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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 10

因果律ロックの最終決裁と、ポポロ・コーポの新しい足音

 どれほど複雑怪奇な大事件や凶悪組織の陰謀であっても、現場の安全を確保し、被害者の保護と加害者の身柄引き渡しを終えた後に残るのは、いつだって「一枚の完了報告書」と「捺印」による事務的な締めくくりである。

 前世の総合商社時代、数億円規模の焦げ付き案件や背任事件を処理し尽くした深夜、静まり返った総務部フロアで最終稟議書に朱肉を押し込んだ時と、その本質は何一つ変わっていなかった。

 翌朝、午前十時整。

 木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階、管理人室。

 初冬の冷たく澄んだ朝風が濡れ縁の障子を心地よく揺らし、雲ひとつない快晴の青空が広がっていた。

 ちゃぶ台の上には、帝国内務省の公用魔導端末と、分厚い羊皮紙のファイル。

 画面の向こうには、ダークグレーの執務スーツを着こなし、銀縁のモノクルを光らせた帝国内務官オルウェルの姿が中継されていた。

 その顔には、数週間ぶりに徹夜の隈が消え、極めて整然とした公務員の落ち着きが戻っている。

『……佐伯殿、キャルル村長。帝国司法裁判所および内務省保安局より、昨日の事件に関する最終調書が上がってまいりました』

 オルウェルが手元の書類をめくりながら、淡々と報告を読み上げる。

『まず、主犯の元アルバード侯爵リアクですが、爵位剥奪および全財産没収の上、帝都地下大監獄への終身収容が今朝未明に確定いたしました。配下のナンバーズ構成員のうち、凶悪な破壊魔ナナシ(ワン)および闇商人ギリルク(スリー)については、同じく大監獄での強制労働刑に処されます。……なお、肥溜めに墜落して捕縛された一等神官シーナ(フォー)につきましては、大聖堂の職権を剥奪された後、スアイ殿の開拓農園にて一年間の有機堆肥運搬業務に従事することが決定いたしました』

「肥溜めの次は堆肥運びか。覗き見の邪念を抜くには、土と汗にまみれるのが一番の薬だな」

 俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の老眼鏡を鼻先にかけ直し、赤ペンを走らせた。

『そして、十四歳のルルシア令嬢についてですが……佐伯殿の温情ある具申書と、現場での証言が全面的に認められました。脅迫によるやむを得ない同行であったと判断され、実刑は免除。保護観察処分として、ゴルド商会ポポロ村支店および村役場にて、ニャングル殿の指導のもとで事務見習いとして就労することが許可されました』

「へいへい! 帳簿のつけ方と算盤の弾き方、一からみっちり仕込んで一人前の商売人に育て上げたるわ!」

 ちゃぶ台の脇で、三毛猫耳商人ニャングルがキセルをくゆらせ、満足そうに純金の金算盤をパチパチと鳴らした。

 隣では、タローマンの清潔なエプロンを身につけたルルシアが、おずおずと深々と頭を下げていた。

「あ、ありがとうございます……っ! 私、一生懸命お仕事覚えます……!」

 これで、加害者側の処分はすべて筋が通った。

 そして――最後に残された最も重要な議題。

『……さて、佐伯殿。最後の件、幼子シアン殿の処遇についてですが』

 オルウェルの声音が、わずかに柔らかくなった。

『リアク侯爵邸から押収された全財産のうち、被害者補償金として金貨五千枚がシアン殿の信託口座へ振り込まれました。……問題はその身元引き受け先ですが、帝国法および宇宙協定に照らし、最も安全かつ安定した生活環境として……ポポロ村役場、ならびに『ポポロ・コーポ』への保護委託を申請したいと考えておりますが、いかがでしょうか』

「異議なし、ですよ」

 俺は即答した。

「うちのアパートの女子棟の一階、フレアさんの隣に空き部屋が一部屋あります。あそこなら、日当たりもいいし、庭先で子供を遊ばせるにもちょうどいい。……それに、うちの店子たちが見張り番を兼ねてくれますからね」

「がはは! 当たり前や!」

 管理人室の濡れ縁から、タローソンの缶コーヒーを片手に顔を覗かせたのは、緑のパーカを着たトカゲ人配達員ロード――十万馬力の始祖竜クロノだった。

「ワテの卵の殻を食わされた因果の落とし前や! ワテも帝都からチャリで毎日美味い離乳食とオモチャを届けに来たるわ! あのクソ侯爵の残党が万が一にも近づいてきたら、時速百二十キロのママチャリ前輪でミンチにしたるから安心しぃ!」

「ロードさん、敷地内で物騒なことを言わないの。……ほらシアンちゃん、今日からここが君の新しいおうちですよ」

 俺が声をかけると、畳の上で楽しそうに積み木を弄んでいたシアンが、トコトコと愛らしい足音を響かせて駆け寄ってきた。

 作業着のズボンの裾にぎゅっと抱きつき、満面の笑みで見上げてくる。

「おじちゃん! ここ、おうち? もう、くらいおへやに行かなくていいの……?」

「ああ、行かなくていいんだよ。お日様がいっぱいで、温かいご飯が毎日食べられるからな」

 俺が屈んでシアンの頭をぽんぽんと撫でてやると、シアンは「えへへ……おじちゃん大好き!」と、俺の首元に飛びついてきた。

 その隣で、純白のウサギ耳を揺らす第43代村長キャルルが、嬉しそうに涙ぐみながら俺の作業着の袖にすり寄ってきた。

「健太さん……本当によかったぁ……♡ 私、シアンちゃんの村の保護責任者として、毎日絵本を読んであげますね! ……健太さんと一緒に、この子を大切に育てていきましょうね♡」

「はいはい、村長もよろしくお願いしますよ」

 キャルルの長い耳がピクピクと動き、俺の左胸の鼓動へと吸い寄せられるように傾く。

 ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の穏やかで打算のない心音。

 作業着の胸ポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、その鼓動を受け止めて、トクン……トクン……と優しく温かな微振動を返してきていた。

「……よし、それじゃあ、最後の事務処理を終わらせるか」

 俺はちゃぶ台の上に広げられた『第7章・因果律改ざん事案および児童保護措置完了決裁書』を手元に引き寄せた。

 作業着の胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出す。

 承認欄の四角い枠へ向けて、迷いなく、力強く押し込んだ。

 ポンッ。

――ユニークスキル『管理人権限(最上位稟議決裁)』執行。

――神界統括基本OS『LEX-LUCIANA』および大宇宙管理局中央法廷へ直結登記。

――事象:【アルバード侯爵邸時間巻き戻しテロ事案の完全結審、因果律タイムスタンプの恒久固定、ならびにシアン殿のポポロ村定住権】を因果律確定。

 キィィィィィン……ッッッ!!!!

 淡く澄み渡る白銀の神聖法廷光が書類の表面を走り抜け、宇宙の理へと不可逆の事実として刻み込まれた。

 狂っていた世界の時計の針は、完全に正しい未来へとロックされたのだ。

「……ふぅ。やれやれ、これにて一件落着だな」

 俺は胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。

 口いっぱいに広がる生薬のほろ苦さを、保温水筒から注いだ人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」で喉へ流し込む。

 じんわりと温もりが五臓六腑へ染み渡り、連日の緊張で強張っていた胃壁が、ふわりと完全に解けていく。

 青箱のハード煙草にジッポライターでカチリと火をつけ、紫煙を晩秋の青空へと燻らせた。

 ふと、中庭に目をやれば――

 A棟の一階では、竜王デュークが寸胴鍋の蓋を開けて芳醇な豚骨の湯気を立ち上らせ、隣の部屋からは狼王フェンリルのパチンコの電子音が長閑に響いている。

 広場では、安全地下足袋を履いた元勇者ゼロスと竜人イグニスが元気に開墾のツルハシを振るい、廃工房からは元剣客ミラースが割った薪の乾いた破裂音が木霊していた。

 そして前庭では、シアンがロードのママチャリのベルを「チリンチリ〜ン♪」と嬉しそうに鳴らし、キャルルが笑顔でその手を引いている。

 戦闘力わずか1馬力の中間管理職が、現場のコンプライアンスと三文判、そして温かい一杯のお茶で守り抜いた、かけがえのない日常。

 木造モルタルアパート『ポポロ・コーポ』に、またひとつ、新しく温かな足音が加わったのだった。

(第7章・完)

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