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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 3

消えた売上金のタイムスタンプと、帝国インテリ眼鏡の極秘相談

 どれほど複雑怪奇な超常現象や神話の因果律の乱れが世界を揺るがしていようと、帳簿の数字とタイムスタンプの整合性を丹念に洗い出せば、そこに生じた「不自然な歪み」は必ず現場の台帳の上に染みとなって浮かび上がってくる。

 前世の総合商社時代、巧妙に日付を改ざんして架空取引を繰り返していた経理担当者の不正を、わずか数分の通信ログとタイムスタンプのズレから看破した時と、何一つ変わりはしなかった。

 翌朝、午前九時整。

 木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階、管理人室。

 初冬の冷気を含んだからりとした朝風が障子を揺らす中、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の老眼鏡を鼻先にかけ、ちゃぶ台の上に広げられた『表計算魔導ボード』の画面をじっと睨みつけていた。

「……やっぱり、おかしいな」

 俺は作業着の胸ポケットから、天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。

 口いっぱいに広がる生薬のほろ苦さを、保温水筒から注いだ人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」で胃袋へと流し込む。

 じんわりと温もりが五臓六腑へ染み渡り、朝の冷え込みで強張っていた胃壁がふっと落ち着きを取り戻す。

 左胸のポケットの中では、ウサギ村長キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の規則正しい心音を感知して、トクン……トクン……と優しく、穏やかな微振動を返してきていた。

「おっちゃん、何が『おかしい』んや? 村の朝の売上台帳、数字合わんのか?」

 ちゃぶ台の向かい側で、純金の金算盤をパチパチとリズミカルに弾きながら、キセルをくゆらせていたのは、ゴルド商会支店長兼CFOの三毛猫耳商人ニャングルだった。

 隣には、温かい陽薬茶を両手で包み込み、純白のウサギ耳をピクピクと揺らしながら、俺の作業着の袖に体を寄せてちょこんと正座している第43代村長キャルルの姿もある。

「数字の辻褄そのものは合ってるんだよ、ニャングルさん。……だが、この『決済ログのタイムスタンプ』を見てみろ」

 俺は赤ボールペンの先で、表計算魔導ボードのグリッド線の一角をトントンと叩いた。

 画面に並んでいるのは、ポポロ村の直売所やコンビニ『タローソン』、そして帝都と連動している電子マネー『ルナPay』の決済トランザクションログだ。

「昨日の午後二時三分、泥沼農園の特産肉椎茸の納入データが一度『決済完了』になっている。……なのに、そのわずか三分後、午後二時〇分に、まったく同じ取引番号のログがもう一度『新規トランザクション』として記録され直しているんだ」

「……は? 午後二時三分に終わった取引が、午後二時〇分にもう一回発生しとる……?」

 ニャングルの猫耳がピクリと跳ね上がった。

 金算盤を弾く手がピタリと止まる。

「さらにだ。先週の火曜日にも、村の境界ゲートの入退村管理ログで、通過時刻が十五分ほど過去へ巻き戻って上書きされている箇所が三件もある。……昨晩、キャルル村長が言っていた『時計の秒針が進んで、半秒戻って、また進んでいるような音のズレ』……あれは気のせいなんかじゃない。実際に、このアナステシア世界の時間軸ログそのものが、局所的に数分から数十分単位で『巻き戻されてやり直された形跡』なんだよ」

「う、嘘でしょ……!?」

 キャルルが息を呑み、長いウサギ耳をピンと立てて目を丸くした。

「私、昨日の夜、夜風の音を聞いててなんだかすごく気持ち悪い違和感があったんだけど……本当に時間が巻き戻ってたの!?」

「ああ。しかも、大宇宙管理局の神界システムですらエラーログとして検知できていない。現場の泥臭い会計データとタイムスタンプを突き合わせて初めて浮き彫りになる、極めて悪質で、極めて精密な『因果律の改ざん』だ」

 俺が青箱のハード煙草にジッポライターでカチリと火をつけ、紫煙を燻らせた――その時だった。

 コン、コン、コン。

 管理人室の濡れ縁の障子が、控えめに、だが極めて正確な等間隔で三度ノックされた。

 障子の隙間から、黒衣の裾を翻して音もなく姿を現したのは、人狼執事リバロンだった。

 手帳の銀時計をパチンと閉じ、深々と一礼する。

「失礼いたします、佐伯殿、村長。……極めて内密のお客様が、裏手の勝手口よりご到着されました」

「客? こんな朝早くに誰だ?」

 リバロンがスッと身を引くと、その背後から、目深に被った黒い外套のフードを払いながら、一人の長身の男が管理人室の敷居を跨いできた。

 仕立ての良いダークグレーの執務スーツ。

 銀縁のモノクルの奥で、理知的な双眸が光っているが――その両目の下には、三日三晩不眠不休で魔導モニターを睨み続けてきたかのような、漆黒の隈がべったりと張り付いていた。

「……朝早くから突然の無礼、お許しいただきたい、佐伯殿」

 ルナミス帝国の情報空間を統括する最高実務責任者――オルウェル内務官(四十五歳)その人だった。

「おや、オルウェルさん。……わざわざ帝都からお一人でどうされたんです? また皇帝陛下が突拍子もない勅令でも出しましたか」

「いえ……我が主の我儘などであれば、胃薬を噛み砕いて徹夜すれば済む話です。……しかし、今回ばかりは、帝国内務省の全権限を以てしても隠蔽しきれぬ、国家存亡の危機が水面下で進行しておりましてね」

 オルウェルは深々とため息をつき、濡れ縁に腰を下ろすと、スーツの内ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、水もなしに三粒まとめてボリボリと噛み砕いた。

 その仕草は、まさに現場の泥沼トラブルに直面した中間管理職そのものだった。

「……オルウェルさん、まずはその冷え切った胃袋を温めなさい。話はそれからだ」

 俺は卓上七輪の炭火をトングで少し広げると、小鍋で温めておいた朝の残りの味噌汁を椀に注ぎ分けた。

 泥沼農園から届いた肉厚な肉椎茸の乾燥軸でじっくりと出汁を取り、奇樹ネギオから届いた聖葱剣『ネギカリバー』の小口切りをドサッと散らした、素朴な豆腐と油揚げの味噌汁だ。

 さらに、保温水筒から注ぎ分けた人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」を添えて差し出す。

「どうぞ。……胃壁を温めて、神経を緩めなさい」

「……かたじけない、佐伯殿」

 オルウェルは震える手で湯呑みを受け取り、人肌のぬるい陽薬茶を一口啜った。

 ズズッ……ズズズッ……。

「………………ッッッ!!!!」

 熱すぎず、冷たすぎない、完璧な三十七度五分。

 徹夜のカフェインで荒れ狂っていた食道と胃壁を、薬草の素朴な温もりが優しく包み込み、引き攣れていた自律神経の結び目がふわりと解けていく。

 続いて、味噌汁の椀を口元へ運び、出汁を一口啜る。

「……美味い。肉椎茸の濃厚な旨味が、ネギの清涼感とともに五臓六腑へ染み渡っていくようだ……。この一杯で、ようやく思考の霧が晴れましたよ」

 オルウェルの青白かった頬に、微かに血色が戻った。

 一息ついた帝国のインテリ眼鏡は、モノクルを指先で直すと、懐から厳重に魔導封印が施された羊皮紙のファイルを取り出し、ちゃぶ台の上へ静かに滑り込ませた。

「佐伯殿、キャルル村長、ニャングル殿。……単刀直入に申し上げます。現在、帝都を中心に、原因不明の『既視感(デジャブ)』と、それに伴う要人暗殺・大規模経済テロが多発しております」

「……やっぱりか」

 俺が呟くと、オルウェルは驚いたように眉を上げた。

「お気づきでしたか。……さすがは佐伯殿だ。帝国の通信保安局が数週間かけてようやく掴んだ異常値を、すでに把握されていたとは」

「さっき、村の売上台帳のタイムスタンプに数分間の巻き戻りノイズが出ているのを見つけたばかりなんですよ。……一体、帝都で何が起きているんです?」

 オルウェルは声を潜め、冷徹な声音で語り始めた。

「帝都の闇に蠢く、ユニークスキル保持者のみで構成された凶悪な秘密結社――コードネーム『ナンバーズ』です。彼らはこれまで、完全犯罪を何度も成功させてきました。なぜなら……彼らの計画が万が一失敗しても、警察や騎士団が踏み込んだ瞬間に『時間の巻き戻し』が発生し、作戦開始前の過去へと事象ごと初期化されてしまうからです」

「時間の巻き戻し……! そんなチート、あり得へんやろ!」

 ニャングルが金算盤を叩いて叫ぶ。

「ええ、常識的にはあり得ません。しかし現実に、帝都の一等銀行の金庫破りや、警備網の突破において、犯行時刻の防犯魔導カメラの映像だけが『十五分前』へ不自然に巻き戻され、犯人は何食わぬ顔で包囲網をすり抜けているのです。……そして、内務省の独自調査により、この結社の首領の正体が判明いたしました」

 オルウェルが差し出したファイルの写真。

 そこに写っていたのは、プラチナブロンドの髪を完璧に撫で付け、冷酷なサイコパスの笑みを浮かべた若き大貴族――アルバード侯爵リアク(二十五歳)の姿だった。

「リアク侯爵……。ユニークスキル『未来予知』を持つと自称する男です。しかし実態は、予知などではない。時間を実際に巻き戻して『失敗の記録そのものを歴史から消去』しているのです」

「子供のゲームのリセットボタンかよ」

 俺は呆れ果てて煙草の灰を携帯灰皿へ落とした。

「負けそうになったら電源引っこ抜いてやり直す小学生のメンタルだな。……で、そのナンバーズが、なぜこのポポロ村に関わってくるんです?」

「……標的に選ばれたのです、このポポロ村が」

 オルウェルの瞳が、険しく細められた。

「リアク侯爵の組織は、急速に資金難に陥っています。そこで奴らが目をつけたのが――ゴルドスマイル銀行ポポロ村支店に集まる莫大なPG(ポポロゴールド)の流通資金、そして……村長公邸の地下シェルターに極秘保管されているという『純金百キロのインゴット』です」

「ヒエッ!? ルナちゃんの純金インゴット!?」

 キャルルが思わず悲鳴を上げて口を押さえた。

「はい。さらに奴らは、世界樹のエルフ令嬢ルナ殿の身柄をも狙っています。……すでにリアク侯爵は、配下の幹部能力者――『破壊』のワン、『コピー』のツー、『テレポート』のスリー、そして『千里眼』のフォーの四名を動員し、近日中にポポロ村への奇襲テロを仕掛ける計画を固めております」

 静まり返る管理人室。

 三大国を股にかける凶悪犯罪組織による、ポポロ村強襲予告。

 だが――

 その話を聞いていた俺の眉間には、恐怖などではなく、前世の現場監督時代に「無断で敷地内へ工事車両を乗り入れようとした悪徳産廃業者」を前にした時と同じ、冷徹な怒りの青筋がピキピキと浮かび上がっていた。

「……なるほどな」

 俺は作業着の胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出し、ちゃぶ台の上へコトッと置いた。

「自分の失敗を踏み倒すために時間を弄び、他人の村の財産に土足で手を突っ込もうってわけだ。……コンプライアンスも現場のルールもへったくれもない、ただの甘ったれたクソガキの泥棒集団じゃないか」

「佐伯殿……受けていただけますか。この件の解決を」

 オルウェルが深々と頭を下げる。

「ええ、引き受けましょう。ポポロ・コーポ管理人兼、村役場総務として、敷地内の治安と財産を守るのは当然の業務ですからね」

 俺が静かに微笑むと、隣で聞いていたキャルルが「健太さん……!」と目を輝かせ、ぎゅっと俺の腕に抱きついてきた。

 ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の打算ゼロの静かな心音。

 その鼓動を受け止めたキャルルのウサギ耳が、嬉しそうにパタパタと揺れる。

 ――だが、その時だった。

 キコキコキコキコッ! キコキコキコキコッ!!

 中庭の向こう、来客用駐輪スペースから、昨晩アパートに泊まっていったトカゲ人配達員ロード(始祖竜クロノ)が、愛車のママチャリを押しながら管理人室の前へ顔を覗かせた。

 その細長い瞳孔は、不気味なほど鋭く、低く濁った関西弁を漏らした。

「……おい、佐伯のおっちゃん。今の話、ワテにも詳しく聞かせてもらえんか」

「ん? ロードさん、どうしたんだ?」

 ロードはママチャリのスタンドをガチャンと立てると、額のゴーグルを外して、冷たい秋空を睨みつけた。

「その『時間の巻き戻し』の波長な……さっきからワテの身体の奥底が、チリチリと胸焼けみたいに疼いとるんや。……誰や知らんが、ワテの縄張りに泥を塗るような真似をしとる奴がおるなら、タダで済むと思うなよ……」

 十万馬力の始祖竜の鱗が、微かに神話の火花を散らした。

 時間を弄ぶ暗黒結社ナンバーズと、昭和の現場総務課長、そして時速八十キロの古代竜による、前代未聞の「時間リセット粉砕作戦」が、いま静かに幕を開けようとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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