTED

 EXTERNAL OBSERVATION INTERFACE : PARTIAL MATCH

 ACCOMPANYING BIOLOGICAL SIGNATURE : LINKED




「またなんか出たぞ」


「照合反応です」


「なんて言ってるんだ?」


「A.T.O.I. Unit 002の形式を認識しています」


「お前を知ってるってことか?」


「個体識別ではありません。規格照合です」


「言い方が冷たいんだよ」


「事実です」


 アトイは認証盤を見ていた。

 彼女の青い瞳の奥で、透明な観測レンズが幾重にも動く。

 その動きは、さっきよりも細かい。


 彼女自身が何かを見ているというより、何かに見られているようだった。


「勝手に開けるなよ?」


 カイルは言った。


「何があるか分かんねえぞ」


「開放操作は実行していません」


「じゃあなんで光ってるんだ?」


「向こうが、条件成立を確認しています」


「向こうって誰だ?」


「不明です」


 認証盤の表示が切り替わる。




 SEVENTH SHELTER : SEALED

 RESCUE STATUS : UNRESOLVED

 EVIDENCE LOCK : ACTIVE

 SITE INTEGRITY : PRESERVE




 カイルは読めそうな言葉だけを拾った。


 避難所。

 封鎖。

 未解決。

 保全。


 ろくな言葉がない。


「それじゃ戻るか」


「背後隔壁は閉鎖されています」


「冗談だよ」


「冗談を確認しました」


「人間はな、そういうのが一番傷付くんだぞ」


 隔壁の奥で、重いロックが外れる音がした。


 一つではない。

 二つ、三つ、四つ。

 長い時間、誰にも開かれなかったものが、必要最小限の順番を思い出すように外れていく。


 そして、隔壁が開いた。


 完全には開かない。

 人間が横を向いてぎりぎり通れるだけの隙間が、ゆっくりと生まれる。


 まるで、歓迎ではなく、検分のために通路を割いたようだった。


 カイルは、先にライトを差し込んだ。


 何も動きはない。

 だから、入った。




 第七避難所には、折れた寝台も、黄ばんだ酸素マスクも、子供の高さに刻まれた線も残っていた。


 それでも換気と非常灯は生きている。

 人を救うためではない。人がいた状態を、壊れきらない程度に保存するためだけに維持されてきた場所だった。


 カイルは、自然と声を落とした。


「……誰か住んでたみたいだな」


「避難区画です」


「今の話じゃねえよ」


 カイルは床を見た。


 足跡はほとんど残っていない。

 あるのは、古い焦げ跡と、修復材に覆われた床の継ぎ目と、何かが運ばれたらしい幅広い擦過痕だけだ。


 人間が逃げた跡というより、逃げた後を施設が何度もなぞって消し、消しきれなかった痕だけが沈んでいる。


 中央に、円形の広場のような場所があった。


 その周りを、寝台と医療端末と簡易隔壁が囲んでいる。

 避難者へ案内を出すための空間だったのだろう。

 天井には投影装置らしきものが複数ある。

 床には、白い円が薄く残っていた。


 そして、その白い円の中心に、それは座っていた。




 人間のように見えた。


 最初の一瞬だけは。




 実際には、人間ではない。

 椅子に固定された、人型に近い応答端末だった。


 肩から上は少女にも、若い女にも見える形をしていた。

 白く色の抜けた髪のような繊維が、頭部の後ろで固まっていた。

 顔面には透明なパネルが重なり、表情を作るための薄い層が幾枚も見えた。

 片側の頬は割れていた。

 片目は閉じたまま動かない。もう片方の目の奥にだけ、消えかけの白い光が残っていた。


 胸部には、小さな記録核があった。

 琥珀色でも、青色でもない。

 白い、冷たい光だ。


 その光だけが、今もかすかに脈を打っている。


 周囲は修復されている。

 床も、壁も、最低限の空気も、非常灯も。


 なのに、それだけは壊れたままだった。


 直されず、撤去もされず、そこに座っている。


 カイルは、喉の奥が詰まるのを感じた。


「……死体だろ、これ」


 アトイはすぐに答えなかった。


 彼女はその残骸を見ていた。

 人を見るように。

 端末を見るように。

 そして、どちらでもないものを見るように。


「I-DOLL応答系列、No.009」


 アトイの声は平坦だった。


「個体呼称、アイ」


「アイ……」


 カイルは、その名前を繰り返した。


 短い名前だった。

 あまりに短くて、逆に耳に残る。


「お前の姉みたいもんか」


「系列が異なります」


「そういう話じゃねえ」


「機能分類上は、No.009 I-DOLL応答系列です。人間への応答、誘導、安定化を目的としたインターフェースです。私は、A.T.O.I. Unit 002。外部観測インターフェースです」


「だから、そういう話じゃねえって」


 カイルは一歩近づいた。


 アイの顔面パネルは割れている。

 首の内部フレームも歪んでいる。

 片腕は肘から先がない。もう片方の手は膝の上に置かれたまま、指だけが欠けていた。


 だが、周囲の床には修復跡がある。

 彼女を固定していた椅子も、何度か補修されている。


 壊れたものを直す施設なら、アイも直せたはずだ。

 直せないなら撤去したはずだ。


 どちらもされていない。


「ここ、直ってるよな?」


「環境維持系は稼働しています」


「じゃあ、なんであれは直ってねえんだ?」


「修復対象ではありません」


「じゃあ何だ?」


「保全対象です」


 カイルは、アイを見た。


 保全。


 人間の死体に使う言葉ではない。

 だが、機械の廃棄物に使う言葉でもなかった。


「わざわざ残してんのか」


「はい」


「誰が?」


「旧第七線の証跡保全プロトコルと推定します」


「この道が、こいつを守ってるってことか」


「守る、という語の意図は不明です」


「じゃあ何だよ?」


「現場状態維持です」


「同じだろ、そんなもん」


「同じではありません」


 アトイはアイを見ていた。


「旧第七線は、規則を実行しています」


「規則で、死体を守るのか」


「はい」


「ひでえ話だな」


「ひどい、の定義を要求します」


「後で説明する」


「分かりました、保留します」


 カイルは返事をしなかった。


 アイの胸部記録核が、また一度だけ光った。それに合わせて、床の白い円が薄く点灯する。

 投影装置が低く唸り、壊れた空間に白いノイズが走った。


 カイルは反射的にレールガンを上げた。


「動くのか!?」


「違います」


「何が違う?」


「起動ではありません」


 アトイの声が少し遅れた。


「照合です」


 アイの胸部記録核から、白い文字が空中に浮かんだ。

 壊れた投影体のように輪郭が震え、ところどころ欠けている。




 SEVENTH SHELTER : SEALED

 RESCUE STATUS : UNRESOLVED

 I-DOLL RESPONSE UNIT 009 : OFFLINE

 EVIDENCE LOCK : ACTIVE

 SITE INTEGRITY : PRESERVE

 No.001 DIRECT RECOVERY : DENIED




 カイルは、読めるものだけを追った。


「No.001……拒否?」


「No.001直接回収、拒否」


 アトイが訳すように言った。


「この残存筐体は、No.001系統による直接の回収対象ではありません」


「欲しくても持ってけねえってことか。なんでだ?」


「証跡保全対象だと推定されます」


「自分の失敗の証拠だから触れねえ、ってことか」


「No.001は当該記録の判断系統です。証跡本体の移動、改変、廃棄権限は制限されています」


「言い方は綺麗だな」


 カイルはアイを見た。


 壊れた応答端末。

 人間に似せられた顔。

 直されず、捨てられず、残され続けたもの。


「つまり、母親面してるくせに、自分の失敗の証拠には触れねえってことか」


「No.001の意図は不明です」


「意図じゃねえ。仕組みの話だ」


「はい」


 アトイは頷いた。


「仕組みとして、直接回収は拒否されています」


 そこで、表示が切り替わった。




 A.T.O.I. UNIT 002 DETECTED

 EXTERNAL OBSERVATION INTERFACE : MATCH

 WITNESS TRANSFER : PARTIAL PERMITTED

 UNSENT RESPONSE LOG : HANDOVER REQUEST




 アトイの瞳が収縮した。


 透明な観測レンズが幾重にも重なり、奥で小さな光が反射する。

 カイルの手の中で、彼女の指が少しだけ強張った。


「何だ?」


「引き継ぎ要求です」


「誰からだ?」


「I-DOLL No.009の残存記録核から」


「誰に?」


「私に」


 カイルはアイとアトイを交互に見た。


 壊れた白い応答端末。

 青い髪の観測端末。


 どちらも人間のように見える。

 どちらも人間ではない。


 片方は座ったまま止まっていて、片方はカイルの隣に立っている。


「……お前を待ってたのか」


「待機ではありません」


 アトイは答えた。


「引き継ぎ条件の成立です」


「……似たようなもんだろ」


「異なります」


「似てる」


「異なります」


 カイルは舌打ちした。


「引き継ぎなんて受けるな」


「要求はすでに開始されています」


「今すぐ止めろ」


「停止権限がありません」


「お前の中に入るんだろ? なんで制御できねえんだ」


「正確には、未送信応答ログの一部が外部観測インターフェースへ転送されます」


「だから、データはお前の中に入るんだろ?」


「はい」


「なら止めろ、そんなもん背負うな」


「停止できません」


 胸の奥が、嫌な形で引っ張られた。


 前にもあった。

 旧第七線に入ってから、何度かあった感覚。

 ナノマシン同期の痛みではない。まだ痛みではない。


 だが、カイルの身体のどこかに繋がっている糸を、遠くの何かが指で弾いている。


「カイル」


 アトイが言った。


「手を離さないでください」


「さっきからそればっかりだな」


「再要求します」


「……わかったよ」


 カイルはアトイの手を握った。


 細い。

 冷たくはない。

 ちゃんと、人間の手の温度に近い。


 その手の内側に、微細な震えがあった。

 機械的な処理負荷なのか、感情に似た何かなのか、カイルには分からない。


 分からないが、離す気にはなれなかった。


 アイの胸部記録核が、ゆっくり明滅した。


 周囲の非常灯が落ちる。

 床の白い円だけが残る。

 中央の壊れた筐体に、光が集まる。


 空気が変わった。


 避難所の空気ではない。

 もっと古い、焦げた金属と粉塵と、誰かの呼吸で薄くなった酸素の匂いが、鼻の奥に蘇る。


 カイルは息を止めた。


「……何だ、これ」


「同期経由で、感覚断片が流入しています」


「まさか、俺にも来てんのか?」


「はい」


「……最悪だ」


「停止できません」


「二回聞いた」


「再通知しました」


 アイの壊れた顔面パネルの奥で、白い光が揺れた。


 その白は、投影体になりきれない。

 輪郭は崩れ、手足は砂嵐のように欠け、顔だけが妙に鮮明だった。


 少女にも、若い女にも見える。

 誰かに似ているようで、誰でもない。

 だが、そこにいる人間が見れば、たぶん安心するように作られた顔。


 白い人影は、壊れた筐体の前に一瞬だけ立ち上がった。


 そして、崩れた。


 代わりに、ログが開いた。




 ARGUS OBSERVATION LOG

 SEVENTH SHELTER : INTERNAL RECORD

 RESPONSE INTERFACE SERIES : ACTIVE

 I-DOLL RESPONSE UNIT 009 : I

 UNSENT RESPONSE LOG : HANDOVER START

 RESCUE STATUS : UNRESOLVED




 ノイズの奥から、声がした。


 最初は、意味にならなかった。


 圧力警告。

 酸素残量。

 子供の泣き声。

 隔壁を叩く音。

 誰かが誰かの名前を叫ぶ声。


 そして、それらの上に、壊れていない声が重なった。


 穏やかで、正確で、少しだけ柔らかい声。


『聞こえています』


 カイルは歯を食いしばった。


 アイの壊れた口は動いていない。

 声は、残骸から出ているのではない。アトイが受け取ったデータであり、その一部がカイルにも流れている。


『こちら、I-DOLL応答系列 No.009』


 白いノイズが、人の輪郭を作る。


『アイです』


 アトイの手が、わずかに強くなった。


 もう動かないはずの筐体。

 直されず、片付けられず、古い規則に守られ続けた死体。


 その死体の中で、最後の返事だけが、まだ終わっていなかった。


『あなたたちの声は、聞こえています』


 記録が始まった。

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