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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 10

厚底勇者の現場退去処分と、後光ハゲ主神の胃壁大救済

 どれほど神界の威光を背負った特務勇者であろうと、労働安全衛生規則を無視し、十五センチの上げ底ブーツで農道を踏み荒らす者は、現場の総務責任者から見ればただの「労災予備軍」に過ぎない。

 午後二時半。

 ポポロ村の西側境界ゲート。

 怨嗟の泣き声を撒き散らしていた妖刀『哭刀』をワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)ひと押しで成仏させ、タローマンの傘袋へスポッと収めた俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、青箱のハード煙草をくわえ直しながら、目の前でガタガタと震える純金メッキ鎧の男――契約勇者ゼロスへと歩み寄った。

「ひ、ヒィッ……! な、何だ貴様は……!? ミラースの妖刀を……素手で掴んで除霊しただと……!?」

 ゼロスは引き攣った顔で後退りしようとするが、十五センチの特注魔導シークレットブーツのせいで足首がグニャリと傾き、派手にバランスを崩して尻餅をつきかけた。

 俺は深くため息を吐き出すと、手にした出勤簿のバインダーの角で、ゼロスの純金メッキ兜の眉間をペシッと軽く叩いた。

 パシッ。

「危ない足取りだな、おい。言っただろ、そんな重心の定まらない厚底履いて農道を歩くなって。足首の靭帯を痛めたら、全治三週間の労災案件だぞ」

「な、何を上から目線で……! 僕は神界の契約勇者だぞ! 炎上神ワイズ様から無制限の神界クレジット枠を付与された、選ばれし正義の代行者だ! 貴様のような1馬力の農民が、僕に指図するなど――」

 ゼロスが虚勢を張って立ち上がろうとした、まさにその瞬間だった。

 ピピッ! フォォォォォン……ッッッ!!

 俺の作業着の胸ポケットに収められていた、あの白銀と黒漆の代紋入り名刺――特級更生受刑者・邪神デュアダロスから直々に授かった『最高顧問名刺』の通信回路が、突如として激しく青白い神気を放ち始めたのだ。

 虚空に浮かび上がったのは、未踏ダンジョン最深部の組事務所から中継された、特大のリアルタイム立体ホログラム。

 最高級テーラー仕立ての濃紺スリーピーススーツを完璧に着こなし、黒漆デスクに革靴を投げ出したオールバックの邪神が、黒鉄の旧式自動拳銃(魔導チャカ)の銃口を画面越しにゼロスの眉間へピタリと突きつけていた。

『……あぁん? 誰に向かってデケぇ口利いとんのじゃ、金ピカのチンドン屋が』

 ドォォォォォォォンッッッッ!!!!

 境界ゲートの大気全体が、まるで十万トンの水圧をかけられたかのようにキシキシと音を立てて軋んだ。

 本物の惑星崩壊級の殺気。

 デュアダロスの黄金の双眸が細められ、ドスの利いた重低音が地響きとなってゼロスの鼓膜を叩き割らんばかりに響き渡る。

『おい佐伯の兄ちゃん。……その足元の厚底履いたモヤシ野郎、俺のシマ(ポポロ村)でキャンキャン吠えて五月蠅(うるさ)くて敵わんのじゃが。……今すぐ画面越しに指パッチン一発で、スーツごとミンチにして更地に埋めたってええか?』

「ヒエッッッッッ!?!?!? ひ、悲鳴!? だ、誰だ貴様はぁぁぁぁっ!?」

 ゼロスは顔面を蒼白どころか土気色に染め上げ、股間を押さえて失禁寸前で腰を抜かした。

 神界公認の勇者といえど、相手は太古の大戦で無数の星々を塵に変えて更生監獄に叩き込まれた本物の任侠邪神である。格が、次元が、背負ってきた修羅場の数が違いすぎた。

「待ってくださいデュアダロス様、撃っちゃダメです」

 俺はインターホン魔導具へ向かって手をひらひらと振った。

「境界線の石畳に血を流されると、高圧洗浄機で洗い流すのに一時間残業する羽目になりますからね。……ゼロスさん、聞こえましたね。これ以上の不法侵入と威嚇行為は、当アパート防犯規約およびポポロ村条例違反として、即時実力行使の対象になります。……お引き取り願えますか?」

「お、覚えてろぉぉぉぉぉッッ!! 僕をコケにしたこと、絶対に後悔させてやるからなァァァッッ!!」

 ゼロスは十五センチのシークレットブーツを左右に脱げ散らかしながら、靴下履きの無様な姿で街道の彼方へと転がるように逃走していった。

 残された過激派ネフィリムの剣客ミラースは、愛刀を傘袋に没収されたまま「拙者の魂が……成仏してしもうた……」と白目を剥いて地面にへたり込んでいたが、インテリ奇樹ネギオが蔦の手を伸ばして襟首をヒョイと吊り上げた。

『フッ……単細胞の剣客め。貴様には、我が工房の薪割りと堆肥運びで、労働の尊さと減価償却のイロハをみっちり叩き込んでやろう』

「ネギオ先生、よろしくお願いします。朝夕の点呼は抜かりなくやってくださいね」

『任せておけ、佐伯の旦那』

 こうして、炎上神ワイズの送り込んだヤラセ劇団の先遣隊は、昭和の現場監督の安全指導と任侠邪神の威嚇によって、一兵も損なうことなく完全に撃退されたのだった。

      *

 午後五時整。

 秋の釣瓶落としの夕陽が、ポポロ村の茅葺き屋根とポポロ・コーポの木造モルタル壁を、柔らかな茜色に染め上げていた。

 一日の外回り点検を終え、管理人室の濡れ縁で作業着の袖をまくっていた俺の耳に――

 シュウウウゥゥゥ……ッ! ドサリッ……!

 中庭の芝生の上に、絵に描いたような「限界サラリーマンの死体」がテレポートで降臨した。

 仕立ての安そうな量産型グレーのスーツは皺だらけ、ネクタイは斜めに曲がり、頭頂部の後光はバッテリー切れの電球のようにチカチカと頼りなく点滅している。

 天界の星区統括リーダー――主神オリンその人だった。

「さ、佐伯君んんん……っ! もう……もうダメだ……胃が……胃壁が炭酸水で溶かされたゼラチンみたいにボロボロだよぉぉぉっ……!」

 ボリボリボリッ! ガリボリッ!!

 オリンは這いつくばったまま、スーツの内ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』の特大ボトルを取り出し、親指大の錠剤を水もなしに四粒まとめて噛み砕いた。

 俺は深くため息を吐き出すと、縁側からサンダルを突っ掛けて降り、オリンの両脇を抱えて濡れ縁へと引っ張り上げた。

「はいはい、芝生の上で転がらない。服に泥がつきますよ。……オリンさん、どうしたんですか一体。また天界で揉め事ですか?」

「揉め事どころの話じゃないんだよ佐伯君……!」

 オリンは濡れ縁に正座し、両手でスキンヘッドを抱えて号泣した。

「来月……来月はいよいよ、私が数万年待ち望んだ『第2種・銀河創造神格公務員(銀河神)』の最終昇格試験なのだ……! それなのに……! ワイズの奴が『アナステシア星区はPVが低迷している、僕が炎上マッチポンプで活性化してやる』と上層部の理事会に勝手な企画書を提出しおってね……! カグヤからは『男性神の加齢臭が神界チャットに充満して不快ですわ』とハラスメント申告を突きつけられ、ルチアナは経費精算の領収書を一枚も出さずに福岡のライブへ逃亡……! もう、胃が……心臓が……プレッシャーで押し潰されそうなんだぁぁぁッ!!」

 涙と鼻水を撒き散らし、子供のように泣きじゃくる最高神。

 痛い。

 痛すぎるほどよく分かる。

 前世の総合商社時代、管理職昇格試験の直前に、部下が他社との契約書で桁を一つ間違え、上層部からは理不尽なノルマを上乗せされ、深夜のオフィスで一人胃薬を貪り食っていたあの夜の俺自身が、まさに目の前のオリンの姿だった。

「……オリンさん。まずは、その冷え切った内臓を温めましょう。話はそれからだ」

 俺は作業着のポケットから老眼鏡を取り出して鼻先にかけ、管理人室の卓上七輪にカチリと炭火を熾した。

「晩飯の支度をしてあるんです。……一緒に一杯やりましょう」

      *

 秋風が心地よく吹き抜ける濡れ縁のちゃぶ台。

 七輪の網の上で、銀色のアルミホイルに包まれた小包が、パチパチと香ばしい音を立てて膨らんでいた。

 俺はトングでホイルの端を器用に開いた。

 ポワァァァァァァァッッッ……!!

 立ち上る、暴力的なまでのキノコとネギのアロマ!

 包みの中に敷き詰められていたのは、泥沼農園から届いた肉厚な最高級肉椎茸の短冊切りと、奇樹ネギオから届いたばかりの聖葱剣『ネギカリバー』の極太スライス。

 タローマートで仕入れてきた上質なフレッシュバターを一塊落とし、天然醤油草の生醤油をサッとひと回し、仕上げにドンガン地下帝国の天然岩塩をパラリと振った――『肉椎茸とネギカリバーの焦がしバター醤油ホイル焼き』である。

 バターの濃厚な脂泡が椎茸の繊維にジュワジュワと染み込み、ネギの甘みと焦がし醤油の香ばしさが湯気となって夜風に溶け出していく。

 さらに、俺はちゃぶ台の上に、氷をギチギチに詰めた特大の陶器ジョッキを二つドンッと置いた。

 ポポロ村特産の太陽芋蒸留酒『イモッカ』を注ぎ、タローソン特製の強炭酸水を静かに満たす。

 シュワシュワシュワ……と弾ける気泡が、熟成されたサツマイモの香ばしい香りを運んでくる。

 その隣には、もちろん、人肌温度(三十七度五分)に保たれた「ぬるい陽薬茶」の急須も忘れない。

「オリンさん、まずはこれを行きなさい。……胃を温めてから、冷たいソーダ割りで流し込むんだ」

 オリンは震える手で湯呑みを受け取り、人肌の陽薬茶を一口啜った。

 ズズッ……ズズズッ……。

 熱すぎず、冷たすぎない、完璧な三十七度五分。

 喉を通るたびに、キリキリと引き攣れていた胃壁が、まるで温かい毛布で包まれるようにふわりと解けていく。

 続いて、割り箸で熱々の肉椎茸とネギカリバーを挟み、ハフハフと息を吹きかけながら口へ放り込んだ。

「………………ッッッ!!!!」

 噛み締めた瞬間、オリンの頭頂部の後光が、パァァァァァッ!と黄金色に力強く輝きを取り戻した!

 ジュワッ!と弾け飛ぶ、肉椎茸の濃厚極まりないアミノ酸エキス。

 バターのコクと焦がし醤油のキレが完璧に融合し、そこに加熱されて極限まで甘みを増したネギカリバーのシャキシャキ感が押し寄せてくる。

 すかさず、冷え切ったイモッカ・ソーダを喉へ流し込む。

 ゴクリ、ゴクリ……ぷはぁぁぁぁぁっ!

「う……美味い……! なんという滋味だ……! キノコの肉汁とネギの甘みが、弱り切った五臓六腑を内側から叩き起こしてくれる……! ソーダの泡が、頭の中のモヤモヤを綺麗さっぱり洗い流していくようだぁぁっ!!」

「美味いでしょう。……オリンさん、試験対策も、盆栽の手入れも、本質はまったく同じなんですよ」

 俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を夜空へと燻らせながら、静かに語りかけた。

「あんたの愛する神樹盆栽『心平』を思い出してください。……あれが一番元気に新芽を吹いたのは、あんたが過干渉をやめて、風通しのいい場所に置いて、じっと信じて見守った時だったでしょう」

「あ……っ」

「昇格試験も同じです。ワイズのような小賢しい男が煽るPVや、周囲の雑音に振り回されて余計な手を打とうとするから、組織もあんたの胃壁も破綻するんです。……オリンさんは、星区統括リーダーとして、このアナステシア世界が今日も飯を食い、笑い、平穏に回っているという『現場の実績』を、胸を張ってそのまま試験官に見せればいいんですよ。上が何と言おうと、現場の土台を支え続けてきたあんたの苦労は、誰よりも尊いんですから」

「佐伯君……ぅぅ……! 佐伯君んんんんっっ!!」

 オリンはちゃぶ台に額を擦り付け、大粒の涙をポロポロと畳に零した。

 神界の誰も認めてくれなかった中間管理職の孤独と責任を、この戦闘力1馬力の四十男だけが、完璧に理解し、温かい飯とともに肯定してくれたのだ。

「わかった……! 私はもう、ブレないぞ! ワイズのヤラセ企画書など、私の権限で即刻『却下・差し戻し』にしてやる! 私は、君たちが守るこのポポロ村の平穏こそが全宇宙最高の成果だと、堂々と理事会で証明してみせるよ!」

「その意気ですよ。……ほら、冷めないうちに全部食いなさい」

 夜空の下、神と人間の中年男二人が、肩を並べてイモッカのグラスを傾け合う。

 オリンの顔からは完全に陰りが消え去り、生まれたての赤ん坊のようにツヤツヤとした光を放っていた。

      *

 午後八時過ぎ。

 すっかり英気を養ったオリンが、「心平に葉水をやってから、理事会の答弁書を書くよ!」と元気いっぱいに天界へ帰還していった後。

 片付けを終えた俺が濡れ縁で一人、夜風に当たっていると――

 パタパタパタ……ッ。

 中庭の敷石を渡って、愛らしいウサギ耳を揺らしながら歩み寄ってきた影があった。

 ポポロ村長キャルルである。

 手には、温かい湯気を立てる二つのマグカップを抱えていた。

「健太さん、お疲れ様です……♡ 村の見回り、異常なしでしたよ。……ホットミルク、淹れてきました」

「おや、キャルル村長。ありがとうございます、いただきますよ」

 俺が隣をポンと叩くと、キャルルは嬉しそうに俺の作業着の袖に体を寄せて腰を下ろした。

 長い純白のウサギ耳が、ピクピクと微かに動き、俺の左胸の鼓動へと吸い寄せられるように傾く。

 ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の穏やかで、一片の打算も下心もない静かな心音。

 作業着の胸ポケットの中では、キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、その鼓動を受け止めて、トクン……トクン……と優しく、温かな共鳴を返してきていた。

「……ふふっ♡ 健太さんの心臓の音、今日もとっても静かで、あったかいです……」

 キャルルはうっとりと目を細め、俺の肩へ頭を預けてきた。

「邪神様が防犯顧問になってくれたり、怪しい勇者が来たり……色々ありましたけど、健太さんがここにいてくれるだけで、私、ちっとも怖くありません。……これからも、ずっと私の隣で、この村とアパートを見守ってくださいね?」

「ええ、契約期間中はしっかり管理しますよ。……さて、身体が冷えないうちに部屋へ入りましょうか」

 俺が優しく微笑み、キャルルの頭をぽんぽんと撫でてやると、キャルルは「えへへ……♡」と頬を朱に染めてウサギ耳をパタパタと揺らした。

 未踏ダンジョンの邪神デュアダロスを手懐けて『リモート防犯顧問』に据え、時速八十キロの始祖竜ロードを胃袋で掴み、三大国実務者とサウナ不戦条約を結び、主神オリンの胃壁を救済した。

 戦闘力わずか1馬力の中間管理職が築き上げたポポロ村の鉄壁の日常は、誰にも侵すことのできない絶対のオアシスとして、今宵も静かに満たされていた。

 ――だが、天界の薄暗いプライベートオフィスでは。

 モニターの青白い光に照らされた炎上神ワイズが、冷め切ったソイカプチーノを握り潰し、冷酷な瞳を爛々と輝かせていた。

『……ゼロスとミラースが追い返されたですか。フフ、いいでしょう。小細工が通じないなら、次は本物の“圧倒的な暴力の脚本”を用意するまでです。……ポポロ村、君たちのその呑気なスローライフを、全宇宙が熱狂する最高の炎上劇場で焼き尽くしてあげますよ』

 冷血な神の悪意が、次なる巨大な炎上劇団の幕を押し上げようとしていた。

 昭和の現場総務課長と、数字狂いの炎上神との全面対決が、すぐそこまで迫っていたのである。

(第5章・完/第6章へ続く)

読んでいただきありがとうございます。

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