EP 9
ポポロ村の託児所シフトと、胃壁に染みる特製たまご粥
大掛かりな陰謀やテロ組織を叩き潰した後、現場の総務課長にとって最も重要かつ繊細な仕事は、被害を受けた要保護対象者のケアと、事後処理の段取りを狂いなく進めることである。
午後四時過ぎ。
晩秋の茜色の夕陽が、木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』の瓦屋根を柔らかく包み込んでいた。
キコキコキコキコッ……チリンチリ〜ン♪
ポポロ村の西側境界ゲートをくぐり、前庭の砂利道を滑り込んできたのは、深緑色のママチャリだった。
帝都からの激走を終えたトカゲ人配達員ロード――十万馬力の始祖竜クロノが、愛車のスタンドを静かに立てる。
後部荷台に敷かれた座布団の上には、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)の作業着の上着にすっぽりと包まれ、すやすやと穏やかな寝息を立てている三歳の幼子シアンの姿があった。
「健太さんっ……! ロードさんっ!」
パタパタパタ……と軽い足音を響かせ、管理人室の濡れ縁から駆け寄ってきたのは、純白のウサギ耳を揺らす第43代村長キャルルだった。
その背後には、漆黒の燕尾服を着こなした人狼執事リバロンと、純金の金算盤を懐に収めた三毛猫耳商人ニャングルが控えている。
「キャルル村長、留守番ご苦労さん。……ただいま戻りましたよ」
「おかえりなさい、健太さん……! よかった、怪我はないですか? ……あ、この子が……!」
キャルルがおずおずと荷台を覗き込む。
シアンの小さな胸の鼓動を、キャルルの長いウサギ耳がそっと捉えた。
トクン……トクン……と、先ほどまで怯えきっていたはずの幼子の心音が、俺の上着と人参柄ハンカチの温もりに包まれて、今はとても静かに、安心しきったリズムを刻んでいる。
「……よかったぁ……。すごく安らかに眠ってる……」
「ああ。リアクの身柄は帝国内務省のオルウェルさんに引き渡して、屋敷の強制捜査に入ってもらった。……だが、この子の胃壁は、あいつに飲まされていた始祖竜の卵殻粉末で相当荒れている。まずは胃を休ませて、ちゃんとした栄養を入れてやらないとな」
俺がシアンをそっと腕に抱き上げると、シアンは「んぅ……おじちゃん……」と寝ぼけ眼を擦りながら、小さな手を俺の首元に回してきた。
ロードはヘルメットを脱ぎ、トサカをポリポリと掻きながらニヤリと笑った。
「がはは! ワテのケツの殻の毒気は、佐伯のおっちゃんのぬるい陽薬茶と飴ちゃんで大半が中和されとるわ。……あとは美味い娑婆のメシを食わせるだけやな!」
「ええ、その通りです。……ところでリバロンさん、村に残されていたナンバーズの連中はどうなりました?」
俺が尋ねると、リバロンは銀時計をパチンと閉じ、穏やかな笑みを浮かべた。
「はい、佐伯殿。気球から肥溜めへ墜落したナンバー4(千里眼のシーナ)は、スアイ殿の開拓部隊によって捕縛され、高圧洗浄機で徹底洗浄ののち、自警団詰所の留置スペースへ収容いたしました。……破壊のワンとテレポートのスリーも、マンミア団長の神聖拘束鎖で縛り上げ、身動き一つ取れぬ状態で反省文を書かせております」
「十四歳の令嬢、ルルシアちゃんは?」
「あの子は……管理人室の畳の上で、正座のまま大人しく待っておりますよ。ずっと泣き腫らして、お茶をすすりながら震えております」
「よし、全員の身柄は確保できているな。……まずは部屋へ入ろう。夕飯の支度だ」
*
管理人室の六畳間。
ちゃぶ台の端では、黒いゴスロリドレスを着た十四歳のルルシアが、両膝を揃えて小さくなっていた。
俺たちが部屋へ入ると、ビクゥッ!と肩を跳ね上げ、涙目で頭を下げた。
「ご……ごめんなさい! 私……侯爵様に『手伝わなければ家を潰す』って脅されて……断れなくて……っ!」
「はいはい、分かってますよルルシアさん。オルウェルさんから事情は聞いています。あんたが誰も傷つけていないことも、ワンたちの暴走を止めようとしていたこともね」
俺はシアンを畳の上に敷いた清潔な毛布の上へそっと寝かせると、ルルシアの前の空になった湯呑みへ、保温水筒から人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」をトクトクと注ぎ足してやった。
「怯える必要はありません。あんたは脅迫されていた被害者でもある。……ただし、他人のアパートに無断で足を踏み入れた事実は消えませんからね。後で役場のニャングルさんのところで、厳重注意の始末書を一通書いてもらいますよ」
「は、はいぃぃっ……! 何枚でも書きますぅぅぅっ!」
ルルシアが両手で湯呑みを握りしめ、安堵の涙をぽろぽろとこぼす。
俺は作業着の胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。
生薬の苦味をぬるいお茶で流し込み、胃袋を落ち着かせる。
「さて……問題は、この子たちの夕飯だな」
俺は腕カバーをきゅっと引き上げ、管理人室の小さな台所に立った。
荒れ狂った劇薬で傷ついた幼子の胃壁と、精神的ショックで衰弱した十四歳の少女の胃袋。
いま必要なのは、脂っこいご馳走でも刺激の強いスパイスでもない。
五臓六腑を内側から優しく温め、傷ついた粘膜を包み込むような、極上の滋養食だ。
取り出したのは、ドンガン地下帝国から届いた上質な白米麦草と、ポポロ山の清らかな雪解け天然水。
小鍋に水を張り、泥沼農園から届いた新鮮な肉椎茸の乾燥軸を細かく刻んで放り込み、弱火でコトコトと煮出す。
キノコの重厚なアミノ酸エキスが溶け出した黄金色の澄んだ出汁へ、研いだ米を投入。
じっくりと時間をかけて米粒を躍らせ、米のデンプンが出汁と混ざり合ってトロリとしたとろみを生み出していく。
そこへ、奇樹ネギオから届いたばかりの聖葱剣『ネギカリバー』の白い根元を、繊維を断ち切るように極細のみじん切りにして加える。熱を通すことで、ネギの暴力的な甘みがスープ全体へと溶け出していく。
仕上げに――半神の不死鳥フレアの庭先から分けてもらった、生命力に満ち溢れる『黄金の神鳥卵』を溶きほぐし、菜箸を伝わせて細く、円を描くように回し入れた。
ふわぁぁぁぁぁぁぁっ……!
鍋一面に広がる、黄色いお花畑のような極上の半熟卵。
天然醤油草の生醤油を数滴、風味付けに垂らし、火を止めて蓋をして一分蒸らす。
完成――『肉椎茸とネギカリバー出汁の黄金たまご粥』である。
「わぁ……! すっごくいい匂い……!」
目を覚ましたシアンが、毛布からひょこっと顔を出してお腹を「きゅ〜っ」と鳴らした。
「ほら、シアンちゃん、ルルシアさん。熱いうちに食べなさい。フーフーして、ゆっくり食べるんだぞ」
俺は木のお椀に盛り付け、木匙を添えて二人の前へ配膳した。
さらに、ちゃぶ台を囲むキャルル、ロード、リバロン、ニャングルにも大きなお椀で粥を取り分ける。
「いただき……ます……っ」
ルルシアが震える木匙でお粥をすくい、息を吹きかけてから口へ運んだ。
ハフッ……もぐっ……。
「………………ッッッ!!!!」
ルルシアの目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。
優しい。
驚くほど滋味深く、温かい。
肉椎茸の濃厚な出汁と、とろけるような半熟卵のコクが舌の上を包み込み、細かく刻まれたネギカリバーの甘みがふわりと鼻を抜けていく。
張り詰めていた恐怖と罪悪感が、お粥の湯気とともにスーッと溶け去っていく感覚。
「お、おいしい……! こんなに温かいご飯……生まれて初めて食べました……っ!」
シアンも小さな木匙を上手に使って、お粥をパクリと頬張った。
そして、目をまん丸にして両手をパタパタと叩いた。
「おいちい! おじちゃん、これ、すっごくおいちいよぉ!」
「そうかそうか、たくさん食べなさい」
俺が微笑んでシアンの頭を撫でてやると、シアンは満面の笑みでスプーンを動かし、あっという間にお椀を空にしてしまった。
ロードもどんぶりを抱えて豪快にお粥をかき込み、満足げに鼻からプシューッと熱い息を吐き出した。
「……くぅぅぅっ! 五臓六腑の隅々まで染み渡るわ! 佐伯のおっちゃん、ワテ、このお粥のためなら帝都から毎日時速百二十キロでチャリ漕いでもええわ!」
「スピード違反はダメですよ、ロードさん」
「ふふっ♡ 健太さんのお料理、本当にみんなを幸せにしますね……」
キャルルが嬉しそうに俺の作業着の袖にすり寄ってきた。
長い純白のウサギ耳が、ピクピクと愛らしく動き、俺の左胸の鼓動へと吸い寄せられるように傾く。
ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の穏やかで打算のない心音。
胸ポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、その鼓動を受け止めて、トクン……トクン……と優しく温かな微振動を返してきていた。
シアンの荒れていた胃壁も完全に癒え、事件の被害者たちの心には、穏やかな平穏が取り戻された。
――しかし、現場の総務課長としての仕事は、まだ終わりではない。
留置されている凶悪犯たちの処遇、アルバード侯爵邸から没収された莫大な賠償財産の精算、そして何より――この小さなシアンの今後の受け入れ先という、最も重要な「最終決裁」が残されていたのである。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




