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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 8

塩対応のメロロンと、おっさんの特製・肉椎茸ハンバーグ

「健太のおっちゃん! 言われた通り、村の備蓄倉庫からドンガン岩塩の粗塩、丸ごと一俵担いできたでぇぇッ!」

 ドサリ、と地面を揺らして置かれた麻袋。

 三毛猫耳のニャングルが肩で息をしながら、額の汗を拭った。

 俺は作業着のポケットから、先ほどタローマートの店先でくすねて――もとい、ツケで購入してきた「防音用耳栓」と「脱臭炭入り鼻栓マスク」を取り出し、顔面にがっちりと装着した。

「おっちゃん、なんやその完全防備は?」

「精神汚染作物の武器は、甘ったるい声と脳を麻痺させるフェロモン香だ。接待を伴う飲食店に入り浸る連中がなぜ身を持ち崩すかといえば、目と耳と鼻から注ぎ込まれるインスタントな承認欲求に脳を乗っ取られるからだよ。物理的に五感を遮断するのが現場管理の基本だ」

 俺は麻袋の口を裂き、ドンガン産の真っ白な粗塩を両手いっぱいにすくい上げた。

 一粒一粒が親指の爪ほどもある、ミネラルと塩化ナトリウムの結晶。

 まずは左手、夫の源蔵が魂を捧げている第一温室――『クイーンメロロン』のハウスへ足を踏み入れた。

 ガララッと扉を開けると、相変わらず紫色の怪しい光の中、妖艶なネット模様をくねらせたメロンが、ベルベットのクッションの上で待ち構えていた。

『あらぁ〜ん、おじ様ぁ♡ やっぱり戻ってきてくれたのねぇ? そんな無粋なマスクなんて外して、クイーンの極上シロップを――』

 甘美な営業トークを最後まで聞く義理など、俺には毛頭ない。

 俺は無言のまま、手に持ったドンガン粗塩を一気に振りかざした。

――【敷地内風紀維持(ハウス・ルール)】適用。

――事象:農作物による無許可風俗営業および未認可チャーム散布。

――風紀適正化プロトコル『大人の塩対応』を執行します。

「そらよっ」

 バサァァァッッ!!

 純白の塩のシャワーが、艶めかしく蠢くクイーンメロロンの果皮を直撃した。

『ギャンッッッ!? ひっ、しょ、塩ッ!? な、何すんのよこのクソジジイ! クイーンのみずみずしい表皮の浸透圧がぁぁぁッ!!』

 ジュワワワワッ!と音を立てて、メロンの表面から水分が急速に吸い出されていく。

 カールしていたヘタは瞬時に縮み上がり、妖艶に波打っていた網目はキュッと固く引き締まった。

 そして、果実から発せられていたあの甘ったるいフェロモン香が、潮風のような清々しい無機質な空気へと一気に霧散した。

『……あー、はいはい。お会計ですね。ツケの合計は銀貨五十枚になります。次の方どうぞー。ありがとうございましたー』

 棒読みだった。

 声のトーンは完全に、深夜三時のコンビニでワンオペ夜勤をしている無気力バイトのそれである。

 これぞ、歌舞伎町の狂乱をも瞬時に凍りつかせる、完全無欠の『塩対応』。

「ひ、ヒエッ……! クイーンちゃん!? あの優しかったクイーンちゃんが、まるで給料日前の俺を見るような冷たい目に……!?」

 後ろで拘束されていた源蔵が、まるで氷水を頭から浴びせられたようにガタガタと震え出した。

 濁っていた瞳から妖しいハイライトが消え、正気の色が急速に戻ってくる。

「次だ」

 俺は振り返ることもなく、すぐさま右手の第二温室――妻の恵が崇拝する『プリンスメロロン』のハウスへ突入した。

 トサカのようなキザなヘタを揺らし、銀色のネットを輝かせるホストメロン。

『やあ、おじさん……。男同士の無粋な邪魔はよしてくれないか……? 僕と恵の愛のシャンパンタワーが――』

「盛り塩の時間だバカ野郎」

 バサァァァァッッ!!

 容赦ない粗塩の豪速球が、プリンスメロロンの顔面――というか果頂部を直撃した。

『グエッッッ!? 目がああぁぁぁ! いや僕に目はないけど細胞膜がァァァッ!!』

 ジュウウウゥゥ……!

 銀色に輝いていた果皮が引き締まり、尖っていたトサカのヘタがシュルシュルとしおれて下を向く。

『……チッ、金にならん痛客(イタキャク)が。営業LINEブロックしとこ。帰れ帰れ、シッシッ』

「……え?」

 床に跪いていた恵が、ポカンと口を開けた。

 手から高級マナ液の瓶が転がり落ち、乾いた音を立てる。

「プ、プリンス様……? 嘘でしょ……? 私の魂の王子様が、ただの舌打ちする野菜に……!?」

「野菜じゃない、果物だ。……ニャングルさん、両方のハウスの換気扇を全開にして、塩対応になったメロロンを全部収穫しろ。余分な水分が抜けて糖度が限界まで凝縮された、ただの『最高級・高糖度マスクメロン』に戻ったはずだ」

「ほ、ほんまや……! 触っても変な声出ぇへんし、網目がビシッと揃って芸術品みたいになっとる……! これなら帝国貴族に金貨十枚で売れるでぇ!」

 ニャングルが目をドルマークにして算盤を弾き始める。

 事件の元凶である農作物の無力化は完了した。

 だが――本当の問題は、ここからだった。

      *

 母屋の薄暗い茶の間。

 正気に戻った泥沼源蔵(50)と泥沼恵(45)の二人は、卓袱台を挟んで正座し、力なく項垂れていた。

 卓袱台の上には、先ほどと変わらず「カチカチの乾燥生米」と「ぬるい水道水」が置かれている。

「俺は……俺は一体、何をやってたんだ……。メロンに鼻の下を伸ばして、女房を罵倒して……なけなしの貯金を全部注ぎ込んで……」

「私だって……。家のことも畑のことも放り出して、あんな果物に夢中になって……源蔵さんに酷いことばかり言って……。もう、おしまいよ……。私たちの二十年の暮らしは、全部嘘だったのよ……」

 二人の間には、深くて暗い溝が横たわっていた。

 怪異作物の洗脳が解けたからといって、一度吐き出された罵詈雑言や、冷え切った生活の傷跡が魔法のように消えるわけではない。

 互いに顔を合わせることすらできず、ただ沈黙と絶望が部屋を押し潰そうとしている。

 前世でも、破綻寸前の中小企業の現場で幾度となく見てきた、痛々しい家庭崩壊の光景だ。

「……源蔵さん、恵さん。台所、借りるぞ」

 俺は作業着の腕をまくり上げ、台所へと足を踏み入れた。

 シンクには数ヶ月分の洗い物が山積みになり、ガスレンジ――魔導コンロは油煙と焦げ付きで真っ黒に変色している。

 俺はくたびれた作業着のポケットから、インク内蔵式三文判を取り出し、台所の柱にペタッと軽く押し当てた。

――【敷地内原状回復(ハウス・ルール)】適用。

――対象区画:泥沼家炊事場全域。

 カチリ、と頭の奥でスイッチが入る。

 足元から淡い白銀の光が広がり、シンクに積もっていた油汚れやカビが、まるで逆再生のフィルムのように消え去っていった。

 磨き上げられたステンレスのようにピカピカに輝く調理台。

 ピッと魔導コンロの火を捻れば、青く澄んだ均一な炎が立ち上る。

「さて……腕を振るうとするか」

 俺は持参してきた食材を調理台に並べた。

 タローマートで仕入れてきた新鮮なオーク肉の合挽き肉。

 今朝、ネギオから譲り受けた聖葱剣『ネギカリバー』の残りと、玉ねぎの原種。

 そして――村の森に自生していた、このポポロ村の隠れた名産食材『肉椎茸』だ。

 大人の手のひらほどもある分厚い傘は、肉厚で弾力に富み、切り込みを入れるとまるで上質な豚の角煮のようなジューシーな旨味エキスが滲み出てくる極上のキノコである。

 トントントン、とリズミカルに包丁を鳴らす。

 玉ねぎとネギカリバーを細かくみじん切りにし、少量のラードで透き通るまで炒めて甘みを引き出す。

 ボウルにオークの挽肉を入れ、冷ました炒め玉ねぎ、パン粉、タローソンの新鮮な鶏卵、塩胡椒、そして刻んだ肉椎茸の軸を投入。

 手の熱が肉に移らないよう、氷水で冷やした指先で一気に練り上げる。

 白っぽく粘りが出たタネを、肉椎茸の巨大な傘の裏側に、こんもりと贅沢に詰め込んでいく。

「肉椎茸の肉詰めハンバーグ……いや、特製ステーキバーグだな」

 熱したフライパンに油を引き、肉の面からジュウウゥッ!と焼き付ける。

 香ばしい肉の焦げる匂いと、ネギカリバーの清涼なアロマが立ち上る。

 焼き目がついたらひっくり返し、酒の代わりに『イモッカ』を少量垂らして蓋をする。

 蒸し焼きにすること数分。

 肉椎茸の傘がふっくらと膨らみ、肉汁がパチパチと弾ける至高の音が台所に響き渡った。

 仕上げに、肉汁が残るフライパンへ、村特産の「醤油草」を煮詰めた天然醤油、みりんもどきの甘酒、そして粗挽きの黒胡椒を投入して一気に煮詰める。

 とろりとした琥珀色の和風オニオンソースが完成した。

 土鍋で炊き上げたばかりの銀シャリ――ふっくらと立った米麦草の白米と、豆腐とワカメの熱々の味噌汁を添えて、俺は二つの盆を茶の間へと運んだ。

「……ほら、二人とも。生米なんか齧ってないで、温かいうちに食いなさい」

 コトッ、と卓袱台に置かれた料理。

 分厚い肉椎茸の上に、ふっくらと鎮座する黄金色のハンバーグ。

 上から回しかけられた照り焼きソースが湯気を上げ、肉椎茸の豊かな森の香りと、肉汁の甘い匂いが茶の間いっぱいに充満した。

「こ、これは……?」

「肉椎茸のハンバーグステーキだ。胃に優しいように、肉椎茸の出汁を吸わせてある。冷めないうちに箸をつけろ。飯を食わないと、大人の頭はろくなことを考えないからな」

 源蔵と恵は、呆然と目の前の皿を見つめていた。

 やがて、喉をゴクリと鳴らした源蔵が、震える手で割り箸を取り、ハンバーグに箸を入れた。

 スッ、と柔らかく沈み込む箸先。

 その瞬間、肉椎茸の分厚い繊維の間から、透明な肉汁の小川がドッと溢れ出してきた。

 源蔵はその一切れを、ハフハフと息を吹きかけながら口へと運んだ。

「…………っ!!」

 源蔵の目が、カッと見開かれた。

 肉椎茸の力強い弾力と、噛みしめるたびに広がる濃厚なキノコの旨味。

 そこに絡み合うオーク肉のジューシーな甘みと、ネギカリバーの鮮烈なアクセント。

 甘辛い和風ソースが舌の上で溶け合い、暴力的なまでの美味さが胃袋へと流れ込んでいく。

「う、うまい……! なんだこれ……なんだこの味は……! キノコの肉汁が、肉よりジューシーで……!」

 恵も恐る恐る口に含んだ瞬間、両手で口元を押さえて息を呑んだ。

「ああ……温かい……。喉の奥に、お肉とお醤油の味が……じわぁって染みてくる……。こんな美味しいもの、私たち、何年食べてなかったのかしら……」

 二人は無我夢中で箸を動かした。

 ハンバーグを頬張り、炊きたてのホカホカのご飯を掻き込み、温かい味噌汁を啜る。

 ただそれだけの、当たり前の温かい食卓。

 カチカチの生米と水道水で凍りついていた二人の五臓六腑が、内側からカッと熱を帯びて解きほぐされていく。

「うっ……ううっ……」

 源蔵の目から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、茶碗の白米を濡らした。

「恵……すまねぇ……。すまねぇ恵……! 俺たち、二十年前にこの村に来た時……何もない荒れ地を耕して、初めて肉椎茸が収穫できた日、二人でこうやってハンバーグ焼いて食ったよな……! 『いつか立派な家を建てて、毎日うまい飯を食おうな』って、笑い合ってたよな……!」

「源蔵さん……! ごめんなさい、私こそ……! 畑が軌道に乗って、お金が入るようになってから、私、あんたの泥だらけの手を見るのが嫌になってた……。大切なものを、見失ってたのよ……!」

 二人は卓袱台越しに手を取り合い、子供のように声を上げて泣き崩れた。

 冷え切った仮面夫婦の氷が、熱々の肉椎茸とハンバーグの湯気の中で、完全に溶け去った瞬間だった。

「……やれやれ」

 俺はそっと茶の間の引き戸を閉め、縁側へと出た。

 胸ポケットから青箱のタバコを取り出し、ジッポライターで火をつける。

 紫煙をポポロ村の青空へと燻らせながら、大きく息を吐き出した。

 隣で金算盤を抱えたニャングルが、目を潤ませながら俺を見上げていた。

「健太のおっちゃん……あんた、ほんまにただの管理人なんか? 怪異作物を塩対応で無力化して、荒れた台所を一瞬で直して、絶品のメシで冷え切った夫婦の絆まで再生させてまうなんて……」

「言ったろ、元総務課長兼ビルメンだって。現場の泥を片付け、職場の環境を整え、人間関係の軋轢に油を差す。サラリーマンが二十年間毎日やってきたことの延長だよ」

「カッコよすぎるわ……! うちの銀行の焦げ付きもチャラどころか、あの塩対応メロロンのおかげで莫大な黒字確定や! おっちゃん、今夜はうちがタローソンの一番ええ酒奢ったるからな!」

「そいつはありがたい。大浴場のサウナに入った後の一杯が楽しみだな」

 こうして、泥沼農園の家庭崩壊危機は無事に回避された。

 時計を見れば、針はちょうど午後五時を指している。

 素晴らしい。今日こそは、念願の完全定時退勤だ。

 俺は軽やかな足取りで、夕暮れに染まるポポロ・コーポへの帰路についた。

 だが――俺はまだ気づいていなかった。

 コーポの女子棟(B棟)一〇三号室の窓から、すでに「ポンッ!」と威勢よく酒の王冠が弾け飛ぶ不吉な破裂音が鳴り響いていたことに――。

読んでいただきありがとうございます。

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