Vol.71
絶対独りぼっちになんかしないから――。
今の未散にとって佳佑のその言葉は、まさに寒い冬に包まる毛布のような暖かさを持っていた。
聖とあんなことがあってからすでに1週間近くたっていた。
衣も優太もあの日は話を聞いてくれたけれど、次の日からはあえて『あの話』だけはしようとしなくなった。
その理由は単純だった。
『あの話』をされたところで優太も衣も未散を慰めることもできなければ聖を非難することもできないからだ。
特に優太にとっては聖は無二の親友だ。
そんな人にどうして聖の話なんかできるだろう。
だから未散も2人が何も聞いてこなければ何も喋らなかった。
いつものように衣と笑い合い優太とはバカをやっていた。
時々衣が心配そうな顔をするが見てみぬフリをして元気な素振りを見せ続けた。
あの日以来そうやってきた。
けれどそのたびに未散の心は確実に一寸先も見えない闇へと葬られていった。
自分のこの想いはこのまま消し去るしか道はないんだと頭ではわかっていても気持ちがついてこない。
そのせいでどこをどう歩いたら光の差し込むほうへ行けるのかもわからずに立ち止まったままなのだ。
もしかしたらここでいっそのことめそめそと「助けてくれ」と泣いてしまった方がラクになるのかもしれないとも思った。
でもどうやらこの前衣と30分間泣きはらしたせいか今はもうその涙も枯れ果ててしまったようでいくら絞っても出てきやしない。
そう思ってた。
それがどうしてだろう。
佳佑のたった一言が再び未散に涙を戻させた。
それも悔しいとか悲しいとかじゃない涙で、生まれて初めてのことだった。
さっきまでは自分が知らない佳佑の姿に戸惑いがあったけど聖からは決して貰うことのなかったこの感覚に安堵感さえ感じる。
だから今は目を閉じているから何も見えないけれど怖くなかった。
――でもいいのかな……あたしこんなで……だけど今は先輩の手をはなしたくない……。
未散は佳佑と繋がっているその手をぎゅっと握り返していた――。
だが甘い時間が流れたのはそこまでだった。
「……やっぱりやめた」
佳佑はそう言うと未散におでこをピン!と弾いた。
「い、痛っ」
おでこに感じた痛さに未散は思わず目を開けおでこに手を当てた。
そしておっかなびっくりに佳佑を見ると……佳佑は「やれやれ」という表情をしていた。
「まったくもう、少しは抵抗してくれよ。俺はそれを期待したのになんでやらないかなぁ。それじゃあ俺からやめるしかないじゃんか」
困ったお嬢さんだ、と佳佑は呆れたように笑って未散を見ていた。
「え、だ、だって……」
話が読めない未散は焦りの顔を隠せない。
それを察した佳佑は「つまりね」と話を続けた。
「吉岡は自分が何しようとしてたかわかってなさすぎ。俺がここでやめなかったら吉岡は本当に西倉のこと諦めなきいけなくなるんだよ?それ、おまえは全然わかってない」
ったく、とぶつぶつ呟きながら佳佑は腕を組み始めた。
「例えばだよ、1週間ぐらいたって西倉はけっきょく元カノとヨリを戻さなかったってなったら吉岡どうすんの?それでもちゃんと俺のこと好きになれるの?きっと無理だと思うよ?だって吉岡は西倉が自分のこと好きなの知ってるし」
「佳佑先輩どうしてそれを……?」
どうやら佳佑が話を知っていることに気がついた未散は困惑の表情になる。
だが佳佑はそれにはまったく答えずに喋り続けた。
「目の前にある現実に対してどうするかなんて本人の自由だよ。でも吉岡にはあえて言っちゃう、俺と付き合うなんて考えちゃダメ」
佳佑はそこまで言うと腕を組んだまま腰を落とすと未散と目を合わせた。
「自分の好きな人がいつまでも近くにいるなんて思っちゃダメだよ。いつどこでそれが終わっちゃうかなんてわかんないんだから」
言い終わると佳佑は未散からはなれて床に落ちているモップの柄を拾い始めた。
「俺の元カノがそうだった。出会ってたった4ヶ月で、俺の前から、この世から、消えていなくなった。俺と付き合ってたばっかりに命の危険にさらされて、最後には還らぬ人になった……もう2年以上前の話だけどね」
「てことはさっき先輩が言ってたのって……」
「そう、そのときのこと。でもちゃんと今でもあんなふうにできるんだね、自分でも思ってなかった……ってホントは、さっきも言ったけど吉岡のコトを言えないくらいガッチガチだったけどね」
「…………」
悪戯っぽく笑う佳佑の急に始まった昔話に未散は返す言葉が見つからない。
佳佑はそんな未散に振り返ることもなくまた言い始めた。
「あんな目に遭う人をもう見たくないって思った。だから俺とあの時の俺を一部始終見ていた理はあんな大げさなことをしてまで俺と同じ目に遭いそうだった並木を助けた」
モップの1本を拾い、もう1本を拾いに佳佑はモップをひきずったまま歩いた。
「今でも思うよ、『俺のことなんか忘れててもいい、他の男を好きでもいい、もう1回だけでいいから彼女に逢いたい』って」
しゃがんで2本目のモップの柄を持つと佳佑は立ち上がった。
「だから俺は吉岡が羨ましいよ。もしかしたら片思いのままになっちゃうかもしれないけど毎日こうやって会えるじゃん?そういう当たり前の幸せ、吉岡にはわかってほしい」
立ち上がったあと佳佑は未散に振り向かないまま話を続け、終わった後ちょっと鼻をすすって天井を見上げた。
「まぁそれでも本当に苦しくて辛くて本気で西倉のこと忘れさせて欲しいっていうなら、その時はもう1回言ってきな。そうなったら俺も考えるから」
佳佑は「なんだろ、涙出てきた」と言いながら目をこすり、未散に振り返ると「はい、片付けよろしく」とモップの柄を突き出した。
「先輩ごめんなさい、ごめ……」
佳佑の懐かしそうでどこか寂しそうな笑顔に、未散はモップの柄を取る前にぐずり出した。
佳佑がなんのためにひと芝居打ったのかその理由をようやく理解していた。
佳佑は未散に知って欲しかったのだ。
それがたとえ一方通行なのだとしても『自分が想い慕う人に明日も会えることの奇跡』を。
だから佳佑は限界まで未散を追い詰めた。
そうすればきっと途中で未散は「こんなのは違う」と気づいてくれるに違いない――そう信じていたのだ。
だけど佳佑のそんな親心をまったくわかってない子供の未散はあまりに情けないことをしようとしているので、仕方なく佳佑は種明かしをした……。
憶測の域を越えないけれど恐らくはそんなところなのだろう。
「頼むからもう泣くなよ……なんか俺が後輩イビリしてるみたいじゃんか……」
泣き出す未散ははっきり言って佳佑には予想外だった。
口調はいつもののんびり穏やかなものではあったが、内心はいつ聖が優太に言われて体育館に来るのかを考えると冷や汗モノだった。
しかし今の未散には佳佑の声も困惑した笑顔もただの涙増進剤にしかなってない。
「だ、だって……ふぇーん!」
とうとう未散は嗚咽まで上げ始めてしまった。
確かに自分は自分でかなりの痛手を追った。
けれど自分よりもはるかに大きな傷を抱え続けながらもこうやって救いの手を惜しむことなく差し出すこの男を目の前にしてしまっては、自分の負った傷なんかかすんでしまっていた。
聖のことを諦めることができないのならまた明日からもずっとずっとこの届かぬ想いを背負ったままにはなる。
正直に言っていいなら逃げ出したいし投げ捨ててしまいたい――そうしたいくらい苦しい。
でもそれがどうしたというのだ。
世の中にはそれすらも永遠に叶わない人もいるのだ。
愛する女との思い出がたった4ヶ月で終わってしまったことのほうが、愛した女を失いたった一人この世に置き去りにされたのに自分も一緒にこの世から消えることを許されることもなく生き続けなければならなかったほうがよっぽど辛い。
そんなのに比べれば自分の苦しみなんてちっぽけなものだ。
「せ、せんぱ……ご、ごめ……」
さっきから佳佑に謝らないといけないと未散は思っていた。
けれどそう思う事そのものも今の未散には号泣の素。
さっきからずっと佳佑には何を言っているのかさっぱりわからない言葉を発していた。
「まったく、ウチの部の逸材はどいつもこいつも手がかかる……」
よしよしもう泣くな、と佳佑は苦笑いしながら未散の頭を撫でた。
この光景をもう随分前から体育館の入り口のところで黙って見ている学ラン姿の長身の男がいた。
言うまでもなく体育館に連れ戻された聖だ。
――なんなんだよ『もう1回好きになっていいですか?』って。佳佑先輩もなにしてんだよ……?!
遠目からしか見ていないし会話も途切れ途切れしか聞こえないとはいえ、聖はなんと間の悪いところだけしか知らないんだろうという状態だ。
「…………」
聖の心の中は『不安と嫉妬心とで渦巻いている』という表現が一番的確な状態だった。
『ま、別に言いたくないならいいけど。でも、知らないよ?いつの間にか誰かにどっか連れ去られちゃっても。それでもいいのか?』
『連れ去るって、誰が?』
『……さぁ、例えば俺とか?』
文化祭で何気に交わした佳佑との会話があの時からずっとずっとつきまとっていた。
結局それは冗談だと佳佑は笑っていたが、佳佑がそんなことを言えるような性格ではないのはわかっているので多分あれは本音なんだろうと聖は思っていた。
しかも立ち聞きで初めて知ったが未散にとって佳佑は「好きだった人」。
それに佳佑は少なくとも聖も含めバスケ部員全員が認める「イイ男」だ。
そんな彼がもし本気になって未散にアプローチを仕掛けてきたら自分なんか到底敵わない。
――くっそー冗談じゃねーぞ。
自分だって同じ……いや、それ以上のことを未散の前でやったくせに、そのことは今は全く棚に上げて未散の頭に気安く手を乗せる佳佑に聖は腹を立てていた。
「佳佑先輩、俺に用事ってなんですか?これですか?!」
わざと足音を立てながら佳佑に殴りかかる勢いで聖は大股で2人のところへと近づいて行った。
「佳佑先輩、ど、どうしよう」
聖がこっちに向かってくるのに先に気づいた未散は涙が一気に引っ込みおろおろし始めていた。
だが佳佑は未散の頭から手をはなしながらニヤリと笑い、
「おー、ナイスタイミング」
と独り言を呟いた。
――ナイスタイミング?!バッドタイミングの間違いでしょーっ?!
笑っている佳佑と怒っている聖、2人の顔を代わる代わる見比べながら未散は背中に冷たいものが上から下へと落ちてくるのを感じていた。
こんばんは、愛梨です。
夜な夜なすみません(汗)。
結局佳佑くん、一歩を踏み出すことはしませんでした。
まぁこれについてはあとで本人から釈明(?)がありますのでそれまでお待ちいただければと思います。
ちょっとだけ書くと……実はこのとき、佳佑は聖に『昔の自分』を、そして未散には『元カノ』を見てました。
そこで思ったんです、「吉岡が抵抗しないなら自分から引かないと」って。
でなければ昔自分が元カノに与えた苦しみをまた未散に与えてしまうから。
それが今回佳佑が出した結論だったんです。
どっちかというと高校生の恋愛って『貰う』『手に入れる』みたいなイメージですが、唯一そうじゃないのが佳佑。
引きずっている過去もあるしもともとの性格上でも『愛』になっちゃうというか……それを表したかったんです。
あ、そう考えると実は未散もそうかもしれない……。
一方未散ですけど……これきっと「ダメだってそんなことしちゃ!」とはタテマエ上言うけど、実際は「でも……わかるなぁ……」っていう人多いんじゃないかと思ってます。
失恋した弱みにつけ込まれ(?)て彷徨ってしまうあの心理です。
でも実は、それをしたのは演技でとはいえ佳佑のはずが佳佑も未散にやられてます。
ここではあえてあまり触れてませんけど、まぁどこかでじっくり書きますのでちょっと待っててもらっていいですか?(汗)
……で。
次回はいよいよ佳佑VS聖編です。
聖に気づかせるため佳佑は聖に何を仕掛けるのか……。
あ、ちなみにここは「論争」なので殴る蹴るはありませんのでそれが心配な方も安心して読んでください。
まぁ……胸ぐら掴む程度はありますが(汗)。
ということで、またです。




