十、親父と会う
十、親父と会う
魔術愛好会の協力により、ジョンスは渋々ながらも俺たちがステージに立つことを了承してくれた。
正式に許可が下りたということで、俺は何ヶ月ものブランクを埋めるためにアコベを弾いて弾いて弾きまくる日々を本格的に迎えた。爆発した肉体的欲求不満を解消させるかのような、愛撫とは言い難い狂熱のスラップは健在していた。いや、これよりさらに進化せねばなるまい。
えんじぇるすとのセッションも順調。初めて彼らの前で腕前を披露した時は小学生の学芸会並みの緊張を抱えたものの、弾き始めるや浮かんだ感心の色と吐息に安堵と並んで得意な気分にさせられた。だてにそこらの奴よりもうまいと豪語しただけのことはあるだろう?
川中島も「なかなかだな」と褒めてくれた。単純に嬉しかった。宇宙喫茶にもアコベを持っていき、アルバイトの休憩時間には、店の裏でサンシンと練習した。
演目は二曲。曲に合わせてどんな魔術を披露するか、どのようにパフォーマンスをするか計画を練りに練った。
一曲目は松先輩指導による江井先輩の『魔法使いサリー』。箒を自由自在に操り、最後は実際に乗って飛んでみせるというものだ。高校時代はバトントワリング部で全国にも行ったことがあるという彼女のテクニックをまざまざと見せつけられた。
二曲目が松先輩の『魔女っ子メグちゃん』。瞬間移動と変身の連続という混合魔術に決めた。美池先輩が『メグちゃん』に扮し魔法対決を演出させる。ツカサが魔法を表現した効果音をバンド演奏の合間に組み込むことになり、テンポとタイミングは俺たちと幾度となく相談した。決められた手順がある魔術に合わせるのに、ストップウォッチは随分と役立った。
試しに一度、松先輩はヨハネス店長のメイクとアクベンスさんが用意した衣装で『ノンちゃん』に変身した。宇宙喫茶の面々に好評で、花御堂に至っては胸を押さえて明後日の方向を見ていた。
「オーギガヤツ君は幸運な男です。宇宙一とは言いませんけどね、大袈裟なんで。それだのに羨ましいですよ、はい。初めて彼女に会った時から素質があると思っていました。この星に来て本当に良かった。まことにありがとうございました」
などと並べ立てる始末。そしてその日の内にノンちゃんに酷似した美女が街中に出没したと噂になったとかならなかったとか……。
トールは塾講師、タケはお好み焼屋、ツカサはレンタルビデオ店と、アルバイトのシフトを見繕っても他のアルバイターのばっくれなど何かとトラブルはあり、合同練習する回数は少なかった。その代わり全員が録音テープを持って各自パートの確認に抜かりなかった。特にサンシンは夏休み入ってからは水族館のアルバイトもかけもちし、ボーリング同好会の食事会やら多忙の中で頑張っていた。
トールは「気張らんと気軽にいこうや」と爽やかに呼びかけていたが、えんじぇるすのイメージそして宣伝に繋がるからと、サンシンはトールと合った歌い方を研究していた。トールは元水泳部で肺活量があり、歌も息継ぎするまでが長い。息継ぎする前は必ずと言っていいほどフォール(本来の音程から自然に下げていくテクニック)が出る。それから曲のテンポが遅いほど、特にバラードとなればしゃくり(本来の音程より低めの音から入るテクニック)が出る。フォールとしゃくりは頻繁に対し、ビブラートやこぶしはあまり出さない。比較的はっきりと歌うのが彼の特徴であり、癖だ。その癖を考慮して、トールの書いた詞を川中島が添削し、ツカサはメロディー、タケがアレンジを考えているというから素晴らしい。
とまあこのような具合に、えんじぇるすの川蝉祭参加計画は順調に進んでいたのである。
◇◇◇
ある晩。川中島と花御堂とで冷やし中華を食していた夜のことである。
「出張サービス?」
「ええ、検討中です。ちゃんと皆さんのステージの様子をカメラで押さえますよ」
店長が松先輩の晴れ舞台を見たいという発言をきっかけに、どうせなら川蝉祭に参加しようという話になったというのである。
「いいがん? 撮影されちまうぜ?」
「問題ないメンバーで構成するようですし。僕には地球人なりきりキットがありますし。銀河団の名前は出しません」
「じゃあエキゾチックホールドさんは来ないんだな」
「そういうことになりますかね。彼は自重するでしょう」
彼にも欧米系の肥満体に見えるキットはあるようなのだが、肌身に合わないらしい。
俺の携帯電話が鳴る。画面には『自宅』とあり、会話を中断して台所まで移動した。
「……うん何?」
「何じゃないよう。もう夏休みに入っとるねんよね? いつこっち帰んね?」
母さんだ。俺は嘆息を漏らす。練習に気を取られて忘れていた。
「まぁ、お盆には」
「親か?」
川中島の問いに、最後に見た時の親父の顔が脳裏に浮かぶ。
「親父は?」
俺は探りを入れる。
「今日はお泊り。それよりあんた、共同住宅ねんろ? 問題ないん?」
「ないない」
「勉強はどう? 単位落としとらんね?」
「今んとこは」
「帰って来る時は連絡頂戴ね。夏バテには気をつけまっしね。ほいだら。切るよ」
一方的に電話が切れた。
「実家帰るんですか?」
「花御堂こそ自分の星に帰らんの?」
俺は座り箸を持つ。
「そんな予定はないですね。ハクトーさんは天国に戻るとかないんですか?」
お盆といえば霊を送迎する行事。川中島は天使だから該当しないと思うが。
「そういうのはない」
「思い出の土地に行くとかは?」
俺は言った。
「社会見学しに行ってもいいとは言われている」
「例えば昔の知り合いに会いに行ってもいいがん?」
「そうだ。ただし相手は私が誰だかわからんぞ。顔が違うからな」
「え、どういうことなん?」
「オーギガヤツは常に幽霊は死んだ時の状態でいると思っているのか? 馬鹿め。肉体は魂の入れ物だ。オーギガヤツは鏡も何もない状態で自分の顔をはっきりと想像できるか?」
「いや……」
それなりに美化してしまうだろう。もはや馬鹿呼ばわりされるのは慣れてしまった。
「悪いことをしていると自然に人相も悪くなる。魂も形が変わるんだオーギガヤツ。長いこと肉体に入っていたことでしばらくはその形のままだが、解放されることで次第に変わるんだ。私も天使の体になった時にはこんな感じだ。ロン毛がいかしているだろう? タカミーも羨ましがるだろう」
タカミーはさておき川中島の話は興味深かった。肉体は親が作り、人格も遺伝と環境で形成されていく。そうやって外から来た柔軟な魂は型にはめられ固まっていく。だから悪いことをすればその魂は黒ずむのだ……。
「なあ。どこでもいいん?」
「大ファンだったアイドルに会って抱きしめたいとか、性的なものとかじゃなければな。それから何かにつけて復讐するなどもってのほかだ。私は落ちぶれ天使になりたくない」
俺は身を乗り出すようにして、川中島を真剣に見据えた。
「同じ屋根の下で生活する仲としてだな、一緒に実家に来んけ? ギター持って」
実は日を重ねるごとに濃く抱いていたことであった。親父に会ってもらいたかった。川中島の姿は生前のものとは違うのはわかった。一方的な再会でも構わない。独りよがりかもしれない。それでも何か一言、親父に言葉をかけてほしい。そう思っていたのだ。
「オーギガヤツの実家にか?」
川中島は特に変わった反応を示さなかったように見える。まさか俺が〝オーギガヤツ〟の息子であることに気づいてない訳がない。俺の顔は親父にそっくりなのだから……。
「いいだろう」
川中島は冷やし中華にトッピングされているおっさんが栽培したキュウリを食べた。
「交通費はオーギガヤツ持ちだぞ」
俺は声を詰まらせた。
「どうして僕は誘わないんですかね? 『オギ。私、嫉妬しちゃうわ』」
「うわっ、先輩の声真似はやめい! いや嬉しいけど! いや良くない!」
「リクエスト承りますよ。少女マンガに出てくるような歯痒いセリフでも、エロゲーに出てくるようなエロいセリフでも、心をこめて」
「その顔で言われても困りますけどね!」
「目をつむればいいでしょうに。日本語って本当に素晴らしい! 我々にはない着眼点、発想力、表現力。どんどんボキャブラリーが増えていきますよー!」
「変な日本語ばかり覚えられても困るってば……」
「その通りです!」
俺に指をさす花御堂。興奮気味に鼻腔を膨らませ、目をぎらつかせる。
「言葉は生き物です。進化していくものあれば滅びるものあり。言葉狩りとはよく言ったものですね。何のためにその言葉が誕生したのか由来をよく理解せぬまま表面上の意味だけをやたら拾い上げ発言者共々つるし上げにする。そう、その表現は変だという理由で。表現が変だとその対象も変だということになるからです」
顔面の細孔一つ一つから粘液の粒を浮き出させた。粒はやがて固まりアラザンのようになって転げ落ちることになる。本当にアラザンのように甘い匂いがするので道端でそれを見つけても拾い食いはしない方がいい。
「しかし生き物というのは生き残るために進化していくものですからね。狩れば狩るほど代わりとなる言葉が発生するだけです。それがスラングですね。差別だ規制だと声を荒げる者ほど、対象を守るために言葉を狩っているように見えて実はより下品で暴力的な表現を考えさせるチャンスを与えてしまっているのです。狩られた言葉を知らない若者たちは表現の機会を制約され抑圧され、爆発の時を待っている状態と言えましょう。日本人という地球の民族は常に――」
話が飛躍しすぎている。川中島は興味深げにうなずいているし、アラザンがスープの中に落ち始めるし、止めるタイミングを探さないと……。
◇◇◇
特急ターミガンのドアが開き、乗客の視線は天使の恰好をした男に集中する。
「その翼どうにかならんの? 取り外しできるげんろ?」
「人前で外してたまるか」
こだわり続ける川中島であるが、かなり座りにくそうで片方の翼が通路側の席の俺の横腹をくすぐってくる。
「すげー邪魔なんスけど」
改札口では引っかかるしサラリーマンらしき男にはぶつかるし。切符の確認に来る車掌も車内販売員も、そろって冷静を装っているのが見て取れた。普段から変な客はいるのだろう。
川中島は二個入りの天むすを俺に注文し、俺はついでに紅鮭の弁当とミニペットボトルの緑茶を二本買った。早めの昼食を取ることにする。
およそ二時間後、普通電車に乗り換える。向かい側からの視線が痛い。しばらくすると好奇心旺盛な女児が川中島に近寄り、ませた態度で声をかけてきた。
「おじさんはオタクなの?」
「私はおじさんでもオタクでもない」
「コスプレ着てんじゃん!」
「コスプレではない。仕事着だ」
「しごとぎ?」
「私は天使だからな」
「じゃあ飛んでみせてよ」
「私が電車に乗っている理由がわかるか? 翼があれば交通費もいらないだろうと嫌味を言われないためだ。ここで飛んでみろ、この大きな翼がお前の頭をはたくことになる」
「交通費は俺が払ってんの。天使はお金なくて貧乏だからねー」
俺が満面の笑みを作って女児に皮肉った。本当のことだから川中島は言い返さず、代わりに喉仏が上下に揺れた。
移動時間は淡々と過ぎ、懐かしい風景が流れてきた。入道雲が大きく感じる。両手を広げて歓迎しているように見えた。
「海だぞオーギガヤツ」
「わかってるよ。見慣れてんだから」
「青いぞオーギガヤツ」
「初めてなん? 海」
「そうだ」
川中島は窓にへばりつくようにして海を眺めた。
電車から降りたのは俺たちだけだった。木造の小さな駅舎にいたのは幼少から馴染みのある中年駅長の海松さん一人と、俺が高校生だった頃には既に居ついていた黒ぶちの猫。野良で海松さんは勝手にノンちゃんと呼んでいる。毎日のようにベンチのど真ん中を陣取るので専用のクッションが置かれている。ノンちゃんといえば松先輩が浮かぶ。無愛想な顔つきと眼光がそっくりである。
「おー、尚仁くんおかえり」
海松さんは柔和に迎えてくれたが、川中島を見ると凝り固まった上目遣いで会釈をする。
「俺の同居人です」
「はあ、楽しそうやねえ」
駅長は困惑を崩せないまま笑い、ノンちゃんは天使に一瞥をくれてから眠たげに頭をクッションにうずめる。
「そっちは興味なさそうっスね」
「敵じゃあねえがやろうって思ったんやろうね」
「まあ、不審者じゃないんで安心してくださいよ」
「精進家がそういうなら間違いねえさなあ」
「む。オーギガヤツの苗字は精進ではないぞ」
川中島の指摘に海松さんはきょとんとしてから破顔一笑。
「あだ名みてえなもんさあ」
扇ヶ谷家はこの一帯では名が知られている。亡き曾祖父尚仁によれば武家の一族で、我が家は分家に当たるらしい。本家の方は室町時代に滅ぼされていて、我が先祖はこっそりこの土地に移り住んで事なきを得たそうな。精進とは耐え忍ぶことであり、愛する妻子を守れぬより恥の道を選んだのだと、幼い頃に聞かされた記憶がある。
「ここがオーギガヤツの住んでる町か?」
「もうちょっと先。歩いて行けっから」
田畑の真ん中に不自然な台地がある。かつて扇ヶ谷家があった場所だ。逃げてきた一族を受け入れた村人たちのため、敵が攻め入ってきた時は最前線で守り続けた先祖たち。そんな彼らに敬意と親しみを込めて精進家と村人たちは呼んだ。あそこには精進家跡地とかいう印などはないが、代わりに生えている樹齢何百年だかわからない杉は精進杉と言い伝えられている。
「立派な杉の木があるな」
何も知らない川中島が指さす。ちょっぴり誇らしくなった。
アブラゼミは鳴き、陽炎が見えた。汗がどんどん噴き出す。泰京市より気温は低いはずなのだが、広々と熱を放射する太陽の存在感が身近に感じられる。俺はタオルをかぶった。川中島は汗一つ垂らさず平然としている。
「お前暑くないん?」
「暑くないぞ」
お前じゃない、ハクトーさんだ、とお決まりの文句も返せない程度には感じているのだろうか。ふふん、強がりめ。
「ほら、あの煙突屋根の」
石段をジグザグと上っていくとそれは見えてくる。
「煙突があるのか」
「飾りやけどね」
手前から三番目の白黒の家。今や扇ヶ谷家の住居はこの一軒のみ。他は資産家の婿養子であったり海外へ栄転であったりして県外に移住していった。皆、精進の賜物だという。しかし、もしこの家までなくなってしまったら、精進家の静かなる歴史はすっと忘れ去られていくのだろう。
代々リフォームされてきた日本家屋の趣は崩れている。一階はかろうじて雰囲気は残されているが、足された二階はモダンな白塗り。そんなちぐはぐな扇ヶ谷家へ久しぶりに踏み込んだ。玄関の竹の匂いが懐かしい。
母さんがタオルで手を拭きながら出迎えた。
「おかえりショウちゃん。それから、川中島さん?」
「そうだ。私が川中島白桃だ。ハクトーさんと呼ぶがいい」
人の親に対しても偉ぶった態度。一貫していてついに笑えてくる。母さんも全く気にしていないようだ。
「本当に天使の姿で来たのねぇ。ささ、中に入りいね。部屋に荷物置いてきよし」
「親父は?」
「釣り。夕方には戻ってくるけ」
俺は川中島を二階の自室に入れた。弟と共有していた部屋で、互いの陣地は荒らさないルールの下、アコベが物置から消えている以外、状態は維持されていた。さすが弟、自分の陣地だけ掃除していて、俺の勉強机や本棚には薄ら埃がたまっていた。
「む。漫画が並んでいるな。石ノ森章太郎はないのか?」
「ねぇよ」
川中島の年代に沿った物などこの部屋にはない。あるのはこのアコベのみで。親の寝室になら何かあるかもしれない。
「おい、オーギガヤツ。私は今から海へ行きたいぞ」
「え、今から? もう四時だぜ?」
「まだ日が落ちるのには早いじゃないか。是非私は浜辺でギターを弾きたい。案内しろ」
俺が誘ったのだから素直に付き合うことにした。俺もアコベを担ぎ、自転車で海浜公園へ出かけた。川中島は母さんのものを借りた。ピンクのママチャリをえっさえっさと漕ぐ天使は実に印象的である。
温泉とプール施設、ショッピングセンターを過ぎ、トンネル内は生ぬるい潮風が香る。
防波堤を越え、浜辺に着くや、川中島はケースを置いて靴と靴下を一気に脱ぎ、パンタロンを膝までたくし上げ、「海の馬鹿チンがぁー!」と叫びながらゆさゆさ駆けた。
「ほほーう!」
声を上擦らせ、波と追いかけっこをし、はしゃぎ回る。あんなに興奮している姿は初めてである。
釣りに来ているということは、どこかに親父がいる。少年じみた天使を尻目に辺りを見渡したが、それらしき釣り人は見つからなかった。
太陽は空を惜しみ、海面すれすれでグレープフルーツ色に輝き、一本の光の道を海面に作る。川中島の長髪も金色に燦爛し、奴の長い影は落ち着きがない。
「オーギガヤツ! カニがいたぞ! 穴の中に引っ込んだぞ!」
「挟まれんなよー」
天使になると、みんな子どもみたいに無邪気になって、純粋さを取り戻すのだろうか。
俺は具合のいい流木に腰掛けるとケースからアコベを出して軽く弾いた。浜辺で演奏してみるのも悪くない。自分が格好良く感じる。自己陶酔だな、と一人苦笑した。しかし自分に酔えなければアーティストというものは務まらないのではないだろうか。成功するかはさておいて。
「見ろオーギガヤツ! 貝殻だぞ」
満足した川中島が戻ってきた。渦巻いている貝殻を俺の耳に近づける。
「どうだ、波音が聞こえるだろう?」
「そりゃあ目の前に海があるんだし」
「ロマンのないオーギガヤツだ」
川中島はパンタロンのポケットに仕舞い、ケースからギターを出した。
「今日は川中島のソロだな」
「ハクトーさんだ、ハクトーさん。そうだ、今日は私のソロを聴いてくれ」
川中島が隣に座って弾き始めたのは『君の頭にはヒマワリが咲いている』で……。
「〝青い世界でひとり 窓を開けてみる〟――」
それは俺が知るミディアムバラード。切ないギターは日暮れの海とお似合いで、程よい昭和の香りがした。
親父が川中島と知り合ったのは上京してから。いろいろあって親父は帰郷し、農協に就職。パンの販売員だった母さんとお見合いし結婚。母さんの話によれば、知り合った時の親父は生きる屍のようで、とても保険の仕事をしているとは思えなかったという。機械的な相槌ばかりで反応は鈍い。愛想は悪い。後ろ向きで目の前の相手を見ようとしない。
なぜそんな親父と結婚を決意したのか、小学生だった俺が聞いてみれば、単純に放っておけなかったかららしい。今自分が見捨てたら、彼はふとした拍子に命を捨てようとしそう。そんな気がしたのだという。『だからお母さんはあんたたちの命の恩人でもあるのよ』と笑い話として母さんは教えてくれた。
親父は、亡き友の後を追うつもりだったのだろうか……。
――指が言うこと聞かんくてなァ。
歌い終わり、拍手を送ろうとしたその前に、物音がして俺は振り返った。白髪交じりの角刈りで、日に焼けて腕を赤くした男が、ルアーとクーラーボックスを落として立ち尽くしていた。
「親父」
「何でその歌知っとるん?」
「え?」
親父は呆然と川中島を見ていた。
「それは、シロちゃんの歌やぞ」
俺は唖然となった。親父は頭を振る。
「いや、その曲は未完成だった。君はシロちゃんの……城木源平の知り合いなんか?」
俺は川中島の顔色を見るも、奴の様子はいつもと変わらなかった。
「そうだ。私の名前は川中島白桃だ。ハクトーさんと呼ぶがいい」
「川中島……? シロちゃんとはどういう関係なん?」
「一心同体だ」
俺にはわかった。川中島は顔だけでなく名前も変わっていたということを。幽霊ではない、別人になったからには生前の知人に会うことが許されても、他人として振る舞わなければならない。考えればわかることだったのに、二人を再開させたいという気持ちが先走って、そこまで頭が回っていなかった自分が愚かしい。
川中島はじっと親父を見た。
「城木源平は思っていたぞ。オーギガヤツが完成を待ち望んでいたとな。白血病が治ったら、すこぶる音痴なオーギガヤツと一緒に歌ってやろう思っていたぞ」
親父は動揺を隠せずに顔を震わせていたが、やがて「そうか」とぎこちなく呟いて口元に笑みを浮かばせた。
超音痴な親父が歌っていた未完成の曲は、二十年以上の時を経て完成された。あの曲は病床にいたシロちゃんが作っていたもの。窓を開ければ、ピカピカのアコベを片手に見舞いに来た親父が見えた。バンドを解散してしまい、病に陥り、先が見えない時に現れた親父は、シロちゃんには眩い希望に見えた……。
煮つけに唐揚げ。親父が釣った魚を使った料理がダイニングテーブルに並ぶ。
「む。オーギガヤツママの手料理だな。実にいい匂いがしている」
高校生の弟と中学生の妹はポカンと、堂々と一番乗りに席についている川中島を見る。
「ハクトーさん。その羽は重くないん?」
母さんはご満悦に、炊き込みご飯を盛った茶碗を配る。
「心配無用」
「ちょっと」
弟がぶっきらぼうに、俺をダイニングの隅へ手招きした。それからこそりと言う。
「来るって聞いとったけど。あれ何? 変人じゃん」
「一言だけ言えることはな、気にしちゃいかん」
妹はずっと間抜け面で川中島を見ている。
「あんたたち早く座りよし。ハクトーさんはちゃんとしとるでしょう」
母さんはすっかり天使のことお気に召していた。俺の席に川中島は座っていたから、俺は亡き祖父の席に着いた。親父から見て川中島は右斜め前。もどかしい位置になっている。親父は川中島の方に目をやらず、箸の先をじっと見ていた。
「ハクトーさん、お口に合う?」
「む。オーギガヤツママのご飯は私の口に合うぞ。オーギガヤツもこれくらいのを作ればいいのだ」
「う、うるせーな」
俺が答える。親父もぴくりと反応して、自分でないとわかると黙々と夕飯を食べた。何を考えているのだろう。
「そういえば、サンシンは?」
微妙な空気を醸し出している食卓に我慢ならなかったのか、唐突に妹が俺に言った。
「本当は一緒に帰る予定やってんけど。縁日には帰る言うてたよ。もしかしてクラゲ売りが来るかもしれん、みたいな」
「生まれてこの方、売ってっとこ見たことないんですけど」
弟が言った。『そのクラゲの美しさたるや海のダイヤモンドやー!』とサンシンがクラゲに惚れるきっかけになったクラゲ売り。当時小学生だったサンシンも一度しか遭遇したことがないという。夏季限定で子どもの前にしか現れないと、一時は噂になっていた。ただ、ちびっこはクラゲよりも金魚の方がお好みで、サンシン以外でクラゲを買ったという子の話は聞かない。一匹五百円だというから尚更のことだ。
妹はほっとしたような顔をした。その表情を川中島は見逃さなかった。
「オーギガヤツ妹はサンシンが好きなのか」
「いげっ」
俺が驚く前に親父が咳き込んだ。魚の骨が喉に刺さったらしい。妹は赤面する。
「ち、違うよ! 違うもん!」
「そうだやめとけ。あいつは少女アニメとクラゲが大好きな変態運動音痴だぞ。クラゲの水槽の隣にフィギュアが置いてあるんだぞ。エロさ満載だ」
我ながら親友に対してひどい言いようだが気にするまい。
「サンシンは彼女募集中だ。コスプレしてくれる子がいいらしい」
「どんなプレイなんだよ」
慣れたのか、弟が初めて天使にツッコミを入れた。親父は涙をにじませながらむせていて、母さんに背中をさすられていた。
汗と潮風でべたついた髪を洗い流した。乳白色の浴槽は久しい。入浴剤のヒノキの香りが心を癒してくれる。
風呂から上がると、親父はソファに座ってテレビを見ていた。レモン酎ハイを飲みながらの録画しておいた『世界ふれあい街歩き』は親父の癒しの一つである。
「俺、ちゃんとベースやってる」
親父の背中が「ん」と簡素に答える。
「ちょっとやめてたけど」
「ん。父さんはもぎりの方が向いとる」
親父はシロちゃんの死をきっかけにアコベをやめた。それに比べて俺は不様ではないか。俺の夢は俺が死ぬまで失われやしないというのに。
「俺はこれからも続けるよ」
「ん」
「それにしても、小さい頃親父が歌っとったやつと、川中島が歌っとったやつが一緒だとは思わんかったぞいや」
「それを言うなや」
親父は照れ隠しに頭をかいた。
「あいつと少ししゃべってみんけ?」
「いらん別に。ややこしくなる」
「……なあ。昔の写真見せてくれんけ?」
「昔っていついや?」
「もぎりやってた頃いや」
親父はおもむろに腰を上げた。ソファでくつろぎ待っていると、親父は一冊の分厚いアルバムを持ってきた。写真同士がくっついて、表紙をめくるとべりりと鳴った。
「これ親父やろ」
俺とそっくりだ。
「これ昔の彼女。可愛いやろ」
母さんが台所から「お父さんは巨乳が好きなのよー」と茶化す。母さんの懐の深さには脱帽せざるを得ない。
糊付けされただけのモノクロ写真には青春があふれていた。当時のナウい服を着て、髪型にして。テレビで聞き慣れた昭和のフォークソング、グループサウンズが聞こえてくる。
「シロちゃんは?」
親父が指差したのは、もっさりした黒髪を肩まで伸ばした丸眼鏡の男で、場は喫茶店だろうか、千鳥格子のスーツの女性と肩を寄せ写っていた。ギターを抱え、歌っているのか楽しげに口を開かせている横顔もあった。
「どんな人やったん?」
「笑顔が絶えん奴やった。争い事が嫌であんまり意見を言わんかったけども」
頁をめくっていくと、写真に色がついて、親父の彼女は消え、シロちゃんの彼女も消え、バンドも消えた。最後は車椅子に座る丸坊主の、痩せこけたシロちゃんと親父のツーショットと、ヒマワリが飾られた病室で寝ているシロちゃんとアコベを構えている親父のツーショットで締めくくられていた。頁はまだ余っていた。
自室に入ると、寝つきのいい弟は二段ベッドの下の段でぐっすり。川中島は翼をつけたまま敷布団で寝ていた。
「寝辛くないんか? それ」
「二度も言わんぞ」
俺は踏まないようにベッドに上がって横になるも、気になって上体を起こしのぞき込んだ。
「城木源平ってんだな?」
「前の名前だ」
「昔と今じゃ性格も違うん?」
「忘れた。……オーギガヤツは全く変わってなかった」
川中島は天井を見つめながらぽつぽつと話す。
「城木源平が死んだ時、誰よりも早く駆けつけてくれた。私は嬉しかった。私はもう大丈夫だ、もうどこも辛くない、平気だ。そう声をかけても聞こえるはずもない。不思議なことにオーギガヤツの方が亡霊のように見えてしまって、これじゃあどっちが死んだのかわかったものじゃなかった。
……私のせいでオーギガヤツは落ち込んだまま病院を去った。幽霊だった私にはどうすることもできなかった。死んだ事実を受け入れられない部分もあったということだろうな。ちゃんと退院許可をもらわなければならないという固定観念……〝生前性〟が私を病院にとどまらせた。
私はずっと一人で歌っていた。歌わずにはいられなかった。それが私の個性であり生前性だからだ。ギターも手元にない。歌うのをやめたら私ではなくなっていく。そんな感覚にとらわれて、怖かった。すると病院で死んだ奴らが私の歌を聞いてくれて、中にはそのまま成仏してしまったのもいた」
「それ、凄くねぇ?」
「凄いのか? ……私の歌を聞いていた奴の中に天使がいた。小さい女の子の天使だ。その子が私を天国へスカウトしたのだ」
「スカウトって……」
「きれいな魂だと言ってくれた。だが私には未練があったから、最初は断った。そうしたら一人じゃ帰れないと言って泣くもんだから、仕方なくついていってやったのだ。あんなに病院から離れられなかったのに、あの子の手に引っ張られると簡単に外へ抜け出せたぞ。おかげで私の方が病院に帰れなくなって、試験を受けて天使になった」
天使になった経緯がおかしいよ。
「外に出られたなら親父の様子も身に行けたんか?」
「いや……。病院で歌うことが私の存在理由になってしまっていたからな」
「自分を縛ると書いて自縛霊ってことか」
「おお。うまいことを言うじゃないか」
「天使って試験に受かればなれるんかいや?」
「試験を受けるには推薦されなきゃいけないぞ。それに試験があるのは不定期だ。天使や神様たちが辞める時にあるのだ」
「え、辞めんの? 神権放棄?」
「辞めたり、辞めさせられたり、死んだり。そして新しい姿になる。天国にも時代があるのだ」
「輪廻?」
「そうだ」
天国が最終地点ではない。そこからまた始まるのだ。
「大変なんだな、どこ行っても」
「私はオーギガヤツのことを完全に忘れていた。オーギガヤツだけではない。バンドのことも、病気で死んだことも。ギターではなくハープを弾いていた。私は川中島白桃になったのだ」
城木源平は死に、川中島が誕生した。大人になって幼少の記憶が薄れていくように、前世の記憶が薄れていくのも当然なのか。
「天使として初めて人間界にやって来て、出会ったのがトーキョーと、トールと、タケと、ツカサと、ハナミドーと。……トールらに会って、バンドのこともギターの弾き方も思い出した。好きだった音楽も思い出した。ただあの歌を、何のために演奏するのかが思い出せなかった。完成させなければならないという思いはあった。そんな時にオーギガヤツと会った」
川中島は俺を見上げて微笑んだ。
「私には未練がない」
「おい、変なこと言うなや」
胸がざわついた。
「変なのか?」
「そうだよ。なんかもう成仏しますみたいなセリフ。まだお前には仕事があるんだし。それに今お前がいなくなったら家賃が増えるがいや」
「だからハクトーさんと言わないか。馬鹿め。私は天使だから成仏はしないぞ。そうだ私にはまだ仕事がある。できればえんじぇるすがメジャーデビューするまではいたいんだがな」
川中島は役目を果たせば天国へ帰る。解約し、あの家から出ていく。
もう二度と会えない。永遠の別れになるのだろう。
「天使って、自己推薦じゃ駄目なん?」
「何だオーギガヤツ。天使になりたいのか?」
「ちげーよ。おやすみマンボ」
俺はブランケットをかぶり目を閉じた。すっかり当たり前になっていた不思議な生活。川中島が先なのか、それとも俺が先にあの家から出ていくのか。大学を卒業して、就職して、結婚して。寂しくて。
「私たちは家族だ。同じ屋根に住んでいるからな。私とハナミドーとオーギガヤツの三人家族だ。家族は離れていても繋がっているんだ。だからおやすみ、オーギガヤツ」
川中島の優しさが身に沁みた。ああ、寂しくて。
◇◇◇
親父が川中島を釣りに誘った。一晩考えてしゃべる気になったのか、嬉しかった。俺も監視として、さりげなくついて行った。俺たちは川釣りの経験ならある。例の田舎で雉子たちとやったのだ。
どんな会話を二人はするのかと思いきや、最近の音楽についていけない、全部同じに聞こえるとか、昔はスケバンだったのに女子高生の太ももが寒過ぎて困るとか、平坦な世間話ばかり。川中島はそれを嫌な顔一つせず応答していた。饒舌とまではいかないが、あれほどおしゃべりな親父は初めて見た。特に無理をしているようには感じられなかった。互いに避けているのか、シロちゃんの話題が出ることはなかった。
「歌ってみるか?」
川中島は唐突に提案した。
「ああいや、俺は音痴で」
親父の遠慮も構わず、川中島は歌い出す。親父は途中からぼそぼそと歌った。一番を歌い終わると「相変わらず音程がずれているなオーギガヤツ」と率直に川中島は言い、親父はへこんでいた。横で聞いていた俺は、音痴が遺伝しなくて心の底から天と喉に感謝しながら、二人をデジタルカメラに収めた。この写真はあのアルバムの続きに入れようと思う。
午後になると、川中島節が受けたのだろうか、弟は半年ほど続いている彼女とうまくいっていないからどうすればいいのかを、草野球を観戦しながら奴に相談していた。
その彼女というのが今ちょうどバットを振りヒットさせた子である。健康的に肌が焼けた勝気な子だ。前の彼女が大人しめで色白な美術部員だったので真逆のスポーティータイプに走ったのだろう。前の前はいわゆるコギャルというやつで、弟は極端なのだ。まあ、どんなタイプの子に対しても分け隔てないところが長所なのかもしれないが。
「走れ! 走れ!」
右腕をぶんぶん振り回している監督は海松さんだ。駅員の時はのんびり(利用客が少ないからか?)とした印象だが、野球となるとはきはきとしている。
「あ! 天使さんじゃないですかぁ!」
海松さんが大声で手を振った。双方のチームがこっちに視線を向かせざわついた。弟の彼女もヘルメットを外しながら振り向いた。大粒の汗を鼻から散らせながら、爽やかにえくぼを作った。第一印象はばっちり。
何やら海松さんチームがこそこそ話し合っている。
「天使さん! よかったらやりませんかぁ!」
初めは不審がられても、次には受け入れられる不思議な力がこの天使にはあるのだろう。
◇◇◇
短い里帰りはあっという間に終わりを迎えた。帰りはサンシンも同行だ。
軽く振り返ると、縁日当日にサンシンは帰郷し、妹は捨てずにいたセイレーンムーンのメンコを貢いでいた。一緒にクラゲ売りを探してあげると言って二人きりを狙っていたのだが、結局クラゲ売りは見つからず、告白もできなかったようなのでよかった。
偶然、いや同郷なので可能性はあったのだが、川中島が射的に夢中になっているのを背後から見守っていた時に昔の彼女とばったり出くわした。新しい彼氏と手をつないでいたのだが、俺と目が合うや腕を絡ませ、今はこうして幸せラブラブだというアピールをしながら視線を彼氏に移し通り過ぎていった。
射的じゃなくて金魚すくいがいいという甘えた声が聞こえた。ぶりっ子ならヨハネス店長の方がプロである。それはともかく、天秤にかけて振った負い目ではないだろうが、あいつが声をかけてこなくてよかったと思う。新しい彼氏というのが、かつて俺のプロ志向を馬鹿にした自称リアリストで元バンド部の仲間だからである。とことん鼻につく野郎で、高校卒業して正式に付き合い始めたらしい。はっきり言って二人とも二度と会いたくない。
親父は駅までついてきた。俺には「精進しろよ」と言い、川中島には「またいつか」と握手を交わした。海松さんも握手を求めてきた。猫のノンちゃんは相変わらずふてぶてしく寝ていた。
電車が発車してからも、ずっと親父は微妙な表情で手を振っていた。
「オーギガヤツはなかなか勘のいい奴だからな」
川中島も手を振っていた。サンシンは俺に状況説明を要求してきたが、俺は「さぁな」とだけ言って濁した。
移動も後半に差しかかった頃、窓際のサンシンはいびきをかき、揺れる度に頭をぶつけていた。
「自己満足じゃないぞオーギガヤツ」
やおら向かい側の川中島が口を開かせた。
「ん? 何が?」
「電車にも乗れたし、海にも行けたし、カニも貝殻も見つけたし、歌も歌えたし、オーギガヤツにも会えたし、オーギガヤツママのご飯はうまかったし、オーギガヤツと釣りして一緒に歌ったし、オーギガヤツ弟と野球を見て、チームにもまざれたし、縁日にも行けたし。だからオーギガヤツの自己満足じゃないぞ」
「……おう」
川中島の満面の笑みでようやく肩の荷が下りた。
おっさんと雉子にお土産を渡してから空を飛んでいる家に帰宅し、夜には花御堂も帰ってきて「ただいま帰りました」と言った。俺も「おかえり」と言った。何があったのか聞いてきたから一つ一つ教えてやって、またいつもの風景に戻った。
いつまでもこのおかしな日常が続けばいいのに。けれどそんな願いは儚く、花御堂によるヨハネス店長のモノマネに笑った。俺にできることは、第三者から見れば馬鹿馬鹿しくてくだらなくて現実味のない蜃気楼のような、あっという間の青春を楽しんでみせることなのだ。
◇◇◇
三日後、実家から荷物が届いた。中身は桃であった。




