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五、えんじぇるす

五、えんじぇるす


 部屋で勉強をしていると、またあの心地良い音色が聞こえてきた。急に重くなる瞼。円卓に頭をぶつけるのを半ば本能で回避する。

 転がりながらイヤホンをつけて曲を流し、あの音色に上乗せさせる。これで何とか睡魔から逃れることができた。こんな時に浮かぶのが東京のおっさんだ。

 これは欠陥ポイントではなかろうか。主な生活音は遮断されていたが、この音だけなぜか鮮明に筒抜けだ。まさかわざと盛大に弾いているとも思えないし、グッドタイミングで就寝時に始まることもあって、当面、川中島に文句を言う機会がなかった。


 ◇◇◇


「一名様入団でーす!」

「オギーよろしくぅ!」

 ヨハネス店長の指示に、俺は客に水とメニューを届けに向かう。

「また来たんスか」

「来たらいけないの?」無愛想に松先輩が言い放つ。

「いけないとは言ってないっスけど……」

「来た分だけこの店は儲かる」

 ちょくちょく宇宙喫茶にご来店の松先輩。これで何度目だかもう数えてはいない。やがてヨハネス店長は彼女に親しく声をかけるようになり、俺と繋がりがあることを知った。気を利かせているつもりか、店長は店が空いていれば俺をいちいち指名して向かわせた。俺はホストになった覚えはない。そして偶然にも松先輩は客足が少ないタイミングを狙ってやってくる。なぜだ、トリックか。

「儲かっても俺の時給は変わんないスよ」

「がんばれィ」

 メニューに顔を突っ込んだまま彼女は適当に返してくる。声は感情もろともこもり、照明の効果で不気味さに拍車がかかっていた。これが照れ隠しだというならもっと巧みな隠し方をしてほしい。告白の返事を待っている素振りも感じられないし、本当に俺のことが好きなのか疑問に思えてくる。かといって、サンシンの話では俺がシフトに入っていない時はあまり来ないという。サンシンの差し金にしろ、店長の差し金にしろ、とにかく怖いぞ、松旭。

「こんにちは、アキラさん」

 花御堂が傍を通るついでに挨拶し、彼女も「こんにちは」と顔を上げて会釈。花御堂とも顔馴染みになってしまっている。このままでは荷物を風呂敷に包んで家まで押しかけてきそうだ。いくら天使と宇宙人の存在を認めたといっても、あの玄関の外を見たらシアンブルーの恐ろしさにパニックを起こして足を踏み外し、スカイダイビング・アンド・ゴートゥー・ザ・ヘブンしかねない。天空の城ラピュタどころではない。

「ご注文お決まりでしたら呼んでください」

「うーぅ」

 彼女はメニューを眺めながら唸った。なぜ俺とは目を合わせてしゃべってくれないのか、のけ者にされたような気がしてならない。もしや近眼なのだろうか。

「四名様入団でーす!」

 げ。俺はそのメンバーを見て思わず声を漏らす。

 もちろん川中島である。バンド仲間の三人を連れている。みんな重そうな荷物を背負いぶつからないように気を配っている。彼らは川中島より(そもそも奴の年齢は不詳なのだが)も若い。俺と同じ大学生だろう。

 よりによって奴らは松先輩の隣のテーブルに案内され、しかも川中島は松先輩の背後の席へ。俺への当てつけなのか気が滅入る。

「オーギガヤツ。水をくれ」

「なっ、かしこまりましたァー」

 命令して当たり前のような態度の川中島に、俺の額には青筋が浮かんでいたことだろう。一方で松先輩はぴくりとして面を上げる。俺が戻ってきた時には案の定、彼女は奴に話しかけていた。

「遅いぞオーギガヤツ」

「ええ、ええ、どーもすいませんでしたねぇー」

 エッキゾーストマッニホールドさんも満足してくれた営業スマイルを浮かべ水とメニューを静かに置いてやる。

「オギ。私、『宇宙ブラックうどん半人前』で」

「あ、はい」

「じゃあ僕も一人前の方で」

「はいはい俺も」

「ぼくは、ちょっと待って」

 次々とバンド仲間の三人が注文する。

「で、あんたは?」

 俺は川中島に伺う。

「あんたではない」

「ハクトーさんだ」

 バンド仲間が揃って口にして笑い出し、俺は面食らった。最後まで言い切れなかった川中島は何事もなかったかのようにそっと口を閉じる。

「すっごいなぁ、君」

 黒のソフト帽と黒縁の丸眼鏡の、ソバージュを肩まで伸ばした男が気さくに話しかけてきた。もちろんキーボードだろう『YAMAHA』のケースを所持している。

「何がですか?」

「ハクトーさんと一緒に住んでるんだろう? それに花御堂さんと」

「え、まぁ……」

 俺は愛想笑いを浮かべる。一体何がすごいのか。

「5LFKの一軒家、ねんけ? あ、ぼくはグリーンマーボーと普通のライス。あとお(ひや)追加で」

 赤の豹柄ジャケットを決めた栗色の髪の男が言った。俺からの視界ではメーカーは確認できないが、おそらく所持しているのはマイクスタンドだ。一見メンバーの中で一番ちゃらちゃらしていそうな雰囲気を持っていたが、穏やかな口調をしていてバラードに合いそうな声をしている。訛り方からして中央関西の出身だろう。いつの間にか水は空になっていて、彼は氷をクルリンキと回し鳴らしてみせた。小指が立っているのが少し気になる。

 俺は家のことで内心動揺しながらも文字が光るペンで注文を書き留める。キーボードにボーカルに、あともう一人、ロカビリーファッションで気の強そうなリーゼントの男は、アコースティックギターで間違いない。いかにもという感じで、ケースには『GIBSON』とある。かなり年季が入っているようだ。

「F? Dでしょ?」

 松先輩が訝しげに眉をひそめる。

「不動産屋曰く、Fで正しいんやろ? ハクトーさん」

 と、赤豹柄は氷を一つ口に含ませ、角ばった頬がぐりぐり動きだす。

「確かにトーキョーはFだと言っていた」

「え、あれはパソコンの打ち間違いじゃないん?」

 俺は深く東京のおっさんに質疑しなかったことを悔いた。松先輩のように素直に疑問をぶつければよかったのだ。

「何なのFって?」

 松先輩が食い込むように川中島に尋ねる。

「知らん。そこはDじゃないのかと聞いたらFで正しいと言ったから、なるほどそうかと思った」

「そこで納得すんなま。ちゃんとどこのことなんか聞いとけよ」

「オーギガヤツは聞いたのか?」

 言葉に詰まった。しかしFとは一体?

 5LFK。まずは五つの部屋だが、二階の四部屋のうち、三部屋は俺と川中島と花御堂が使用し、残りは空き部屋。一階にある一部屋は和室。それからリビングとキッチンと……。ダイニングはどこだ? ダイニングはない。Dがないのもうなずける。が、問題のFに該当する所が見当たらない。花御堂ならおっさんの話を聞いているかもしれない。

「決めたぞオーギガヤツ。私はこの『地球のあったか夕日ネギトロ丼』を食べる。『オレンジサイダーシャーベット』はあとで食べる」

 川中島の偉ぶった注文を書き留めた俺は厨房に伝えに行こうとしたが、唐突にリーゼントが「そういえば、ベース弾いたって?」と話題を振りギクリと表情が固まってしまった。サンシンだな。おしゃべりめ!

「えっと」

「アコベの方なんだよな?」

 そう、俺はエレクトリックベースではなくアコースティックベースを持っていた。こっちの方が渋く格好がいいと信じていたからだ。それほどにあの初老のベーシストの姿は魅力的だった。ロマンスグレーのオールバック。口髭と顎鬚。茶色のベストと赤いギンガムチェックの蝶ネクタイ。あんな風に年を重ねて音楽を奏でていきたいと思えた。

「今は弾いてないっつう話だけど? じゃあもう持ってないか?」

「ええ、じゃあ。注文言いに行くんで」

 仲間に入らないかと誘われるのではないか。身勝手な妄想を俺の目に見えない仙人に押しつけた。

 他から呼び出しが入り、逃げだすように向かうと相手はジョンスだった。

「お決まりでしょうか?」

 来たウェイターが俺だと知るやこいつは敵意の目を向けた。

「アルバイトの募集はあったんだ……?」

「はい?」

 変なタイミングである。その問いかけはもっと前に言えたことのはずだ。人見知りで言えなかったか、あるいは俺が働いているとわかって求人情報を探したのだろうか。

「どこでその情報を仕入れてしまったんだ?」

「いやそれは」

 ジョンスはぶしつけに質問をぶつけてきた。

「あらゆる求人情報誌、求人情報サイトにも載ってはいなかった。掲載期間が短くて見逃していたという可能性もなきにしもあらず。ところがしかしね、それはありえない。店名を検索しても一般人のブログサイトしかヒットしないし、『銀河団』『募集』で検索しても、『してない』としか出ないのだ……ブツブツ……」

 とうとうと、俺に念仏を唱えているように聞こえた。

 ははあ、目的はヨハネス店長だ。ショーの時のあの眼差しは本気だったのだ。彼女とお近づきになりたくて、ここで働きたかったのだろう。

「直接店長に熱意を伝えればよかったんじゃないか? 案外簡単に受かるぜ?」

「何なんだよ、それ」

 注意深い目でジョンスは焦燥感を漂わせる。

「お前ともう一人。二人も入ったんだ。もう空きはないじゃないか。君さえ辞めてくれれば問題は解決するのに」

「なんでやねん」

「妬ましい奴め。高嶺の花をいとも簡単に摘み取ってくれたな。一体何が目的だ?」

「それはそうと注文は?」

「くっそ……ブツブツ……」

 ジョンスは苦い顔でいつまでも引きずる。川中島ほどではないがかなり変な奴だ。松先輩以上に陰湿で粘着質があってあまり関わりたくないタイプだ。

「ジョンスお待たせー」

 和やかな声に、俺は見覚えのある物を見た。泰大で見かける、アンテナ付きヘルメット。それを脇に抱えた男性陣がジョンスのテーブルに集う。ジョンスは宇宙人研究会の一員でいるらしい。変わり者の集まりなのだろう。

「あとでまとめて注文するから、もう行っちまえナラ」

『行ってしまえ』と『さよなら』をくっつけた造語だろうか。とにかく、さらっと言われて余計に腹が立つ。笑瓶(しょうへい)眼鏡をへし折りたい衝動をこらえ、俺は厨房に戻った。

「黄色の眼鏡の人、ここでバイトしたいそうっスよ」

 俺は優しい人間だ。一応、居合わせた店長に報告しておく。

「残念ですぅ。眼鏡キャラは足りてるですぅ」

 辞めるべきは花御堂の方だったようだ。

「あんたも、もっと個性を出しとかないと。サミーに負けてるよ」

 アルファルドさんは去り際に俺に忠告した。彼女は高さ五十センチ総重量三キロのパーティーメニュー『ギャラクシーパフェ☆LEVEL5』を片手に、クールにしゃきしゃきと歩いていった。今日も寸分の狂いのないV字のうなじだった。

「そうそう、わたしってば仙人ばっかり目についちゃうから」

 アクベンスさんまで横ステップでそう言う。

「って、ええッ!? 見えてるんスか!?」

「わたしにはねー。お客さんの誰よりも色濃いからさ、幻想妄想には気をつけなきゃダメダメだよー」

「いやそういう問題じゃなくて!」

 俺の呼び止めには答えず、彼女は意気揚々と、ツインテールを羽ばたかせるようにしてホールへ飛び込んでいった。

 唖然とした。俺の目に見えない仙人は俺にしか見えないはずだし、人に存在を明かしたことはない。俺だけの想念だ。空想上の師匠だ。虚構の断片だ。それが彼女には見えているとなると、彼女はテレパス能力を持っているということなのか。リアル宇宙人なのだから。冷静に考えれば当然考えられるではないか。

 アクベンスさんの前ではあまり私情をめぐらせない方が賢明かもしれない。彼女が口を滑らせて、下手すればリアル宇宙人たちを敵に回してしまうだろう。これは個人情報だ。仙人にも自重するよう促すしかあるまい。



 アルバイトは終わり、まだ営業中のトウキョウスカイホームの前に立つ。

 まさか花御堂もFについて何も聞いていなかったとは信じられない。あいつ曰く、外観からでは特に怪しいものはない、ごく普通の二階建てだというのだ。宙に建っている家のどこが普通だといえようか。いや、異星人の住まいには俺の幻想想像をはるかに超えた文明の利器によって築かれたものがあるだろうし、宙に建てる方法があってもおかしくはないはずだ。宇宙のように広い視野で物事を考えねばなるまい。

 俺は興味に赴くまま足を踏み入れる。カウンターには七福神の置物。壁際にはエジプトの神様らしき猫の石像。中国産らしき龍が描かれた芥子(からし)色の大きな壺。しゃちほこ……。相変わらずごった返した混沌とした店内だったが、掃除は行き届いているらしく、どこにも鼻がむずがゆくなりそうな薄ら白さはなかった。

「はいはーい。あっ、これは扇ヶ谷様。ちょっとお待ちください。バイト終わりでしょう? お疲れ様です!」

 東京のおっさんは満面の笑みでコーヒーを用意する。コーヒー好きと思われてしまい、いつレモンティーが好きだと明かすべきかタイミングを模索中だ。俺はコーヒーフレッシュ一つとシュガースティックを二本取る。ふと、蜂蜜やメープルシロップの小瓶が増えている。

「なんか喫茶店みたいっスね」

 周りはそう見えないけど。そこまでは口にはしなかった。途端におっさんは「それがコンセプトです」と、うきうきと丸い肩をがたがた震わせる。この人も相変わらずで、可愛らしさと気持ち悪さを一対二の割合で同時に表現できる人である。

「よく白桃様もお顔を出しますよ」

「へぇー」

「いろいろ会話を楽しんでます」

 単なる暇潰しだろう。おっさんも迷惑だと思ってなく、むしろ大歓迎な口ぶりだった。

「例えば俺たちに対する不満とか?」

 チクリと刺してみるとおっさんはきょとんとする。

「いいえそんな?」

 思い出そうと頭をひねる。嘘はつけない人なのだろう。

「お互いの仕事の話とか趣味の話とか。ちなみに僕はお庭でハーブを育てたり、車でちょっとした田舎の畑まで行って野菜を育てたりするのが日課です」

「ああ、だから開店は午後からなんスね」

「そうそう。それから、天国の話ですね」

 俺はむせた。

「大丈夫ですか?」

「あい。どうも……」

 普段から何をしゃべっているんだ、川中島よ。

「僕、あの方の話好きだなぁ。すごく面白いんですよ。ずっと聞いていると、死ぬって別に寂しいことなんかじゃないんだって思えるんですよね。死んだ後も楽しいことはあるんですよ。出会いはもちろんのこと」

 死んだら? 自分の意識はどこへ? これまでの活動全て、自分が自分を演じていたことも、そのドラマも忘れ、享受していたデイドリームの外へと追いやられてしまうのか。そこが真っ白闇であることも認識できない、完全な無に帰してしまうのか。本当に天国が俺のために用意されているというなら、俺が俺だという認識は消えないでい続けいられるのか。死ぬ一瞬は辛くても、また楽しい時が巡ってくるというのだろうか。それを川中島は保証してくれるのだろうか……。

「ところで、今日はどんなご用件で?」

「あ、そうだ、危なかった。あの、5LFKのFって何スか? あれってDと間違えたって思ってたけど違うんスか?」

「ああ、そうですよね! あの物件を紹介しますと、スルーする方としない方にわかれましてね。それでFのことを説明しますと、いつもお客様は呆れて契約しないんですよね。いやあ、扇ヶ谷様には感謝しています!」

 その言い方はまるで、俺が簡単に罠に引っかかったみたいではないか。断じてそうではないぞ。

「結局何なんスか?」

 よくぞ聞いてくれたとばかり、鼻息が当たりそうなほどに身を乗り出すおっさん。これは相当な秘密があるに違いなく、俺も膝を進めた。おっさんは声をすぼめる。

「一見、外からじゃわからないんですけどね。あの家には……」

 ここで急にチャイムが鳴った。タイミングの悪さに俺は脱力する。

「ああ、白桃様!」

 お前かぁ! 俺は頭皮をかいた。

「頭がかゆいのかオーギガヤツ。ちゃんと洗っているのか? 毛じらみが増えるぞ」

 うわー、イーラーつーく!

 タイミングのクソ悪い川中島が隣にどんと座り、俺のストレスレベルが一段階上がった。

 おっさんはこいつのためにウォールシェルフへと寸胴な背を伸ばしてガラス瓶を取る。甘味がたっぷり染み込んでいるだろう琥珀色の輪切りレモンを一切れ紅茶に入れる。芳しい蜂蜜の香りがふわっとやわらかに鼻に当たり、ほんの少し心が落ち着いた。が、俺ではなくこいつがそれを飲むのだということに苛立ちを覚えた。カオスなインテリアを話題にすれば、コンセプトとしてではなく、本気で喫茶店としてやっていけそうなメニューだとは思う。立地的に客寄せが難しそうではあるが。

「ライブの調子はどうですか?」

「ライブハウスで演奏することになった」

「本当ですか?」

「客の一人が近寄って話を持ちかけてきた」

 と、川中島はぐいっと一口、ハチミツレモンティーを飲む。ピンポン玉のような喉仏が上下に動いた。

「わぁ、すごいです! 夢に一歩近づいてます!」

 おっさんは自分のことであるかのように喜び拍手した。

「おい、そんなに目立って、仕事の方はいいんか?」

 川中島には一応、天使として人間を調査するという任務を課されているという設定があるのだから。

「バンドは副業だ。奴らもわかっている」

「そうかもしんないけど、布教する訳でもないんに有名になってどうすんの。上の奴らは何も言われんの? 有名になったら熱狂的なファンができてだな、一昔前までは勝手に家ん中入る奴とかいたんだぜ? きんめぇ」

「何のために勝手口に鍵をかけていると思っているんだオーギガヤツ」

「正面の方からだって誰か入って来るだろ? 例えば、鳥人間とか。最悪何度も引っ越す羽目になるぜ?」

 俺は鼻で笑ってしまった。我ながら阿呆だ。鳥人間だなんて。川中島は「なるほど」と妙に納得して紅茶に口をつける。

「そのライブはいつですか?」

 おっさんが言う。

「一週間後の午後五時から始まる。オーギガヤツも見に来い。私たちは前座だ。誰よりも早く曲を聞かせられるぞ」

 前座の意味をちゃんとわかって言っているのだろうか。川中島はいい客寄せだ。どうせ自覚はしていないだろう。

「いいなぁ、僕も店を空けて行こうかなぁ。僕もよくアルフィーのコンサートに行きましたよ」

「私もタカミーが好きだぞ。ギターとロン毛がいかしている」

 どの対象にも上から目線の川中島。お前とタカミーは天地の差だ。

「私はよくヨシダタクローを見に行ったぞ。それからアリスと」

「ちょっと待て。あんたいつから調査してるんだ?」

「ハクトーさんと言え。天使がしゃべっている時に言葉を挟むなオーギガヤツ。私はもうじき三年目になる」

「はい。白桃様は三年くらい前に初めてここに。花御堂様はその一年後くらいで」

 おっさんが言い足す。俺は少し考えた。

「なぁ。マッチはわかるか? 『ギンギラギンにさりげなく』とか歌ってる」

「知らん。マッチがさりげなくギラギラギンに燃えるのか? 話の流れが突飛だぞオーギガヤツ」

「うるせーな、アイドルだよ。じゃあフォーリーブスは?」

「それは知っている」

「じゃあ、ヘイセイジャンプは?」

「知っているぞ。マッチは最近できたのか?」

「マッチさんは大御所ですよ」

 おっさんが言った。俺は続ける。

「おニャン子クラブは知ってるだろ? AKB48も」

「エーケービーフォーティーエイトは知っているぞ」

「モーニング娘は?」

「知らん」

 川中島の時代認識には不審な点がある。まるで奴の中の歴史は、間を切り取って端と端を繋げたかのように飛んでいる。

「もしかして、人間界に来るの二度目?」

「馬鹿め。この世界は人間だけで成り立ってはいないぞ」

「まぁ要するに二度目なんだな。それなら了解した」

 調査は定期的にあるのだ。一体、川中島は何歳なのだろうか。

 

 あれから色々と雑談をしてから帰宅すると、花御堂がバイオレットスワンを止めるところだった。

「ああ、オーギガヤツ君。トーキョーさんは何て言ってました?」

「え?」

「え? ってオーギガヤツ君。君はFのことを聞きに行ったのでは? てっきりそうだとばかり思っていました。ええ、誰にだって思い込みはありますよ」

 ああ、忘れていた。

「何だオーギガヤツ。今更トーキョーにこの家の説明を聞きたかったのか?」

 後から入ってきた川中島が勝手口の鍵をかける。

「だって気になんだろ? ただでさえこの家……なぁ? 絶対あのおっさん只者じゃねーって」

「む? この家がこんなだからFが気になって、この家がこんなだからトーキョーは只者じゃないと思うのか? 話が飛躍しすぎだぞオーギガヤツ」

「わかんねーかな? Fってやっぱ〝フライ〟ってことだろ? おっさんだって言ってた。外からじゃわからないって。じゃあ中にあるってことだろ?」

「あるって何がだ? Fの部屋がか?」

「そうだよ」

「見つけてどうするんだ?」

 川中島の的を射た問いに詰まる。俺はFの正体を知りたいだけなのだ。

「特に何もしないなら探さなくていいじゃないか」

「そうですね。気にしないでおきましょうよ。探してみた結果、家が落ちるみたいな事態になるとしたら大変ですよ。トーキョーさんの社会的立場が危うくなるでしょうね」

 花御堂は川中島の意見に賛成のようだが、俺は食い下がる。

「だったら尚更おっさんは俺らに前もって言うべきだろ?」

 人命がかかっているなら危機管理能力に乏しいとしか思えない。本当のことを説明すれば契約してくれないというのが理由なら経営者として問題だ。笑ってごまかせられない。ところがこの地球に帰化したリアル宇宙人はそこに関して感覚がずれているらしい。

「今のところ困ることは何もないですしね。ええ、もちろん。いずれここぞという時期が来ますって。ええ、そうでしょうね」

「ここぞって何だよ?」

「さあ? エコーロケーションは抜群でも、僕には未来予知の能力は持ち合わせていませんからね。ええ、そうです」

 こいつの自己完結癖にちょいちょい引っかかりながらも、Fが必要になる時が本当に来るのか頭をひねるしかなかった。その間にも花御堂は鼻歌を歌いながらバスルームへと腰をくねらせる。何だかんだと言いくるめられ、俺は悔しくも敗北感を覚えた。


 ◇◇◇


 松先輩は新作マジックの開発中だ。俺は窓際で与えられた初級者用の古びた本『やさしいトランプマジック』をパラパラと適当に目を通している。背表紙に松先輩の名前がひらがなで書かれていること以外まったく頭に入らず、西日が眩しくなってきた。やる気がない姿勢でも先輩たちは注意をしてこないし、これでは俺がいてもいなくても変わらない。

 ついに飽きたので頬杖を突き、ぼんやり松先輩の手つきを眺めることにする。

 指毛が薄らとある。右人差し指にはささくれ。左親指には無理やり取った痕跡がある。わざと切らないでいるのか両小指の爪が他より長い。そして手首がかなり柔軟で、指も三日月のように反り返る。

 観察はこの辺にしておいて、億劫ではあったが下唇を突き出して話を切り出してみる。

「松先輩、ライブとか興味あります?」

「ライブ?」

 松先輩は水晶玉を右手から左手へと流れるように持ち替える。まるで催眠術にかけられたかのように、水晶玉は縦横無尽。浮遊しているように見える。

「今週の土曜に川中島がいるバンドが出るんス」

「あの天使さんが、バンドを? 他のメンバーも天使なの?」

 女子部員Aこと江井(えい)先輩(彼女はおっとりとした性格で、髪も服装もふわふわしているという印象だ)が聞いてくる。

「いえいえ」

「担当楽器はやっぱりハープ?」

 今度は女子部員Bこと美池(びいけ)先輩(彼女はさっぱりした性格で、髪も服装も爽やかな印象だ)が言う。

「ギターっスね。ハープなら時々家で鳴らしてるっぽいっスけど」

「さすが。天で弾いていた感覚を忘れないために練習しているんだ」

 すっかり川中島の信者になった松先輩。なぜそうやって前向きに決めつけられるのか。江井先輩と美池先輩の方がまだアレはそういう〝キャラクター〟なのだと納得して楽しんでいるにとどまっている感じだというのに。普通はそっちが正しい反応のはずだ。

 松先輩は水晶玉を長机に置き、覆うように両手を動かす。すると水晶玉の中で赤い物が下から出現する。

「私もやり慣れた魔術も練習している。けして、気を抜かない」

 そう言ったあと、水晶玉は消え、代わりに赤い折り鶴がポツリと置かれていた。おお、と俺は素直に拍手した。

「成功しましたね、旭さん」

 江井先輩が言う。

「七〇点だな」

 自分に厳しい松先輩は長机の下から水晶玉を出す。俺はずっと見ていたにもかかわらず水晶玉が下に移動する瞬間に気づかなかった。彼女の滑らかな手の動きは無駄に見えて、こちらの視線を惑わす要素となっている。彼女はプロの域に達している。中学生の時にはアマチュアの全国大会テーブルマジック部門で審査員特別賞をもらっているというのだから、世界を狙っていける要素は顕在していると言えよう。

「……で、先輩。見に行きます? 一緒に」

 水晶玉がゴトンと落ちた。長机から転がり落ちるのを慌てて防ぐ松先輩。俺も焦って構えていた。

「えっと、どこへかなぁ?」

 目を真ん丸にして声を上擦らせる松先輩に呆れた。江井先輩と美池先輩はそろってにやにやしている。

「だからライブっスよ。川中島のいるバンドの。前座らしいっスけど」

「へえー、えぇ。ふ、ふたーりで……?」

「サンシンと一緒っスけどね。そもそもあいつが先輩も誘おうって」

 江井先輩から「余計っ」と注意された。瞬く間に松先輩は冷め落ち、仏頂面になる。

「あ。ああー……。なんだ、それを先に言え」

「あはは、すいません……」

 この程度で松先輩はがっかりしたらしい。

「犬のフンでも踏め。あるいは頭の上に鳥のフンを……」

 陰険にぶつぶつと呟きながら水晶玉をハンカチで磨く。蛇の目を持つ彼女ならいとも簡単に呪いをかけることができそうだ。どうかフンを踏むのも乗せるのもサンシンの方であれ。

「天使さんのバンドは一体どんなジャンルをやってるの? ヴィジュアル系?」

 フンの呪いが可笑しいのか、美池先輩がこらえながら俺に質問した。

「さあ。あいつは七〇年八〇年代のが好きみたいっスけど」

「へー。旭さんも最近のよりもそこら辺の曲の方が知ってますよね?」

伊勢正三(いせしょうぞう)さんは素晴らしい。聞け」

 松先輩が力強く指さしてきたので、はあ、と俺はあいまいに返答する。蛇の目がちらりと光った。

「さもないと」

「地獄に落ちるんでしょ?」

「ゴキブリのフンが部屋の隅に溜まる。盛り塩のように」

「えぇ……?」

 江井先輩と美池先輩は「いやぁ~!」と大笑いした。



 松先輩と二人で部室を後にした。ずっと横で数珠をかちゃかちゃと鳴らしているのが気になる。「それ癖っスか?」と尋ねれば、「お守りよ」とピントのずれた答えが返ってきた。

 中庭では宇宙人研究会がジェンカを踊っている。俺は立ち止まる。

「先輩。あれ、どう思います?」

「ああ宇宙人研究会。宇宙人と交信しようとしてるのね」

「いや、無理でしょ」

 音楽機材にアンテナを合体させただけなのに。仙人までつられて踊り始め、鼻歌交じりに俺の後ろについてぴょんぴょん跳ねている。仙人は見た目に反して子どもっぽく、悪いものに影響されがちだ。あんなものはフォークダンス同好会にでも変えた方がいいのだ。

 すると松先輩は「無理じゃない」と人差し指を俺の額、そして胸の中心に押し当てた。俺の否定的な考えを打ち砕くように。しかしその目は蛇ではなく、声色も穏やかだった。

「大切なのは気。気は電気と通ずるものがある。テレパシー。念波と電波。頑張ったら相手の宇宙人も気づくかもしれない。誰かが噂をしているって」

「それくしゃみと同じレベルじゃないっスか」

「でも、あなた宇宙人と住んでるじゃない。地球さん。オギはもう交信している」

「ああー……、まあー……」

「宇宙喫茶の人たちは気づいているのかしら? あの人たちの気」

「え」

「だって全員そうでしょ」

 彼女は確信し切っていた。まあ一人がリアル宇宙人だと知れば、特にエッキゾーストマッニホールドさんは確実に仲間だとわかるだろう。彼女は現実に対する許容範囲を広く設定しているようだ。俺のように順応性が高いのか、もしや真の現実主義者なのだろうか。

「気づいて……ないんじゃないんスか?」

 胡散臭い機械だから。宇宙人研究会も、まさか身近で働いているなんて思いもしまい。ありがたみがなくなってしまう。

「ハクトーさんにとって失礼な話だけど。あの人たち、天使を信じてない。あの人たちにとって天使は宇宙人だから」

 確かに、光と共に天から舞い降りる天使とUFOから降りてくる宇宙人は似ている。古代人にとってUFOの飛来は神の降臨に見えただろう。実際どうだったかは定かではないが。

「私はハクトーさんのこと信じてるから安心して。ライブ、楽しみにする」

 先輩は微笑を浮かべ、歩き出した。

「ベース、弾けるんでしょ。今度弾いてみせて」

「俺もう持ってないんスよ」

「キーボードの村谷さん、楽器店の息子だから問題ない」

 そうだったのか……。キーボード村谷!


 ◇◇◇


 俺とサンシン、松先輩は小さなライブハウスのある建物に赴いた。ライブハウスは地下にあり、一階はCDショップとなっている。ヴィジュアル系はあるようだが、ヒップホップであったりレゲエであったり国際色の方が強く、サンシンの好きなアニメはもちろんのこと、アイドル系はそろえられていないようだ。

 表のスタンド看板のポスターにはメインとなるバンドのダークな画像が載っていて、下の欄に川中島がいるバンド『えんじぇるす』があった。メインバンドの名前は何て読むのか、記号交じりで俺の語学力ではわからなかった。

「やっぱみんなこれ目的だろーな」

「当たり前だろ」

 呑気なサンシンを横目に、映るのはどいつもこいつも毒々しくぶっ飛んだファッションだ。この日のためにこしらえたのか普段から決めているのか、ベルトとシルバーアクセサリー、スタッズを何個も取りつけた奴ばかり。俺たちのようにカジュアルな服装は少数派で場違いな感じがする。

 えんじぇるすをライブに招いたのは比較対照させるためだろう。川中島はこいつらにとって面白いに違いないと見込んで。カジュアルファッションの輩はおそらくえんじぇるすを応援しに来たのではないだろうか。しかし彼らは既に後悔の色を見せている。

 俺たちは中央列まで進むことができた。松先輩の肩にぶつかると、彼女は感電したかのように肩を跳ね上げ、大袈裟に隙間を開けた。どのみち他の観客に押されて戻ってくるのだが。これから静かにしていなければならないのだと思ってか、数珠を握りしめまいと右手をぎこちなくさまよわせている。あの魔術を生み出す魅惑の手とは打って変わって、世渡りの苦手そうな人間じみているではないか。

「あー俺、緊張してきた! オギもこういうとこでやりゃあ良かったんになあ」

 一方で左のサンシンは気持ちを高ぶらせている。何やら俺に言ったようだが聞こえなかったので無視する。松先輩の方はやがて緊張を失わせてぼんやりとステージを見るようになった。

 彼女の横顔をこんなに間近で見ることは今までなかった。似非ソバージュからのぞかせる目鼻。いわゆる瓜実顔(うりざねがお)の範囲に入るのではなかろうか。体積のある似非ソバージュの方に気を取られがちだがけして悪くない顔立ちだし、背筋を伸ばして顎を引けばファッションはさておいてうんとスタイルは好ましくなるし顔色もよく見えるはずである。いくらテーブルマジックは手元が命とはいえ、マジシャンとて外見は大事だ。今までの大会ではどうしていたのか、その際はちゃんとした装いをして、ささくれも取り除いて手入れしているのか、気になってくる。

「窮屈じゃないっスか?」

「うーぅ」

 平気そうだ。人が集まるにつれて場の温度が一度くらい上がったのではなかろうか。人生上あまり関わりのなかった部類による人混みで酔いそうになってきた頃、全体の照明が落とされステージのスポットライトがついた。

 えんじぇるすだ。周囲はざわつく。それはそのはずで、ポンチョを着た銀髪の天使が派手に紛れ込んでいるのだ。「おい、見ろよ。天使だぜ」とか「いくらかかったんだろうな? あの翼」とか「何をリスペクトしてんだ?」だのと、小馬鹿にした声が飛び交った。

「ハクトーさーん!」

 サンシンが空気を読まずに手を振る。川中島も右手を上げてこいつに応えた。

 ボーカルがマイクに手を添える。赤豹柄もなかなか派手であるはずなのに、結局は天使の存在感に負けてしまっている。

「皆さん、初めまして、でしょうか。えんじぇるすです。ぼくはボーカルのトールといいます。それからキーボードのツカサ。ギターのタケ。そして同じくギターのハクトーさん」

 トールが訛りの抜けきれていないぎこちないメンバー紹介をすると、誰かが「エンジェル伝説ハクトー」と発言して観客から笑いを取った。俺の顔が火照った。

「初めてのライブハウスで、えー緊張しております。ちょっと予定を変更することになりまして、一曲しか披露できません、ご了承ください」

「一曲で十分だぞー」

 冷やかされてもトールは笑顔を絶やさない。なぜ一曲しか歌えなくなったのだろうか。裏で問題でも起きたのだろうか。

「そこでぼくらは、ハクトーさんがメンバーに加わって初めてセッションした思い出の曲、堀内孝雄さんの『君のひとみは10000ボルト』をやらせていただきます」

「自分の曲をやんねぇのかよー」

「黙れ。呪うぞ」

 松先輩が声を押し殺して隣の男を脅し萎縮させる。空恐ろしいくらいに目に物言わす彼女の蛇のにらみの方が毒々しいかもしれない。

 すると、川中島はおもむろにまた右手を上げた。

「私はこの曲が好きだぞ。華がある。トールとツカサとタケが私のために選んだ曲だ」

 奴がしゃべりだした途端、しんとなった。奴の分のマイクはなかった。それなのに明徴に声が届いた。

「私は三人の演奏が好きだぞ。初めて会った頃に比べると、タケもうまくなった」

 苦笑するタケ。

「私は三人が好きだからな。だから私がいなくなってもちゃんと曲を聞いてくれるファンがたくさんできるように私は協力する。私は天使だからな」

 ニッと口角を吊り上げた。神聖さが感じられない不敵な笑みだった。「よっ、ハクトーさん!」とサンシンの合いの手が響いた。川中島は上げていた片手をタケに向けた。タケもうなずき、アコギのボディーをタン、タンと叩く。そして彼、ツカサ、トールはスッと息を吸った。

 三人はアカペラでいきなりサビを歌った。タケが高音、ツカサが低音でハモらせた。

 サビの終わりに本来の前奏は始まった。川中島がサイドギターだった。タケのロックテイストのギターに折り重なるようにして、ツカサのポップなキーボードに身を任せるようにして。それでいて奴が二人をまとめ上げ、トールを後押ししているように思えた。

 奥の人まで聞こえるようにトールはAメロを歌う。まあまあできたアレンジだった。タケは左右にリーゼントごと体を揺らしてリズムを取り、時に「へい!」と盛り上げた。

 トールの力んだ歌声に触発され、一部の観客がつられてサビを口ずさんでいく。曲のタイトルを何度も歌う。終盤に近づくにつれ、感極まったトールの目が潤沢に光る。

 三人は『君のひとみは10000ボルト』を歌い上げた。トールは頭を下げる。

「聞いてくれて、ほんまにありがとうございました……っ! おおきにです!」

 鼻をすする音をマイクが拾った。タケもツカサも満足そうだった。「よし、ずらかろう」とトールが仲間に振り向いた。

「アンコール!」

 サンシンの万歳に俺は戦慄した。嘘であってほしかった。トールとタケとツカサは豆鉄砲を食らったかのような顔をして、川中島はまた不敵な笑みを浮かべている。

「お、おいサンシン」

「アンコール! アンコール!」

 俺が止めようとするも、サンシンは気にせずアンコールを求めた。

「アンコール! アンコール!」

 おっさんの声だ。

「もう一曲歌っちゃいましょう!」

 花御堂も同伴だ。仕事から抜け出してきたらしい。事情があって一曲しか歌えないというのに。前座でアンコールなんて、俺は聞いたことがない。

「アンコール。アンコール」

 集団心理だろう、他も手拍子を始めた。トールらは湧き上がってきたアンコールに呆然としている。

「おい、オーギガヤツ。アンコールしないか」また川中島が人前で俺を呼ぶ。

「ほら、あなたも」

 松先輩が俺にアンコールを促した。

 舌打ちする。手拍子を始めてやる。みんな最後まで付き合ってやれ。

「オリジナル、あるんだろー?」

「歌えよ! 聞いてやるから!」

 次々と誰かが言う。冷やかしではなかった。

「どうする?」

 トールが鼻を手の甲でこすり、嬉しそうに仲間に確認した。

「ここはやるだろ?」

 ツカサがウインクした。メンバー同士の相談が終わり、トールはジーパンの後ろポケットからハーモニカを取り出した。

「では、季節にはまだ早いですが。聞いてください。『君の頭にはヒマワリが咲いている』」

 笑う観客。ツカサは落ち着いたテンポで、優しくしっとりとしたメロディーを流す。トールは息を整え、静かに口を開けた。


 青い世界でひとり 窓を開けてみる

 初めて見たよ希望 釘づけになったよ

 君の頭に咲いた 大きなヒマワリは

 暖かな光を 探して首伸ばす


 暗い暗いどんな場所でも 見つけだす

 黄色黄色どんな色 太陽みたいの


 アー眠いな 昼寝をふたりでさ

 したいな 今なら 日なたで寝転がって


 青いジョウロに君の 涙があるんだ

 地面にまいたら夜空 今にも泣きそうだ

 頭から顔出した 大きなヒマワリは

 暖かな光が 欲しくて背を伸ばす


 寒い寒いどんな場所でも 時が経つ

 僕の弱いところさえ 溶けて消えるよ


 アー言いたいな 君が気になるんだ

 恋かな どうかな 気持ちが溢れるんだ

 アーヒマワリ 君の頭にある

 涙の ジョウロでさ また大きく育つんだ


 青い世界でひとり 窓を開けてみる

 初めて見たよ希望 釘づけになったよ

 君の頭に咲いた 大きなヒマワリは

 僕の方に向いたよ 君は笑顔になる


 愛しく、時に力強く。センチメンタルを払拭し、間奏のハーモニカは草原でスキップするかのように、爽快に。風が吹く緑の丘が見える。傘のように枝が広がる大木。立ち上る入道雲。どこまでも続くヒマワリ畑。今度はあそこまで行ってみようか。

 松先輩を見ると、切なさと軽快さを入り交えたメロディーにやられたのか、子どものような歌詞にやられたのか、涙をにじませていた。川中島は神妙な笑顔をしていた。どうせ酔いしれているのだ。

「まいどありがとうございました!」

「ありがとうございましたぁーー!」

 トールとタケとツカサは大きく頭を下げた。川中島は右手を上げた。四方の人間は手を叩く動作を行なっていた。俺は棒立ちだった。こんな歌のどこがいいのかさっぱりで。訳がわからない。正直くそだと思った。

「よっしゃ! ドロンやドロン!」

 トールが死後を言い放った。



 プログラムは全て終了した。ダークバンドがステージに登場するや、空気が一変した。噴き上がる発狂と汗に、俺と松先輩は憮然としたのだった。どんな色も強制的に塗り潰す黒。黒。端からえんじぇるすが存在していなかったかのようだった。

 何という臨機応変だろうか、サンシンは腕を振り上げながら絶叫し、どす黒いビートに乗ってジャンプし、エキサイトしていた。ダークバンドの四人はアメリカロックバンドのKISSをリスペクトしていたのか、顔を白黒に塗り潰し、トゲトゲを装飾した漆黒衣だった。

 それから俺たちはサンシンの図々しい提案で川中島らの楽屋に向かったのである。ライブハウスのおじさんにサンシンが交渉すると、「若い子が僕らの時代の曲をやってくれるなんて嬉しいね」と簡単に通してくれた。急な予定変更に怒っている様子はなく、「サンキュー」と堀内孝雄のものまねをしてくれた。

「失礼しまーす!」

 サンシンが一番先にノックして楽屋に入った。

「おっ、アンコールありがとう!」と、ツカサ。「一時はどうなるかと思ったぜ」と、タケ。彼らは清々しくお茶を飲んで休憩していた。川中島は角の席で、期間限定きのこの山レモンヨーグルト味を食べていた。俺が前から気になっていたやつである。

「とてもいい曲だった。優しい曲だった」

「ありがとう旭ちゃん」

「本当は一曲しかやっちゃ駄目だったんスよね?」

 トールに問いかけてみると、彼は「まあ、な」と微妙な苦笑い。

「奴らが曲目増やしてきたんだよ。それで主催者さんにこっちの曲目を削ってくれって」

「それ勝手じゃない」

 ツカサの説明に松先輩がむくれると、タケが「勝手勝手。超自己中!」と苛立った。

「削りたくなかったらハクトーさん抜きでやれってさ。あっち優先なのはわかるけどさぁ……」

 奴らは川中島の存在感が気に食わなかったらしい。

「ハクトーさんはぼくらのために抜けようとしてくれたんやけど、ぼくらはまだハクトーさんおらへんと全然やから。せやから一曲だけ、ぼくら四人の思い出の曲をやろうってことになってん」

 トールが照れ臭そうに言った。

「なんというか、マジで天使がキターって思ったよ。みんなシカトしてくれる中でハクトーさんだけがじーっと耳を傾けてくれてさ。拍手はしてくれたんだけど、俺のギターにケチつけてきて。最初はむっちゃムカついてたけど、試しに弾かせてみるとメチャメチャうまくて! 『あ、ヤベェ! 運命じゃね?』って思った!」

 追憶して半ば興奮するタケに、トールもツカサも「そうそう!」と同意する。

「タケが最初に仲間に入れようって提案してん。そりゃあもうポーン! 即決やで!」と、トール。「そうそう」と、何度もうなずくツカサ。彼らは風貌のインパクトに惹かれたのではなく、見えざる旋律に脳をやられてしまったらしい。

「うわー、まるでキューピッドの矢が脳天パーンしたみたいっスね!」

 感動しているサンシン。心の底から意味がわからない。

「そう! まさにそんな感じ! スゲーな!」

 タケとサンシンは性格が似ているようであった。



 夕焼けが空を覆っていた。トールは「長かったぁ!」と背伸びをした。

「オギ! またバンドしたくなっただろ?」

 毎度毎度、余計なことを言うサンシンめ! 一同は俺をうかがっている。イエスを望んでいる。俺は顔をしかめ、目を逸らす。喉が渇いた。楽屋でお茶をもらっておけばよかった。

「別に俺は……」

 その時、近づいてきた四人組があった。

「てめーら何勝手やってんだよ」

 いちゃもんだろうか。てっきりダークバンドのファンだと思ったのだが。

「空気を変にするから調子狂うところだったじゃねーか。どうしてくれんだよ」

「あの観客は俺たちのを聞きに来たんだよ。わかる?」

 ダークバンド様ご本人の方々のようである。素顔はなかなか平凡……でもなく平均以上で、そのまま勝負してもいい線まで行けそうな気がする。まあ、あの悪魔音楽を素顔でやるのは路線的にアンバランスではあるだろう。

「だから何だっつんだよ。前座が見せつけて何が悪いっつうんだ、ああん?」

 早速タケがリーゼントを荒ぶらせながら顎を突き出してつっかかっている。

「そもそもライブハウスのマスターが僕たちを呼んだ訳で。端から君たちだけで十分だったならわざわざ前座頼まないさ」

 ツカサは冷静を努めているように見えて棘のある言葉を使い、右足が貧乏揺すりをしている。穏やかでない一触即発のムードである。

 ダークバンドの一人が啖呵を切る。

「あれだよ。単に対照的なのを引っこ抜いただけじゃねーか! 俺たちにはハッキリとしたバンドのビジョンってのがある。お前らは人気目的のマスコット置いてるだけだろーが!」

 タカに急接近して眼を付け合う。誰が誰なのかわからないが、奴らにもバンドマンとしての意識とプライドを兼ね備えているようだ。

 腕をこまねいていると、えんじぇるすにクレームをつけているのは三人で、残る一人は一歩後退した所でじっとしている。そいつと目が合うと、困ったね、とばかりに肩をすくませて微笑んできて、俺も口元を歪ませた。

 川中島がダークバンドに指差した。

「話を聞いていなかったのか? 私がいなくてもファンがいてくれるようになるまで私がいるんだぞ。私はマスコットではない。エンジェル伝説ハクトーさんだ」

 何気にその呼び名を気に入ってるんかい。

「彼はけして金銭目的でここにいる訳じゃない。守護のため」

 松先輩も真似て奴らに指差す。

「生活費もほしい」と川中島。

「そう生活費と守護のため」と先輩。

 なんだ、この変なやり取り。

「これ以上悪く言うと、とんでもないことになる」

 松先輩のお決まりの威迫に、奴らは怯む。

「なんだよ。喧嘩ならいくらでも受けて立つぜ」

「違う。鳥のフンが落ちる」

 奴らは「はぁ?」と間の抜けた反応をしたが、カラスの鳴き声がした。奴らの頭上から白い物が落ちてくる。おお……。

「わぁ! お前フン頭に落ちたぞ!」

「げぇーっ! ちょっ、落としたい!」

 奴らはこちらにはもう見向きせず、わーわーと騒ぎ立てながら去っていった。ずっと黙っていた一人は立ち止まって振り返った。

「俺はあんたらの感じ好きだな。一人カラオケでしか歌わないけどなー」

 ボーカルだったのだろう。そいつはダブルあかんべぇをして、仲間の後を追いかけた。

「すっげー松先輩! 呪い効果てきめんじゃないっスか!」

 サンシンは大笑いし、松先輩はしたり顔だった。

「ぼくら、まだまだイケるな?」

「ああ」

「イケるイケる! 天まで名をはせてやろうぜ!」

 えんじぇるすの三人は互いに拳をぶつけ合った。

「ぼくらを導いたってくれ。ハクトーさん」

 トールは川中島に熱望の笑みを浮かべた。

「当たり前田のクラッカー」

 川中島はこれまた古臭い返事をした。俺は蚊帳の外にいて、歯痒さに電信柱の上に入るカラスをぼんやりと見た。あのカラスがこいつらにもフンを落とせばオチとして面白いのに。

 電信柱の長い影は街を突き刺していた。早く帰ってご飯食べよう。

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