EP 6
おい普通に戦え! ギャンブル中毒フェイトの「犬の葬式」却下
ポポロ村役場の一階、総務課の事務デスク。
朝の九時を回ったところで、俺は腕まくりをして木製の事務机に向かっていた。
ネギオの『ロイヤル皇帝カンチョウ液』の凄まじい衝撃によって、前世から引きずっていた万年腰痛と四十肩は嘘のように消え去り、身体のキレだけは新入社員の頃のように軽やかだ。
だが、軽くなった身体とは裏腹に、目の前にある羊皮紙の束をめくる俺の胃は、じわじわと前世の痛烈な重みを思い出しつつあった。
「……おいおい、民間軍事組織の勤怠管理って、どこの世界もこんなに無法地帯なのか?」
広げられた『ポポロ村自警団・出勤簿兼タイムカード』。
そこに並ぶ勤怠記録は、前世の中間管理職なら見た瞬間に労働基準監督署へ白旗を上げて土下座するレベルの惨状だった。
特に、一番上の段に鎮座する名札――『特別嘱託防衛官・フェイト・ラック(25)』の欄が酷い。
【月曜:有休(理由:偏頭痛)】
【火曜:欠勤(理由:吉凶占いの結果が凶方位)】
【水曜:遅刻(午後2時出勤・3時退勤)】
【木曜:有休(理由:飼い猫の精神的ケア)】
【金曜(本日):有休申請中】
出勤率、驚異の二割未満。
しかも村役場の台帳によれば、この男には村の防衛特別会計から「月給銀貨三十枚(約三十万円)」が満額支払われているという。前村長ロップが「三大国からの腕利きA級冒険者」という肩書きに目が眩み、ろくな雇用契約書も交わさずに特別待遇で引っ張ってきたツケだった。
「佐伯さん……申し訳ありません! 我が自警団の監督不行き届きです!」
デスクの脇で、鹿毛の馬胴をピシッと引き締め、ケンタウロス団長のマンミアが深々と頭を下げていた。
その赤褐色のポニーテールが、悔しそうに小さく揺れている。
「フェイトは確かに、本来の実力ならば単独で大型魔獣を両断するほどの剣術A・闘気Aを誇る屈強な戦士なのです! ですが……あの男のユニークスキル『コイントス』がすべての元凶でして……! 朝起きて硬貨を投げ、表が出れば能力二倍の無双状態になりますが、裏が出ると全ステータスが半減し、重度の鬱病のように布団へ潜り込んで一切出てこなくなるのです……!」
「で、今朝の有休申請の理由がこれか」
俺は卓上に置かれた申請用紙を指先でトントンと叩いた。
『事由:親友の従兄弟の隣のおばさんの友達の飼い犬が逝去したため、忌引休暇を申請します』
「マンミアさん」
「は、はいっ!」
「これ、もう本人と赤の他人だよね? 親友の時点で三親等どころか完全な部外者だし、そこから従兄弟、隣の家、友達、さらにその飼い犬って……地球の民法どころか天界の法廷でも忌引の範囲に入るわけがない」
「仰る通りです! ですが、問い詰めると『俺は今、裏が出ちまって心が砕けてるんだ……犬の霊を弔わないと呪われる……』と部屋の鍵を閉めて引きこもってしまい、力づくで引っ張り出そうにも、私のパイルバンカーでは隊舎の壁ごと粉砕してしまいますので……!」
マンミアが涙目で大きな耳を伏せる。
前世の総合商社時代にもいた。
パチンコの軍資金が尽きた朝に「ひいおばあちゃんの三回忌が急遽入った」と平然と嘘をつき、月に三回も架空の親族を葬り去っていたクズ社員が。
そういう輩を甘やかすと、真面目に汗水流して働いている現場の人間――今朝も広場で泥だらけになって清掃をしていた竜人のイグニスのような若手が、馬鹿を見る羽目になるのだ。
「……よし、現場指導に行くぞ」
俺は立ち上がり、机の引き出しから二つの『神器』を取り出した。
一つは、朝刊の『ルナミス新聞』をきつく棒状に巻き上げた即席のハリセン。
もう一つは、ポケットから取り出したインク内蔵式の三文判(佐伯)だ。
「マンミアさん、案内してくれ。自警団の男子寮へ乗り込む」
「は、はいっ! ご案内します佐伯さん!」
カツン、カツンと蹄の音を響かせ、マンミアが先導する。
村長公邸の裏手にある木造二階建ての自警団宿舎。その二階の最奥、二〇三号室の前に立つと、中から微かに「頼む……頼むから確変入ってくれよ……!」という男の切羽詰まった呟きと、ガチャガチャと銅貨を弄ぶ音が聞こえてきた。
ドアノブには「忌中・立ち入り禁止」の札。
俺はため息をつき、ドアをドンドンと強く叩いた。
「村役場総務補佐の佐伯だ。フェイト君、話がある。開けなさい」
「うげっ!? だ、誰だよ! 言っとくけど俺は今、親友の従兄弟の隣の……えーっと、犬の葬儀で取り込み中なんだよ! 有休の書類は出したはずだろ! 帰れ帰れ!」
あからさまな居留守と嘘八百。
俺は腰の鍵束から、管理人マスターキーを取り出すと、迷わず鍵穴に差し込んで一気に回した。
ガチャリ。
「ぎゃあああっ!? な、なんで合鍵持ってんだよ! 不法侵入だぞコラァ!」
ドアを蹴破る勢いで開け放つと、薄暗い部屋の万年床の上で、金髪の痩せた青年が跳ね起きた。
仕立ての良いミスリルプレートの防具を脱ぎ散らかし、ヨレヨレの下着姿で魔導通信石の競馬中継画面を睨みつけている。手元には十枚以上の銅貨が散乱していた。
「フェイト・ラック君だな」
「そ、そうだけど……なんだよその作業着のおっさん! マンミア団長、部外者を勝手に連れ込むなよな! 俺はA級冒険者様だぞ!? 今朝のコイントスで裏が出ちまって、ステータスが全部半減してんだよ! こんな状態で外に出たら、スライムに小突かれただけで死んじまうんだ! 労働者の命を守るための正当な権利だろ有休は!」
喚き散らすフェイトの鼻先に、俺は赤ペンで巨大な×印を書き殴った申請用紙を突きつけた。
「有給、却下だ」
「はぁぁぁ!? なんでだよ!」
「就業規則第12条。忌引休暇の対象は配偶者および二親等以内の血族に限る。犬の葬式なんざ認可されるわけがない。だいたいな、君のその『コイントス』だかなんだか知らんが、仕事の成否を毎朝ギャンブルに丸投げするな。プロなら期待値や運に頼らず、素のスペックで安定した成果を出すのが現場のコンプライアンスだ」
「知るかよそんなもん! 俺のスキルは運がすべてなんだよ! 裏が出たら動けねぇもんは動けねぇんだ! 文句があるなら月給三十万払ってから言え――」
その瞬間、俺の手が動いた。
――【敷地内絶対平穏】適用。
――事象:自警団員の悪質な怠業および公序良俗違反。
丸めたルナミス新聞が、空気を切り裂いてフェイトの頭頂部へ振り下ろされた。
バシィィィッッ!!
「痛ぇぇぇぇぇぇぇッ!?!?!?」
フェイトは両手で頭を抱え、床をのたうち回った。
防御魔力も、A級冒険者の身かわしも一切通用しない、昭和の総務課長による絶対懲罰打撃。
「な、なんだよこれ!? 俺、一応ドラゴンブレスの直撃にも耐える耐性スキル持ちだぞ!? なんで新聞紙で頭蓋骨がきしむほど痛ぇんだよ!!」
「痛いのはサボろうとする甘えが骨まで染み付いてるからだ。ほら、さっさとミスリルの鎧を着て装備を整えろ。西の街道沿いに、三大国の残党か野盗の斥候が出たって通報が入ってる。現場へ行くぞ」
「行かねぇよ! 無理だって言ってんだろ! 今の俺は戦闘力半減のヘタレなんだよぉぉ!」
泣き叫んで万年床にしがみつくフェイト。
俺は無言で胸ポケットからインク内蔵式三文判を取り出し、自警団の強制出動命令書の決裁欄へポンと叩き込んだ。
ポンッ。
――ユニークスキル『最上位稟議決裁』直結承認。
――対象者:フェイト・ラック。
――『労基法に基づく職務命令違反アラート』を魂に同期。
「ヒエッ!?」
フェイトの尻のあたりがジリジリと熱を帯び、天界の法廷AI『LEX-LUCIANA』からの不可視の処刑レーザーの照準音が脳内に直接鳴り響いた。
『警告:職務命令を拒否した場合、即時マグローザ漁船遠洋解体ラインへの強制出向が執行されます』
「な、なんだこの頭ン中の恐ろしい声はぁぁ!? 分かった! 行く! 行けばいいんだろチクショウッ!!」
半泣きで防具を引っ張り出し、愛用の魔導両手剣を背負うフェイト。
後ろで見ていたマンミアが、両手を胸の前で組み、うっとりとした眼差しで俺を見つめていた。
「す、素晴らしい……! あの頑ななフェイトを、新聞紙一枚と書類の手続きだけで完全に動かすなんて……! 佐伯さん、やはりあなたは人心掌握の天才です……!」
「いや、ただの労務管理だよ。サボる部下のケツを叩くのは総務の日常茶飯事だからね」
*
村の西側、荒野へと続く砂利道。
街道の物陰から、凶悪な面構えをした山賊の一団――十数名の武装兵が、ポポロ村の防壁を偵察しているのが見えた。
全員が粗野な皮鎧に身を包み、大ナタや魔導ボウガンを構えている。
「へへへ……前村長が高飛びして村は混乱してるはずだ。あの防壁の機関銃の隙を突いて、倉庫の食糧を根こそぎ奪ってやるぜ」
草むらに潜む山賊たちを前に、連れてこられたフェイトはガタガタと膝を震わせていた。
「ひ、ヒィィ……! あいつら、懸賞首の『黒蜘蛛団』の残党じゃねぇか! 無理無理! 今の俺はコイントス失敗中なんだ! ステータス半減で挑んだら返り討ちだぁ!」
フェイトは震える手で懐から銀貨を取り出し、空中へピンッと弾いた。
「頼む……! 一発逆転、表が出てくれぇぇぇッ!!」
回転する銀貨が、パシッと手の甲の上に落ちる。
恐る恐る指を退けると――そこにあったのは、冷酷な『裏』の刻印だった。
「ぎゃあああああッ!? 二連続の裏ぁぁぁッ!? 終わった……俺の人生終わった! これでステータスは四分の一だぁぁぁッ!!」
頭を抱えて地面に突っ伏そうとするフェイト。
その情けない尻に向かって、俺は愛用の便所スリッパを容赦なくフルスイングした。
パッコーーーンッッ!!
「ぎゃんっ!?」
「てめぇぇ! 有給却下だ、普通に戦えッ!!」
俺の怒声とともに、『管理人権限(労基コンプライアンス)』が強制発動した。
――【現場安全第一・職務専念義務】適用。
――フェイト・ラックのユニークスキル『コイントス』によるデバフを「業務上のサボり行為」と認定。
――スキル効果を強制リセットし、本人の生体基本スペック(剣術A・闘気A)を百パーセント開放します。
シュバァァァッ!と、フェイトの全身から眩い蒼白の闘気が吹き上がった。
四分の一に縮んでいたはずの筋肉が脈打ち、大気を震わせるほどのプレッシャーが周囲の砂利を巻き上げる。
フェイト自身が、自分の両手を見つめて目を白黒させた。
「え……!? か、身体が軽い……!? 裏が出たはずなのに、闘気が……溢れてくる!?」
「当たり前だバカ野郎! 君は元々、コイントスなんかに頼らなくても十分強いんだよ! 月給三十万円分の働きをしてこい! 定時までに終わらせないと残業代は出さんぞ!!」
「お、おおおおおおっ……!!」
スリッパの激痛と、怒涛のように湧き上がる闘気に背中を押され、フェイトは背中の大剣を一閃して鞘から引き抜いた。
その切っ先から放たれる青い斬撃が、街道の空気を引き裂く。
「なんだテメェらはァッ!? ポポロ村の食糧に手を出すんじゃねぇぇぇッ!!」
ドゴォォォンッ!!
音速を超えた突進。
山賊たちが「ひっ、な、なんだこの化け物は!?」と悲鳴を上げた瞬間には、フェイトの放った大剣の峰打ちが横一文字に炸裂していた。
一撃で四人が吹き飛び、残りの山賊たちも蒼白の闘気の突風に巻き込まれて武器を取り落とし、地面に叩きつけられる。
わずか十秒。
街道を脅かしていた山賊団は、全員白目を剥いて転がっていた。
正真正銘、A級冒険者の圧倒的な実力だった。
「はぁ……はぁ……倒し、ちゃった……。コイントスのバフなしで……俺、勝てたのか……?」
大剣を杖のように突いて呆然とするフェイト。
俺は歩み寄り、胸ポケットから取り出した『出勤簿』に、赤ペンで大きく「出勤確認済」と書き込み、三文判をポンと押してやった。
「やればできるじゃないか。実力はあるんだから、これからは毎朝ギャンブルで仕事をサボろうとするな。定時まで真面目に警備をこなせば、毎月三十万円は確実に手に入るんだ。堅実に生きなさい」
「さ、佐伯の……おっさん……」
フェイトの瞳に、じわりと大粒の涙が浮かんだ。
これまで誰からも「運任せのギャンブル野郎」と呆れられ、前村長からは金で放置されていた青年が、初めて正面から自分の実力を認められ、叱られたのだ。
「うわああああん! おっさん! 俺、明日からちゃんと定時に出勤するよぉぉぉッ!!」
「はいはい、泣かないの。ほら、山賊たちを縛って詰所へ連行するぞ。マンミアさん、手伝ってくれ」
「は、はいっ喜んで!!」
マンミアが目を潤ませ、パイルバンカーのシールドを抱えて駆け寄ってくる。
その視線には、もはや隠しようもないほどの熱烈な敬意と憧れが宿っていた。
「素晴らしいです佐伯さん……! 迷える若者の心の弱さを断ち切り、自らの足で立たせる……まさに理想の上司、理想の殿方です……! 私のこの背中、いつか必ずあなたに乗っていただかなくては……!」
「いや、馬車があるから大丈夫ですよ」
軽く受け流しながら、俺は青空を仰いで深く煙草の煙を吐き出した。
よし、これで午前の厄介な勤怠トラブルは一件落着だ。
昼飯は管理人室に戻って、ネギオのネギをたっぷり入れた炒飯でも作ろうか。
そう思って踵を返した俺の耳に、村役場の方向からニャングルの切羽詰まった関西弁の絶叫が風に乗って届いた。
「佐伯のおっちゃぁぁぁん!! 助けてぇぇぇ!! 村の特産品畑で、メロロン農家の泥沼夫妻がまた夫婦喧嘩して、家庭崩壊の危機なんやぁぁぁッ!!」
俺はポケットから胃薬の小瓶を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。
どうやら、俺の定時退勤への戦いは、まだまだ終わらないらしい。
読んでいただきありがとうございます。
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