第6章 「私は優しくあるために、あえて残酷でなければならない」[Part 1 of 2]
温かな街の空気は、ゆっくりと和らいでいく。
穏やかで晴れた夕刻――昨日と同じように、青年は馬車の窓から街並みを眺め、外の新鮮な空気を吸い込んでいた。
「それにしても、この街は本当に綺麗だな。前にも思ったけど……中心に近づくほど、建物がどんどん豪華になっていく気がする。」
青年は窓越しに景色を見つめながら言った。
「おお、お兄ちゃん、やっと気づいたんだ?」
カリナは楽しげに笑う。
「でも、その通りだよ。よく見れば、中心部と外れでは建物の質にかなり差がある。」
「だけど、この聖都の住人にとっては、それほど大きな問題じゃないの。」
「だってこの街では、“正義”と“繁栄”は、すでにきちんと保たれているって言われてるからね――前世での“善行”のおかげで。」
「……前世の善行?」
青年は眉をひそめた。
「ああ、それね。えっと……どう説明すればいいかな……あ、そうだ!」
カリナはそう言うと、姿勢を正して青年の方へ向き直る。
「この世界ではね、みんな前の人生では“罪人”だったって言われてるの。」
「でも、その時に善いことをして、罪を少しずつ浄めた人だけが――」
「こうして生まれ変わって、この聖なる街で、穏やかに暮らす資格をもらえるんだってさ。」
カリナは手振りを交えながら、そう説明した。
カリナの説明を聞き、青年はさらに眉をひそめた。
「……悪い、今なんて言った? つまり、俺たちはもともと“罪人”で……それが清められたから、この聖都に生まれて住むことを許された、ってことか?」
先ほどの説明をなぞるように、青年は問い返す。
「ははは、違う違う! “清められた”んじゃなくて、“清く生まれる”ってこと!」
カリナはそう言いながら、一度馬車の天井を見上げ、それから再び青年へと視線を戻した。
「つまりね――もし今の人生でお兄ちゃんが“罪人”として生きていても、ちゃんと善い行いを積めば……」
「死んだあと、次の生では“清き者”として生まれ変わって、この聖都で暮らせるようになるの。」
「でももし、今の人生で悪いことばかりしていたら――」
「次は、卑しい獣か、あるいはまた“罪人”として、この聖都の外で生きることになるってわけ。」
カリナは、どこか笑いを堪えるようにそう説明した。
「……じゃあ、今こうして聖都の住民である俺たちは、また同じようにここに生まれ変わるのか?」
青年はさらに問いを重ねる。
「ほほほ、それは違うわね。」
カリナは、どこか芝居がかった貴族のような口調で応じた。
「もし、今の人生でも善く、正しく生きられたなら――」
「次はこの聖都の中心にある“天の宮殿”に生まれ変わるの。」
「そこは、我らが神である皇帝が、今この瞬間も私たちを見守り、守護している場所。」
「……天の宮殿?」
青年は、ますます訝しげに彼女を見つめた。
「そう! 天の宮殿!」
カリナは勢いよく立ち上がる。
「清く正しい者たちが住む場所! 望むものはすべて満たされる場所! 食べ物も飲み物も、すべて自分のもとへやってくる! 憎しみも、嫉妬も、人の醜さもすべて消え去る――それが“本当の天国”なのよ!」
熱弁を振るうカリナだったが――
ゴンッ!
次の瞬間、勢い余って彼女の頭が馬車の天井に激突した。
「いったぁ……!」
カリナは頭を押さえながら、その場で転げ回る。
一方、青年はその様子を気にも留めず、静かに自分の手のひらを見つめていた。
「……本当の天国……清き者としての転生、か……」
青年は小さく呟いた。
痛みをどうにか引かせたカリナは、再び青年の向かいに座る。
一瞬だけ彼を見つめ――やがて、視線を窓の外へと逸らした。
「……なあ、カリナ。お前も、そういう生き方を目指してるのか?」
青年は静かに問いかける。
「どういう意味?」
「……天国だよ。あの“天の宮殿”で生きるってやつ。」
言葉はどこか途切れがちで、かすかに震えていた。
「えー? やだよ、そんなの。つまんないじゃん。」
カリナは、ほとんど考えることもなく即答した。
その返答に、青年は目を見開く。
そして、先ほどまで開いていた手を、ぎゅっと握りしめた。
「でも……なんでだ!? それこそが、人間の目指すものじゃないのか? 幸せで、平和で、永遠に続く天国での暮らし――」
口を開けたまま、青年は問いかける。
「はぁ……お兄ちゃん。」
カリナは外の景色を見たまま、ため息をついた。
「そんな“鈍い”生き方、私は求めないよ。」
「……」
「まあ、言いたいことは分かるよ。確かに、多くの人間が望む場所ではあると思う。」
カリナは肩をすくめ、両手を軽く広げた。
「だってさ、努力しなくても全部手に入る場所なんて――嫌がる人の方が珍しいでしょ?」
「じゃあ……なんで――」
青年が言い終える前に、
カリナはすっと人差し指を立てる。
その仕草だけで、青年の言葉は止まった。
「もう一回、ちゃんと考えてみてよ。」
カリナはゆっくりと、自分の胸に手を当てる。
「そんな生き方ってさ――“人間が手に入れていいもの”なのかな?」
「……どういう意味だ?」
青年の問いに、
カリナは大きく笑みを浮かべた。
「ほら、今私たちが踏みしめている大地を見てみなよ!」
カリナは力強く声を張り上げた。
「その大地に聞いてみればいい。何度、地震を起こして、私たちの築いたものを飲み込んできたかを!」
「外に広がる海もそう! 何度、荒れ狂う波で、私たちの行く手を阻んできた!?」
「それに、森に潜む獰猛な獣たちだって! 何度、私たちの家族を襲い、奪ってきた!?」
だが――
「それでも、人間はやめなかった!」
「何度でも挑み、学び、乗り越えようとしてきたんだ!」
カリナの声は、次第に熱を帯びていく。
「だから私は思うの。人間は、この世界で“学び続け、進化し続けるため”にあるんだって!」
「見てよ! 学び続けてきたからこそ、どれだけの領域を手に入れてきたか!」
「感じてよ! この世界は、先人たちの努力と積み重ねの結果だってことを!」
彼女は大きく手を広げる。
「それこそが証明だよ――私たちが、あんな“甘くて鈍い天国”なんて目指すべきじゃないって!」
そして――
「私たちが本当に追い求めるべきものは――」
一拍置いて、
「この世界のすべてを、学び、理解し続ける“過程”そのものなんだ!」
「知識も、真理も、人間も、あらゆる命も!」
「それを使いこなし、救い、そしてさらに発展させて――あらゆる困難を乗り越えていく!」
「それが、私たちの“運命”なんだよ!」
「この世界で、最も強い存在である――“人間”としてのね!」
カリナは、眩しいほどの笑顔でそう言い切った。
青年はしばらくの間、言葉を失ったまま、カリナの笑みに応えることができなかった。
(……それは、正しい。だが……間違っている!)
心の中で、彼は強く否定する。
(そんな考え方じゃ――人は“目的”を失ってしまう……)
(ただ生き延びるだけの、利己的な存在になってしまうじゃないか!)
(それじゃ……人は、“天国での報い”を信じて善を積む存在じゃなくなる……!)
だが――
(なのに……なんでだ……?)
青年は、目の前にいる女騎士の顔を見つめる。
まるで演説でもしているかのように、堂々とした姿勢のままの彼女を。
(あの満面の笑みで語る言葉が――)
(どうして、こんなにも“理にかなっていて”、そして……“恐ろしい”んだ……?)




