甘さの行き先、作り手の行き先
その集落は、地図の端に押しやられたような場所にあった。
王城からも街道からも外れ、商人の荷馬車が通ることもほとんどない。
「……本当に、ここに人が住んでるのか?」
不器用なおじさんは、思わず独り言を漏らした。
舗装されていない道、傾いた家屋、乾いた風。
菓子工房の甘い匂いとは、あまりにも縁遠い。
「住んでますよ。ちゃんと」
案内役の青年は苦笑しながら言った。
彼は王城での用事を終え、帰路の途中だったらしい。
「ただ……甘いものは、ここには来ません」
その言葉に、足が止まった。
「来ない?」
「砂糖は高いし、卵も貴重です。菓子職人が来る理由もないですから」
なるほどな、と頷きながら、胸の奥が少しだけ重くなる。
マカロンが王城で評価され、街で売れ始めた今だからこそ、余計に。
集落の中に入ると、子どもたちがこちらをじっと見ていた。
警戒半分、好奇心半分。
その目は、どこか痩せている。
不器用なおじさんは、無意識のうちに荷袋を握っていた。
中には、形が悪くて売り物にならなかったマカロンが入っている。
味は同じ。
見た目だけが、基準を満たさなかった。
「……食べるか?」
そう声をかけた瞬間、青年が驚いた顔をした。
「いいんですか?」
「売れないやつだ。捨てるよりは」
子どもたちは最初、戸惑っていた。
見慣れない菓子。見慣れない色。
それでも、一人が恐る恐る受け取って、口に入れた。
時間が、止まったように感じた。
「……あまい」
たった一言。
でも、その声は震えていた。
次の瞬間、我先にと手が伸びる。
不器用なおじさんは、慌てて制した。
「ゆっくり食え。なくならない」
嘘だ。
なくなる。
この袋の中の甘さは、今ここで終わりだ。
青年は、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます。……久しぶりです、こんな甘いもの」
胸の奥が、ぎしりと鳴った。
王城では、
「香りがどうだ」
「食感がどうだ」
「流行に合うか」
そんな言葉が飛び交う。
街では、
「見た目が揃っているか」
「売りやすいか」
「利益が出るか」
が、最初に問われる。
だが、ここでは違った。
甘い。
それだけで、十分だった。
帰り道、夕暮れの中を歩きながら、不器用なおじさんは考えていた。
自分は、いつから「評価される甘さ」を作るようになったのか。
マカロンを作りたかった理由は、そんな立派なものじゃなかった。
この世界に、なかったから。
食べたかったから。
それだけだった。
工房に戻り、オーブンの前に立つ。
慣れたはずの場所が、少しだけ違って見えた。
「……俺は、どこに向かってるんだ」
王城専属の話もある。
量産の依頼も来ている。
成功と言われる道は、いくらでも見える。
だが、今日の「あまい」という一言が、離れなかった。
不器用な手を見つめる。
器用にはならない。
効率も、良くない。
それでも、この手で作った甘さが、確かに届いた場所があった。
甘さの行き先。
作り手の行き先。
答えは、まだ出ない。
だが――考え始めてしまった以上、もう戻れなかった。




