【第4話】幼い日の記憶
屋敷へ戻る馬車の中は、
昼の喧騒が嘘のように静かだった。
セレナは窓の外を眺めながら、
胸の奥に残るざわつきを持て余していた。
(……どうして、あんなに胸が苦しくなるのかしら)
ヘリオスの笑顔。
柔らかな声。
そして――
机を トン、トン と叩く指先。
(退屈しているだけ……よね)
そう思おうとしても、
胸の奥の痛みは消えなかった。
馬車が屋敷に到着し、
セレナは玄関ホールをゆっくりと歩く。
ふと、
庭に差し込む夕陽が目に入った。
その光景が、
胸の奥に眠っていた記憶をそっと呼び起こす。
――まだ幼かった頃。
父に連れられて訪れた王城の訓練場。
そこには、小さな身体で必死に剣を振るう少年がいた。
金色の髪が陽光を受けて輝き、
額には汗が滲んでいる。
「ヘリオス殿下、今日はここまでにいたしましょう」
騎士の言葉に、少年は首を振った。
「まだできます。もう少しだけ……!」
その声は幼いのに、
不思議と胸に響く強さがあった。
セレナは父の後ろに隠れながら、
その姿をじっと見つめていた。
(……左手で、剣を持っている)
その時はただ「珍しい」と思っただけ。
けれど、少年の剣筋は美しく、
幼いセレナの目には、
まるで光の中で踊っているように見えた。
「殿下。王族は右手で剣を扱うのが礼法です。
左利きは……あまり良く思われません」
騎士の言葉に、少年は少しだけ寂しそうに笑った。
「……分かっています。でも、
どうしても左のほうが、しっくりくるんです」
その笑顔が、
なぜか胸に残った。
(あの時の……)
今思えば、
あれがヘリオスとの“最初の出会い”だった。
けれど当時のセレナは、
その少年が後に自分の婚約者になるとは知らなかったし、
彼の笑顔に胸がざわつく理由も分からなかった。
現在に戻る。
セレナはそっと胸に手を当てた。
(……どうして、今になって思い出したのかしら)
ヘリオスの笑顔を見ると胸がざわつく。
推しのレオス様のことを考えると胸が高鳴る。
その二つの感情が、
どこか似ているようで、
似ていないようで。
(……分からない)
自分の気持ちが分からない。
ただ、幼い日の記憶が、
今日に限って鮮明によみがえった。
「お嬢様? どうされました?」
侍女の声に、セレナは小さく首を振る。
「……何でもないわ。
少し、懐かしいことを思い出しただけ」
(左手で剣を振るう少年……
あの時の光景、どうして今……)
胸の奥が、静かに疼く。
けれどセレナはまだ知らない。
その少年が、
今も左手で剣を握り、
月の下で戦っていることを。
そして――
その姿に、彼女が誰よりも心を奪われていることを。
(……今夜は、弓張月)
セレナはそっと空を見上げた。
月が昇れば、
また“推し”に会える。
その胸の高鳴りが、
幼い日の記憶をそっと押し流していった。
「(あの時の……)」
小さな呟きは、
夕暮れの光に溶けて消えた。




