【第16話】揺らぎ
夜風が頬を撫でる。
闘技場からの帰り道、胸の奥がずっと落ち着かない。
(……どうして、こんなに苦しいのかしら)
レオス様の姿を思い出すたび、心臓が跳ねる。
左手の剣さばき。
青い紋章。
優雅な一礼。
そして——
柄を、トン……トン……と叩く仕草。
歩みがふと止まった。
胸の奥で、何かが小さく弾ける。
(……この音……)
耳の奥に、別の音が重なる。
——机を、トントンと叩く指先。
ヘリオス殿下の癖。
(……似ている?)
その瞬間、
世界の音がすっと消えた。
風の音も、街のざわめきも、
すべてが遠のき、
胸の鼓動だけが、やけに大きく響く。
どくん。
どくん。
(違う……違うわ……!)
思わず胸元を押さえる。
(レオス様と殿下が似ているなんて……
そんなはず、あるわけないのに……!)
否定したいのに、
頭の奥で、二つの動作が重なり続ける。
トン……トン……
トントン……
(やめて……やめて……)
心臓の音が早まる。
呼吸が浅くなる。
(どうして……こんなに胸が苦しいの……?)
推しへの高鳴りと、
婚約者への痛み。
まったく違うはずの感情なのに、
どこかで触れそうで、触れてほしくなくて。
(……似ているわけ、ない……)
呟いた声が震えた。
けれど、胸のざわつきは止まらない。
むしろ、どんどん大きくなっていく。
頭の奥で、
二つの音がぴたりと重なった。
その瞬間、
心臓が跳ね、時が止まったように感じた。
(……まさか)
たった一言が、
胸の奥で静かに形を持ち始める。
でも——
(違う……違うの……!)
認めたくない。
認めてしまったら、何かが壊れてしまう。
(私……どうしたら……)
夜空を見上げると、
弓張月が静かに光っていた。
まるで、
“気づくのはまだ早い”
と告げるように。
セレナは胸に手を当てたまま、
しばらく動けなかった。
——この揺らぎが何を意味するのか。
まだ、認められない。
認めたくない。
ただひとつだけ確かなのは。
(……私の心は、もう……)
もう、どこかへ動き始めている。




