EP 9
境界の純金シークレットブーツと、泣く妖刀の安全点検
どれほど強大な軍事力や神威を誇る者であろうと、現場に泥を跳ね上げ、他人のアパートの敷地へ無断で土足を踏み入れた瞬間、それはただの「不法侵入者」である。
午後二時整。
ポポロ村の西側ゲート、石畳と未舗装の農道が交わる境界線。
晩秋のからりとした風が吹き抜ける中、俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、愛用の作業着の袖をまくり、境界線フェンスのボルトの緩みを目視点検していた。
「……よし、二番と四番のアンカーボルトは増し締め完了だな」
俺はモンキーレンチを腰袋にしまい、作業着の胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出して二粒ポリポリと奥歯で噛み砕いた。
保温水筒から注いだ人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」で胃袋へ流し込む。
じんわりと温もりが染み渡り、午前中の配管清掃で凝り固まった腰の痛みがスーッと解けていく。
胸ポケットの中では、ウサギ村長キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の安定した心音を感知して、トクン……トクン……と規則正しい穏やかな微振動を伝えてきていた。
――ズズゥゥゥンッ……!!
カツ……カツ……カツ……ッ!
突如として、街道の木陰から、不自然極まりない足音が近づいてきた。
歩くたびに、地面の小石が異常な荷重でピシピシと音を立てて砕け散る。
そして――大気の向こうから、ピカピカと目を焼くような強烈な金色の乱反射が押し寄せてきた。
「……ん?」
俺が老眼鏡を直して目を凝らすと、そこに現れたのは、コントの舞台衣装でも見かけないほどド派手な二人組だった。
先頭を歩くのは、過剰なまでに整えられた金髪に、作り物めいた白面の美貌を浮かべた青年。
身に纏っているのは、純金のメッキがこれでもかと分厚く施されたオリハルコンのフルプレートアーマー。
だが、何よりも異様なのはその足元だった。
足甲の底が、まるで厚底サンダルのように極端に盛り上がっている。魔導で軽量化されているはずなのに、どう見ても十五センチの上げ底が施された、超特注の魔導シークレットブーツだった。
背中には、神界の特命契約勇者を示すきらびやかなマント。
炎上神ワイズの飼い犬――契約勇者ゼロス・ディバインその人である。
ゼロスは胸元から小型の魔導スプレーを取り出すと、シュッシュッと口内へ吹きかけ、歯の白さを指でチェックしてから、空中を漂う不可視の使い魔ドローン(配信カメラ)へ向けて、貼り付けたような爽やかスマイルを向けた。
「さあ、リスナーの皆さんこんにちは! 正義の特務勇者ゼロスです! 本日は、魔王軍や反社会的勢力と不当に癒着し、神界の秩序を乱していると噂の限界集落――ポポロ村へ、成敗の鉄槌を下しに参りました!」
カメラ目線でポーズを決めるゼロス。
そして、その背後から、影のように音もなく追従してきたもう一つの影。
ボロボロの黒い陣羽織を羽織り、頭から編み笠を目深に被った長身の男。
肌は死人のように青白く、額には禁忌の混血種「ネフィリム」の証である小さな漆黒の角が覗いている。
腰に差していたのは、白骨のような鞘に収められた長大な日本刀――妖刀『哭刀』。
その刀身からは、鞘越しにも関わらず――ヒュゥゥゥ……ヒュルルルル……と、真夜中の古井戸から響くような、不気味極まりない怨嗟の啜り泣きが漏れ聞こえていた。
『……泣きたい……斬りたい……森羅万象を断ち割り、この世の全てを血の海に沈めたい……ヒヒッ……!』
触れたものすべてを概念ごと両断するユニークスキル『ソード(絶対切断)』を宿す剣客、ミラースである。
二人が放つ殺気と異様な存在感に、街道の草木が一瞬で枯れ果て、境界ゲートの空気がピキピキと凍りついていく。
……なのだが。
フェンスの横で脚立に片足を乗せていた俺は、深くため息を吐き出すと、作業着のポケットから青箱のハード煙草を取り出し、ジッポライターでカチリと火をつけた。
「……おいおい。午後の一番のどかな時間帯に、妙ちきりんなチンドン屋が迷い込んできたな」
俺がぼやきながら紫煙を吐き出すと、カメラに向かってウインクを飛ばしていたゼロスが、ギロリと目を剥いて俺を睨みつけてきた。
十五センチのシークレットブーツのせいで、重心が微妙にグラつき、膝がプルプルと小刻みに震えている。
「あぁん? なんだ貴様は! 見慣れない薄汚い作業着に、腕カバー……! 魔力測定値、たったの『1馬力』だと!? フン、村のしがない小作人か! 神界公認の勇者である僕の前に立ち塞がるとは、命知らずにも程があるぞ!」
「小作人じゃありませんよ。ポポロ・コーポ管理人兼、村役場総務補佐官の佐伯です」
俺は脚立からトボトボと降りると、手にした出勤簿のバインダーを指先で弾いた。
「あんたたち、村の境界ゲートに入る前に、ちゃんと『来訪者受付簿』へ記入しましたか? それと、そこの金ピカのお兄さん。足元、何ですかその異常な厚底ブーツは。未舗装の農道でそんな重心の狂った履物を履いてたら、側溝に足を取られて足首を複雑骨折しますよ。現場の労働安全衛生上、極めて不適切です」
「ぶ、無礼な!! これは神界最高峰の職人が誂えた、由緒正しき魔導シークレットアーマーだ! 厚底などと言うな! 僕の身長は生まれつき百八十五センチだぁぁッ!!」
ゼロスが顔を真っ赤にして叫ぶ。図星だったらしい。
すると、背後に控えていた編み笠の剣客ミラースが、冷たい笑みを漏らしながら一歩前へ出た。
カチャリ、と親指で妖刀の鍔を弾く。
『……問答無用……。炎上神ワイズ様の命により、この村の防壁ごと、貴様の命を両断してくれる……。哭け、我が妖刀『哭刀』よ……!』
ヒュルルルルルルッッッ!!
鞘からわずか一寸抜かれただけで、大気が切り裂かれ、真空の刃がポポロ・コーポの境界フェンスへ向けて音もなく放たれた!
あらゆる物理硬度を無視し、分子の結合そのものを切断する必殺の魔剣。
フェンスの鉄柱が、まるで豆腐のようにスライスされかけた――まさにその瞬間だった。
バシィィィィィィッッッッ!!!!
どこからともなく飛来した、鮮やかな緑色の閃光。
それは、空間を切り裂くミラースの斬撃のど真ん中へ、超音速で突き刺さった。
刃と衝突したのは――なんと、白くツヤツヤと輝く、巨大な一本の『長ネギ』だった!
「なっ……!? ネギ……だと!?」
ミラースが息を呑む。
木陰の廃工房の屋根の上から、眼鏡をキラーンと光らせて飛び降りてきたのは、インテリ奇樹ネギオだった!
その手には、先端から七色の神聖マナを噴き上げる聖葱剣『ネギカリバー』が握られている。
『フッ……減価償却の概念すら持たん単細胞が、神聖なる村の境界線に刃傷沙汰を持ち込むか』
ネギオが腕組みをして冷酷に鼻を鳴らした。
『貴様のその『哭刀』の斬撃……空間切断と怨嗟の放射にかかるマナコストは、一太刀あたり金貨三枚相当。対する我がネギカリバーの再生コストは、村の堆肥と太陽光のみで実質ゼロ円だ。費用対効果(ROI)の観点から言えば、貴様の剣術は赤字垂れ流しの破綻企業そのものだな』
「き、貴様ぁぁぁッ! ネギの分際で拙者の剣理を侮辱するかぁッ!!」
激高したミラースが『哭刀』を完全に抜き放ち、目にも留まらぬ乱舞を繰り出した!
ズババババババッ!とネギカリバーが十文字に、百文字に切り刻まれる。
だが――切り刻まれた端から、ピュッ! ピュッ!と新しいネギの茎が音速で生え変わり、断面からは瑞々しいネギ汁が吹き出してミラースの目に直撃した!
「ぎゃあああああっ!? め、目が痛い! 硫化アリルが粘膜に染みるぅぅぅッ!!」
『愚かな。ネギの催涙成分を舐めるなよ』
そこへ――
バサァッ!と黒衣の裾を翻し、村の木立から音もなくエントリーしてきたのは、漆黒の燕尾服を着こなした人狼執事リバロンだった。
手帳の銀時計をパチンと閉じ、指の隙間に挟んだ白銀の名刺を構える。
「おや……? 抜刀なさるのですか? 野蛮ですねぇ。私はただの執事、武器など持ち合わせておりませんよ。――この、薄い名刺一枚以外は」
シュパパパパパッッッ!!!!
時速三百キロで投擲された名刺の角が、ミラースの編み笠を微塵に切り刻み、着物の袖を地面に縫い止めた!
さらに、村の鍛冶場から駆け込んできた孝行息子ヒエンが、背中の巨大な炎熱ハンマーをドスン!と地面に叩きつける。
「佐伯さんに刃物を向けやがって! 母さんの病み上がりの散歩道を汚す奴は、この俺が叩き潰してやるぜ!」
「ヒ、ヒエェェッ……!? な、なんだこの村の戦力は……!?」
ネギオ、リバロン、ヒエンの三方に完全包囲され、ミラースは涙目で後退りした。
怨嗟の妖刀を構えながら、ガチガチと歯の根を鳴らしている。
――そんな修羅場の真ん中へ。
俺はため息をつきながら、便所スリッパをパタパタと鳴らして、何食わぬ顔で歩み寄っていった。
「はいはい、そこまでそこまで。みんな武器を収めなさい」
「さ、佐伯さん! 危ねぇっすよ、そいつは本物の人斬りだ!」
ヒエンが叫ぶが、俺はミラースの目の前まで歩み寄ると、作業着のポケットから一枚の書類を取り出した。
ホームセンター『タローマン』のロゴが入った、『危険物・刃物類一時預かり証』である。
「ミラースさん、ですね。……ポポロ村公有財産管理規則第十二条に基づき、村内への抜刀状態での立ち入りは固く禁じられています。その刀、一旦こちらで預かりますよ」
「な……何をふざけたことを……! この『哭刀』は数千人の怨念を吸った妖刀! 貴様のような無力な人間が触れれば、精神を汚染されて一瞬で発狂――」
「はい、預かり預かり」
サッ。
俺はミラースの言葉を完全に無視し、電車の網棚から忘れ物の傘を降ろすかのような自然な手つきで、ミラースの手首からスッと『哭刀』を抜き取った。
そして――
――ユニークスキル『管理人権限(危険物一時保管&共用部騒音遮断プロトコル)』発動。
――対象物:妖刀『哭刀』。
――事象:共用通路における【怨嗟ノイズの完全消音および不浄の成仏】を執行。
ポンッ。
俺が胸ポケットのインク内蔵式三文判(佐伯)を、刀の柄頭へ軽く押し当てた瞬間だった。
ピカァァァァァァァッッッ……!!
白銀の神聖法廷光が刀身を包み込んだ。
先ほどまで「泣きたい……斬りたい……」と喚き散らしていた刀の怨念が、まるで温泉に浸かったかのようにフワァァァ……と成仏していき、刀身から禍々しい黒気が綺麗さっぱり蒸発した。
残されたのは、刃こぼれ一つない、鏡のように澄み渡った――「ただのやたらと切れ味の良い極上和包丁」だった。
『……あぁ……極楽、極楽……南無……』
刀から満足げな成仏ボイスが漏れ聞こえ、沈黙する。
「な……っ!? 拙者の……拙者の魂の相棒である妖刀が……成仏してただの名刀になりおったぁぁぁッ!?」
ミラースが目を剥いて腰を抜かした。
俺はその刀を、持参した傘袋へスポッと収めると、作業着の脇に挟んだ。
「よし、危険物の無力化完了。これ、ダストンさんのちゃんこ鍋屋の魚捌き用にちょうどいい切れ味だな。……さて」
俺は振り返り、十五センチのシークレットブーツを履いたまま、青ざめて立ち尽くしている契約勇者ゼロスへと視線を向けた。
「お次は、あんただな。……神界の勇者さん」
冷徹にして穏やかな、昭和の現場監督の眼差し。
ゼロスの額から、タラリと冷や汗が顎へと伝い落ちた。
炎上神ワイズの演出するマッチポンプ劇場の歯車が、ポポロ村の現場管理人の手によって、音を立てて狂い始めていた。
読んでいただきありがとうございます。
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