EP 7
最凶ヤクザ邪神のリモート防犯カメラと、縁側の肉椎茸ネギ天うどん
神界の四分割定例リモート会議が終わり、公務用大型魔導モニターの電源が静かに落ちた午後三時過ぎ。
木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』一階の管理人室には、先ほどまでの「神殿ごと更地にカチコミかけたろか」という任侠邪神のドスが嘘のように、のどかな秋晴れの静けさが戻っていた。
畳の上では、世界神ルチアナが「あ〜、命拾いしたぁ……もうヴァルキュリア部長マジで怖すぎ……」と芋ジャージの腹をポリポリ掻きながら、残っていた缶ビールを飲み干して女子棟へと引き揚げていったところだった。
「……ふぅ。やれやれ、胃がいくつあっても足りんな」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、作業着の胸ポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕いた。
口いっぱいに広がる生薬のほろ苦さを、保温水筒から注いだ人肌温度(三十七度五分)の「ぬるい陽薬茶」で胃袋へと流し込む。
じんわりと温もりが染み渡り、張り詰めていた自律神経がようやく息を吹き返した。
俺はちゃぶ台の引き出しから、先ほど深淵ダンジョン最深部で邪神デュアダロスから直々に手渡された、あの鈍い白銀と黒漆の代紋入り名刺を取り出した。
表面には『デュアダロス組 最高顧問 佐伯健太』。
そして裏面には、ポポロ・コーポの防犯システムと直結する古代神聖文字の回路が刻まれている。
俺が名刺の角を管理人室の防犯モニター端末へ軽く接触させると――
ピピッ、フォォォォォン……ッ!
モニターの画面が青く発光し、コーポの正門、中庭、駐輪場、ゴミ集積所を映し出す四つのカメラアングルの右上に、小さなワイプ画面が追加された。
そこに映し出されたのは――
地下数千メートルの組事務所で、俺がアイロンを当てたばかりの最高級テーラー仕立ての濃紺スリーピーススーツのジャケットを羽織り、革張り社長椅子に深く腰掛けたデュアダロスが、葉巻をくゆらせながら画面を睨みつけているリアルタイム映像だった。
『……おう佐伯、回線繋がったようじゃのぅ』
壁のインターホン受話器から、地鳴りのようなドスの利いた重低音が漏れ出てくる。
「ええ、バッチリ映ってますよデュアダロス様。音声もクリアです。……ですが、本当に大丈夫なんですか? 惑星崩壊級の邪神が、家賃三万円の田舎アパートの防犯カメラ監視なんて、割に合わないでしょう」
『何を言うとるんじゃ。この数千年、牢屋の中で天井の染みを数えるしかやることがなかった男に、娑婆のライブ映像が見られる極上の暇つぶしができたんじゃぞ。……それに、佐伯の兄ちゃんのシマ(アパート)を荒らす不届き者をチャカで弾き飛ばすのは、最高顧問に対する組長の当然の仁義じゃい』
デュアダロスはデスクの上の黒鉄の旧式自動拳銃を指先でトントンと叩き、獰猛な黄金の瞳を細めてニヤリと笑った。
恐ろしすぎるボランティア警備員である。
――と、その時だった。
ピピッ! ピピッ!
『警告:コーポ正門アプローチに、不審な高エネルギー生体反応を検知』
モニターの左上のカメラ――正門の砂利道に、トボトボと歩いてくる人影が映し出された。
銀髪をボサボサに乱し、ヨレヨレのタンクトップにジャージ姿、片手には『ルナミスパーラー』のロゴ入りレジ袋をぶら下げた、うらぶれた青年。
A棟一〇二号室の住人にして、世界調停者の一角――狼王フェンリルだった。
「クソがぁ……! CR異世界転生トラック、確変突入率八十パーセントの激アツ保留を外すとか遠隔操作だろ……! 今月の軍資金、残り銀貨二枚になっちまったぞ……」
フェンリルはブツブツと負け犬の愚痴をこぼしながら、足音を忍ばせ、管理人室の前を素通りして自室へと忍び込もうと背中を丸めていた。
今月分の家賃三万円の督促から逃げるための、あからさまな居留守ムーブである。
その光景を画面越しに捉えた瞬間――
『あぁん? なんじゃあの薄汚い野良犬はワレェ』
ワイプの中のデュアダロスの眉根が、ピシリと跳ね上がった。
三白眼の瞳に、極道の冷酷な殺気が宿る。
『家賃を踏み倒したツラ下げて、コソ泥みたいに敷地内を這い蹲りおって……! おい佐伯、あの駄犬、今すぐ画面越しに指パッチンで眉間をブチ抜いて、ミンチの細切れにしてええか?』
バチバチバチッ!と、デュアダロスの右手の親指と中指の間に、空間を圧縮した高密度の漆黒神気が火花となって迸った。
「待て待て待て! ストップですデュアダロス様!」
俺は慌ててインターホンの通話ボタンを押して叫んだ。
「あれは一〇二号室の店子(入居者)のフェンリルさんです! 家賃滞納常習犯ですが、命まで取るような案件じゃありません! 指パッチンなんて撃ち込んだら、敷地内のアスファルトごと更地になって修繕費が数百万かかりますから!」
『ケッ……店子か。ならワレ、組の若い衆を派遣して、あいつの小指でも詰めさせるか?』
「させません! 家賃の督促は、適正な法的手続きと管理人のスリッパで解決するのが昭和の流儀です!」
俺はため息をつくと、足元の『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』を右手に引っ提げ、管理人室の引き戸をガラリと開け放った。
「フェンリルさーん! お帰りなさい!」
「ヒエッ!?」
抜き足差し足で階段を上がろうとしていたフェンリルが、ビクゥッ!と跳ね上がって硬直した。
俺はずかずかと歩み寄り、フェンリルの目の前に『家賃滞納督促状(銀貨三十枚)』を突きつけた。
「今月もパチンコで負けたそうですね。居留守を使おうったって、うちの防犯カメラには全部映ってますよ。……ほら、明日の朝イチでスアイさんの開拓DIY村の日雇い伐採シフトに入りなさい。日当から銀貨十枚を天引き返済に回しますからね」
「う、うぐぅ……佐伯のオッサン、なんで俺がパチンコで負けたことまで知ってんだよ……!」
「管理人を舐めるな。あと、廊下を泥靴で歩かない! モップをかけなさい!」
パシッ!と丸めたルナミス新聞でフェンリルの尻を叩くと、一万馬力の狼王は「へ、へーい……」と情けない声を上げて、大人しく雑巾を手に取った。
インターホンのスピーカーの向こうで、その様子を腕組みして見ていたデュアダロスが、フッと感心したように紫煙を吐き出した。
『……がはは! 見事なもんじゃ。あの狂犬の神獣を、新聞紙一枚で手懐けて雑巾がけさせよる。……おい佐伯、やっぱりワレ、うちの組の若頭にならんか?』
「謹んで辞退させていただきますよ、デュアダロス様」
俺が苦笑して頭を下げると、邪神は満足そうに笑いながらモニターの通信を待機モードへと切り替えた。
こうして、神界最強にして最も過激な「遠隔防犯顧問」の実地運用は、奇跡的なバランスで稼働し始めたのだった。
*
午後四時過ぎ。
未踏ダンジョンへの出前と定例会議を終え、ようやく一段落した俺の腹が「グゥ〜ッ」と控えめな音を鳴らした。
そういえば、朝からフレアの看病と買い物、ダンジョンでのケータリング調理に追われ、自分自身の昼飯をすっかり食いそびれていたのだ。
「よし……遅めの昼飯、兼、早めの晩酌の準備にかかるか」
俺は作業着の袖をまくり、管理人室の小さな台所に立った。
激務と心労で擦り減った中年男の身体が求めているのは、過度に脂っこい肉ではなく、胃袋を内側から優しく温め、出汁の滋味が五臓六腑に染み渡るような素朴な和の麺類だ。
戸棚から取り出したのは、ドンガン地下帝国の製麺所から分けてもらった、純白で極太の手打ちうどん生麺。
そして、先ほどダンジョン探索の道中で収穫してきた新鮮な天然『醤油草』と、泥沼農園から届いた特大の肉椎茸、そして奇樹ネギオから届いたばかりの聖葱剣『ネギカリバー』の極上部位である。
「……まずは、出汁からだな」
小鍋にポポロ山の清らかな雪解け天然水を張り、肉椎茸の乾燥軸を手で細かく裂いて放り込み、昆布草とともに弱火にかける。
じっくりと時間をかけて抽出されたスープは、黄金色に透き通り、キノコと海藻の重厚なアミノ酸エキスが湯気となって立ち上ってくる。
そこへ、醤油草から絞った天然醤油をひと回し、少量の粗糖、そして料理酒代わりに最高級芋蒸留酒『イモッカ』を数滴。
フツフツと煮立つ出汁の香りが、六畳間にじんわりと満ちていく。
続いて、天ぷらの仕込みだ。
肉椎茸の肉厚な傘を贅沢に一口大の短冊切りにし、ネギカリバーの極太の白い茎を斜め薄切りにする。
冷水で溶いたドンガン産の薄力粉をサッと絡め、卓上七輪の上の油鍋へ、木杓子でひとまとめにして静かに滑り込ませた。
ジュワワワワワワワッッッッ!!!!
心地よい揚げ音が爆発する。
油の中で、ネギカリバーの甘い香りと、肉椎茸のジューシーな水分が弾け飛び、衣がみるみるうちにサクサクの黄金色へと色づいていく。
余分な油をしっかりと切り、熱々の出汁で茹で上げた極太うどんの上へ、ドンッ!と豪快に盛り付けた。
仕上げに、ネギカリバーの青い部分を極細の小口切りにして山盛りに散らす。
完成――『肉椎茸とネギカリバーのかき揚げ天ぷらうどん』である。
さらに、俺はちゃぶ台の上に、厚手のガラスロックグラスをコトッと置いた。
氷をギチギチに詰め、黄金色の『イモッカ』を三分の一注ぎ、タローソン特製の強炭酸水を静かに満たす。
仕上げに、マドラーで氷を一度だけ持ち上げれば、シュワシュワシュワ……と心地よい気泡とともに、熟成されたサツマイモの香ばしいアロマが弾け飛ぶ。
「佐伯さぁぁぁん!」
ちょうど縁側の障子が開いた。
入ってきたのは、作業用の前掛けを外し、すっかり晴れやかな笑顔を浮かべた孝行息子のヒエンだった。
その手には、自らの鍛冶場で打ち直したばかりの、銀色に輝く見事な鋼鉄の包丁が握られている。
「母さん、部屋でぐっすり眠って熱も完全に下がったぜ! ……これ、佐伯さんへのお礼だ。俺が打った万能三徳包丁! 切れ味は保証するぜ!」
「おお、ヒエン君、わざわざすまないな。ちょうどいいところに来た、腹が減ってるだろ。うどんを二人前茹でてあるんだ、食っていきなさい」
「うおっ! マジで!? すげぇ美味そうな匂いだ!」
ヒエンが目を輝かせて濡れ縁に腰を下ろす。
さらに、そこへ――
パタパタパタ……ッ!
中庭の敷石を軽やかな足音で踏み鳴らし、純白のウサギ耳を嬉しそうに揺らしながら駆け込んできた影があった。
ポポロ村第43代村長、キャルル(二十歳・月兎族)である。
手には、村役場の公務日誌を抱え、薄桃色の髪を秋風になびかせている。
「健太さん! ダンジョンから無事に戻られたんですね! 怪我はないですか? 邪神に酷いことされませんでしたか!?」
「大丈夫ですよキャルル村長。怪我一つありません。……ほら、村長も座りなさい。お椀をもう一つ持ってきますから」
「わぁ……! 健太さんの手料理……♡ いただきます!」
キャルルが嬉しそうに俺の隣へちょこんと正座した。
その長いウサギ耳が、ピクピクと愛らしく動き、俺の左胸の鼓動へとピンポイントでピントを合わせている。
ドクン……ドクン……と規則正しく刻まれる、四十男の穏やかで打算ゼロの心音。
それを聞き届けたキャルルの瞳が、トロンと甘やかな安心感に染まり、胸ポケットの『人参柄刺繍ハンカチ』へそっと手を当てていた。
「よし、三人揃ったところで……いただきます」
「「いただきます!」」
俺はまず、丼の出汁を木匙ですくい、一口啜った。
ズズッ……ズズズッ……。
「………………ッッッ!!!!」
声にならない吐息が漏れた。
熱すぎず、冷たすぎない、完璧な温度。
肉椎茸の乾燥軸から溶け出した濃厚な出汁と、天然醤油草のキレのある塩気が、疲弊していた食道から胃袋の底へとじんわり染み渡っていく。
続いて、熱々のかき揚げにかぶりつく。
サクッッッッッ!!!!
驚異的な軽やかさ。
衣の香ばしさを突き破ると、中から現れたのは、肉厚な肉椎茸のジューシーな弾力と、ネギカリバーの暴力的なまでの甘みだった。
加熱されたネギのエキスがジュワッと溢れ出し、衣が出汁を吸ってトロリと崩れていく。
そこへ、極太の手打ちうどんをズズッと手繰る。
モチモチとした力強いコシ、噛むほどに広がる小麦の素朴な旨味。
すかさず、冷え切ったイモッカ・ソーダを喉へ流し込んだ。
ゴクリ、ゴクリ……ぷはぁぁぁぁぁっ!
熱々の出汁と油の旨味を、強炭酸とサツマイモの香ばしいアルコールが綺麗さっぱり洗い流していく。
――至福。
前世の社畜時代、深夜の立ち食いそば屋で胃を温めていたあの感覚を、何百倍も贅沢にしたような、極上の日常の味だった。
「うめぇぇぇッ! なんだこのかき揚げ、キノコが肉より美味いぞ!」
ヒエンが豪快に麺をすすり、目を丸くして叫ぶ。
「出汁が……出汁が身体の芯まで染み込んできやがる……! 母さんにも一杯持って行ってやりたいぜ!」
「ああ、鍋に残してあるから、後で持っていってやるといい」
「ふふ……健太さんのお料理、本当に心がポカポカします……♡」
キャルルも小さな口でフーフーと息を吹きかけながら、幸せそうに麺を頬張っている。
そして、ふと俺の作業着の袖にすり寄ると、上目遣いに覗き込んできた。
「健太さん……あのね、ハンカチ、ちゃんと持っていてくれてますか?」
「ん? ああ、ほら、胸ポケットにちゃんと入れてあるぞ」
俺が作業着の左胸をポンと叩くと、人参柄の布地がトクン……トクン……と優しく振動を返してきた。
キャルルは満足そうに微笑み、俺の腕にギュッと抱き着いた。
「よかった……♡ 健太さんの心臓の音、すごく静かで、優しくて……私、この鼓動を聞いているだけで、世界で一番幸せなんです。……これからも、ずっと私のそばで、村とアパートを守ってくださいね?」
「はいはい、契約期間中はしっかり働きますよ。……ほら、うどんが伸びるぞ」
俺が苦笑して頭を撫でてやると、キャルルは「えへへ……♡」とウサギ耳をパタパタ揺らして赤面した。
秋風が吹き抜ける濡れ縁に満ちていく、温かい湯気と笑い声。
戦闘力わずか1馬力の中間管理職が守り抜いた、かけがえのない平和な食卓だった。
――だが、その平穏の裏で。
天界の薄暗いプライベートオフィスでは、ブルーライトカット眼鏡を冷たく光らせた新進気鋭の男神――炎上神ワイズが、冷め切ったソイカプチーノをデスクの上に置き、神格ノートPC『エンジェル・ブック・プロ』のキーボードをカタカタと叩いていた。
『……なるほどね。邪神デュアダロスを手懐け、神々のリモート会議すら茶番に変えてしまう、戦闘力1馬力の雑魚管理人・佐伯健太ですか』
画面に映し出されていたのは、ポポロ村の防衛網の隙間と、契約勇者ゼロス、そして過激派ネフィリムの剣客ミラースの登録プロファイルだった。
『スローライフ気取りの平和な村ほど、炎上させて焼き討ちにした時のPVの跳ね上がり方は凄まじい。……フフ、極上のマッチポンプ劇場の開幕ですよ、佐伯さん。君のその呑気な晩酌を、絶望の炎で灰にしてあげます』
青白い光の中で、冷血な炎上神の嗤い声が静かに闇へと溶けていった。
平穏な魔境ポポロ村へ向けて、次なる災厄の足音が、確実に迫りつつあった。
読んでいただきありがとうございます。
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