Vol.69
それから2日後。
練習が終わり未散はひとりボールを拾っていた。
今日は片付け当番。
ちなみに男子は……優太。
でも優太は、
「未散、悪い、俺ハラ痛いからトイレ行ってくるわ」
そう言って体育館を出たっきりだ。
「んもー、こんな日におなか壊してんじゃないわよ……」
未散は舌打ちしながら呟いた。
本当なら未散がボールを拾ってかごに入れている間に優太がモップがけをして終わりなのだが、あいにく優太はまだ帰ってこない。
――しょうがない、モップ掛けするか。
よっこらせ、と年寄りじみた声がけをしながら未散はだらだらと立ち上がった。
「あれ?今日は男子は誰?ブッチか?」
後ろから聞き覚えのある男の声がした。
「……佳佑先輩」
振り返って未散はそう口にしていた。
その頃優太は聖を探していた。
「じゃあさ、その日に男子の当番は並木にしてくれるか?で、片づけを始めたらすぐ何でもいいから用事を作って体育館を出る。で、西倉を捕まえて当番代わってとか俺が探してたとか何か言って体育館に戻ってこさせる。……できるか?」
そう佳佑に頼まれているので今はそれを実行しているのだ。
――くっそーもう帰っちゃったかな……。
廊下で聖の背中を見つけることができないまま昇降口まで来てしまっていた。
優太は即座に聖の靴箱を見た。
――げげっ、帰っちゃった……嘘だよぉ……。
優太は「どうしようどうしよう!」と言いながらシューズのまま外に出た。
すると聖がちょうど校門に向かって歩いている途中なのを優太は見つけていた。
「ひ、聖っ!ちょ、ちょっと待って!」
シューズのままなのも忘れて優太は聖に駆け寄った。
聖は「ん?」という表情で振り返った。
「ああああ、あのさ、……ちょ、ちょっと体育館に戻ってしいんだけど」
なんと言って引き止めるかのトークを今走ったせいでド忘れしてしまった優太は、なんとか頭を搾り出して引き出した。
「え?なんで?」
「なんで、って。えーとえーと……」
聖のごくごく普通の問いに対し、今度は完全にド忘れしてしまった優太は「思い出せ思い出せ」と言いながら聖が「大丈夫か?」と心配するくらい自分で頭をゴンゴン叩いた。
「……あ、お、思い出した!なんか、さっき、佳佑先輩が来ててさ、聖に用があったみたいで」
「佳佑先輩が?」
優太のなんだか嘘っぽい言葉に聖はいぶかしな顔をした。
「ほらほら、先輩からの呼び出しなんだから行けって!」
はいはい回れ右!と優太はかなり強引に聖を昇降口の方に向けさせると背中を押した。
「俺約束あるんだけど、明日じゃダメ?」
顔だけ後ろに振り向きながら聖は優太に交渉を試みていた。
実を言うと聖は今日、隼と会う約束をしていた。
だからいつもよりさっさと帰ろうとしたのだ。
「大丈夫、すぐ終わるって。ほら!」
何が何でも聖を体育館に行かせなくてはならないという使命感を持っている優太は、返事もそこそこにグググ、と聖の背中を押した。
「……わかったよ」
聖は諦めたように昇降口へと歩き始めた。
――ふう、あぶないあぶない。
疑いの目を聖には向けられたが、どうにか優太は聖を体育館に戻す作戦を成功させた。
「じゃあ先に戻るわ」
「え?ちょ、ちょっと優太?!」
聖が唖然としているのなんてお構いなし。
優太はこれまた不自然に聖をおいて走り出した。
――佳佑先輩、後は頼みます!
優太は昇降口に入ると、聖に見つからないようにすぐ近くの男子トイレに隠れた。
聖が昇降口に戻り始めた頃体育館では……佳佑と未散でモップがけをしていた。
「吉岡、最近元気ないんじゃないのか?」
モップがけの手止めることなく佳佑は未散に質問する。
「そんなことないですよ、元気ですよ」
よいしょ、と言いながら未散もモップがけを続ける。
「今日も俺が顔出したのはただの偶然だと思ってる?」
「……え」
未散のモップがけをする手が止まった。
そして顔を上げると、自分の正面にモップに寄りかかるようにして佳佑が立っていた。
「吉岡ってそんなナリしてるし性格も普段は男勝りだろ?だから、ちょっとでも弱ってるとすぐわかるんだよね」
「…………」
ものの見事に言い当てた佳佑に未散は俯いてしまった。
「この前来た時一番気になったのは吉岡、次に気になったのは西倉。だから今日も来た」
佳佑は未散の顔を覗き込んだ。
「俺でよかったら聞くぞ?この部を退いた先輩としては吉岡にはいつも元気でいてくれなくちゃ困るし。それに、最近勉強ばっかりで飽きてるからたまには違うことで頭使いたいし。悪くない話だろ?」
佳佑は少しだけ顔を上げた未散に微笑んだ。
――もうダメだ……もう無理だ……。
佳佑の笑顔に、その掛けてくれる言葉1つひとつに、未散の目にみるみる涙が溢れた。
確かにそのへんの男より背はあるかもしれないけど俺よりはちっちゃいし、そんな綺麗な顔してる男なんかいないぞ?
吉岡はちゃんとかわいい女のコだってこと、もっと自覚しなきゃダメだって――。
佳佑からの、今でも忘れてない言葉を未散は思い出していた。
入部して間もない頃男子部員に混ざってなにかの力仕事をしていたとき、吉岡はやらなくていいと未散が持っていた箱を取り上げたのが佳佑だった。
背が他の人より群を抜いて高くなってしまってからは1度だって女扱いされたことのなかった未散が初めて女の扱いを受けたのがこのときだった。
それが未散の中ではとても大きいことだった。
その日から佳佑は未散にとって「男だと意識ができる人」だった。
でも詳しくはわからないけれど、佳佑の抱える過去を知るのが怖くて手が届かない男だと諦めた。
それから聖と出会ったことで佳佑の存在はまた違ったものになってしまったけれど、陰ながら気に掛けてくれてなにかと助けてくれるのはなんとなく気がついていた。
そんな佳佑に救いの手を求めるのも佳佑に自分の全部を預けてしまいたいと思うのもきっとズルいことなんだとは思う。
だけど佳佑ならわかってくれると思った。
聖を忘れられるまででいい。
佳佑にはそばにいてほしかった。
佳佑先輩、あたしを助けて――。
心に押し込めていた思いが一気に押し出されていった。
「……佳佑先輩って、いつもそう。いっつもそうやってあたしが困っていると助けてくれるんですよね」
受験生にこんなことを言っていいんだろうかと思いながら未散はモップを握り締め、顔を上げると笑顔を作って口を開いた。
「あたし聖くんに会うまではずっと佳佑先輩が好きだったんです……でも理先輩に話を聞いて、それで尻込みしちゃってなんにもしなかった」
だけど、と未散は続けた。
「今まで助けてもらった分、今度はあたしが先輩のこと助けます。佳佑先輩にどんな過去があったのかわからないけど、あたしでよかったら一緒に背負います。だからまた佳佑先輩のこと、好きになってもいいですか……?」
目の前にいるのが佳佑だからそう思うのかそれとも今のこの気持ちから逃げ出したいだけなのか、未散にはもうわからなかった。
そのぐらい佳佑が現れたタイミングはあまりによすぎた。
佳佑が何も言わないのをいいことに未散は我を忘れて喋りつくした。
佳佑は表情を変えることなく最後まで未散の話を聞いていた。
そして……未散には笑っていたが黙ったままだった。
そのせいだろう、この広い体育館に怖いくらいの静寂が流れていた。
――なんか1人盛り上がってた気がするんだけど……あぁもうどうしよう……佳佑先輩絶対困ってるよ……。
佳佑が何も返してこない時間が長くなるにつれて未散は冷静になってきた。
恥ずかしいやら怖いやら、それでも未散はおどおどしながらも佳佑の言葉を待った。
長い長い沈黙の末、ようやく佳佑は口を開いた。
「そんなカワイイこと言ってくれるんだ?いいよ、じゃあ付き合おうか」
言うや否や佳佑は未散の頭の後ろに手を置くと、かがんで未散に微笑んだ。
しかしその表情は未散が知っている佳佑ではなかった。
どこか妖艶でキケンな香りがする微笑だった――。
――嘘、なに?!なになになに?!なんなの?!
あまりの急展開に未散は佳佑から目をはなすことができないままうろたえた。




