第六章 炎上神ワイズのヤラセ勇者劇団〜課金勇者ゼロスと妖刀ミラースの悲劇〜
ソイカプチーノの意識高い系神と、地獄のマッチポンプ企画書
どれほど強大な神話の怪物を手懐けようと、どれほど凶悪な任侠邪神をアパートの防犯顧問に据えようと、組織という巨大なピラミッドが存在する限り、現場の平穏を最も理不尽に脅かすのはいつだって「数字だけしか見ない、現場を知らない本社の意識高い系エリート」である。
こればかりは、前世の総合商社時代から異世界へ転生した現在に至るまで、銀河の果てまで変わらぬ絶対の真理だった。
午前八時整。
木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階、管理人室の濡れ縁。
晩秋の凛とした朝風が、庭先の柿の木をかすかに揺らし、抜けるような青空が広がっていた。
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の作業着の袖をまくり、縁側に腰を下ろして朝のルーティンをこなしていた。
まずは保温水筒から、人肌温度(三十七度五分)に保たれた黄金色の「ぬるい陽薬茶」を湯呑みへと注ぎ、ズズッと喉へ流し込む。
胃袋の奥底からじんわりと温もりが広がり、五臓六腑が穏やかに目を覚ましていく感覚。
続いて、作業着の胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。
「……よし、今朝も胃の腑は安定してるな」
ちゃぶ台の上には、先ほど平らげたばかりの素朴な朝飯の空き膳。
米麦草のホカホカ炊きたて白飯に、泥沼農園から届いた肉椎茸の乾燥軸で出汁を取った豆腐と油揚げの味噌汁、そして奇樹ネギオから届いた聖葱剣『ネギカリバー』の小口切りをドサッと乗せた納豆ご飯。
仕上げに青箱のハード煙草にジッポライターで火をつけ、紫煙を青空へと細く燻らせる。
左胸のポケットの中では、ウサギ村長キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の規則正しい心音を感知して、トクン……トクン……と優しく温かな微振動を刻んでいた。
中庭に目をやれば、昨日の大騒動が嘘のように平和な日常が流れている。
自警団詰所の裏庭では、敷金没収ペナルティを減点相殺してもらった竜人族イグニスが、広場のテントの前で上機嫌に朝の素振りをこなし、女子棟の二階ベランダからは、月収二億円の脱走天使キュララが「リスナーのみんな、おはよ〜☆」と朝の雑談生配信を回している声が微かに漏れ聞こえていた。
任侠邪神デュアダロスによる地下数千メートルからのリモート防犯カメラも順調に待機モードで稼働中。
すべてが平穏、すべてが定時退勤コース。
俺は何の憂いもなく、午前中はアパートの二階共用廊下の蛍光魔導管の交換作業に勤しむつもりだった。
――ピピピピピピッ! ピピピピピピッ!
フォォォォォォン……ッッッ!!
突如として、管理人室のちゃぶ台の上に据え付けられた神界直轄の公務用大型魔導モニターが、けたたましいアラート音とともに勝手に強制起動した。
画面の中央に、血のように赤い太字の警告ログが点滅する。
『緊急招集:GOD大宇宙管理局・アナステシア星区【臨時アルゴリズム戦略・コンテンツ査定会議】を開始します。担当神格公務員は直ちに回線へ接続してください』
「げぇぇぇっ!? 臨時査定会議ぃぃぃっ!?」
廊下の向こうから、小豆色芋ジャージを着崩した金髪の世界神ルチアナが、飲みかけの缶ビールを片手に血相を変えて転がり込んできた。
頭には『月人命♡』のハチマキを巻いたままだ。
「健太ぁぁぁっ! 隠して! あたしを押し入れに隠してぇぇぇっ! またあいつよ……! あのマイタンブラー持った意識高い系のクソ眼鏡が、あたしの世界にケチをつけに来たのよぉぉぉッ!」
「押し入れに入ったところでモニターの神気追跡からは逃げられんだろうが。……だいたい、朝の八時から缶ビール開けてるお前が全面的に悪いんだよ」
俺が呆れ果てて丸めたルナミス新聞でルチアナの尻をペシッと叩いた瞬間――
魔導モニターの画面がカチリと音を立てて分割され、天界の特設オンライン会議室へと直結した。
*
モニター越しに映し出されたのは、白を基調とした無駄に洗練された天界のプライベートオフィスだった。
デスクの中央に座っていたのは、仕立ての良すぎるシルク混紡のデザイナーズスーツを羽織り、ブルーライトカットの銀縁眼鏡を鼻先にかけた、端正な顔立ちの青年神。
右手には、特注のスタイリッシュなマイタンブラー。
中に入っているのは、人肌どころか完全に冷め切った『ソイカプチーノ(無糖・常温)』。
そして膝の上には、天界の最新鋭薄型神格ノートPC『エンジェル・ブック・プロ』が広げられ、パチパチパチ……と小気味よいキータッチ音が響いていた。
GOD大宇宙管理局・第3種惑星創造神格公務員(アルゴリズム特待枠)――炎上神ワイズその人である。
『……やあルチアナさん、おはようございます。今日も相変わらず、芋ジャージに缶ビールですか。朝から低エントロピーな生活をエンジョイされているようで、何よりですね』
ワイズはタンブラーに口をつけ、冷ややかな視線を画面越しに投げてきた。
その声音には、下界の生命や同僚に対する敬意など微塵も存在しない。あるのは、数字とアルゴリズムの絶対勝者だけが纏う、冷酷にして傲岸不遜な選民思想だけだった。
「うるっっっさいわねワイズ! 定例会議は月末に終わったばかりでしょ! なんで週明けの朝から臨時会議なんか開いてんのよ!」
『決まっているでしょう。……アナステシア星区の“PV不良債権化”があまりにも目に余るからです』
カタッ!とエンジェル・ブック・プロのトラックパッドが叩かれ、画面の共有スペースに、複雑怪奇な折れ線グラフとアクセス推移ログが展開された。
『見てください、この平坦なトラフィックカーブ。三大国の国境線は不戦協定で安定し、魔王城の予算は健全化され、ダンジョンの凶悪邪神までアパートの防犯カメラを見張りながら大人しく競馬新聞を読んでいる……。茶番もいいところだ。GodTubeの全宇宙アルゴリズムが求めているのは、そんな長閑な田舎のスローライフじゃないんですよ。視聴者(上位神格)が課金し、リテンションレートを跳ね上げるのはいつだって――“血で血を洗う破滅のスペクタクル”と“理不尽な絶望の阿鼻叫喚”だけです』
ワイズは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、冷酷な薄笑いを浮かべた。
『炭素生命体が数千人、数万人単位でミンチになって焼き尽くされるからこそ、人は画面に釘付けになり、スパチャを投げ、神界のインプレッションは極大化する。……平和? 調停? ちゃんこ鍋? 虫唾が走る。そんなものはPVをドブに捨てるだけの怠惰なオナニーに過ぎない。だから――僕が動くことにしたんですよ』
「動くって……あんた、何する気よ!?」
『簡単なことです。僕がプロデュースする、最高純度の“マッチポンプ炎上劇場”の開演ですよ』
画面に映し出されたのは、分厚い企画書だった。
表紙には、悪趣味なフォントでこう銘打たれている。
【極限炎上・救世主誕生プロジェクト:緩衝地帯ポポロ村・殲滅&神聖浄化ライブストリーミング】
『脚本はすでに完成しています。まず先遣隊として、過激派ネフィリムの剣客ミラースを村へ送り込み、あらゆる物理障壁を切り裂く妖刀『哭刀』でポポロ村の防壁と田畑を焼き討ちにさせる。絶望に泣き叫ぶ無力な村人たちの叫びを、使い魔ドローンで全宇宙へ4K超高画質生中継するんです。……そして村が灰燼に帰す寸前、僕が巨額の神界クレジットを投じて育成した特務契約勇者ゼロス・ディバインが颯爽と降臨し、悪の剣客を叩き斬って村の生き残りを救済する! 完璧なマッチポンプ! 予想同接は二億人、投げ銭総額は金貨千万枚を軽く突破します!』
「ふ、ざっけんじゃないわよぉぉぉッ!!」
ルチアナが泡を吹いて画面へ身を乗り出した。
「何がマッチポンプよ! ただの悪趣味なヤラセ虐殺じゃない! ポポロ村の住民はみんな真面目に畑を耕して、朝からネギのディベートして、家賃払って生きてんのよ! あんたの数字稼ぎの薪にされてたまるかぁぁッ!!」
『おや、感情論ですか? 下界の矮小な蟻どもが何匹死のうと、全宇宙の総質量には何の影響もありませんよ。むしろ、神々のエンタメの糧として消費されるのだから名誉なことじゃないですか』
平然と吐き捨てられる、絶対の生命冒涜。
その瞬間だった。
「ひっ……!」
画面の片隅――別のワイプ枠で怯えた小さな悲鳴が上がった。
見習い女神のリリスだった。
ワイズの放つ冷酷な死の気配に本能的なトラウマを呼び起こされたのか、顔面を真っ白にしてカタカタと震え、脱兎のごとく背後へと逃げ出していた。
そして――逃げ込んだリリスを抱きとめたのは、天界監査部の冷徹な委員長、天使族長ヴァルキュリアだった。
バチバチバチッ……! ドォォォォォンッ!!
ヴァルキュリアの銀縁眼鏡の奥の瞳が、絶対零度まで凍りついた。
背後に立てかけられていた聖槍グラニから、一億ボルトの青白い神聖雷が狂ったように漏れ出し、天界オフィスの窓ガラスにピキピキと無数のヒビを入れていく。
『リリス、私の後ろにいなさい』
ヴァルキュリアの低く澄み渡る声が、空間をビリビリと震わせた。
『――ワイズ。貴様、今すぐリリスの視界から消えろ。……その下劣極まりない口を二度と開けぬよう、喉笛を聖槍で床に縫い止めてやろうか』
『おやおや、怖いですねヴァルキュリア部長』
だが、ワイズは眉毛一本動かさず、ソイカプチーノを一口啜った。
『いくら睨んでも無駄ですよ。この企画書は、すでに大宇宙管理局・中央理事会のアルゴリズム自動審査を通過し、暫定認可が下りています。……ねえ、星区統括リーダーのオリンさん?』
カメラが切り替わり、画面の中央下部に映し出されたのは、顔面を土気色にして頭を抱えていた主神オリンだった。
ピカピカの後光は完全に立ち消え、目の下には漆黒の隈。
机の上には、天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』の業務用特大ボトルが転がっている。
『う、うぐぅ……ワ、ワイズ君……! いくらPVが必要だからといって、ポポロ村を標的にするのは……あそこには三大国の首脳や聖獣たちも関わっていて……!』
『だからこそ、炎上させた時の熱量が最大化するんじゃないですか。オリンさん、あなた、来月には第2種・銀河創造神格公務員(銀河神)の昇格試験を控えているんでしょう? この企画がミリオンヒットを飛ばせば、星区全体の業績ポイントとしてあなたの加点にもなる。……まさか、自分の保身のために、神界本社の成長機会を潰す気じゃありませんよね?』
『う、胃が……! 胃壁が……炭酸水で溶かされたゼラチンみたいに……破裂するぅぅぅっ……!』
ボリボリボリッ! ガリボリッ!!
オリンは水なしでストマック・オメガ錠を四粒まとめて貪り食い、画面越しに泡を吹いて椅子からずり落ちかけた。
典型的な、現場を知らないエリートの数字攻勢に押し切られる中間管理職の姿だった。
『フフ、話は決まりましたね。……すでに先遣隊のミラースと勇者ゼロスには出撃命令を出しました。本日の午後、ポポロ村の西側境界ゲートにて、極上のマッチポンプショーが幕を開けます。……ルチアナさん、せいぜいモニターの前で、自分の創った世界が美しく炎上する様を指をくわえて眺めていることですね』
プチッ。
一方的に通信回線が切断され、管理人室の魔導モニターが暗転した。
「うわああああんッ! 健太ぁぁぁっ! どうしよう、あいつ本気よ! ポポロ村が焼き討ちにされちゃうよぉぉぉッ!!」
ルチアナが畳の上を転がり回りながら絶叫する。
だが――
その大騒ぎの真ん中で、俺は吸いかけの青箱のハード煙草を携帯灰皿へゆっくりと揉み消すと、作業着のポケットから『ストマック・オメガ錠』をさらに一粒取り出し、ポリポリと噛み砕いてから、深々とため息を吐き出した。
「……やれやれ。前世の大手広告代理店にもいたよ、ああいう奴がな」
「え……?」
「現場の汗も泥も知らんくせに、横文字のマーケティング用語とプレゼンシートだけで仕事を回した気になって、現場に理不尽なトラブルを撒き散らしていく意識高い系の若手プロデューサーがな」
俺は濡れ縁から立ち上がり、足元の『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』をポンポンと軽く踏み鳴らした。
胸ポケットから老眼鏡を取り出し、作業着の胸元を正す。
その瞳の奥には、数々の修羅場を現場の正論と段取りだけで鎮圧してきた、元・総務部危機管理課長の冷徹な光が静かに宿っていた。
「ルチアナ様。騒ぐ暇があったら、村役場の自警団詰所へ内線魔導電話を回しなさい」
「け、健太……? 何を準備するの……?」
「決まってるでしょう。……無許可のゲリラ撮影ロケと、刃物の持ち込み、そして厚底靴による農道の器物損壊だ。現場の安全衛生管理責任者として、即座に『退去処分』の通告書を作って迎撃するぞ」
昭和の現場総務課長と、数字狂いの冷血神が仕掛けるヤラセ劇団との全面戦争の火蓋が、いま静かに切って落とされようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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