【第9話】帰り道の余韻
闘技場を出た瞬間、夜風が頬を撫でた。
けれど、セレナの体はまだ熱を帯びたままだった。
――レオス様……。
胸の奥で名前を呼ぶだけで、足がふらつく。
さっきまで目の前にいた。
漆黒の甲冑、月光を受けて青く光る紋章。
左手の剣。
静かな一礼。
全部、全部、夢みたい。
「お嬢様、大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですよ」
侍女ミーナの声が遠く聞こえる。
セレナは口を開こうとしたが、声にならなかった。
(だって……だって……)
胸がぎゅうっと締めつけられる。
鼓動が速すぎて、呼吸が追いつかない。
(今日のレオス様……いつもより……ずっと……)
言葉にできない。
尊すぎて、語彙が消滅していた。
「お嬢様、歩けます? ……あ、無理そうですね」
ミーナがため息をつき、ひょいとセレナの体を支える。
「ちょ、ちょっと……! 自分で歩けますわ……!」
「歩けてませんよ。ほら、足がぷるぷるしてます」
(してる……!)
否定できない。
推しの余韻で足が震えるなんて、誰に説明できるというのか。
ミーナは慣れた様子でセレナを背負った。
「はい、お嬢様。推し活の帰り道は、毎回こうなんですから」
「ち、違いますわ……今日は特別で……!」
「毎回言ってます」
セレナは背中で小さく縮こまった。
でも、心の中は叫び続けている。
(レオス様……どうしてあんなに……私の方を……)
思い出すだけで、胸が跳ねる。
レオスが剣を掲げた瞬間。
観客席のどこよりも、自分の方向に向けていた気がした。
(気のせい……よね……?)
でも、心は否定しきれない。
ミーナがぽつりと言う。
「お嬢様、今日は……いつもより幸せそうですね」
「……ええ。
……とても……幸せでしたわ……」
夜空を見上げる。
弓張月が静かに輝いていた。
(また……会いたい……)
その願いは、まだ自覚していない恋心の形をしていた。




