【第29話】弓張月の下で、もう一度
決勝戦から数日が経った。
王城はいつも通りの静けさを取り戻していたが、
セレナの胸の奥だけは、まだ落ち着かないままだった。
あの夜のことを思い出すたび、
胸の奥がじんわりと熱くなる。
(……殿下は、わたくしの名前から……)
思い出すだけで顔が熱くなる。
けれど、逃げるように目をそらすこともできなかった。
そんなある日の夕暮れ、
セレナは意を決して殿下のもとを訪れた。
「……殿下。
ひとつ、お願いがあります」
殿下は驚いたように目を瞬かせた。
「お願い?」
セレナは小さく息を吸い、
胸の前で手をぎゅっと握った。
「……闘技場に、連れていってください」
殿下の表情が、
一瞬だけ柔らかく揺れた。
「……いいよ」
その夜。
二人は誰もいない闘技場に立っていた。
月は弓のように細く、
静かな光が砂の上に落ちている。
セレナはゆっくりと中央へ歩き、
そこで立ち止まった。
「……ここで、わたくし……
あなたのことが好きになっていたんだと思います」
殿下は驚いたように目を見開いた。
けれど、すぐに優しい表情に変わる。
「……僕も。
ずっと、ここで……あなたを見ていた」
その声は、
夜風よりも静かで、
月光よりも優しかった。
セレナは胸が熱くなるのを感じた。
(……ああ、わたくし……)
ようやく気づいた。
ずっと胸の奥でざわついていた感情の名前に。
殿下はそっと近づき、
セレナの手に触れた。
「セレナ」
名前を呼ばれただけで、
胸が跳ねる。
「もう一度……ここから始めてもいい?」
その問いは、
告白よりもずっと優しくて、
ずっと誠実だった。
セレナはゆっくりと頷いた。
「……はい」
弓張月が二人を照らし、
静かな夜に新しい物語が始まった。




