EP 7
地下牢の離乳食監査と、自称・未来予知貴族の逆ギレ
どれほど豪奢な大理石の邸宅に住み、どれほど高貴な血筋を誇る大貴族であろうと、薄暗い地下室で幼子を鎖で繋ぎ、怪しげな粉末を強制摂取させている現場を押さえられた瞬間、法とコンプライアンスの観点から言えば、それは単なる「悪質な児童福祉法違反および監禁致傷の現行犯」に過ぎない。
前世の総合商社時代、下請け企業の違法労働やコンプライアンス違反の査察に幾度となく立ち会ってきた俺にとって、相手が侯爵だろうが平民だろうが、現場の不祥事に対する対処手順に微塵のブレもなかった。
午後二時整。
粉々に吹き飛んだアルバード侯爵邸の正門エントランス。
大理石の床に高級白ワインをぶちまけ、腰を抜かして這いつくばっていた侯爵リアク(二十五歳)は、血走った目を剥いて目の前の異様な侵入者たちを睨みつけていた。
「き……貴様ら、何者だぁぁぁッ!? このアルバード侯爵邸に、ママチャリごときで土足で突っ込んでくるなど……! 衛兵! 私設騎士団! 侵入者を全員八つ裂きにしろぉッ!!」
リアクが金切り声を上げる。
しかし――大広間の吹き抜けの通路から駆け出してきた私設騎士二十名余りは、一歩踏み出した瞬間に、その場でガクガクと膝をついて崩れ落ちた。
「ヒィッ……!? 息が……重力が……ッ!?」
原因は、ママチャリの横に黄色い安全ヘルメットを被って腕組みをし、牙を剥き出しにしているトカゲ人――十万馬力の絶対覇者『始祖竜クロノ』ことロードが放つ、目に見えるほどの黄金色の神話重圧だった。
「……やかましいんじゃ、下等な羽虫どもが。ワテは今、ドエライ不機嫌なんや。指先一つ動かしてみぃ、この屋敷ごと地殻変動でマントルへ沈めたるぞゴラァッ!!」
ドォォォォォォォンッッッッ!!!!
ロードの一喝で、騎士たちは全員白目を剥いて卒倒した。
完全な戦意喪失。
その光景にリアクが今度こそ絶句し、ガチガチと歯の根を鳴らす。
「ひ、ヒィィッ……!? り、竜……!? なぜ始祖の竜が帝都の貴族邸に……!?」
そんな大パニックの真ん中へ、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、安全ヘルメットのアゴ紐を外し、茶色い便所スリッパをパタパタと鳴らしながらトボトボと歩み寄った。
手にしたバインダーから、一枚の複写用紙を抜き出す。
「リアクさんですね。……大宇宙管理局・ポポロ村役場合同査察部、ならびにポポロ・コーポ管理人の佐伯です。先ほど貴方が放った違法な『時間の巻き戻し(因果律逆流波)』、ならびにナンバーズによる当村への強盗テロ未遂事案に基づき、現場の緊急立ち入り検査を実施しますよ」
「ふ、ふざけるな! 立ち入り検査だと!? ここは帝国の治外法権、アルバード侯爵邸だぞ! 田舎の管理人にそんな権限があるはずが――」
「ありますよ。ほら、ガオガオンの司法OS直結の強制執行令状です」
サッ。
俺が突きつけた書類の末尾には、朱色に輝く俺のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)と、白銀の法廷印がビシッと押されていた。
リアクは息を呑み、次いで狂気の薄笑いを浮かべた。
「ク……ククク、ハハハハハッ! 令状だと? 紙切れ一枚で私を縛れると思うなよ! 私には『未来予知』がある! 貴様らがここへ踏み込んでくることも、全て私の計算通りなのだ! 地下牢のシアンをもう一度痛めつければ、世界は昨日の朝へリセットされる! 貴様らの勝ち誇った顔も、令状も、全て無に帰すのだよぉぉぉッ!!」
リアクは懐から小さな遠隔起爆魔導具を取り出し、地下牢の拘束具へ電流を流そうと親指を振り下ろした!
――だが。
「あ?」
ボフッ。
ロードが音もなく間合いを詰め、その鋭い爪先で、リアクの持っていた魔導具を虫ケラのようにプチリと握り潰した。
「何が『計算通り』じゃ、薄っぺらい三流貴族が。……お前、さっきから『未来予知』やのリセットやの喚いとるけどな。佐伯のおっちゃんの三文判で、この屋敷の因果律のタイムスタンプはすでに現在時刻でロックされとんのじゃボケェッ!」
「な……っ!? ロック……!? そ、そんなバカな……!?」
「おいロードさん。この男の相手は後だ。……まずは地下だぞ」
「おう、分かっとるわおっちゃん!」
俺とロードは、床で泡を吹くリアクを踏み越え、屋敷の奥――重厚な鉄扉で閉ざされた地下への階段へと向かった。
*
カツ……カツ……カツ……。
湿気とカビの臭いが立ち込める、地下最深部の隠し牢獄。
ロードが爪先で分厚いミスリルの格子戸を紙屑のように引きちぎると、その奥の殺風景な石牢の中に、痛々しい光景が広がっていた。
冷たい石床の上。
小さなボロ布にくるまれ、両手足を魔導拘束具で縛り付けられていたのは、まだ三歳にも満たない、淡い青髪の幼子――シアンだった。
その頬は痩せこけ、瞳には恐怖の涙が乾ききっている。
そして――子供の目の前に転がっていたのは、黒ずんだ鉄の器と、そこに盛られたドロドロとした灰色の流動食だった。
「……っ!」
その器を見た瞬間、ロードの全身のトサカが逆立ち、喉の奥から地鳴りのような唸り声が漏れた。
「……これや。間違いなく、ワテが数万年前に脱ぎ捨てた『始祖竜の卵の殻』の粉末や……。こんな高濃度の因果律マナの塊、大人の竜族ですら胃壁が焼け爛れる劇物やぞ……! それを、こんな離乳食も終わってへん人間の赤ん坊に、毎日無理やり流し込んどったんか……!?」
激怒で震えるロード。
シアンは、恐ろしい形相のトカゲ人を見て怯え、小さな身体をガタガタと震わせて涙を溢れさせた。
「う……ぅぅ……っ。ごめんなさい……ごめんなさい……っ! いたいこと、しないで……っ。ちゃんと、時間……もどすからぁ……っ」
殴られ、電圧を流され、苦痛に耐えかねて泣き叫ぶことでしか、生きることを許されなかった子供。
その姿を目にした瞬間――
パキリ。
俺の頭の中で、前世の総務課長時代にも数えるほどしか切れたことのない、理性のリミッターが静かに音を立てて外れた。
だが、怒鳴り散らしはしない。
俺は作業着の胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出すと、三粒まとめて奥歯で「ボリボリボリッ!」と噛み砕き、極限の冷徹さで神経を研ぎ澄ました。
「……ロードさん、拘束具を外しなさい」
「……おう」
ロードが細心の注意を払って爪先を動かし、シアンの手足の魔導手枷をパチンと外す。
俺は床に膝をつくと、作業着のポケットから清潔なタオルを取り出し、シアンの泥と涙で汚れた顔を、そっと優しく拭ってやった。
「シアンちゃん。……もう大丈夫だぞ。痛いことは何もないからな」
「お……じちゃん……?」
「ポポロ・コーポの管理人ですよ、佐伯のおじさんです。……お腹が空いたろ。冷たい石の床で、よく頑張ったな」
俺は腰の保温水筒を取り出すと、蓋のコップに、人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」をトクトクと注ぎ分けた。
そして、胸ポケットから取り出したのは、タローソンで買ってきたばかりの、素朴なセロファン包みの「ポポロ珈琲飴」――ではなく、子供用の『ミルクハニーキャンディ』。
「ほら、まずはこのぬるいお茶を一口飲みなさい。……劇物で荒れ狂った胃壁を温めて、中和するんだ」
シアンは震える小さな手でコップを包み込み、おずおずと口をつけた。
こくり……こくり……。
「………………っ!」
熱すぎず、冷たすぎない、完璧な三十七度五分。
卵殻の粉末で焼け爛れそうになっていた幼子の食道と胃袋へ、薬草の優しい滋養が染み渡っていく。
シアンの強張っていた小さな顔が、ふわりと温かな色を取り戻した。
「あったかい……。おなか、ぽかぽかする……っ」
「よしよし、いい子だ。……飴も舐めなさい」
飴を口に含ませてやると、シアンは「あまい……!」と、この数年間で初めてとなる、心からの無邪気な笑顔をこぼした。
俺はシアンをそっと抱き上げると、作業着の上着を脱いでその小さな身体をすっぽりと包み込んだ。
左胸のポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の安定した心音を感知して、トクン……トクン……と優しく、穏やかな微振動を返してきていた。
その温もりを感じ取ったシアンは、俺の首元に小さな手を回し、安心しきったようにスースーと寝息を立て始めた。
「……ロードさん、シアンちゃんを背中に乗せて、先に屋敷の外へ連れ出しなさい」
「おっちゃん……ワレはどうするんや?」
俺は老眼鏡をくいっと押し上げ、足元の茶色い便所スリッパを踏み鳴らした。
「決まってるでしょう。……あの上で待っている『自称・未来予知の侯爵様』に、現場の労働基準法と児童福祉法、そして昭和の総務課長のド正論を、骨の髄まで叩き込んでやるんですよ」
静かなる怒りを宿した四十男の背中。
時間を弄び、子供の涙を弄んできた悪徳貴族に対する、最も恐ろしく、最も逃げ場のない「現場の総括」が、いよいよ始まろうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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