Vol.41
誰かが部室に入ってきたようで、ギィという開く音と、バタンと閉じる音が聞こえた。
誰もいない部室はドアの開いた音さえも響き渡る。
――誰だ……?
聖はそうは思ったものの顔を上げる気力すらない。
だがドアを開けたその人影は何も気にせず聖に近づくとすぐ正面に立った。
「聖くんいつまでそうしてるつもり?もう行こ?みんな待ってるよ」
声を掛けてきたその女は、そう言うと聖の目の前まで来てすっとしゃがみ込んだ。
――なんでここにいるんだよ……カラオケやってたんじゃないのかよ……。
顔なんか見なくても、自分の名前を呼ぶその声だけで誰なのかはすぐにわかった。
こんな情けない姿をいちばん見られたくなかった女。
だけどホントは、いちばんここに来て欲しかった女……。
その彼女――未散が、今は手を伸ばせば簡単に触れられるぐらいすぐそばにいる。
そう思っただけで顔を上げそうになり、この手が未散を手繰り寄せそうになった。
そのまま未散に甘えてしまいそうになった。
……だけど。
そんなにみっともない自分を未散にさらけ出す勇気なんて聖にはない。
「……別に吉岡には関係ないだろ?!何しに来たんだよ!お前こそさっさと帰れ!」
今未散の顔を見てしまったら涙腺が壊れてしまいそうだった。
聖はわざと顔をそむけ大声を張り上げた。
「帰れないよ……そんな聖くん置いて帰れないよ……」
だが、未散は全く動じない。
聖の横顔を優しい眼差しで見詰める。
未散のその声もその瞳もどこまでも暖かくて、荒んでしまった聖の心に染み込んでいく。
「なぁなんで……なんで誰も俺を責めない……なんでみんなそんなに優しいんだよ……?」
ずっと誰かに聞きたくてでも理由はないけれど何となく怖くて聞けなかったことを、目の下を涙が出ないように抑えながら聖は独り言を言い始めた。
「俺が外したから終わっちゃったんだよ?俺が最後入れてたら、俺たち勝ってたんだよ?インターハイだって行けたかもしれなかったんだよ?なのに俺は……」
そこまでだった。
聖はそれ以上は続けられなかった。
言葉にした途端思いがどんどん溢れてきて、その思いはみるみる涙に変わっていく。
涙は聖の指や腕を伝い、床へ1つ、また1つと落ちていく。
「……そうだね、聖くんが外しちゃったからみんなの努力全部台無しになっちゃったよね」
――え?
急に冷たくなった未散に驚いて聖は涙も拭わずに未散を見た。
未散はいつの間にか立ち上がっていて、冷ややかな目で聖を見下ろしていた。
「だいたいさぁ、なんであんなところから投げたわけ?!あそこは聖くんがいちばん入らないところじゃない。あと5秒もあったのにまっすぐ走っちゃってさ、焦って博打みたいなことしてしてバッカじゃないの?!」
未散は「言い返せるもんなら言い返しなさいよ」と言わんばかりに腕を組み、聖を斜めからじーっと睨んだ。
――このっ……!
「わかったようなこと言うんじゃねーよ!お前に何がわかるんだよ!」
未散の言葉に聖は完全に血が上がっていた。
立ち上がるとその勢いで未散に近づき思いきり彼女の左肩を押していた。
未散の体は後ろへ放り出され……そのままロッカーにぶつかった。
ぶつかった衝撃に耐えられず未散は顔をしかめた。
「……ご、ごめん」
言われてついカッとなってやったものの目の前で痛さに顔を歪ませる未散を見て、「女相手に何やってるんだ」と我に返った聖は未散に手を差し出した。
しかし……未散はその手を押し戻した。
「いい、大丈夫、大丈夫だから……これぐらいのことされるってことぐらいわかってたから」
痛さで顔が上げられなくなっていたが、未散はそれでもなんとか聖に言葉を返した。
「……気が済んだ?」
なんとか顔を上げ、未散は聖に聞いてくる。
「……え」
だが未散が何を聞きたいのかわからない聖は何も答えられない。
その様子を見た未散はできる限りの笑顔を聖に向けた。
「誰かに1回はこのぐらい責め立てて欲しかったんだよね?これでよかった……?」
未散はまだ痛みを堪えようとして左肩を自分の右手で押さえると唇を噛んだ。
「ごめんね聖くん、傷口に塩塗るようなことして……」
肩が痛いせいなのか自分をなじったことに心が痛いのか、謝る未散は声を詰まらせた。
それでも自分を心配して「あたしは平気だからね」という代わりに聖に懸命になって笑いかけた。
「吉岡……なんで……?」
どうしてそこまでしてくれる?
なんでわざわざ学校に戻ってきてくれた?
そうやって笑ってくれて「みんな待ってるよ」って迎えに来てくれて。
逆ギレされる覚悟で毒づいてくれて、ホントはなんにも悪くないのに「ゴメンね聖くん」って謝ってくれて……。
未散に聞きたいことは次から次へと溢れてくる。
そのせいで言葉がついてこない聖は、その一言だけをやっと呟いた。
「なんで、って……だってしょうがないよね、優太に頼まれたっていうか押し付けられちゃったし……でもね」
ちょっとだけ未散は笑うと聖を見つめた。
「もうこれ以上自分を責めないでほしかった。だって……誰も聖くんのせいで負けたなんて思ってないもん。優太1人の力じゃここまで来ることはできなかったって、みんなわかってるんだよ……?」
未散は足もとにあった聖のバッグを手に取った。
「だから……早く行こ?」
ほら早く持って!重い!と最後は冗談で怒りながら、未散はバッグを持ったその手を聖に差し出した。
――こいつを、誰にも渡したくない。
未散の笑顔に聖は完全に負けた。
理性も倫理観もなにもかもが全部飛んでいった。
聖はバッグを持ったままの未散の手をそのまま自分へと引っぱった。
その行動に驚いた未散は、バッグから手をはなしてしまった。
バッグはドサッと音を立てて床に落ちる。
けれど聖にはそんなものは聞こえていなかった。
優しくなんかできなかった。
ただ、ほんとにただ、ほんのわずかでもそばにいたくて力いっぱい未散を抱きしめていた。
「もういいよ……俺のためにそんなに頑張るなよ……ごめんな……痛かったよな……」
背中に回していた聖の片方の手はロッカーに当たってしまった未散の肩を、そしてもう一方の手は頭を優しく撫でていた。
それがよほど堪えたのか、堰を切ったように未散は泣き出した。
今ここにいる未散はいつもの「男勝りのデカ女」なんかじゃなかった。
どこにでもいるごく普通の女のコ。
自分の腕の中で小さくなって泣いている、自分の誰より愛しい女……。
「……頼むからそろそろ泣きやんでくれよ」
聖は困ったように笑うとなかなか涙が止まらない未散の肩に手を置いて少しだけ体を起こした。
「う……う、ん……ご、ごめ……ごめん、ね……」
未散は一応そう返事はしてくれたものの、目を閉じたまましゃっくりを上げ涙を拭い続けている。
その未散の姿があまりにかわいらしくて、聖の心臓は肩に置いた自分の手から未散に伝わるんじゃないかというくらい大きく音を立てた。
「…………」
それは聖の中にあった『最後の理性の砦』のようなものが崩れ去った瞬間だった。
「…………」
聖は何も言えないまま背中を丸めてかがんで未散へ顔を寄せると、左の瞼の上にそっと唇で触れた。
その唇がゆっくりと瞼からはなれると、聖の手は未散の肩からもはなれた。
その手はまるで未散を包むようにロッカーに置かれると、再び未散との距離を縮めた――。
少し時間がたって未散からから離れると、未散はなんともいえない微妙な表情をしていた。
嬉しそうでない……けれど悲しそうでもない。
でもだからといって怒っているわけでもなかった。
「……ごめん」
今まで自分が感じたことのない気まずい空気に、聖の頭の中は真っ白になっていた。
だが何の承諾もなくあんなことをしたわけだから……とは思ったようで、聖は未散に謝った。
謝った自分に未散はなんと返してくるのか……。
いきなりひっぱたかれるのかそれとも逆に横に首を振って笑ってくれるのか、それとも――。
さっきから未散が俯いているのをいいことに、聖は不安げな顔を隠すことなく未散を見下ろしていた。
だがそれに対しての未散の言葉は、聖にとっては余りにも意外だった。
「なんで?なんで謝るの……?」
「え……?」
未散はまだ顔を伏せたままだった。
それなのに目が泳いでいるのがはっきりと聖から見えるほど、未散は聖から謝られたことに動揺していた。
「いや、だって俺かってにあんなこと……」
謝った理由を言わなくてはならなくなった聖はそう口を開いたが、その口調が気に入らないのか未散は聖を突然押しのけた。
未散は顔を上げた。
その表情は……明らかに切なそうで、そして悔しそうだった。
「吉岡……?」
その表情の理由が聖にはわからないまま聖は彼女の名前を呼ぶが、そのあと未散が発した言葉に聖は衝撃を受けた。
「なんで謝るの?衣の代わりだから?!謝るくらいなら最初からこんなことしないでよ!」
「衣の代わり」と言った途端、聖を睨みつける未散の目にはまた涙があふれた。
「吉岡、違うよ?俺は小橋のことはもう……」
衣の代わりにしたつもりなんかこれっぽっちもなかった。
もしここに衣がいたのなら少なくとも自分はもっとそつない対応をしたはずだ。
『帰れ』なんて怒鳴りもしないし攻め立てられて逆上することもきっとない。
そして……あんなふうに触れることも決してない。
自分があんなことをしたのは目の前にいるのが未散だったから。
それ以外の理由なんてどこにもない。
しかし話を聞きたくない未散はとめどなくこぼれる涙を自分で拭いながら、聖が言っているそばから言葉を重ねた。
「言い訳なんかしないで!認めなさいよ、衣の代わりにしたって!」
「吉岡、頼むから聞いて?俺は……」
「もういいやめて!そんなのしなくていい……そんなのいらない……!」
すでに感情的になっている未散には聖の声なんて聞こえなかった。
未散は聖を睨みつけそう言い放つと自分で顔を覆った。
部室にはただ未散のすすり泣く声だけがこだまする。
それを聖はまるで何時間も聞いているような錯覚に陥っていた。
「……聖くんもう行って、みんな待ってるから」
やっと喋れるようになった未散は涙を拭いながら聖に呟くと、聖の肩を押した。
「吉岡そんなにして行けないだろ」
自分を追い出そうとする未散の手を聖は取ろうとした。
だがパシッと乾いた音を立てながら、未散は聖の手を払った。
「あたしは大丈夫だから心配しないで……あとであたしも行くから、聖くん先に行ってて」
未散は再び聖の肩を押し始め回れ右をさせた。
「ちょっと待てよ、俺一人で行ったらおかしいだろ」
聖は振り向きながら未散に反論する。
「いいからもう行って、早く!」
しかし聖の話を全く聞かず、未散は聖を今度は無理やり引っ張って部室のドアを開け廊下へ出すと、荷物も聖めがけて投げつけた。
「吉岡ちょっと待ってって、おいっ……!」
聖がバッグをキャッチするのに気を取られた隙に未散は、バン!とドアを閉めた。
「おい、吉岡、開けろって!」
未散にカギまでも内側から掛けられてしまった聖は部室のドアをガンガン叩いた。
「お願いだからもうほっといて!優しくなんかしないで……!」
ドアの向こうで未散が泣き叫んだ。
未散の声を聞いた聖はもう、ドアを叩くことができなかった。
ドアを叩こうと振り上げていた拳を聖は虚しい思いで下ろした。
――なにやってんだ俺は……こんなはずじゃなかったのに……。
未散はドアの向こうできっと今も泣いているのだろう。
たった1人で悲しい誤解をしたまま。
――吉岡……ゴメン……ゴメンな……。
本当は声に出して言いたかった。
だけど今は言えば言うほど未散は受け入れてくれない。
それがわかる聖はドアにもたれると届くことのない謝罪を今はもう姿の見えない未散に繰り返していた。
数センチもない未散との隔たりのはずなのに、今の聖にはこのドアが想像を絶する厚さに感じていた。
こんばんは、愛梨です。
実はこのシーン、もう何回書き直しをしたかわかりません。
どうやったら読んだ方が「うわ、これ切ないわ」って思うかを考えて考えて考えて書きました。
でも……今でも正直満足してないです。
だからここはこれからも思いついたら書き直すと思います。
結局未完成な感じのままで公開してしまいます、すみません……。
ここまではどちらかというと聖視点で書いてきたので、次回は未散視点でお送りします。
聖の気持ちなんてこれっぽっちもわかってないが故の切ない心境を語ってもらいましょう。
ということで、またです。




