Vol.49
未散が苦い顔をしながらその男の前に立つと、すぐに彼はまわりにいた人を押しのけ未散の腕を取り廊下に出た。
「未散ちゃんまだ?さっき2時間したら休憩だって言ってたよね?」
どうやってか知らないけれど未散の名前を知っている彼は、かってに未散ちゃん呼ばわりをし、笑みを浮かべてながら見下ろした。
「もうやめて下さいっ、こ、困りますっ!」
未散は男の腕をほどこうと必死で振り払おうとした。
「かわいいの。照れてんだ?」
しかし男はひるまない。
余裕の笑みを保ちながら彼は未散の手をさらに強く握ると空いた手で頬を突いた。
――やめてっ、やめてやめてやめてっ!
とっさにぶるると首を振り、自分の頬にあった男の手を払った。
「あんまり言うこと聞かないとここで口説いちゃうよ?いいの?」
男は空いている手で未散の顎を捉えると自分に顔を向けさせた。
――怖いよ怖いよ、怖いーっ!
まるで獲物を捕らえたような彼の目に、未散は窮地に陥った気分になっていた。
どうしていいかわらず動けない。
――誰か、誰か助けてっ……。
それでもまだ未散は抵抗を試みていた。
力の限り彼から顔を横に向けぎゅっと目をつぶった。
「そういうことされると余計言うこと聞かせたくなっちゃうの、わかんない?」
耳を彼に向けていたのがいけなかった。
男は未散の耳元でそう囁いた。
――な、なに?どうしよう、立ってられないんだけど……。
がくっと膝が折れそうになるのを未散は必死で堪えた。
「まだ言うこと聞かないつもり?じゃあ次はどうしようかな……」
じわりじわりと彼の手が自分の首筋に向かっているのが気配で感じ取られた。
――やだやだやだっ、触んないでっ……!
じわ、と涙が浮かんでくるのを必死でこらえながら、未散は肩を精一杯すくめて最後の抵抗を始めていた。
未散が廊下で誘惑されているのをクラスの男子は野次馬根性丸出しで見ていた。
「なんかはじめて見たかも、あんな弱気な吉岡」
「意外と男に対しての免疫あいつないんだな」
「うわーつつかれてるつつかれてる」
「なんでだろ、吉岡がすっげーかわいく見える」
「さすがの吉岡も男にあんなことされたら女になっちゃうんだな」
「……ちょっとヤバくね?顎持ち上げられてるぞ」
「嘘だよ嘘だよココでやっちゃう?」
未散が聞いたらぶっ飛ばされそうなことを男どもは好き勝手に言い合っていた。
「あの嫌がり方はかえって誘ってるよなぁ」
たまたまフロアに出てきた優太が「未散のはずなのに俺がぞくぞくする」と未散から目をはなさないまま他人のフリをしているつもりの聖のテーブルの椅子に座った。
「なぁ、最初は優太と同じでギャルソンのはずだったんだろ?誰だよメイドに変えたの」
見たくない現実に聖はむう、という顔をした。
「言いだしっぺは衣。あいつの目に狂いはなかった」
――小橋のヤツ……。
優太の答えに恨みを込め、控え室から顔を覗かせてにこにこ笑ってこっちにひらひらと手を振る衣を聖は睨みつけた。
なぁ聖、と優太はテーブルに頬杖をついた。
「おもしろくないだろ、腹立つだろ。でもそうやってご機嫌ナナメで座ってるだけじゃ未散は気づかねーぞ。未散は今もお前が好きなのは衣だと思ってんだからさ。どうすんの?」
優太は頬杖をついたまま口を開いた。
「あんな男聖ならちょろいって。サーッと出てってかっさらっちゃえばいいじゃん」
未散ってさ、と優太は続ける。
「あの外見じゃん?俺の知ってる範囲だけど、特に背がでかくなっちゃってからは女の扱い受けたことほとんどないんだよね。だからそんなことされたら間違いなく聖に惚れるよ」
んふふふ、と優太は聖にまた笑った。
「最高の点数稼ぎだと思うよ?行って来いって……あ!」
ふと優太が未散を見て叫んだ。
思わずつられて聖も未散を見る。
そんな聖の目に映ったのは……身動きが取れないように未散の手首を取り、彼女の首筋に触れようと近づく男の姿だった――。
「あんのやろっ……!」
ブチッ、と自分のどこかが切れた音を聞いた気がしながら、聖は椅子を蹴倒し大股で教室を出ていった。
「よしよし、作戦大成功」
聖がまっしぐらに男に向かっている姿を見て優太はほくそ笑んだ。
――全く素直じゃないんだから。最初っからやりゃあいいのに。
聖を見ていたクラスの女子が「西倉くんカッコイイ!」「未散ズルイ!」と控え室から出てきて騒ぐのを横目で見ながら優太は衣に満面の笑みでピースする。
衣はそれを見て「優太ナイス!」と口をパクパクさせながらやっぱり満面の笑顔で右手の親指を立て返した。
まわりはそんな異変は起きていたが相変わらず未散は蛇に睨まれたカエルのままだった。
男の卑しい手がかすかに未散の首筋に触れた。
びくっ、と不覚にも未散の肩が動いた。
「嫌がってる割には反応が違うんだけど、どういうこと?」
男はまた未散の耳元でくすくす笑った。
――そんなこと聞かれたってわかんないっ……。
理由がわからない未散には何も答えられない。
こんな男の前で誰が泣くもんかという意地だけで、未散はもう目を開けたら溢れ出してしまう涙をかたくなに目を閉じて抑えていた。
けれどそれでおさまるほどの量ではなかったらしくほんの少しだけ涙がこぼれる。
「……っ」
未散は男に掴まれていない手で乱暴に涙を拭いた。
それを男は見逃さなかった。
無理やり壁に未散を押し付けると羽交い絞めにした。
「あー泣かしちゃった?でも、俺は悪くないよ?そうやって煽る未散ちゃんが悪いんだからね」
未散にとっては全くもって理解不能な言葉を言い放ち、未散の首筋へと男の手は忍び寄っていった。
まわりは相変わらず冷たいもので、1人くらい助けに来てくれてもいいようなものなのに、クラスの男子も、通りすがりの人も、みんな見てみぬフリをして未散の横を過ぎて行く。
――あたしって無力だ……。
いくら「男勝り」といわれていてもやっぱり本物の男にはかなわないことを思い知らされていた。
――もうちょっと可愛げがあったら誰か助けてくれてたのかな……なんかもういいや……もう疲れた……。
どうにでもなれと思ったとたんにあんなに入っていた肩の力が抜けていった。
男がそれを見て勝ち誇ったような笑みを浮かべているのが目を閉じていても感じ取れた。
未散は彼の近寄ってくる気配を感じながら観念したかのように立ち尽くした。




