表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/14

九、言えること、言えないこと

九、言えること、言えないこと


 夏休みは間近に迫っていた。その前に頭頂部が焼けそうで燃えそうで、生え際からじりじりと汗がにじみ出る。からからのアスファルトを踏む度に足が蒸れているのがわかる。

 コンビニでアイスを買う欲求も、東京のおっさんにジューシーなアイスレモンティーをねだる欲求も喉でぐっとこらえ、帰宅したらいち早くぬるく湿った靴下を脱ぎ、シャワーを浴び、ゆっくりと冷蔵庫の中のレモンサイダーに手を伸ばす。至福の時を得る……つもりだったのだが。

「よっ、おかえり」

 顔を合わせるなり、エアコンがあるのにわざわざ持って降りてきたのか、扇風機の前であぐらをかくタケが送風でリーゼントを揺らしながら呑気な顔で軽く手を上げる。計画がおじゃんになる音がした気がする。

「どもー」

「お邪魔してる」

 トールもツカサもそろって軽めの挨拶。えんじぇるすの面々と川中島がくつろいでいる。円卓には筆記用具とメモ用紙。各自のケースは傍らにある。俺は拍子抜けし、代わりに苛立ちがこみ上がる。

「えっ、ちょっと何でいるんスかっ?」

 汗の気持ち悪さを我慢して素っ頓狂な声を上げてみせた。機嫌悪いことを隠すのに、俗にいう大学生のノリというものを軽く取り入れてみたのだが、もう二度とやるまいと心に誓う。

「ハクトーさんが来てもええ言うから、ここで会議しよう思って」

 当たり前の流れのようにトールは言う。トールは動物柄が好きなのか、ワニの顔がプリントされた黒のタンクトップを着ている。夏場に黒の服を見るとこっちはむさ苦しい気分になる。久々に豚骨スープをほとばしらせていたおデブちゃんを思い出してみたが、当然ながら逆効果。豚骨の幻臭が鼻腔をかすめ、吐き気すら覚えた。もうあいつに癒し効果を頼るのをやめよう。

「そう、スか。ちょっと川中島」

 俺は川中島の夏用だという薄めのポンチョを引っ張り、勝手口から外へ出た。ドアを閉めるなり川中島はしゃべる。

「何ヶ月経っても学習しないな。ハクトーさんだ。おかえりと言われたらただいまと言わないか」

「そんなことより何であいつらおるげん?」

「オーギガヤツの耳には穴が開いていないのか? 会議だ」

「そうじゃねーよ。この家は秘密ねんげんろ?」

 川中島は「む?」と眉をひそめる。

「誰がいつ秘密と決めた?」

 ん? 俺は一瞬言葉に詰まる。

「でも普通こういうんてベラベラしゃべんの良くないんじゃないん?」

「しゃべる?」

「だってこんな家だぞ? 東京のおっさんだって、特別物件だから他社には知られたくないって契約の時に言ってた気が、すっし……」

「契約する前だろう? 私の時も見学はできないと言っていたぞ」

「だからそれは見るだけ見て言いふらしてほしくないだけであって……」

 反論するほど混乱してきた。あのおっさんには抜けたところがあり、そういう秘密保持契約の手順を踏まなかっただけかもしれない。逆に『友だちに言うとかならOKだよ』と笑顔で言いそうではある。

 すると、川中島はこんなことを言った。

「そもそも私は一言も奴らにこの家の状態を口にしていないぞ。そういう契約だからな」

「え、そういうのあったっけ?」

「馬鹿め。オーギガヤツはちゃんと最後まで書類に目を通していないのか。そういうのを一知半解というんだぞ」

「書類?」

 俺は記憶を巡らし、思い出す。

「確かいっちゃん最後に変なやつあったような。確か、えーっと」

「〝イナワイ、ユナワイ、モラナサイ。シリュート、ターニン、イウニイワレナイ〟だ」

「あれって何?」

「あれがオーギガヤツの言う、この家の秘密を言いたくなくなる文章、呪文だ」

 俺は断じてこの家のことを漏らしてはいない。それが秩序として当たり前の話だと信じていたからだ。そこで俺は閃いたことを試してみた。

「こんな」

 俺は慌てて自分の口を塞いだ。

「どうしたオーギガヤツ」

 俺は『空飛ぶ家』と言おうとした。それなのに口が勝手に違うことを言った。何これ怖っ!

 実験を続けよう。

「空」

「さっきからどうしたオーギガヤツ」

 今度は『空』と言おうと思って言った。ちゃんとその単語が出た。

「家……〝蛾〟……飛んでいる。家で蛾が飛んでいる。家で蛾ぁ飛んでいる。家がトンビ」

「頭がどうかしているぞオーギガヤツ」

 これはイメージの問題なのだろう。唇と舌が脳に反し、言いたいことと言ったことが一致しないのはもどかしい。もう一人の俺が俺を制御しているかのようだった。思わず川中島の隣の仙人に目をやるも、奴は肩をすくめるだけ。

「で、でも〝こんな家〟について一言も言えないとしても、家に入れちゃあ駄目だろ。ばれるじゃんか」

「ばれても奴らは言わないぞ。知り合いだからな。オーギガヤツも、サンシンやマツアキラをこの家に招き入れても特に問題はないぞ。そういう呪文だ」

 仮に俺が契約を解除したとして、俺が川中島と花御堂と知人であることに変わりなく、他言不可能。常に勝手口に鍵をロックする真の理由はそこにある訳だ。地域担当の宅配便などであればともかく、知人でない奴が家に足を踏み入れ、後に吹聴されることを防ぐ……。ロックしておかなければ、万が一そういう奴らが侵入した時、手が離せないことが部屋で行われていようとも無理やり顔を出して面識を持つ必要がある。

 だが玄関から入る奴らに対しては話が別となる。正面から入ってこられるということは、〝普通〟じゃない。普通じゃない奴が普通じゃない家を見たって驚きもしないし、言いふらそうとも思わない。だから玄関の鍵に対しては疎かになっている訳だ。おそらく。

「気になることはちゃんと聞くのが大事だ。だから後から訳わからないことになる。わかったかオーギガヤツ」

 腹が立つが正論だ。聞くべき時に聞かないのが俺の特徴だ。


 中に戻ると、トールは言った。

「オギ君。君んとこの文化祭、ステージ何するん?」

「何する言われても。カラオケ大会とか……。演劇部も何かやるんかな」

「やっぱ大概はそうねんなあ」

 彼らの振る舞いは至って自然。さっきまで『空飛ぶ家なんかに住んでたん!? どっひゃー、どえらいびっくりやのう!』とか中央関西特有のリアクション芸をして飛び上がっていたような気の高ぶりは見て取れなかった。それとも驚愕こそしたものの、呪文の効果によって強制的に冷静さを引きずり出され、この家が空を飛んでいることは当たり前のことで、取り分け外で騒ぎ立てる理由にはならない結論に(しか)らしめているのかもしれない。

 トールは続ける。

「ぼくら自分とこの大学でステージ出ることなっとるんやけどな。せっかくやったら他んとこでもやりたいねって話になっとんねん。学園祭の宣伝にもなるし、でも部外者やから気ぃ引けて」

「そこでオギ君のアコベの出番な訳だな。在校生オギ君withえんじぇるすってことで」

 何らかのロックTシャツを風で膨らませながら、『我々ハ宇宙人ダ』ボイスででタケが言った。

「僕んとこの楽器貸してあげるから協力してくれないか?」

 ツカサが言った。妄想が異なる形で現実に起ころうとしている。部活動でやりきった以上、趣味で続けても意味がない。むなしくなるだけだ。

「まぁ無理強いはよくないんやけどね」

 返答に困っている俺を見て、トールは優しく逃げ道を作った。

「何かもう、弾きたくない理由ってあるんか? あっ、実は指を痛めちまってるとか?」

 事情に気づいてしまったという具合に、タケは神妙な顔をする。扇風機から顔を遠ざけたので宇宙人にはならなかった。

「それなら仕方ないよね。続けたいならちゃんと楽器だって実家から持ってくるだろうし」

 まったくその通りだ、ツカサ。俺は曖昧に「まぁ」と言うだけで十分だった。俺の指は楽器が弾けない指という設定となった。トールは「じゃあどうしよっか?」と仲間に向き合う。

 ところが、そこから変な流れに軌道を変更させたのが川中島だ。

「サンシンを入れるといい。奴なら喜んで引き受けるぞ」

 俺は「え」と頬を引きつらせた。よりによってサンシン?

「そうだ旭ちゃんにも聞いたろっか!」

「ちょっと二人に何させるっていうんスかっ?」

 トールの思いつきに俺は余計不安になった。松先輩まで巻き込むなんてそれはない。

「できる楽器なら何でもええねん! タンバリンでも十分リズムが取れて楽しいし。それに男女がハモるのもええ感じやん? 旭ちゃん可愛いし、紅一点で華やかやない?」

「まさに愛が生まれた日」

 トールとタケはノリノリ。まさか狙っているのか? 可愛いなんて軽々しく口にされたらかなわない。それにトールと松先輩が大内義昭と藤谷美和子の『愛が生まれた日』をデュエットしているところを想像したら不快以外の何物にもならなかった。無垢な彼女の隣に豹柄だのワニだのワイルド臭い格好の、二、三歩間違えればオネェ臭くなる彼がにやついているのは許されることではないのだ。

「男のデュエットでもいいんじゃないっスか? ゆずとか。夏だし」

「それもありか」

 ツカサはうなずき、顎をなでる。

「歌うまい?」

「サンシンはまあまあうまいっスよ」

「じゃああいつに話つけてみよっか」

「せやな!」

 松先輩とのデュエットは免れ、俺はほっと一息ついた。


 今晩の路上ライブの打ち合わせを終え、トールたちは帰った。川中島は真顔で勝手口を見ている。奴が真顔なのはいつものことなのに、どことなく様子がおかしい気がした。

「どうしたん?」

「オーギガヤツ」

「なんだよ」

「おいオーギガヤツ」

「だから何なんだって」

 川中島がこっちを向いた時、俺はぎくりとした。奴が真顔なのはいつものことなのに、今ばかりは冷たく感じた。見下す態度はいつものことなのに、より軽蔑の眼差しを送られたように感じた。

「まるでキジコだな」

「は?」

 川中島は自室へと戻っていった。ドアが開閉する日常的な音もびくりとさせられた。一人取り残され呆然とするしかなかった。

 まさか、怒っている? 自称天使の前で嘘をついたのがまずかったのか、俺は鷽姫様のことを思い出した。



 宇宙喫茶にて。空になった食器を回収している最中に、ヨハネス店長が厨房から手招きする。

「オギー、もっと楽しそーにぃっ。じゃないとぉ、お客さんも困っちゃいますぅー」

 猫なで声で言いながら、俺の両頬を突いてくる。俺は「はい」と普段通りに返事をしたのに、店長は「フゥ?」と鳴いて首を傾げた。そうやって目をぱちくりさせれば、男が簡単にメロメロになるとでも思っているのだ。俺はそんな甘い男ではない。

 BGMも回る照明も消え、蛍光塗料の明かりがホールをほのかに照らす。花御堂らは先に引き上げ、一人黙々とテーブルを拭く。そこへまた店長がやって来て、るんるんと席に座るなり両手で頬杖をつく。彼女の上目遣いは天下一品なのは認める。

「ねぇオギー。どーしたんですかぁー?」

「あの、拭けないんですけど」

 店長は「おっとぉ」と両手を上げる。

「もしかしてぇー、アキーと喧嘩しちゃったんですかぁー?」

「してないっスよ」

 俺は隣のテーブルを拭く。ここにいるのが松先輩だったらなぁと思いながら。

「悩みならぁー、この店長さんが聞いてあげますぅー」

「悩み……」

 俺は手を止め布巾を見つめた。顎を引き、ゆっくりとまばたきした。

「……わかんないっス」

「わからないんですかぁ?」

 か細い声で、店長は不思議そうに横から見ている。

「何を悩んでいるかがわからないんですかぁ?」

「なんというか……」

「それはスゴイ悩みですぅー」

 彼女はまた頬杖を突く。俺は布巾をたたみ直し、除菌スプレーを吹かせる。店長はその席で尻尾を振り振りし、CDを出したいとか言って作ったというオリジナルの歌をぶつぶつ口ずさむ。人のことを言えたものではないが、変な歌である。


  火薬の臭いは嗅ぎ疲れた

  甘い甘いあの味を堪能したいの

  色とりどりの夢に頬ずりしながら

  毛並みを整えて 枕を抱いて


  操られの宿命 変えたのはナゼ

  風前のともしび 綺麗ならいいの

  何のために生まれた……知らなくていいわ

  神様のプレゼント エンジョイしたいの


  あのコの眼差しなら ハートがとりこハイビーム

  何だかピントがずれてるの とても心配なの

  願いを言われないで 流れ星に打たれたまま

  猫のような真ん丸い目で 夜通し鳴いているの


  偶然さえ見えずに逃しているのよ

  メモリーは空いている みんなの分よ

  ワタシたちはずっと平和を望み生きている

  アナタと同じの時を歩みたいの


  哀しいと言わなければ 真ん中一つ青い星

  応援たくさん呼んでよね 仲間たちが欲しくて

  ワタシの神様はきっと こんがり焼きたて魚好き

  毎日ご機嫌がいい ケーキも付いていてね


  ワタシたち アナタたち いつまでも恋をしてる

  ワタシたち アナタたち いつまでも疑い

  兵器さえ平気よね 夢の城は崩れない

  世界はシェアしてね それが願い


 ……全て拭き終わった時には、彼女はロケットの天辺に座っていた。

「ずぅーっと悩んだですぅー」

 と、天体を眺めていた。俺ごときの地球の男のために歌いながら考えていたらしい。

「きっとぉ、オギーは錯覚してるんですぅー。悩んでいるように見せかけてぇー、実は悩んでいないんですぅー。まるでケーキがだーいすきなのにぃ、ケーキ屋さんの大行列に並ぶのをためらっているかのようですぅー。行列が増えない内に並んじゃえばぁ、ケーキは買えますぅー」

 例えが訳ワカメなんですぅー。

「ダイエット中かもしれないっスよ?」

「オギーはダイエット中ですかぁー?」

「いや俺はしてないっスから」

 ヨハネス店長は小憎らしい笑顔を向ける。

「じゃあケーキ食べれるですぅー。あとは早めに行列に並ぶだけですぅー。遠慮は無用ぉー!」

 そうキャピキャピしたあと、「何だかケーキ食べたくなっちゃったですぅー」としんみりし始めた。


 俺は深夜十一時まで営業のケーキ&ティーショップへと付き合わされた。クリーム色の塗り壁、木製のシーリングファン、流れるボサノバにアレンジされた懐かしの洋楽。路地裏の隠れ家的場所にある、女性受けしそうなメローな雰囲気のカフェで、キャッツ型リアル宇宙人と二人きりでスイーツを食べるのは何とも言い難いものだったのだが、店側は慣れてしまっているようだった。

 もしかして彼氏ですかと聞かれた彼女は俺の腕に抱きついて「そう見えるぅー? でもオギーには素敵な恋人がいるのぉー。ねえー?」とまたもや上目遣い。俺はどぎまぎしてしまい、彼女がバイトの子だと明かしてくれるまで何も言葉にできなかった。ヨハネス店長の小悪魔調のイジワルにどっと疲れる。

 カウンター席もあったのだが、店長はまっすぐと窓際の角のテーブルへと足を運んだ。二階にあるこの店から見えるビルの狭間の夜景は、なるほど仕事終わりの女性の心を癒してくれるのだろう。

 幸せそうにイチゴのタルトを頬張る姿には不覚にもキュンとしてしまい、レモンスカッシュをうんと吸い上げてごまかす。思いのほかストローは細かった。

「今度アキーをつれてくといいですぅ。ランチタイムは混んじゃうから、早めがベストぉー」

 これはイジワルではなくアドバイス。先ほどの「素敵な恋人」という台詞もけして嫌味ではないことも彼女の性格でわかる。本気で応援してくれているのだ。

「そういえばアルファルドさんは、元彼とはどうなったんスかね? やっぱり彼女もどっかで未練があるんと違いますかね?」

 俺は話題を変え、彼女の気を逸らさせた。

「アルーには未練はないですぅ。一度殴り捨てて縁を切った相手とは二度と交わらないのがぁ、彼女の国での掟なんですぅー。国を追い出された今でもぉ、それは頑なに守ってるんですぅー」

「いや、それはどこでも同じなんじゃ……」

「そうですかぁ? でもぉ、ワタシたちのためにぃ、繋がりだけは残しておいてくれてるんですぅー。仲直りと妥協は世界平和に必要なものだとぉ、ワタシは常々思っていてぇー」

 銀河団なだけに、考えることは壮大らしい。ワタシたちのためというのが引っかかったが。

「妥協は大事っスよ」

「妥協ってぇー、諦めるとは違いますぅー」

 店長が目を伏せて舌舐めずりをし、イチゴをフォークで突く時、ぐさりという音が聞こえたような、赤い飛沫が見えたような気がして、俺は肩を強張らせた。

「結婚生活は妥協、恋愛は諦めじゃないですかぁー」

「ああ、そのことっスか……」

「フヌン? オギーはぁ、アキーのこと諦めちゃダメダメぇー、ですよぉ?」

「……っスよ」

「へ? もう一度言うですぅー」

「いや……」

 俺はごまかすようにストローを吸う。

「店長さんは彼氏いるんスか?」

「募集中ですぅ」

 と、ヨハネス店長は耳を垂らした。

「昔ぃ、憧れの彼がいたんですぅー。正義感に溢れててぇー、熱血漢でぇー、でもクールでぇー、全然弱みを見せなくてぇー……」

「へぇ……」

「そう! 彼は年上が好きだったんですぅー。それだけは断じて譲らない感じだったんですぅー。きっと年下相手じゃ甘えられないって思ってたんですぅー……。ぷぅん……」

「じゃあ告白はしなかったんスか」

「したんですぅー。超スーパーウルトラ真面目モードでねぇー。はああ……」

 彼女は未練たっぷりの深い溜め息をついた。どんな変身キットを使おうと、年齢だけはどうしようもならない。


 店長はお土産のレモンクリームタルトを三人分も奢ってくれた。遅く帰宅した俺は川中島の姿を見ることはなく、箱に二人の名前を書いて冷蔵庫に入れておいた。朝は花御堂と同時に起床し、ケーキの存在を伝えた。冷蔵庫を開くと、ケーキが一個消えていた。


 ◇◇◇


 サンシンがデュエットの話を持ちかけてきたのは講義直前のこと。俺の知らぬ間に宇宙喫茶に来たえんじぇるすが早々に奴に依頼したらしい。有言実行だった。

「最初はのど自慢大会に出ようって思っとってんけど、そっちの方がいかすじゃん。ちなみに魔女っ子メグちゃんを歌おうとしてたのを言ったら、それをバンドでやろうって」

 アニメソングになる予感はしていた。

「というかさ!」

 突然サンシンは神妙な面持ちをした。

「指痛めとるってマジ?」

「あ? まぁ……マジだけど?」

 危うく何のことか聞き返すところだった。

「昨日、ハクトーさんが言ってたぜ?」

 俺は心の中で舌打ちした。

「今どんな感じなん? 曲がらんがん?」

「まぁ、曲がるけど……。そんなに早くは動かせん、みたいな」

「そっか……。高三の文化祭で限界だったんだ。言ってくれよぉ」

 そうわざとらしく嘆いて俺の肩を揺らした。もしもこいつがバンドをやっていて、それで指を痛めたとしても、こいつならリハビリに励むだろう。そして痛める前とは差ほど変わらない状態にまで回復させるのだ。だからこいつの心配している顔に引け目を感じる。どうせ俺はサンシンとは根から人間の出来方が違う。

「そうだよな。本当はやりたいんだよな。悔しいよな」

 にじみ出ていた俺の苦い表情を解釈するサンシンがもどかしかった。



 帰宅するとハープの音色が漂っていた。まずい! と思って耳を塞いだが効果はなく、条件反射の如く睡魔に襲われ脱力し、膝を突いた。



 俺は目を覚まし、起き上がる。黒顔の女、鷽姫様が真正面に立っていた。

「扇ヶ谷よ。お前は嘘をついたな?」

 空気が凍りつく。穏やかな口ぶりもフラグでしかない。それでも俺は言うしかなかった。

「俺はもう、ベースを弾きたくなくて」

「それで嘘をついたというのか!?」

 彼女の口から烈風と豪雨が噴出する。

「じゃあ正直に、弾きたくないって言えばよかったんですか?」

「何だと!?」

「俺はもう弾きたくないんじゃ!」

 声の震えを抑え言い切った。本音をぶつけたつもりだった。それが返って彼女の逆鱗に触れてしまった。

「類は友を呼ぶとはこのことだな! 雉子だけでなくお前までもがぁーッ!」

 俺はのけ反り、足を滑らし、勝手口に叩きつけられた。全身に糾弾を受けた。嵐で視界が悪くなったのに、鷽姫様の荘厳な姿ははっきりと見えた。外に出ようとドアノブをガチャガチャ捻ったがびくともしない。

「〝正直に〟だと!? 真しやかにほざこうが我は聞かぬ! 我は嘘が嫌いであると、何度口にすればよいのかぁあーッ!!」

 息が、できない。豪雨が口にも鼻にも入り込み、そして逆流する。糾弾が腹の中で暴れてそれがゴボリと外へあふれ出る。ヘドロのようなものが足元を伝い流れていく。

 鷽姫様はずんと歩み寄り、閻魔の笑顔を近づけた。

「そうやって己が意志を否定し続けてみよ!! その魂、腐って腐って腐りきり、そしてどうなるか!!」

 彼女の黒顔がそれ以上に黒く、闇となる。闇が迫る。

「おい! 聞いているのか扇ヶ谷!!」



「―――おい、オーギガヤツ。鍵をかけ忘れているぞ」

 目が覚めた。川中島が鍵をかけているところだった。汗でびっしょりしている上体を起こすと、体が硬くなっていて節々が痛んだ。

「こんなところで何を倒れているんだ?」

 不満が噴出する。

「お前のハープのせいで! 毎回ポロポロポロポロ鳴らしやがって。そのせいで勉強もろくに集中できんし! いっそ東京のおっさんとこでやらせてもらいたいくらいじゃ!」

「何度言えばハクトーさんと言えるんだ? 私の通信に文句があるのか?」

 俺は首をさすりながら立ち上がる。少し冷静を取り戻した。

「……通信?」

「そうだ」

「ハープのあれが、どことどう通信するんだ?」

「特別に見せてやろう。光栄に思え」

 もう怒っていないのか、ついて来いと言わんばかりに川中島は二階へ行く。

 川中島の部屋にそっと中に入ると、そこはきちんと片付いている自称天使の部屋。生活感のある、ごく普通の部屋。楽譜を置くスタンドに、ステレオ。レコードがラックに並び、ポスターが貼られている音楽好きの男の部屋だった。ロフトがあり、天井は斜めになっていて、天窓がついている。

 隅にはアコギのケース。その隣には純白のケース。川中島は純白のケースを開け、ハープを取り出した。脇にはさんで支えられるほどの大きさで、金色にオレンジ色が混ざったような輝かしい色をして重量感があった。

「さっきは酷い通り雨でな。やむなく通信を中断したのだ」

 川中島は慣れた様子で屋根の上に行ってしまう。

「おい、オーギガヤツ。上がって来い」

 躊躇した挙句、ロフトに上がる。丁寧に敷布団がたたまれ、傍らにはソニーのスカイセンサーがあった。

 そろりと天窓の縁に手をかけると風が髪を弄ぶ。落下の恐怖に煽られながら屋根に立つ。高ぶる心臓。

 前を向かせ、あっと出そうな声が奥へ引っ込む。視野が広がる。光線が目に飛び込み、まぶたの裏をちらりと焼かせた。雨上がりの眩い金色の空だ。一面に夕日影で金色になり、天使の梯子がいくつも降り、雲の海が流れるにつれて色を変え、うねっている。山頂に辿り着いたかのような達成感を湧かせ、恐怖も薄まっていくのを感じる。

 ここは本当に世界で一番、天国に近い場所ではないか。本当は、この家は天使が住むためにあるのではないか。だってこの家は、ぽつりと一軒だけ寂しく浮いているのだから。それに気がつけば瞬く間に孤独感に襲われた。

「どうした。初めて夕陽を見るような目をしているぞ」

 金色に瞬く髪をなびかせながら白い翼の天使は言った。空が波打つ。鼻の先端がつんと痛くなってきた。

「どうした。目が潤んでいるぞオーギガヤツ」

 心配の色を見せずにただ声をかける川中島。ハープが反射してさらに目が熱かった。

「やべぇ、わかんねぇ。やべぇ」

 我ながら情けない声を上げたものである。自分の存在が酷くちっぽけに感じてしまった。どうしようもなく自分が嫌になり、死にたくなった。ここから飛び立てば、一瞬にして天国へ行けそうな気がしたから。誰でもいい、誰かが愚かな俺を暖かな腕で優しく抱き止めてくれるような気がしたから。

 思わぬことに感傷的になり、涙がこぼれる前に袖で拭い続ける。大学生にもなって、何気なく終わるはずだったこの日に限ってどうして……。

「知っているか? それを感動というんだぞオーギガヤツ。生きている内にいろんなものを見ておけ。生きている内は自由が利く」

「天使のお前もかなり自由にしてるじゃねーか。バンド活動」

「それとこれとは話は別だ。お前じゃないハクトーさん。私は生活費と、奴らの守護のためにいるのだ」

「人間の生態調査は?」

「生態といっても、あらゆる人間たちの命や人生、神様に対する意識を統計的に調査しているのだ」

「命の意識?」

「そうだ。大勢いる中で人間を選び、守護する。そして反応を見る。オーギガヤツは魂を燃やせみたいなことを口にしたことがあるか?」

 俺は声を詰まらせながら笑った。

「あるある。そういうフレーズがあるやつ作って歌ってたもん」

「情熱も完全燃焼も、あながち嘘じゃないぞ。魂は燃えるんだオーギガヤツ。神様はそれを見ている」

 川中島は人差し指を俺の胸をトンと突く。

「本当か?」

「その燃え方が大事なんだぞ。悪いことばかりやっていると、燃えた後の魂はまるで黒ずんでいるらしいぞ。だから地獄へ行って燃やし直すんだ。だからといって、ただ悪さをしないだけじゃあ駄目だ。どれだけ豊かな人生を送ったかが重要なんだ。きれいな魂が天国へ行くから、天国はきれいなんだ。わかるかオーギガヤツ」

 ああ、よくわかる。俺は視線を落とした。努力を忘れてしまった俺の魂はろくな燃え方をしていない。俺のハートはくすんだ灰色。俺はデイドリームで(くす)ぶっているだけの、モノクロームのモッブシーンの一人。そうら、笑えばいい。馬鹿にしたらいい。

「青春だ、オーギガヤツ。別にそれは若い奴らだけのものじゃないぞ。ときめきはいつだって訪れるんだ」

「あの三人を選んだ理由もそれで?」

「トールらを見ていると、昔を思い出す」

 川中島には珍しい、柔和な笑み。この男から優しさをにじみ出させた表情を見たのは初めてだった。

「昔って?」

「私もかつてはバンドマンだった」

 ……俺はようやく気がついた。自分がどれだけ鈍感であったかということに。懐古する川中島の麗らかなことといったら。

「始めはリバプールサウンズに憧れてな、ビートルズと同じ四人構成でやっていた。まあ、なかなかうまくいかなかったが、楽しかったことの方が大きかった。実はな、オーギガヤツ。仲間の中にオーギガヤツがいたんだ」

「……へ?」

「手は器用じゃないし音痴だったからバンドメンバーじゃなかったが、いつもステージ捜しや、客集めや、チケットのもぎりをしてくれた。全く客に受けなくて集まらなかった時も、『精進だ、精進だ』って……。おいオーギガヤツ。涙もろいぞ。今度はどこに感動したんだ?」

 俺はめまいを起こし、足元がふらついた。素早く川中島が腕を取らなかったら、本当に落ちていただろう。

「ごめん……ごめん……」

 俺は座り込み、燃えるように熱い顔を隠した。川中島にとって意味不明の謝罪を並べながら。

「一体どうしたんだオーギガヤツ。訳がわからないぞ」

 川中島が背中をさすってくる。俺は思い出していた。小学一年生の時だ。親父が調子の悪くなったレコードプレーヤーを不器用な手で修理しながら、歌を口ずさんでいた。聞いたことのない歌だったし、音痴だったから余計に元が迷子だった。俺は何の歌なのか尋ねた。親父は仲間が作った歌、未完成の歌だと答えた。


 ――今は天国に住んでてな、天使たちと一緒にセッションしとるげん。


 なぜその仲間が死んだのか尋ねた。白血病だと答えた。


 ――バンドを解散した後でわかってん。シロちゃんはまだバンド続けたがってたから、父さんがベースをやってやろうって頑張って練習しとってんけど。指が言うこと聞かんくてなァ。


 親父は間に合わなかった。俺はこの話が奥底にあったからベースを弾きたいと思ったのかもしれない。親父の代わりに弾いて、天国へ届けようと思ったのかもしれない。親父がくれたあのアコベは、もしかするとそんな無念を秘めたアコベだったのではないか。買ってきただなんて、嘘ではないのか。

 頭がぐらぐらする。実家を出る時の親父の言葉を思い出す。俺は思い切り忘れ物をしていた。本当に、何をやっているんだ、俺は。

「話がだいぶそれたな。通信を見せてやるはずだった。よく聞いていろ」

 気分を変えようとしたのだろう。気持ちは嬉しかったが、俺はハッと面を上げた。

「あっちょっと待って。弾いたら俺寝ちまうぜ」

 俺の言葉を無視して、川中島は手首を利かせてハープの弦を弾いた。空が波紋のように揺れた。眠気を誘うどころか頭がすっきりして、心の奥のこんがらがったものがすっと解けていくような気がした。

 音が消えると、遠くの方から、むおーーーーん……と、船の汽笛のような、ゆったりとした重低音がぶんぶんと響いた。

「今の音、何?」

「ウナボーの返事だ」

「ウナボー?」

「そうだ。デンキソラウナギのウナボーだ。私がハープを鳴らすとああやって返事をしてくれる。元々このハープは他の天使との通信のために使うものだがな。さっき会話したばかりだから今度はウナボーに話しかけている」

「ちょい待って。色々となんか……。会話って、演奏でわかるものなん? そもそも相手までに届くん? ていうかデンキソラウナギって何?」

「質問は一つずつしろオーギガヤツ。オーギガヤツは会話とはいろんな単語を口でしゃべるものだと思っているんだろう? 馬鹿め。モールス信号はツーとトンだけで会話が成立するぞ」

 音階の組み合わせで単語を並べているのだろう。いちいち馬鹿って言うんじゃない。

「このハープは天国産だ。障害物がないほどよーく聞こえる」

「さっきはどんな会話してたん?」

「次の便器の柄はどんなものがいいかとか、新曲の歌詞の出来栄えを聞いてもらっていた」

「めちゃくちゃプライベートだな」

 もっと聖なる……いや、それは単なる人間の願望に過ぎない。

「デンキソラウナギは元々地球外生命体で、宇宙人が連れ込んだのがそのまま自然繁殖してしまったとハナミドーが言っていたぞ」

「ええっ、それってあれなん? ブラックバスが琵琶湖で増殖しちゃったみたいなやつなん?」

 宇宙規模になっても、起こることは地球と変わらないらしい。

「デンキソラウナギは敏感で、飛行機が来てもすぐ逃げるから事故を起こすことはないらしいぞ。銀河団が捕獲して元の星に戻し続けて、今は二十匹もいないと言っていた」

「花御堂らってそんなことしとるがん?」

「地球で繁殖した宇宙生物の保護観察。無断な宇宙生物の持ち込みや、地球生物を乱獲する宇宙人の摘発をやっているらしいぞ」

「へぇー! 例えば街中を暴れ回る怪獣を倒すとかじゃないんか」

「そういうのはまた別の組織らしいぞ。ちなみに言うとだな、ニホンオオカミの絶滅も宇宙人の乱獲が一つの原因らしいぞ」

「えっマジで!?」

 とんでもないことを聞いてしまったぞ。

 むおーーーーん……と、ウナボーが唸っている。川中島はまたハープを鳴らした。

「ウナギって鳴くんだな。ペット?」

「話し相手だ。何言ってるか全然わからんがな。時々雲から出てきてこっちに来てくれるぞ。奴は眉間をなでられるのが好きだ。安心しろ。悪さをしなければビリビリしない」

「ウナギに眉間ってあるのか?」

「ウナボーにはあるぞ。すべすべしている。手を洗わないと生臭いぞ」

 俺は失笑した。川中島はもう一度ハープを鳴らす。

「何で俺、眠くならないんかな?」

「これくらいの単純な音なら平気だろう。要するにお前は癒し音楽に弱い。もし誰もが聞いた途端眠くなるというなら、ハナミドーが事故死する」

「うわ! 変なこと言うなよ!」

「あっははは」

 川中島は軽快に笑った。



 川中島は路上ライブに出かけた。日は沈み、俺は段ボールのガムテープを勢いよくはがし、印を解いた。

 ラッキーカラーは赤。

 赤き光沢と、この手触り。重さ。感覚。俺のアコベ。これを譲ってくれた時を、親父の表情を思い出せ。

 俺の人生。俺の人生だ。無駄に使うな。変な意地を張る意味なんてどこにあるというのか。扇ヶ谷家の子ならわかっているだろう?

 ……弦を弾く。胸が震えあがる。


  架空の話をしよう 天地が一つの紙切れならば

  破るも捨てるも可能 飛行機作って飛ばすのもいいね


 唇が震えた。俺はあの歌をたどたどしくも口ずさむ。


  チャンスいつまでもそこに止まっていてくれるなんて

  ありえない 花の香りは消える

  何すればいいか 考え始めた者が勝ちさ

  行こうぜ きっとやって来んだ 果てないフラグが


 俺はにやりと笑った。


  ゆめゆめ本気出して建てろ空中楼閣

  必ず明日の夜空と君を独り占め!

  手加減はせず 遠慮もせず 光れ俺の魂

  扉開ければ次のステージ


「扉開ければ……」

 思い立って、駆け降りる。正面玄関を開放させる。

「明日の夜空……」

 音が星空へ弾き飛ぶ。


  諦める前にイロハだろ(何かしたいか考えている)


 振り向くと仙人が、あの老ベーシストの姿となって構えていた。にこりと彼はうなづいて隣に立ち、ワン・ツー、とベースを指で叩いた。


  さじを投げただけならいいだろ(また拾うなら問題ないよ)

  やる気はこれからの場面だろ(今から築くよ俺の世界)

  笑った奴らに言ってやる

  桃源郷見ろよ!


 セッションをする。どこからが幻想で、どこまでが妄想なのか、境目が曖昧になっていく。

 もっと。もっとだ。

 無限の音が一体化する。頭がしびれる。快感が指先からほとばしる。


  寝ても覚めても一度きりの人生RPG

  歌えや踊れや あれは難攻不落の(やぐら)

  情熱をこめて 奥義を決めていくぜ俺の魂

  遠く広く闇を照らしたい


  夢幻(ゆめまぼろし)か開錠した空中楼閣

  指図はすんな! 輝かしい朝日を手に入れて

  立ち止まらず 振り返りもせず燃やせ俺の魂

  赤く青く闇を照らして


  赤く青く熱く燃やして!


 渾身の思いを込め、およそ六年間共に青春を生きた相棒を弾き続けた。何も恥じることはないのだ。音楽はいつだって真剣で、歌はいつだって前を向いて歌うものだ。そして俺はその歌を隣で支える。そうしていたい。

 俺は気負い立ち、大きなスポットライト、月に向かって指差した。

「見てろ天国! 見てろ神々! 俺はやるげんぞ! やればできる奴だぜ俺は! 魔女っ子メグちゃんでもキューティーハニーでもクリィミーマミでも何でも! やれと言われればいくらでも冷めるまで弾いてやるわいや! 言っておくけど俺はそこらの素人よかできる奴ねんから! 宣言してやんぜぇー!」

 決壊して、溜まりに溜まっていた濁りを押し流す。周りに染められて抑えられていたものが、忘れていたものが一気に溢れる。指を痛めてる? 冗談じゃない!

「情熱だよ情熱! 俺は! 情熱だーーーーっ!! 努力と情熱ゥーーーーっ!!」

 一人なことをいいことに、まだまだ胸の内から声が出てとどまることを知らない。

「好きだぁーーーーっ!! 松旭ぁーーーーっ!! 無愛想なとことかぁ、顔赤くするとことかぁーーーー!! うなじもエロいんじゃあーーーーっ!!」

 バイオレットスワンの明かりが見えてくるまで、俺はわーわー叫び狂いながら、「ひーびしょーじん! ひーびしょーじん!」と相棒を弾き狂っていた。ヨハネス店長の変な歌もアレンジして歌った。もう手放してやるものかと、そう思った。

 

 その夜から、俺の目に見えない仙人は俺にも見えなくなった。


 ◇◇◇


 俺はえんじぇるすに協力することにした。今更何だみたいな怪訝な顔をされるか不安だったが、トールたちは快く招き入れてくれた。彼らの器のでかさには感謝したい。

 そこでサンシンが、元々は俺の代理のつもりだったとか言ってあっさり抜けようとしたので、俺が一番に止めた。

「なんかオギ、ノリノリだな。中学から見てきたけど、いきいきしてるよ」

 サンシンのセリフに俺はにやりと笑った。


 俺の変化に戸惑いを見せたのは、誰よりも松先輩の方だった。

「松先輩好きです。好きになりました」

 部室に入るや、彼女に告げた。江井先輩も美池先輩もいたが気にしなかった。二人は小声で飛び跳ねている。

「え、えっ? え、ど、ど?」

 案の定、松先輩は動揺した。水晶玉を落としそうになったのを俺は支え、距離が狭まり、彼女は強張った。江井先輩は「愛は周りを見えなくする魔術よね」と酔っている。

「お、おお、あのっ。あのあのあの」

「やっと言えたんで、正式に付き合ってもいいんスよね? 大丈夫なんスよね?」

「え、で、で、でっ」

 他人から見れば引くだろう決然たる俺の押しに、松先輩は目を白黒させる。言葉にならない声を出し、落ち着きを取り戻そうと深呼吸を何度も何度も繰り返し、やっとのことで。

「はい」

「きゃーっ!」

「公式カップルですよぉ!」

 江井先輩と美池先輩が祝福してくれた。松先輩は桃色の顔で呆然としている。

「オギ……。一体どうしたっていうの? いつもと目が違うわ。オーラも違うもの。輝いている」

「はい。昔の俺に戻りました。なんか今、絶好調です。川中島のおかげです」

「ハクトーさんの?」

「はい。俺どうかしてたみたいなんで。呪いが解けました。川蝉祭のステージ、俺もえんじぇるすに参加します。俺のベース聞いてください」

 熱意に圧倒したか、松先輩は目を真ん丸にしてウンウンと小刻みにうなずいた。


 ◇◇◇


 川蝉祭は秋にある。早いところでは計画を練り始め、実行委員会に許可をもらおうと動いている。俺とサンシンも許可の申請書にその旨を書き、提出した。代表はもちろん俺たち二人である。

 ところが、実行委員会の野郎は俺たちの申請書を蹴った。俺たちは実行委員会が使っている教室に乗り込み抗議した。

「だって泰大はコンサートホールでも宣伝する場所でもないし」

 実行委員会一年生男子代表のジョンス。こいつのせいで俺たちはステージに立つ許可をもらえないでいる。

「別に他校の文化祭の宣伝くらい、いいんじゃね? トミサト」

「トミリです」

 サンシンの言ったあだ名にすかさず訂正するジョンス。

「泰京産業大学だっけ? まだそこの日程が決まってないらしいし、かぶったらどうするんだ? 僕らにとっても、そのバンドにとっても困るじゃないか」

「それは問題ないよ。トールさんらの友だちも実行委員会でそこらへんの情報は掴み済みだ」

 サンシンの言葉にはジョンスは動じなかった。

「大体、何を歌うの?」

「魔女っ子メグちゃん」

「馬鹿でしょ?」

「お前メグちゃん馬鹿にすんなよ! シャランラーすっぞ!」

 おいおい、サンシン。怒るポイントがずれているぞ。

「僕は一応そのアニメ知ってるからいいけど。知らない人が聞いたらどう思う? 色々勘違いして引かれる。逆に知っている人が聞いても、何でこの曲をチョイスしたのかって頭の中ハテナ。恥。女性が歌うか、のど自慢で歌ってくれた方がまだ楽しいよ」

 サンシンの顔は険しい。男子よりも少し早く大人に成長した女子の気持ちを形にしたような曲だとこいつは言っていた。良曲なのだ。

「ていうかな。お前んとこの宇宙人研究会はどうなん? ニーズあるんか?」

 俺は反撃する。こいつらは川蝉祭でも宇宙人の呼び込みをするらしい。実に馬鹿げているではないか。

「失礼な。あれは癒し効果があるんだ。気分をリラックスさせてあげようとしてんの。気持ちを入れ替えたところで次の出し物に行く。意味はあるでしょ?」

 説得力は、あるようにも聞こえ、ない。ない。

「ところで君らまだあそこでバイトしてるでしょ。宇宙喫茶☆銀河団」

「だから何や」

「あそこって宇宙人いる?」

「いっ?」

 流れをぶった切った質問に引きつった声が出た。空を飛んでいる家のことは口が裂けても言えないが、リアル宇宙人のことは簡単に明かせる。危ない危ない。

「特にあのタコみたいな奴。今までいろんなSF映画とかドラマとか見てきたけど、あれが一番リアルな触手。本物みたいだ」

 真相を言うがいい。宇宙喫茶で撮影機材は使えない。それでも科学者や宇宙人信者やアンチが真偽を確かめようと押し寄せては銀河団に多大な迷惑をかけること請け合い。拠点を変えることになるかもしれない。俺もアルバイトどころではなくなるし、松先輩とのささやかな時間が奪われる。それが問題だ。

「着ぐるみだよ、着ぐるみ」

「動きが尋常じゃない」

「中にリアルに動くように機械が入ってるんだ。そりゃあもうたくさんの関節というか骨組みというか。ほらオタクになるとコスプレとか特殊メイクとか目が肥えてくんじゃん。それでよりリアルさを追求してああなんだ。店長さんなんて何時間もかけてキャッツに変装してんだぜ? それくらいあの店に賭けてんだよ」

「じゃあどうやって撮影不可能になっていると? ケータイだって、圏外だけならまだしも写メすら起動しない」

「機材の電磁波が強すぎるんじゃね?」

「なるほどね……」

 ジョンスは腑に落ちていない様子で、妙に深刻そうな目つきで、どこか追い詰められているようにも取れた。俺は隣に流し目。サンシンは俯いている。落ち込んでいるのかと思いきや、おお、真剣な顔つきじゃないか。

「エグザイルにはパフォーマーがいる」

 ぽつりと言ったかと思えば、サンシンは満面の笑みで俺の肩を掴んだ。

「俺メチャクチャいいこと思いついた! 知ってっか? プリンセス天功は昔手品しながら歌ってたんだぜ? 松先輩にノンちゃんのコスプレさせてパフォーマーやらせよう! そんでコーラスね! コーラスの話あったし!」

 つまり魔術を彼女にやらせようと。これでは何がメインだかわからない。ノンちゃんとは魔女っ子メグちゃんの登場人物だろう。よくもまあ思いつく。

「お、おお。ナイスアイデアだ」

 松先輩がこれを承諾してくれるかいささか不明で、どちらかといえば嫌がりそうな気がしたが、今これを否定したら話が進まなくなるので、ひとまず賛成の意を見せた。

「だろ? なんかノリノリになってきたな! 申請書を書き直してくっから、待ってなトミー!」

 サンシンは颯爽と駆け、俺も後を追った。後ろで「誰がトミーだ」とジョンスが言った。


「い……嫌だ」

 部室でことの経緯を説明した後の松先輩の第一声がそれだ。あからさまに怯えていた。

「私、学校でそんな知ってる人の前でやったこと、ない」

 泰大で彼女の信頼できる仲間といえばせいぜい江井先輩と美池先輩、サンシン、そして俺ぐらいだ。暗くて変人という印象が根付いている彼女だ。誤解されている面もある。それは彼女が一番認めている。

「だったらあたしたちがやろうか? まだ魔術愛好会はエントリーしてないから」

「旭さんほどじゃないけど、二人でやれば結構いいのできるから。部員募集のためにもやらせてほしいな。あたしはサリーちゃんになる!」

 パフォーマーとして名乗りを上げた美池先輩と江井先輩。今年の新入部員は未だに俺一人だけという、愛好会存続の危機。宇宙人研究会の方が怪しいくせに、あちらの方が多い部員数という実情。同じミステリアスでもニーズはあるのか、それとも勧誘の仕方がうまかったのか。おそらく後者だろう。

 松先輩は積極的な後輩二人を妬ましく見ていた。

「いや是非! 是非お願いします! これでトミーも文句言えねーよ!」

 サンシンは子どものように喜んだ。


「それじゃあ先に失礼します」

「お疲れ様でした! オギくん! よろしくね」

 サークル活動後、江井先輩と美池先輩が退室し、その際に江井先輩が俺にウィンクした。それが何を意味しているかよく理解した。松先輩はずっと水晶玉を拭いている。顔は横髪で隠れている。ここは俺が何とかしなければ。ちょいとばかり怖いけれど。

「先輩?」

 のぞき込むようにして彼女の顔をうかがった。そっぽを向かれ、ショックだった。その背中はとてもか弱い。

「先輩。怒ってるなら謝りますよ」

「怒ってない。今の自分が、悲しいの……」

 押し殺した声。うなだれる先輩。

「私、暗いでしょう? 昔から一人で。友だちいなくて」

「うん」

「一人できたけど駄目になって」

「うん」

「だからたくさん本を読んで。魔法使いになりたくて」

「うん」

「いろんなおまじないを試して。そしたら、たくさん。友だち百人くらいできるかなって、思って。そしたらね」

 鼻をすする音。震える背中。彼女はくしゃくしゃの顔で振り向いた。

「うう、気持ち悪いって言われちゃったぁ……!」

 俺は水晶玉をキャッチし損ねた。ごつりと水晶玉は床に落ち、ごろりと転がった。松先輩は構わず俺の両腕を激しく掴む。

「その人この大学にいるの! 小学校以来だけど見てすぐわかったの!」

「その人は、先輩のこと気づいてるんスか?」

「わからない! わからないけど私、変わらない! 嫌なの! 私また、いじめられたくない! いじめられたくないよぉ! ううう……っ!」

 羞恥心ではなく時が止まったままの恐怖心から怯えていた。俺はむせび入る彼女を抱き寄せ、初デートの帰りの話を思い出す。サンシンの奴め、トラウマを引き出しやがって。しかし奴を責める訳にもいかないし、悶々とした。

「先輩。また変な目で見られたくないからステージに立ちたくないんですよね?」

 うなずく先輩。

「でも先輩は大会にだって出られるし。俺にだって、頑張ってここに勧誘してきたじゃないですか。ね?」

「うん」

「それくらい先輩は勇気を出せるってことじゃないですか。いじめに負けずに魔術やってる先輩はたくましいですよ。俺なんか簡単にベースをポイしたんですから。先輩はすごく魅力的ですよ。オーラがあって」

「どうせ、暗いオーラが」

「最初はね。でもだんだんと、見えてますよ。すっごく綺麗なのが」

「そんなこと」

「自分では見えてないだけですよ。小学生の時とはいえね、それに気づかなかったそいつは見る目がないですね」

 男子だったとして、いじめは好意の裏返しだったということもあり得たが、どちらにせよ非道極まりないし、無駄に嫉妬しそうだったから考えるのはやめた。

 一方で松先輩は俺の背中に手を回してしがみついたもんだから驚いた。彼女の体温が俺の体温に足されていき、逆に俺の体が熱くなっていることがばれやしないかドキドキした。

「ありがとう……」

 その一言で俺の熱がすっと安定し、余裕もできたのでどうしたものか考える。彼女の実力はプロ並み。これを勧誘に使わないでどうするというのだろう。けれどもステージに立つかどうかは彼女の意思だ。おまじないでも何でもいい。自信をつける方法はないものか。

 ……ああ、そうだ。俺は抱き締める力を強め、彼女の耳元に口を近づけた。

「先輩。魔法使いに会いたくないですか?」

「へ?」

「俺、知ってますよ。リアル魔法使い」



「……営業してる?」

「節約ですよ、電気の」

「なんだか、ごちゃごちゃしてる」

「まあ、そうっスね」

 今では(いかり)、ヤシの木、サーフボード、船首像……と、おっさん曰く南国風になっている。

 松先輩は「カエル」と窓辺の置物を見て口元が緩ませる。俺はおっさんがきちんと対応してくれることを祈った。

「こんにちはー」

「ああ、扇ヶ谷様! 彼女さんですか?」

 電気がつき、現れるおっさん。エアコンがついていて快適だ。松先輩は「松旭です」と硬くお辞儀をする。

「ああ、松旭さん! 白桃様からうかがっていますよ! どうぞ腰かけて。扇ヶ谷様はレモンティーでいいですよね? 松さんはアイスコーヒーかアイスティーどちらがいいですか? もちろんホットもありますよ」

「あ、アイスティー」

「ふふふん」

 先輩はおっさんの様子を凝視していた。オーラを確かめているのだろう。

「あ、雉子はどうしてるんスか?」

「雉子さんなら奥で刺繍してます。宮子(みやこ)さんに教えてもらったんだって」

 宮子さんとはおっさんの姪に当たる人で、あの田舎の小さな郵便局に勤めているという。

「娘さんですか?」

 松先輩の台詞に俺とおっさんは失笑した。

「いえいえ。雉子さんは男ですよ」

「あ、苗字か……」

「いえいえ。名前ですよ」

「小野妹子か……」

 川中島と同じことを言うんだな。

五十彦(いそひこ)さん、ぼくのことを話してます?」

 雉子が暖簾の向こうから声をかけた。顔を出す気はないらしく、嘴が当たって暖簾が揺れるだけ。松先輩は怪訝そうに彼の脚を見ている。まるで恐竜のような、立派な鳥の足だ。

「扇ヶ谷様と彼女さんがおいでなんです」

「彼女さん? ああ、恋仲の方がいたんだね。それもそうだ、扇ヶ谷君はいい人だもの」

 隙間からちらつかせる目玉に、松先輩はぎょっとした。

「わぁ、素敵滅法。うまく刺繍ができるようになったらおそろいをあげなくちゃね」

 そう言うと雉子は奥へ引っ込んだ。松先輩は一体何者だったのかという具合に悩ましている。俺は話を切り出した。

「おっさん。深刻な悩みがあるんですけど、相談に乗ってくれないですか?」

「悩み? ええ! 構いませんよ。どうぞどうぞ」

 おっさんは向き合った。

「松先輩にはトラウマがあります」

「彼女さんに?」

 不安混じりの視線を横から浴びながら話を続けた。

「松先輩は昔から暗くて人を寄せつけないってことがコンプレックスなんです。それで小さい頃おまじないを試したけど気持ち悪がられたって。でも先輩は今でも魔術愛好会にいます。俺も彼女に誘われて入ってます。俺はせいぜい簡単なトランプマジックしかできないけども」

「ほう」

 おっさんは興味深そうに目を開かせる。

「はい。それで、トラウマの相手が泰大にいるらしくて。そいつが気になって川蝉祭のステージに立てないんです。どうすれば勇気が出るか、悩んでるんです」

「勇気ですか」

 おっさんは松先輩を見る。

「勇気がほしいです」

 先輩はおっさんを見つめ返した。

「勇気をください。東京さん」

「はい。いいですよ」

 いともあっさりと。俺は拍子抜けする。

「だ、大丈夫なんスか?」

「大丈夫大丈夫。松さんは今までにどんなおまじないをしてきたのかな? 例えば次の日が晴れるおまじないとか」

 それはテルテル坊主じゃないか。

「小学生の時に友だちができるおまじないと。受験する時とか大会に出る時に成功できるおまじないと。それから……、好きな人に声をかけられるおまじない……」

 じわじわと松先輩の耳が赤くなる。俺も小恥ずかしい。

「でも友だちが戻ってくるのは効かなかった。全然駄目だった」

 おっさんはキューピーの微笑みで重い空気を受け止める。

「だんだん実力がついたんですよ。今じゃあ隣に扇ヶ谷様がいますからね。うふふふ、なかなか手慣れてるよ? うっふふ」

 ますます先輩は赤くなり俯いた。するとおっさんはおもむろに右人差し指を彼女の額に当てた。

「チンユーシュツ、ゴウユーシュツ。キユーキューイン」

 指を離すおっさん。松先輩は呆然と面を上げた。

「今のは……、呪文?」

「うっふふ。これ勇気が出るおまじない。無駄な心配を頭から取っ払っちゃうおまじない。いつでも思い出して言ってごらん。心を込めて紙に書いて持っておくっていうのもあるよ」

「チンユーシュツ、ゴウユーシュツ。キユーキューイン」

「そう。ささ、どうぞ」

 俺と松先輩は顔を見合わせ、汗をかいたグラスに手を伸ばす。おっさんが出す飲み物は格別に落ちつく。先輩はもう一度、勇気が出る呪文を唱えてからグラスに口をつけた。

「おいしい」

「お庭で育てているチッチュの実とガラの実を干したやつをダージリンに混ぜてるの。微妙に酸味が効いてて、時々ザクロみたいな甘味が来るでしょ? 体はスーッとするんだけど、心はぽっかぽかになるの」

「うん。肩の方から緊張が抜ける感じがする。それで陽だまりにいるような、暖かい気持ち」

 彼女の表情が和らぐ。

「おまじないも合わせて二倍の効果だよ。松さんってすごく才能にあふれてる。あとはそれをグッと中から引っ張り出すだけ。繊細でね、壊れやすいから、それを扇ヶ谷様がそっと優しく支えてくれるよ。ね?」

 おっさんは俺に微笑みかける。

「大切な人がいるといないとじゃあ、力の入れようが違うもの」

 努力を見守ってくれる相手、認めてくれる相手がいるとより励みになる。直接的にでなくてもいい。俺は先輩の力になり、精進を評価したい。疲れ果てた時には俺が背もたれになって受け止めてあげるのだ。

「先輩。もう一つ、見てほしいものがあるんです」


 松先輩を家に招き入れた。川中島も花御堂もいなかった。共同住宅とはいえ彼氏の住む家。しかし呪文のおかげなのかどうなのか、松先輩は平然と「お邪魔します」と言って靴を脱ぐ。

「広い」

 彼女はぐるりと見渡す。

「あの大きな扉は何?」

「見てほしいものっスよ」

 手招きして、扉を開けた。先輩の髪が舞った。瞳が空色に光る。彼女は一歩ずつ前へ進み、中と外の間で立ち止まる。青空独特の眩しさが押し寄せる。

「オギ……」

 信じられない、とその表情が言う。アプローチ、屋根と視線を移し、それから俺に向けて発した言葉は。

「オギ! 空だわ! 家が空をトンビ!」

 ハッと両手で口を覆った。

「家がトンビ! 家がトン……!」

 必死で言おうとしている姿が可笑しくて。彼女はそれでなぜ言えないのか理解して、クスクス笑い出した。

「すごいわ! この家は地上と空とでツナ缶なのね!」

「そう! 勝手口は地上のビル。正面玄関は空にツナ缶なんス! ずっと家は空に有為転変なんスよ!」

「じゃあFってフライのFなのね?」

「さぁ? 多分!」

「ウフ、アハハ! 有為転変! オギの住む家は空にウイーン少年合唱団!」

 勝手に似て非なる単語に変換される。可笑しくてたまらなかった。あんなに毒々しかったシアンが愛しく感じる。入道雲を背にして無邪気に笑い声を上げる松先輩は特に光り輝いていた。魂が輝いているのだ。

 川中島。これが青春なんだよな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ