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四、天使の証明

四、天使の証明


 川蝉キャンパス構内に一歩踏み出せばサークルの勧誘の嵐だ。教育学部の校舎に辿り着くまでにチラシを握らされてしまう。三日続けて同じ人から受け取ったこともある。いちいち抵抗するのは精神力を削るだけなので、俺は自然に受け取るだけ受け取って、あとはまとめて折りたたんで捨てていた。

 サークルに入る余裕はなかった。ある意味、アルバイトがサークルのようなものだといえよう。リアル宇宙人の従業員に囲まれながら地球人に接客しているなんて、誰が想像できるだろうか?

 支給された銀色眩い制服。似合ってなさに心がしおれてしまった。しかし、我が順応性は例外を見出すことはないらしい。教育学部の学生としてでも人あしらいの技術向上は避けられないものなのだ。リアル宇宙人を手なずけることができるなら、そこらの変物の扱いなどお茶の子さいさいのさいだろう。夜勤となれば時給は1000円から1250円にぐんと上がるし、昇給もあるというので結構やりがいを感じさせる。

「なあ、またバンド部に入らんの? 呼び込みあったぜ?」

 講義の直前、俺の隣に座ったサンシンが言った。俺は中学高校とバンド部でベースを担当していた。皆が無邪気にエレキギターをジャカジャカギージャッカかき鳴らし、ドラムをズンドコズンドコズンパッパ叩きまくっているのを尻目に、俺はアンプの力を借りながら負けん気に音を鳴らし続けていた。

 ビル・ディッキンス、ウィル・リー、アドリアン・フェロー、ジャコ・パストリアス……どのジャンル、年代、ベース、機材だろうと、一心不乱に世界のベーシストを研究し、真似し、何度も指を痛めながら技術を磨いた青春時代。ギターと比べればベースは地味で裏方。そう言う奴がいれば殺人パンチ以外に未来はない。鼓動のような、弦が血管の一部であるかのような、音が全身をじんと駆け巡るような、響きに重みのあるベースを何よりも俺は愛していた。

 本気でプロになりたいと思っていたし、そうやって部員とも盛り上がった。しかしそれは叶わぬ夢だった。『人の夢と書いて儚い』というより『人との夢と書いて儚い』の方が意味合いは合っているだろう。奴らの発言はノリだということくらい、耳を塞ぎたくなるほど身に染みた。

 奴らは大概、バンドはカッコいいし、モテるからと言って始めていた。否定するつもりは毛頭ない。才能が何をきっかけに開花するのかわからない。女を理由に何かを始めて成功する奴は世の中いくらでもいる。

 俺は違った。のど自慢大会をテレビで見ていた時、バックバンドにて初老のベーシストが映し出された時、やらなきゃ、と思った。衝撃が走った訳でもカッコいいと思った訳でもなく、ただ何となく。それは使命感に酷似していた。思えば俺の目に見えない仙人はこの日を境に随分と彼に似てきた気がする。

 仙人の話は抜きにして、それを奴らに口にした時、笑われた。納得こそできなかったが一歩引いた。ああこれは、『モテたいから』という理由よりも軽いんだと。

 俺の『やらなきゃ』は『部活をやらなきゃ』に変わり、部活動ないし学校を盛り上げるためだけに努力を費やした。そして高校三年目の文化祭での演奏を最後に、ベースを手放した。俺の青春はあの日で終わったのだ。

「文化祭ん時の演奏、すっげーよかったじゃん。俺はアニソンやってくれたら嬉しかってんけど。『魔女っ子メグちゃん』とか」

「忘れちゃったよ、弾き方なんか」

 できるようになったものは忘れない。やらない分に体がなまるだけで。弾こうと思えばいくらでも弾けるだろう。しかしあれほど魂に惹かれていたベースに対し、俺は冷めてしまった。まるで一つの恋愛に終止符を打ったかのように。誕生日ケーキのろうそくの火を吹き消し大人になったかのように。これが倦怠期なのだろうか。だとすればどうしようもない症状といえよう。

「せっかくハクトーさんもバンドやっとれんに。ベースおらんげんてさ」

 えせ天使は関係ないだろう。

「ちなみに俺はフェンシング部に入ろう思って」

「マジで?」

「マジマジ。ほら、新しい方のキューティーハニーもフェンシングしてたじゃん? それから少女革命ウテナの」

「全然わかんねぇよ! お前どんだけ少女アニメ好きなんだよ、気持ちわりいな」

 サンシンはいつまでも懲りない。どうせ相手に突かれまくるのがオチだ。野球部時代を顧みれば痛いほどわかるはずだ。高校ではサッカー部に入るも、一度もゴールを決められなかっただけでは飽き足らず、リフティングすらまともにできなかったという。だから顧問にもキャプテンにもマネージャーにも転部するよう勧められたのだ。それにも関わらず一年生がやる雑用も進んで行ない、とうとう三年間居座り続けたというから、たちの悪すぎる自己満足の過ぎる男である。

「それかボーリング同好会だな」

「やめぇま」

 講師が入室するとざわめきはまばらに消え、俺たちもスイッチを切り替えてノートを開いた。



「そこの男子」

 講義室から出ると即座に彼女に呼び止められた。白のタートルネックに、カーペットでも巻いているのかと言いたくなる赤いチェックのロングスカートというダサい格好。スッピンで、無造作に伸ばした長い髪はソバージュのようにボサボサ。その影で目は落ちくぼんで見える。亀のように前に突き出している首には紫の数珠。それを左手で握り締め、珠同士を揉みこすり鳴らしている姿は病的なまでに怪しく、哀れみすら覚えた。

「俺たち?」

「違う、あなた」

 怪しい女はサンシンの問いに対し暗く低い声で俺を指差した。蛇ににらまれた蛙とはこのことで、前髪からのぞく蛇のように吊り上がった、鋭い上目遣いが俺を怯ませる。

「何スか……?」

 喉まで掌握されたのか、うまく声が出なかった。

「あなたに悪霊が取り憑いている」

「は……?」

「私には見える。天使を装った悪霊、いや、悪魔が取り憑いている」

 どきりとした。

「天使のコスプレした人なら知り合いだな」

「あ、おいだらっ」

 俺はサンシンの軽い口を引っ叩きたい欲求に駆られたがかなわない。両腕すら押さえられている感じ、全身の筋肉がこわばっている感じに襲われ一人格闘した。

「今すぐ追い払わないと、命に関わる」

 サンシンを無視し、女は俺をきつくにらみ続けている。蛇の目から逃れられなかった。手入れしてない長い爪が目の前にあって、命の危機すら感じてしまう。

「……という訳で、サークルに入りなさい」

 黄色いチラシを強引に握らされた。一瞬だったのでその手が熱かったのか冷たかったのかわからない。しかしそれがきっかけで金縛りは嘘のようになくなった。滞っていた血流が解放され、俺は体温を取り戻した。

 チラシには『魔術愛好会』とあった。自身の似顔絵なのか、ひょろ長く気味悪い首の口から洩れている吹き出しには『不思議な現象は全て霊や悪魔の仕業かもしれない。あなたも魔術を体験してみませんか?』とあった。下手くそにも程がある新手の勧誘だった。

「私の名前は松旭(まつあきら)。三年生。入らなくてもいいから一度見に来て。さもないと命に関わる。わかったか」

 再度、彼女は指を差して脅迫した。

「わー大変だ。オギ、見学へ行きまァ」

 サンシンはにやにやと面白がっている。他人事だからといってひどいと思う。

「では、お待ちしてます。月水金なので」

 重心が不安定なのか、松先輩は髪と肩をゆらゆら左右に揺らし去っていく。膝に悪い、軽々とした足取り。他学生に避けられていく様は痛々しかった。

「月水金なら明日水曜じゃん。な、オギ?」

「なーも、行くって言ってねーし」

 俺はチラシを適当に折りたたみ、ゴミ箱に放り投げた。サンシンはキャッチしようとしたが失敗。わざわざゴミ箱の中からチラシを取り、俺のジャケットの胸ポケットに入れた。

「うわ、きったねぇな、お前」

「行かねーと死ぬんだぜ? あの人に除霊してもらいーま。ほらあれじゃん、新手の逆ナンパだと思えば」

 と、俺の胸を叩いた。

「お前、何様なんだよ……」

 俺はゴミをポケットに入れたままにしておくしかなかった。



 帰宅すると、ギターケースを持った川中島と鉢合わせした。俺は鍵をかけるのをやめる。

「路上ライブなん?」

「そうだ。帰宅した時はただいまと言えオーギガヤツ」

「はいはい」

 さっさと二階に上がろうとしたが、態度が気に食わなかったらしい。川中島はぬっと回り込んできた。

「ハイは一回だ、オーギガヤツ」

「おいちょっと」

 川中島は俺の胸ポケットから覗いていたチラシを引き抜き、広げて目を通した。俺は小さく舌打ちする。こいつが霊や悪魔という単語に食いつくのが容易に想像できる。

「『不思議な現象は全て霊や悪魔の仕業かもしれない』……。魔術愛好会? この落ち武者は何でもかんでも霊や悪魔のせいにしたがるのか?」

「落ち武者って。『かもしれない』ってあんだろ。そうやって曖昧にしてんだよ。どうせ怪奇現象をうたってるマジックとか占いとかの愛好会じゃん」

 川中島はやたら真剣にチラシに目を向けている。

「そういえば、お前は一応天使なんだろ? じゃあ悪魔もいるんだろ?」

「ハクトーさんだ。私は悪魔なんか見たことないぞ」

「ふうん、そうなん」

「オーギガヤツも間近でデーモン小暮閣下を見たことがあるか?」

「ねーよ」

「それと同じだ」

 なんじゃそりゃ。

「天使といえば悪魔だと、まるで対語のように思っているだろう? 馬鹿め。エンジェル小暮閣下なんて存在しないぞ」

「だから何でデーモン小暮閣下で例えるんやって」

「有名な悪魔だからな。ところでこの愛好会はオーギガヤツの大学でやっているのか?」

「そうだけど……って、マジで来るんか? 来んなよ、絶対に」

「今日は行かない。月水金って書いてあるからな。私も魔術に興味がある。これも調査だ」

「俺はねーよ興味。調査でも何でも絶対に来んなよ?」

「ではこれより路上ライブへ向かう」

「おいシカトすんな!」

 川中島は聞き入れず勝手口から外出した。飛べるなら玄関から出て見せてみろと言いたい。

 そもそも、花御堂がリアル宇宙人だということは納得できても、まだ川中島がリアル天使だという証拠は見ていない。コスプレイヤーである可能性は十二分に残されている。俺はこの家に惑わされ、奴の言動に惑わされているだけかもしれないのだから。

 非日常が大学まではびこるのか。俺は腹が立ち、冷蔵庫から自分の2Lボトルのレモンソーダを出し、直に飲んでやった。盛大にゲップをすることで多少のいらつきを発散した。


 ◇◇◇


 アルバイトの時間は油断大敵である。いつ顔見知りが宇宙喫茶に来るかと気が気でない。いくら順応性が神がかり的であるとしても、知人のまなざしの色合いに対する免疫力は高まることはない。瞬時にして恥ずかしめの場へと変わってしまうのだ。

 ここは秘密のスポット。サンシンには他言無用だと念を押しておいたが、とうとうこの時が来てしまった。その名はジョンス富里(とみり)。入学式で新入生代表挨拶をしていた男だ。笑福亭笑瓶のような黄色の太い縁の眼鏡をかけた面長の奴で、アメリカ人とのハーフだと小耳にはさんだが定かではない。

 不運にも俺が案内役で、そいつは『あっ』と俺に気づいたことを目で語った。会話を交わしたことのない相手であるがゆえ余計に気まずかった。のちにサンシンはこの男を呼んだ覚えはないと答えた。

 それにしても、一人で来るとは何て寂しい男。アルファルドさん(あのむっつりウェイトレスのこと)の尻を丸い目で追うあたりが悲しい。オオ、と感嘆を漏らしたのは聞かなかったことにしよう。

 さあ、俺の働きぶりを見てほしい。欧米受けしそうな色をした飲食物を運ぶ俺。緑タコのエッキゾーストマッニホールドさんから「みひけぇへんのほぉーしわはぁー。まぁはずふそぉーにひぃーみひぇるふぅー(眉間のおしわ。まずそうに見える)」と注意され、足で眉間をぎゅっとなでられる俺。アルファルドさんとツーショットを撮りたいと男性客からカメラを渡されそうになる俺。店内での撮影は不可能であることを何度も優しく説明してあげる俺。

 まったく。ホント、何やってんだろ、俺……。いくら順応性が神がかり的であるとしても、人あしらいの技術向上には精神力を要するのだ。消耗が激しすぎる。

 憂鬱になる最中、店内のBGMが段々と消えると、天井にスポットライトが当てられる。ステージが降りてきて、白いふわふわのマイクをつけたヨハネス店長が現れた。

「こんばんはぁー。今日も宇宙喫茶☆銀河団に集まってくれてありがとうございますぅー」

 彼女が手を振ると野太い歓声が湧く。宇宙喫茶では時々こうやって店長ご趣味のステージが始まる。出張もあってとことん不定期なものだから、これ目的で来店しようが、気まぐれなヨハネス店長のその気が起こるタイミングを計れない限り無謀というもの。今日はないと思えば大人しく飯を注文して食べて代金を支払って次の客に席を譲れ。それが暗黙の了解だ。

 店長の後ろにはアルファルドさんともう一人のエロウェイトレス、赤髪ツインテールで若干細身のアクベンスさん。ツンとお澄まししているアルファルドさんに対し、アクベンスさんはダブルピース・チョキチョキをして「イェイイェイ」言っている。

 各々の名前をファンが叫ぶ。ピンク・レディーの『UFO』の前奏が流れ、踊り始める三人。ヨハネス店長はアイドルに成り切り歌う。コーラスを務める二人のウェイトレスのアルトボイスには色があった。

 ヨハネス店長はすらりと長い脚を蹴り、しなやかに跳躍し、ロケットの上に立つ。追いかけるスポットライト。事故が起きないか毎度ヒヤリとさせられるが、靴底に吸盤でもついているのかと思うくらい抜群のバランス感覚で、サーカスの一幕を演じているかのようでもあった。まさに彼女は花形でスターだった。

「ワタシたち銀河団はぁ、まだまだ地球人の皆さんに飽きませぇーん! 皆さんもぉ、もっともっと愛される地球人になりましょーう! 路上にゴミは捨てるなぁー! ゴミが増えると店長、お鼻がひん曲がりますぅー!」

 ジョンスの方に目を向けると、奴は背筋伸ばして店長に憧れの眼差しをギンギンに送っていた。一体、あのぶりっ子ネコのどこがいいのか、理解し難い。それとも、地球の女に飽きたところで、現実逃避でもしているのか。

 ヨハネス店長と視線がぶつかり、彼女からウインクをいただいた。有難迷惑だったのでそっとキャッチしてこっそりジョンスの方に投げた。



 俺はサンシンと花御堂の三人でゲームセンターに立ち寄ることになった。よくフィギュアを買い、カラオケに行くという花御堂は、紫の肌と黒のライダースーツの暗い組み合わせで、夜に紛れ込もうとしている。以前、このライダースーツにはステルス技術が用いられていると教えてくれた。だから空軍に誤って攻撃される可能性は極めて低いというのだが……。

「すごいっスねー花御堂さん。いつもそのまんま外を出歩いてるんスか?」

「ええ」

 バイオレットスワンを押しながら花御堂は答える。バイオレットスワンは地に着いているか着いてないかのすれすれで浮いている状態。けして人前でこれ以上に浮かせる真似はしなかった。花御堂は「超最新の乗り物はタイヤいらずです。いちいちスノータイヤに交換する手間もなければスリップ事故もない。いずれはバイクから打って変って一般的になることでしょう。最初のうちは特殊免許でしょうがね」と当たり前のように語り、サンシンを納得させていた。

「いやー、花御堂さんの素顔見てみたいっスわー。耳がどうなってんのか気になりまくり」

「これがナチュラルフェイスです」

「さっすがー」

 サンシンはすっかり騙されている。耳などない。花御堂曰く、頭皮にある無数の細孔が聴覚の働きをしている。髪のてかりは油ではなく、細孔を保護するための粘液で、入浴後は汗と共に分泌され髪をがっちり固めるという。

 ゲームセンターに着くと、サンシンは太鼓のゲームに、花御堂はUFOキャッチャーに向かった。俺は店前に駐車したバイオレットスワンが物珍しさに盗まれないか憂慮したが、ハンドルを握ると静脈がスキャンされて本人確認されるから問題ないらしい。未登録ならエンジンはかからず、盗むには重い車体を引きずらなければならない。仮に動かされても、センサーが働いて手持ちのアラームが鳴るというから、まったく便利な飛行スクーターだ。

「なあ」

 俺はサンシンがそばにいないのと、店内の音がうるさいことをきっかけに花御堂に話しかけた。

「はい?」

「川中島が飛んでんの見たことある?」

「ありませんね」

 花御堂は小銭を入れ、手慣れた様子でボタンを押す。

「そもそも天使だと思う?」

「オーギガヤツ君はそう思ってはいないと?」

 第二ボタンを押し、放す。クレーンは下り、ウルトラマンのバルタン星人のぬいぐるみを見事につかみ上げる。

「正直微妙。大体名前が川中島って、おかしくね?」

「そうですか? カワナカジマって素晴らしい名前だと思います。ジマっていう部分が美しい響きです。オーギガヤツ君のギガもね。僕もほら、ハナミ、ドウ。彼もバル、タン」

 濁音が好きな花御堂はバルタン星人を手に入れ、ハサミをピョコピョコ動かす。ルーズソックスの女子高生が奴を携帯電話で動画撮影している。家に帰る気はないのだろうか。既に十八歳以下は入店お断りの時間帯のはずなのだが。

「オーギガヤツ君は僕に会うまで宇宙人の存在を信じていました?」

「正直微妙」

「いるかもしれないし、いないかもしれない。僕だって小さい頃そうでしたよ。何せ見たことがない。映像だってほとんどインチキでしたからね。『宇宙大作戦』並のクオリティって奴です。『宇宙大作戦』を馬鹿にしている訳じゃないですよ。スポックは最高です。親近感湧きあがります」

 花御堂の故郷も地球も同じ。俺が花御堂の外見に驚いたように、花御堂も初めて地球人を見た時は、自分と異なる肌の色をしていることや、自分にはない体のパーツがあることに驚いた。それが当たり前ということなのだろう。

「例えば死後の世界が存在するのか。これは僕の星でも議論されていますよ、未だに。そんなもんですよ」

「そんなもんなんかなぁ?」

「聞いてみたことがあります。アヴェ・マリアに受胎告知したガブリエルと知り合いですかって。そしたらハクトーさん、『そんな大昔の話なんか知らん』だって」

「なんじゃそりゃ」

 花御堂は分厚い唇を持ち上げ微笑む。

「もしかすると、向こうの世界でも僕らと同じように暮らしていたのかも。僕らと同じ一般人で。同じように歴史を勉強して、世界を勉強して。そう考えると親近感湧きませんか? 本物の天使かどうかは本人がよく知っていますって」

「そんなもん、か……」

 サンシンが太鼓のバチを振りながら「オギー! 対戦しようぜ!」と呼ぶ。仕方なく付き合ってやることにすると、サンシンは迷わず『セイレーン伝説』を選曲し、花御堂は「なかなかの選曲ですな。次は仮面ライダーがいいです」と感心の目。女子高生が笑っていた。……と、後ろから店員が彼女に声をかけた。彼女は慣れた手つきで身分証らしきものを出す。すると店員は納得の面持ちで去っていく。

「あの格好は趣味ですよ。近くに制服専門の店がありまして」

 花御堂がさりげなく教えてくれた。〝ここ〟はそういうエリアだということを失念していた……。


 太鼓のゲームは俺の圧勝で終わった。俺とサンシンは駅に向かい、花御堂は人目を忍んで浮上するために路地裏へと消えた。俺は勝手口から家に入ればいいだろうと思っていたが、それではバイオレットスワンの円盤部分がつかえ入れないのだった。

 帰宅し、改めて川中島に泰大に来ないよう頼むつもりでいたが、顔を合わせることはなかった。そもそも、俺がどこの大学に通っているか、奴は知らないということに気がついた。チラシには泰大の印鑑が押されているも、どのキャンパスかまではわかるまい。俺はしめたとばかりに片笑(かたえ)んだ。


 ◇◇◇


 ……片笑んだ、のだが。翌日にはやっぱり不安になり、通学中や講義に向かう途中、そして食堂の窓際で親子丼をつついている時でさえも、翼をつけた銀髪ポンチョ野郎が来ていないか気を巡らしていた。

「お前さっきから何を気にしとれん?」

 向かいのサンシンがサバの味噌煮定食を食べながら聞いてくる。

「いや別に」

「そうだ今日、行くげんろ? 魔術愛好会」

 行かないとまずい気がする。奴は来る、と俺が俺に囁いている。目の届かない所で俺の名前を口にされては、今後のキャンパスライフに関わる。笑い者にされることだけはご免だった。

 それに松先輩だ。来なかった俺を呪い苦しめようと蛇の目を不気味に光らせながら、数珠をギシギシ鳴らすかもしれないのだ。

 サイケデリックなドラムンベースが聞こえ、外を見た。二重のV字型のアンテナがついているヘルメットをかぶったサングラスの男たちが、パラボラアンテナが回るコンポーネントステレオのような機械を中心にマイムマイムを踊っている。よく耳を済ませればあのドラムンベースにマイムマイムが巧妙に組み込まれていることがわかった。

「ダンスの練習か?」

「ああ、あれ? 宇宙人研究会」

 俺は卵を一かけら口から吹いた。

「何だって?」

「何か色々と意味不明な単語ハモらせて宇宙人に通信しとるげんと。俺一回だけ参加してさ、試しにマイクに向かって自分の名前言ってみた。『俺の名前は真水良介。アイ・ラブ・クラゲ。アイ・ラブ・クラちゃん。カムバック・マイ・ラヴァー』って。これで俺の名前は宇宙に飛んだ。マイ・ボイス・フライ・アウェー。ギャラクシーデビュー」

「何やってんだよ」

 俺は顔をしかめ、口をモグモグさせる。

「青春だよ。青春。今のうちに周りから、はははバカだなーって思われることをたくさんやっとくげんて。そんでおっさんになった時に、あの頃はバカやったなーって笑いながら酒飲むげんて」

「なんじゃそりゃ」

 サンシンには行動力があった。やりたいことは何でもやった。笑顔で反省した。あれがいけなかった。これがいけなかった。次はこうしてみる。次はああしてみる。野球もサッカーも、どんなに無駄な努力と陰口を叩かれようと、サンシンは気にしなかった。こいつこそ扇ヶ谷家の『日々精進』に歯に合っていて、俺こそクラゲのようにゆらりと生きるべきだった。俺たちは生まれるべき家を間違えたのだ。

 宇宙人研究会は本気で宇宙人と交信しようとしているのか、それとも形だけで楽しんでいるのか。どちらにせよ、それは一生忘れられない思い出になるのだろう。

「な、オギやろうよ、バンド部。もっかいやろうぜ」

「太鼓のゲームでもダンスのゲームでも、俺に一回でも勝ったら考えてやってもいいぜ」

「マジか。マジかー」

 サンシンはわざとらしく頭を抱えて天井を仰いだ。こいつはリズム感なら常人並みに持っている。が、動体視力は壊滅的。脳が反応しても体が追いつかない。俺に勝つなど天地が引っくり返ろうともありえない。

「ホッケーならどう? カンカンカーン、ホンジャマカーンって」

「ああそれでも」

 俺は笑いをこらえながら快諾した。



 俺は魔術愛好会の看板があるドアの前に立つ。ジャージを着た運動部の列が背後を過ぎる。俺はだらりと頭を垂らす。本当に、何やってんだろうな、俺。と、ため息を漏らす。

 クラゲのように場に流されやすい立ちなのか。そうだ、俺が『日々精進』をやめたのはそのせいだ。同じ時を過ごしたバンド部のあいつらを責める気はない。全ては俺の意思。お前らのように生きていれば楽だと思って。

 まあ、今は感傷に浸っている場合ではない。まごついている訳にもいかず、俺は意を決し、ドアを開けた。せーの。

「遅かったな。オーギガヤツ」

「ええええええっ!?」

 川中島が偉そうにパイプイスに座っていた。

「なん、なっ! お前なんで! よくここがわかったな!?」

「トーキョーにどこのキャンパスか聞いた。そして事務局に行って要件を言った。この通り入校許可証ももらっている」

 奴は厚顔で首にかけているカードを見せつけた。許可をするんじゃない、事務局! うおお!

 電気もつけず、仄暗い教室に似非天使と松旭。他女子部員が二人。部員二人は窓辺で慎重に場をうかがっている。松先輩はレースのテーブルクロスがかけられている長机を境に、川中島と対峙していた。

 古びたカーテンの隙間から漏れる春の光がテーブルを照らす。やけにそれが眩しいと思いきや、この部屋がやけに暗いのだ。そっちに目をやっているうちに、松先輩は冷ややかに口を開いた。

「あなたの知り合いらしいわね。急に天使の恰好をした男が入ってきたから驚いた」

「はぁ」としか言えず。誰でもこんなのが入室したならドッキリだと思う。

「私は天使だ」

「またあんた堂々と……」

 呆れる俺に対して、より一層に川中島はふんぞり返った。

「あんたではないハクトーさんだ。私は天使だ。本当のことを堂々と言って何が悪い?」

「あなたは只者ではなさそう。オーラが違うもの。でも翼をつければ天使と呼べるとは限らない。どう見てもその服にくっついているようにしか見えない」

 松先輩は川中島に敵対心をぶつける。彼女は奴を信じていない。それが自然の摂理とでもいうべきか。

「この翼はオプションだ。これがなければ人間は私が天使だということがわからない」

「翼があっても本物どうかわからないじゃない。こんなにはっきりと、まるで普通の人間みたいにこの場に存在している天使なんて、おかしいわ」

 川中島は「ふむ」と顎をしゃくる。浮世離れした男と同等に渡り合う松先輩に、俺は称賛したくなった。

 重苦しい空気の中、女子部員Aが恐る恐ると手を上げた。

「あのう。天使ってやっぱり、キューピッドの矢とか持ってるんですか……?」

 川中島は「む?」と片眉を上げ、彼女に顔を向けた。

「ほ、ほら。その矢に当たると恋しちゃうっていう……」

 彼女はいい子だ。こいつが天使だと前提しての質問だ。

「支給された弓矢一式なら部屋にある」

「持ってないのね?」

 すかさず松先輩が冷たく問い詰める。

「今は持ってない。警察官だって誰でも常に拳銃を持っているのか? 私は会ったこともない天使のブランド品なんか持ってない。持っていたとしても使う気にはならん。そもそも買いたいとも思わない。弓矢は武器だ。私が持つ矢を放ったところで大惨事になるだけだぞ」

 川中島節は胡散臭い。恋でもしていたか、女子部員Aは凹んでいて、女子部員Bが彼女の肩に手を置いて慰めだす。

「何でもいいから、あなたが本当に天使だっていう証拠、見せて」

 今度は鷹のような目で追い込む松先輩。取り調べに近い状況で、川中島がリアル天使であることを証明する簡単な方法は一つある。飛翔だ。だが仮に証明に成功しても、それはそれで面倒なことになる。ゆえに俺は傍観者を貫いていた。

「いや、その前にマツアキラの魔術が見たい」

 あ、逃げたな。松先輩もそう捉えたか、彼女は小さく鼻を鳴らした。

「私が魔術を見せたら、あなたも証拠、見せる?」

「いいだろう」

 むむむ、両者とも本気のよう。松先輩は長机の上に透明なボードと砂入りの瓶を置いた。

「この砂は、気を込めることで様々な変化を見せます」

 松先輩は説明しつつ砂をボードの上に半分ほど出し、片手で広げ、かき混ぜる。一度蛇の目に圧倒されている俺は彼女の『気』発言に説得力を感じた。

 しかしまあ、所詮は手品なのだ。俺は間近で見るのに川中島の隣に移動した。

「まずは種を植えます」

 松先輩はチラリと俺を上目遣いでにらむと、また視線を落とし、人差し指で砂の下ら辺に丸を描いた。

「植えただけでは芽が出ないので、少しだけ、水を与え……」

 水の入った小さいビンを取り出し、描いた丸に水を一滴入れた。

「気を注入します」

 松先輩は弧を描くようにして、砂のキャンバスに手をかざした。するとどうだ、ただの丸から線が伸び、二葉が描き足されているじゃないか。

「この通り、芽が出ました」

「わ、すっげぇ!」

 俺は驚嘆する。彼女は丸を描いてからは一切砂に手を触れていない。実は砂は砂鉄で、といった勘ぐったりもできるが、砂鉄ではないことは一目瞭然だった。

「また水を与えましょう」

 今度は二つの葉にそれぞれ水を入れ、同じように手をかざした。砂絵が手で隠れる一瞬の内に二葉は大きくなり、花が咲いた。

「花が咲きました」

「すげぇー!」

 至近距離で見ているのに隙がない。これは本格的な砂絵マジック。悪霊とか悪魔とか、そんなことはどうでもいい。凄いテクニックだ。女子部員も拍手を浴びせている。

「おい、川中島どうすんだよ?」

 俺は黙っている川中島の肩を揺らした。

「いい加減ハクトーさんと呼べ。肩を揺らすな」

「天使のあなたなら、これよりも凄いこと、できるんでしょ?」

 松先輩はハードルを上げた。彼女は勝ち誇っている。

「私は魔術なんかできないぞ。天使は万能ではない」

 あ、ハードル下げた。

「じゃあ、何ができるっていうの?」

 川中島は弱腰になるどころか、スマートに起立する。

「マツアキラの最近の心境を当ててやろう」

「そんなことできんのか?」

 川中島は「できる」と言い切った。ブラフなのか。こいつの妙な自信は読心術。その一点にあるらしい。

「わかった。やってみせて。無難な答えはナシだから」

 松先輩は不可能だと高をくくっている。川中島はそんな彼女を見つめ、指差した。

「マツアキラ。オーギガヤツに一目惚れしたようだな」


 ……は?


 俺たちはポカンと口を開けた。

「……え、はぁ!? お前何言っとれん!?」

「ハクトーさんだ」

 松先輩は見る見ると顔を真っ赤にしてぶるぶる震えた。

「な、ななな、イタッ!」

 彼女は激しく後ずさりして、黒板に後頭部をぶつけた。黒板消しが落ちて粉が舞う。

「旭さん、そうだったんですか!」

 女子部員Bが言う。後輩二人は意外そうに、そして楽しそうに口元を緩ませていた。

「ななっ、な、何を言ってるのっ? わわ私がいつ、ひひ一目惚れ、したっていうのかなぁ~っ?」

 変に声を上擦る松先輩。先ほどまでのクールな彼女はそこにはいなかった。

「オーギガヤツにチラシを渡すよりも前だ」

「ななな、何だとぉっ?」

 松先輩は鯉のように口を開閉させ、愕然と膝を落とす。

「ま……、負けた……」

「ええっ」

 俺はどうすればいいかわからず、立ち尽くす。

「さすが天使……。全てを知っているのね」

「何でもかんでも知っている訳ではないぞ。だから人間を調査しているのだ」

「なんて正直な……」

 松先輩は神々しいものを見る目で奴を見上げる。

「認めるわ。あなたが天使だということも、私が彼に一目惚れしたということも」

 彼女は俺をにらみ、俺は目を逸らした。え、どうすんのこれ? どう処理すんの?

「教えて。一体どういう経緯で二人は知り合ったの?」

「オーギガヤツが私たちの住んでいる家に来たのだ。今は三人で共同生活している」

「もう一人天使がいるの?」

「いや、地球人だ。最近手続きで地球人になれた」

 松先輩はまたポカンと口を開けた。

「おい、余計なこと教えんなよ」

 俺のこの台詞が、逆に彼女を信じさせるものになった。

「あなた、天使と宇宙人と暮らしているの?」

「いや、えーっと……。よし、川中島、帰ろう。お邪魔しました」

「ハクトーさんだ」

 構わず俺は川中島の腕を引っ張り、早足で退散した。

「おいオーギガヤツ。マツアキラの質問に答えないのか?」

「阿呆。下手にしゃべりすぎてみいや。あっという間に俺たちの噂が広まって、マスコミとか家の前に来るやろ。そうしたら花御堂だって安心して住めんくなるがいや。外に出るとフラッシュ焚かれるんだぜ?」

 俺は足を止めずに言った。

「なるほど。なかなか人のことを考えているじゃないか」

 呑気に川中島は言った。まずはこいつを外へ連れ出さなければ。誰かとすれ違う度に視線を感じても、恥じらう暇はない。まあ、こいつは年がら年中に羞恥心の欠片もないだろうが。

「待って」

 あと一歩の所で構外へ出るという時、松先輩が髪を振り乱して追いかけてきた。エリマキトカゲの怨霊か何かに見えた。怖かった。

「待って。逃げるなんてひどい」

「えっとですね……」

 息を切らす松先輩の上目遣いは迫力を取り戻した。さっきまで慌てふためいていたのが噓のようだ。

「言いふらしたりしない。あの二人にもそう言っておいた」

「あ、そう、スか。それはよかった」

「ハクトーさんが本当に天使だということも、宇宙人、いえ元宇宙人とも一緒に住んでいることも、私があなたに一目惚れしたことも、黙っといてくれるから」

「そうスか」

 そんなに俺に一目惚れしたこと恥ずかしいんかい。ああ、今日は調子が狂う。

「で、返事」

「へ?」

「返事。頂戴」

「えっと」

「愛好会入るかどうか」

「あ、そっち?」

 俺は脱力した。

「でも俺はマジックとかできないんスけど」

 隣で川中島が「あれは魔術じゃないのか?」と言っているが、俺は無視する。

「見るだけでいいから」

「は、はぁ」

「入らないと命に関わる」

 また脅迫! 新入生を入れ、たった三人の愛好会の廃止を阻止しようとしているに違いない。

「まぁ、見るだけでいいんなら……? バイトある日は抜けさせてもらうんで」

「じゃあそういうことで」

 返事を聞くや松先輩は踵を返し、ゆらゆらと足早に戻っていった。

 ついにキャンパスライフにも支障をきたしてしまった。俺は呪われているのか? 呪われたのだ。

「なかなかの女だ。強い意志があると見たぞ。そして潔さもある。オーギガヤツには彼女がいるのか?」

「まさか付き合えって?」

 川中島の問いに失笑した。

「距離によって見えるものもある。帰るぞオーギガヤツ」

「先に行けよ。俺は五分後についてく」

「身の程をわきまえているんだな」

「んな訳ねーし」



 その晩は珍しく三人がそろい、夕飯に花御堂の作った『地球の普通のラーメン』を食べていた。これは宇宙喫茶のメニューの一つ。厨房のリアル宇宙人の数が欠ける時があるため、こいつは調理も指導してもらっているのだ。食費が浮くので練習の成果を食べさせられるのは構わない。猫の頭の形をしたかまぼこが可愛いし、魚介スープも普通にうまい。

「あのさ、ちょっと気になったんだけど。本当に心を読んだ?」

 俺は先ほどの件を川中島に尋ねた。

「呼んではいない。私は当てただけだ」

「え、当てずっぽう?」

「事務局へ行く途中でサンシンと会った。昨日マツアキラが待ち伏せしていて自分そっちのけでオーギガヤツにチラシを一方的に渡して去っていったと言うから、マツアキラはオーギガヤツ目当てかと思っただけだ」

「じゃあ何か? 読心術じゃなくて単なるサンシンの言いふらしなん?」

「そうだ」

 川中島はズルズルと普通の麺を吸引する。

「なんやねんそれ」

 ペテン師め。

「じゃあもしサンシンと会ってなかったら、どうするつもりだったんだよ?」

「その時は飛んでやろうと思った」

「究極奥義は最後の最後に出すべきですからね。これ鉄則」

 花御堂も眼鏡を曇らせながら言った。俺は呆れて物が言えなかった。



 就寝前に雨が降り始めた。強めの雨で、屋根を打ちつけていた。これも松旭の呪いだろうか、なんて思ったりもした。

 大きな稲光に、家に直撃したら丸ごと地上に落ちるのではないかと不安になった。その時は勝手口から出てあとは知らんふりを決め込むしかないだろう。

 ラジオでも聞き流しながら気を紛らわすことにした。クラシック番組でヴィヴァルディの『春』が都合よく流れていた。

 曲に合わせてまた外は光った。その一瞬、目に映ったのは雲の中で波打つ長蛇の影。

 今のは一体……。俺はベッドから抜け出してしっかり確かめようと待っていたが、雷は見当外れな所しか雨夜を照らさない。

 自称天使とリアル宇宙人がいる。なら、いてもおかしくはない。

 絶対にあれは、龍だった。

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