EP 10
極寒の蟹工船ドナドナと、ポポロ村の秋晴れ更生シフト
どれほど華々しく着飾った巨悪の陰謀劇であっても、現場のプロによって証拠を押さえられ、適正な法的手続きにかけられてしまえば、あとは「事務的な刑の執行」と「散らかった現場の後片付け」が残るだけである。
それは、神々の住まう高天原であろうと、木造モルタルアパートの立つ辺境の農村であろうと何一つ変わりはしなかった。
午前十時半。
天界の最上層、白を基調としたミニマリズム溢れるオフィス。
床に広がる冷め切った『ソイカプチーノ』の染みの上で、シルク混紡スーツの襟首を万力のような力で鷲掴みにされていた炎上神ワイズは、白目を剥いて泡を吹きながらジタバタと手足を暴れさせていた。
「は、離せ……! 離してくださいヴァルキュリア部長ぉぉッ! 僕が……僕が蟹工船などという泥臭い現場に行けるわけがないでしょう!? 僕はアルゴリズムの天才ですよ!? 全宇宙のPVを牛耳るべき神格公務員なんですよぉぉぉッ!!」
「うるさいですね。往生際の悪さはマイナス百点です」
銀縁眼鏡を氷点下の光で冷たく光らせた天使族長ヴァルキュリアは、眉毛一本動かさず、空いた左手で純白の軍服の裾をサッと翻した。
そして――
ドォォォォォォンッッッッ!!!!
「ぎゃべらっっっ!?!?!?」
天界オフィスの純白の壁が派手にへこむほどの、電光石火のジャーマンスープレックス!
床に頭から突き刺さったワイズは、両脚を天に向けてピクピクと痙攣させた。
すかさず、背後に控えていた見習い女神リリスが、ポポロ村のホームセンター『タローマン』から取り寄せた特大の『魔導強化スーツケース(内側防音・耐衝撃仕様)』をパカリと開いた。
『……被疑者ワイズの意識消失を確認(棒)。これより梱包作業に入ります(棒)』
「ええ、手早く詰め込みなさい、リリス」
「はーい(棒)」
ヴァルキュリアとリリスの息の合った連携により、ぐったりとしたワイズの身体は二つ折りに畳まれてスーツケースの中へとスポリと収められた。
パチン、パチンと頑丈なバックルが締められ、仕上げにヴァルキュリアの手によって、ガオガオン法廷直轄の『差押・受刑者移送封印札』がベタベタと貼り付けられる。
ガラガラガラ……と、スーツケースを引く音がオフィスに響いた。
部屋の隅の空間がグニャリと歪み、極寒の吹雪の音と、ゴォォォォ……という巨大なディーゼル魔導エンジンの轟音とともに、異次元の航路が開かれた。
そこに見えるのは、荒れ狂う氷点下四十度の暗黒外洋を航行する、超巨大武装貨物船――極寒の蟹工船『シーラン・キャンサー号』の過酷な甲板だった。
「……行きなさい、ワイズ。三百年間、素手で巨大蟹の甲羅を割り続け、現場で働く命の重みをその骨の髄まで刻み込むといいでしょう」
ボフンッ!とスーツケースがゲートの向こうへ蹴り込まれ、空間の裂け目がピシャリと閉ざされた。
天界を騒がせ、数々の星々をヤラセで焼き尽くしてきた冷血の炎上神は、こうして全宇宙のアルゴリズムから完全に消滅し、最果ての労働現場へとドナドナされていったのだった。
*
一方――同日、正午過ぎ。
木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』が佇むポポロ村の秋晴れは、どこまでも澄み渡り、心地よい日差しが降り注いでいた。
自警団詰所の裏手、開墾が進む村の東部広場。
カツーン……ッ! ズシッ、ズシッ……!
硬質な土を掘り起こす、心地よい金属音が響いていた。
広場の中央で、ツナギの裾をまくり、額に安全第一の黄色いヘルメットを被ってスコップを振るっていたのは、元・契約勇者ゼロス(二十歳)だった。
十五センチのシークレットブーツはもうどこにもない。
足元には、タローマンで買ってきた頑丈な厚底安全地下足袋。
身の丈に合わないオリハルコンの金ピカ鎧を脱ぎ去り、泥にまみれながら、自らの二本の足でしっかりと地面を踏みしめてツルハシを振り下ろしている。
「ふぅ……! ふぅ……っ! イグニス先輩、ここの木の根っこ、掘り出せました!」
「おおっ、やるじゃねぇか新入り! 腰の入れ方が様になってきたぞ!」
広場の耐火ドームテントの前で、同じく黄色いヘルメットを角の間にねじ込んだ竜人族のイグニスが、豪快に笑いながら親指を立てた。
手には、先ほど自警団詰所から分けてもらったばかりの、炊きたての米麦草で作られた巨大な塩むすびが二つ。
「ほらゼロス、昼飯にすんぞ! 佐伯の旦那が差し入れてくれた、泥沼農園の肉椎茸の佃煮が入ったおにぎりだ! 汗かいた後の米は、帝都の高級レストランのステーキより百倍染みるぜ!」
「は、はいっ! いただきます!」
ゼロスは泥だらけの手をタオルでゴシゴシと拭くと、差し出されたおにぎりを受け取り、大きな口でバクリと頬張った。
もぐもぐ……ごくり。
「………………ッ!」
噛み締めた瞬間、ゼロスの目から、ポロリと一筋の涙がこぼれ落ちた。
美味い。
塩気の効いたご飯の甘みと、じっくり煮詰められた肉椎茸の濃厚な出汁。
虚栄心も、誰かを陥れるための演出も何一つない、ただ「働いて腹を空かせた身体」に染み渡る、本物の飯の味だった。
「うまい……うまいです、イグニス先輩……っ!」
「だろぉ? がはは! しっかり食って、午後もがっつり開墾すんぞ! お前が壊した駐竜場のブロック塀の弁済まで、あと銀貨三百四十九枚だからな!」
「はいっ! 頑張ります!」
更生への第一歩を踏み出したゼロスの顔には、かつてのペラペラな嘘の笑顔ではなく、爽やかな汗と少年の光が宿っていた。
そして――少し離れた村外れの廃工房の裏山。
パッコォォォォンッ! スパーーーンッ!!
見事な木霊を響かせながら、太い薪を正確無比に真っ二つに叩き割り続けていたのは、元・過激派ネフィリムの剣客ミラースだった。
腰に差していた妖刀『哭刀』はすでに成仏し、いまではタローマンの傘袋に入った極上の「和包丁」として、ダストンのちゃんこ鍋屋の厨房でピカピカに磨かれている。
ミラース自身の手には、ただの使い込まれた頑丈な鉄の斧。
だが、その無駄のない足さばきと刃筋は、無益な怨嗟を振りまいていた頃よりも遥かに鋭く、澄み渡っていた。
『フッ……筋がいいな、単細胞』
縁側の特等席で、眼鏡をくいっと押し上げながら表計算魔導ボードをチェックしていたインテリ奇樹ネギオが、満足げに蔦の腕を組んだ。
『午前中だけで薪を三百束、さらに堆肥用の落ち葉集めを二トン分……。貴様のその無駄な身体能力を農業ロジスティクスへ転用した結果、我が工房の暖房費および有機肥料の原価は、前年同月比で四十二パーセントの削減を達成した。費用対効果(ROI)の観点から言えば、極めて優良な戦力だな』
「……ありがたきお言葉」
ミラースは手ぬぐいで汗を拭い、ネギオへ向けて深く頭を下げた。
「拙者……これまで刀を振るうことしか知らず、己の刃で何を生み出しているのかすら考えたことがありませなんだ。……汗を流し、薪を割り、誰かの飯を煮炊きする火を支えることこそが、真の『武』の道であると……ネギオ殿のディベートと労働によって開眼いたしました」
『分かればよろしい。……ほら、たまんネギの賢者スープだ。飲んで一息入れろ』
「かたじけない……!」
ヤラセ劇団の鉄砲玉として利用されていた凶悪な剣客もまた、ポポロ村の現場の規律と農業経済学の手によって、見事な「真面目な丁稚」へと生まれ変わっていたのだ。
*
午後一時整。
ポポロ・コーポ一階、管理人室の濡れ縁。
秋風がサラサラと柿の木の葉を揺らす中、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の作業着の袖をまくり、出勤簿と日報のチェックを終えたところだった。
机の上には、村役場から回ってきた『損害賠償相殺就労進捗表』と、先ほど天界監査部から届いた『被疑者ワイズ・遠洋漁業刑執行完了通知書』。
俺は作業着の胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出すと、両方の書類の確認欄へ、迷いなくポンと押し込んだ。
ポンッ。ポンッ。
――ユニークスキル『管理人権限(最上位稟議決裁)』執行。
――案件:【第6章・炎上神ワイズ一味の不法侵入および業務妨害事案】。
――事象:全損害の賠償充当プロトコル完了、ならびに原状回復手続の終了を因果律確定。
淡い白銀の光が書類の表面を走り、宇宙法廷のログが静かに完了コードを記録した。
これで、すべては丸く収まったのだ。
「……ふぅ。やれやれ、これでようやく、一息つけるな」
俺は胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。
口いっぱいに広がる生薬のほろ苦さを、保温水筒から注いだ人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」で喉へ流し込む。
五臓六腑へじんわりと温もりが染み渡り、連日の騒動で強張っていた胃壁が、ふわりと完全に解けていく。
青箱のハード煙草にジッポライターでカチリと火をつけ、紫煙を満天の青空へと燻らせた。
「健太さん、お茶のおかわり、持ってきましたよ……♡」
パタパタパタ……と愛らしい足音を響かせ、濡れ縁へやってきたのは、純白のウサギ耳を揺らす第43代村長キャルルだった。
手には、湯気を立てる素朴な急須と、タローソンで買ってきたばかりの茶色いセロファン包みの「ポポロ珈琲飴」の小袋。
「おや、キャルル村長。ありがとうございます」
「えへへ……♡」
キャルルは嬉しそうに俺の隣へちょこんと腰を下ろした。
その長いウサギ耳が、ピクピクと愛らしく動き、俺の左胸の鼓動へと吸い寄せられるように傾く。
ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の穏やかで、一片の打算も下心もない静かな心音。
作業着の左胸ポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、その鼓動を受け止めて、トクン……トクン……と優しく、温かな共鳴を返してきていた。
「……健太さんの心臓の音、今日もすっごく静かであったかいです……」
キャルルはうっとりと目を細め、俺の作業着の袖にすり寄ってきた。
「炎上神様が来たり、偽物の勇者さんが暴れたり……一時はどうなるかと思いましたけど。健太さんがいてくれたおかげで、村の畑も、アパートも、みんなの笑顔も、ぜんぶ無事でした。……やっぱり健太さんは、この村の最高の管理人さんです♡」
「大袈裟ですよ、キャルル村長。俺はただ、現場のルールを守って、やるべき事務処理をしただけですからね」
俺が苦笑してキャルルの頭をぽんぽんと撫でてやると、キャルルは「えへへ……♡」と頬を朱に染め、ウサギ耳を嬉しそうにパタパタと揺らした。
――ピピッ。
管理人室の防犯モニター端末が、小さく待機音を鳴らした。
画面の端のワイプには、地下数千メートルの組事務所で、最高級テーラー仕立ての濃紺スリーピーススーツのジャケットを羽織り、競馬新聞のバックナンバーを眺めながら満足そうに葉巻を燻らす邪神デュアダロスの姿が映っている。
中庭には、竜王デュークが仕込む豚骨ラーメンの香ばしい湯気が立ち上り、遠くの街道からは、時速八十キロで爆走する始祖竜ロードのママチャリのベルが軽快に響いてきていた。
戦闘力わずか1馬力の中間管理職が、現場のコンプライアンスと三文判、そしてぬるいお茶で守り抜いた、かけがえのないオアシス。
魔境ポポロ村の秋の空は、どこまでも高く、穏やかに広がっていた。
(第6章・完/第7章へ続く)
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