↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
50/77

EP 5

邪神の唸る赤ペン本命馬と、特注スリーピースの魔導ブラッシング

 特級更生受刑者隔離区画『デュアダロス組事務所』の重厚な黒漆デスクの上。

 先ほどまで空間を両断するほどの殺気と怒号を撒き散らしていたはずの元・惑星創造神にして終焉邪龍、邪神デュアダロスは、仕立ての良すぎる濃紺スリーピーススーツの袖口を少し捲り上げ、狂ったようにバインダーのページをめくっていた。

 サッ、サッ、サッ……!

「……な、なんやこの密度は……!? ただのレース結果の貼り付けやない……! 各馬の通過タイム、コーナー通過順位の推移、果ては当日の馬場水分量とパドックでの気配値まで、表計算魔導ボード顔負けのグリッド線で完全にデータ化されとるやないかい……ッ!」

 デュアダロスの切れ長の双眸が、黄金の燐光をバチバチとスパークさせる。

 細長い指先が、三週前の『第42回・帝都記念ジオ・リザード大賞典』のページでピタリと止まった。

 そこには、俺がタローソンのイートインスペースで赤ボールペンを走らせて書き留めた、現場仕込みの寸評がびっしりと並んでいた。

『◎3番・アイアンリザード(牡5)。前走は重馬場で内を突いて脚を余したが、今回は外枠からスムーズに先行可能。血統的にも父系のドンガン持久力マナが晩秋の冷涼なダートに完全合致。鞍上の仕掛けがワンテンポ早ければ、大外から直線一気で頭まで届く。単勝および馬連軸で推奨』

「………………ッ!」

 デュアダロスは息を呑み、デスクの上の赤ワイングラスを片手で掴み取ると、深紅の液体を一気に煽った。

 喉仏がゴクリと鳴る。

 そして、空になったグラスをカツンと置き、身を乗り出して俺の作業着の胸元を鷲掴みにせんばかりの勢いで叫んだ。

「オッサン! ワレ、この3番のレース……リアルタイムで見とったんかしゃん!?」

「いえ、タローソンの魔導ビジョンでハイライトを横目で確認した程度ですよ」

 俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、作業着のポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと奥歯で噛み砕きながら平然と答えた。

「ただ、前走のパドックでやけに発汗が目立ってたんでね。気性難のトカゲ馬は、気温がグッと下がる十一月の長距離戦でこそ本領を発揮するもんです。前世の商社時代、有馬記念で給料袋を丸ごと溶かしかけた専務の愚痴に付き合わされて、血統表と調教タイムの相関図を徹夜で三千頭分エクセルに打ち込まされた経験がありましてね。……その時のノウハウをそのまま転用しただけですよ」

「転用しただけ、やと……!? ワレ、その3番……当日の単勝オッズ、四十八倍の大穴やったんやぞ!! 三番人気の先行馬を最後の直線、外ラチ沿いからマッハの末脚でブチ抜いて、ハナ差のレコード勝ちや! それを……出走前の寸評の時点で『大外から直線一気で頭まで届く』と寸分の狂いもなく予言しとったんかワレェェェッッ!!」

 ドンッ!とデスクが鳴る。

 背後に控えていたA級冒険者フェイトが「ひぃっ、また机を叩いた!」と耳を塞ぎ、ヒエンがハンマーを握り直す。

 だが、デュアダロスの顔に浮かんでいたのは、殺気などでは断じてなかった。

 長年、外界から隔離された薄暗い地下牢で、誰とも競馬の熱狂を語り合えず、飢えと孤独に苛まれ続けていた博徒特有の――魂の震えるような歓喜と共鳴だった。

「うめぇ……! 酒が進んでたまらんわッ!」

 デュアダロスは豪快に笑いながら、熱々の耐熱鉄板からドンガン・パルミジャーノの焼きチーズを箸でつまみ上げた。

 焦げ目のついた表面がサクッと音を立て、内側からトロリと糸を引く濃厚なミルクの脂。

 口へ放り込み、咀嚼した瞬間、芳醇な塩気とアミノ酸の旨味が爆発する。

 すかさず、スキレットのオイルでグツグツと煮えたぎる肉椎茸とネギカリバーを放り込む。

「熱っ……! ハフッ、ハフッ……! ジュワッとキノコの肉汁が溢れて、醤油草のキレが油っぽさを一瞬で消し飛ばしよる! なんちゅう極上のアテじゃ! 百年熟成のグラン・ルナミスの渋みが、チーズのコクと喉の奥でガチッと噛み合いよるわいッ!!」

 ボトルのワインが、みるみるうちに干されていく。

 満足そうに喉を鳴らす任侠邪神の姿を見届けながら、俺はふと、視線を組事務所の周囲へと巡らせた。

(……それにしても、酷い散らかりようだな)

 三週間、定期便が途絶えて荒れ狂っていた名残だろう。

 黒漆塗りの一枚板デスクには無数の空き瓶と書類が山積みになり、床の高級青畳にはタバコの吸い殻が灰皿から溢れて散乱している。神聖遮断結界の壁面には苛立ち紛れに蹴り飛ばした靴底の跡がくっきりと残り、部屋の隅には埃が綿毛のように溜まっていた。

 前世でビルメンテナンス会社の現場主任兼クレーム処理係を務め、数々のゴミ屋敷や夜逃げ物件を原状回復してきた俺の「職業病」が、チクチクと疼き始める。

「デュアダロス様。ワインと競馬をお楽しみのところ恐縮ですが……少々、事務所内をお掃除させていただいてもよろしいですか?」

「あぁん? 掃除ぃ? んなもん、埃をいくら吸い込もうが邪神の肉体には毒にも薬にもならんわ」

「そういう問題じゃありませんよ。散らかった部屋で呑む酒は、知らず知らずのうちに肝臓と神経を荒ませるもんです。……ヒエン君、イグニス、ちょっと手伝いなさい」

 俺は持参した工具箱から、ホームセンター『タローマン』で仕入れてきた業務用ハタキと、万能油落としスプレーを取り出した。

 そして――

――ユニークスキル『管理人権限(敷地内絶対原状回復&衛生保全プロトコル)』発動。

――対象区画:特級更生受刑者隔離区画・デュアダロス組事務所。

――事象:共用ルール第3条に基づく【環境美化および不浄の一括除去】を執行。

 シュウウウゥゥゥ……ッッ!!

 俺が箒をサッと一振りした瞬間、足元から澄み渡る白銀の幾何学光が波紋のように広がった。

 散乱していたタバコの吸い殻と灰が一瞬にして指定ゴミ袋の中へ綺麗に収束し、畳の隙間に詰まっていた埃が空気清浄マナの風によって根こそぎ霧散する。

 結界の壁面にこびりついていた無数の泥汚れと足跡が、雑巾ひと拭きで新品のガラスのようにピカピカと輝きを取り戻した。

 わずか三十秒。

 荒れ果てていたヤクザの組事務所が、まるで一流料亭の離れ座敷のような、い草の香りが清々しく漂う静謐な空間へと生まれ変わったのだ。

「な……ッ!?」

 デュアダロスのグラスを持つ手が止まった。

「なんやこの術式は……!? 大宇宙管理局の最高位浄化結界ですら、俺の邪龍マナの残留汚れは落とせんはずやぞ……! それを……箒ひと撫でで新品に戻しよった……!?」

「掃除の基本は、汚れを放置しないことです。……それと、デュアダロス様。もう一つ気になっていたことがありましてね」

 俺はデスクの前に歩み寄り、デュアダロスの肩口をじっと見つめた。

 最高級テーラー仕立ての濃紺スリーピーススーツ。

 神気で精密に編み上げられた一分の隙もない名品だが――三週間暴れ回ったせいで、ラペル(下襟)の端には微かな毛羽立ちが生じ、背中のベント周辺には座り皺が深く刻まれ、右肩には跳ねたオイルの微小な油染みが付着していた。

「その特注スーツ……素晴らしい仕立てですね。生地の目詰まり、ステッチのピッチ、そして肩パッドの絶妙な傾斜……帝都の一流職人が魂を込めて仕立てた逸品とお見受けします」

「……ほぉ。ワレ、このスーツの良さが分かるんか」

 デュアダロスの三白眼が、誇らしげに細められた。

 指先でベストのボタンを愛おしそうに撫でる。

「当たり前じゃい。俺がこの数千年間、本気を出して終焉邪龍に変身しとらんのは、大宇宙管理局の監視にビビっとるからやにゃあぞ。……変身したら、この愛用の特注スーツがビリビリに破けてまうからじゃ! 世界の一つや二つ滅ぼすよりも、このスリーピースのシルエットを守る方が、俺にとっちゃよっぽど大事なんじゃいッ!!」

 とんでもない理由で星の破壊を自重していた邪神。

 だが、その歪んだ美学を、俺は決して笑わなかった。

 前世のホテルマン時代、そして総合商社時代にもいたのだ。どれほど修羅場を潜り抜けても、毎朝鏡の前でネクタイのディンプルを完璧に整え、靴を鏡面に磨き上げることで己の自尊心を保ち続けていた、叩き上げの重役たちが。

 男にとって、完璧なスーツとは単なる布切れではない。現場で戦い抜くための「精神の鎧」なのだ。

「よく分かりますよ、デュアダロス様。……上着をお脱ぎいただけますか」

「……あぁん?」

「メンテナンスをします。出張ホテルの支配人直伝の、極上プレスクリーニングをお見せしましょう」

 俺は出勤鞄の底から、一本の木製ブラシを取り出した。

 ドンガン地下帝国の高山に生息する剛毛白馬の尾毛を、ポポロ山の桜の木に手植えした特注の洋服ブラシである。

 デュアダロスは訝しげな目を向けつつも、素直に濃紺のジャケットを脱ぎ、俺へと手渡した。

「……ほらよ。傷一つでもつけたら、指パッチンで弾き飛ばすからな」

「ご安心を。スーツの手入れは、総務課長の名誉にかけて完璧にこなしますよ」

 俺は簡易ハンガーにジャケットを掛けると、淀みのないプロの所作で作業に入った。

 まずは、下から上へ――繊維の奥に入り込んだ目に見えない微粒子を掻き出すように、手首のスナップを利かせてリズミカルにブラシを滑らせていく。

 シュッ、シュッ、シュッ……!

 続いて、上から下へ、開いた毛足を優しく撫で下ろして艶を整える。

 さらに、ツールボックスから取り出したのは、ドンガン製の超小型携帯スチーマー魔導具だった。

 タンクに満たしたのは、ポポロ山の雪解け天然水に、奇樹ネギオから分けてもらった微弱な植物性防汚エキスをブレンドした特製マナウォーター。

 シュウウウゥゥゥゥッッッ……!!

 高温の微細スチームが、ジャケットの肩から背中へと均等に吹き付けられていく。

 熱気を含んだ蒸気がウールの繊維をふっくらと膨らませ、座り皺を一瞬でピンと伸ばしていく。

 仕上げに、右肩の油染み部分に当て布を添え、小型魔導アイロンの先端でトン、トン、と垂直に圧力を加える。

 ジュッ……ジュワッ……!

 油染みが綺麗さっぱり気化して消滅し、生地本来の深い濃紺の光沢が、まるで夜空のベルベットのように蘇った。

 そして――

――『管理人権限(防汚魔導コーティング付与)』。

――事象:今後一ヶ月間、油煙・血液・ワイン・タバコの臭気の【完全付着防止】を適用。

 キィィン……と淡い白銀の光が走り、ジャケット全体に不可視の撥水・撥油バリアが焼き付けられた。

「……お待たせいたしました、デュアダロス様。袖を通してみてください」

 俺が恭しく差し出すと、デュアダロスは息を呑みながら、恐る恐る両腕を通した。

 肩が収まり、襟が首筋に吸い付くようにフィットする。

「………………ッッッ!!!!」

 邪神の長身が、目に見えて震えた。

 羽織った瞬間の、圧倒的な軽やかさ。

 重苦しく湿気を吸っていた生地が、まるで空気の衣をまとったかのようにふわりと浮き上がり、それでいて胸元には威風堂々たる美しいドレープが寸分の乱れもなく描かれている。

 タバコと火薬の焦げ臭さは完全に消え失せ、微かに漂うのは、清々しい秋の高原の朝露のような澄んだ香り。

「な……なんやこれは……! 三千年前に帝都の宮廷仕立て屋で誂えた初日より、着心地が良うなっとるやないかい……! 肩の凝りが……スッと抜けていく……!」

「生地が息を吹き返したんですよ。良い服ってのはな、着る人間の背筋を伸ばし、心を整えてくれるもんです。……防汚コーティングをかけておきましたから、これでワインをこぼしても、サッと拭くだけで元通りですよ」

 俺が微笑むと、デュアダロスは全身鏡の前に立ち、自分の姿を穴が空くほど見つめた。

 漆黒の革靴から、ピンとセンタープレスの効いたスラックス、そして完璧な光沢を放つ濃紺のジャケット。

 その瞳の奥にあった、数千年の幽閉生活で澱んでいた濁りが、完全に消え去っていた。

「……佐伯、言うたな」

「はい、佐伯です」

 デュアダロスはゆっくりと振り返ると、デスクの引き出しから桐箱を一つ取り出した。

 中から現れたのは、純黒の漆塗りに黄金の龍のレリーフが彫り込まれた、極太の葉巻――ポポロ村直営の最高級銘柄『ポポロシガー・ゴールドクラウン』だった。

 シガーカッターで吸い口を落とし、デュアダロスは自分の口へ一本くわえると、もう一本を俺へと差し出してきた。

「……呑むか?」

「ええ、喜んで」

 俺は青箱のハード煙草をポケットにしまい、差し出された葉巻を受け取った。

 デュアダロスが黄金のジッポライターでカチリと火をつけ、俺の葉巻の先端へ火を移してくれる。

 ゆっくりと紫煙を吸い込み、ふわりと天井へ燻らせた。

 広がる、熟成されたナッツとカカオの甘やかな芳香。

「ふぅぅぅぅぅっ……」

「美味いな、佐伯」

「美味いですね、デュアダロス様」

 二人の紫煙が、美しく掃き清められた組事務所の天井で、静かに一つに溶け合っていく。

 背後で見ていたヒエンが、信じられないものを見るように目を見張り、フェイトは「惑星崩壊の邪神と、1馬力のおっさんが……サシで葉巻を吹かしてやがる……!」と完全に腰を抜かしていた。

 静寂の中、デュアダロスはデスクの上の黒鉄の自動拳銃(チャカ)を愛おしそうに撫でると、フッと笑ってホルスターへと収めた。

 そして、内ポケットから――鈍い白銀と黒漆で鍛え上げられた、極めて重厚な一枚のカードを取り出した。

「佐伯、受け取れ」

「これは……?」

「『デュアダロス組・最高顧問名刺』じゃ。……舎弟頭でも客分でもにゃあ。この俺が、生涯で唯一『対等の男』として認めた奴にしか渡さん代紋じゃ」

 ドンッ、とデスクの上に滑り込んできた名刺。

 表面には古代神聖文字で『デュアダロス組 最高顧問 佐伯健太』の文字が、漆黒の神気とともに焼き付けられていた。

「気に入ったぞ、オッサン。ワレが持ってきた飯、酒、競馬、そしてこのスーツのアイロン……どれもこれも、この数千年の退屈を消し飛ばす極上の仁義やったわ。……ええか佐伯、地上でワレに理不尽なイチャモンをつけてくる奴がおったら、いつでもこの名刺を掲げて俺を呼べ。神だろうが皇帝だろうが、俺が指パッチン一発でミンチにしたるからな」

 ドスの利いた、だがこれ以上なく頼もしい任侠邪神の誓い。

 俺はその重厚な名刺を両手で受け取ると、胸ポケットのインク内蔵式三文判の隣へ、しっかりと収めた。

「ありがたく頂戴いたします、デュアダロス様。……ですが、あんまり喧嘩腰になっちゃいけませんよ。せっかくのスーツに皺が寄りますからね」

「がはははは! 違ぇねぇ! ワレの言う通りだわ!」

 深淵ダンジョン最深部に、邪神の豪快な笑い声が木霊した。

 こうして、世界を揺るがしかねなかった特級受刑者の暴動危機は、昭和の現場総務課長による「出前ケータリングとスーツのブラッシング」によって、完璧な友好関係へと昇華されたのだった。

 ――だが、地上へ帰還した俺を待っていたのは、安らかなスローライフではなかった。

 ポポロ・コーポの管理人室へ戻るや否や、天界のモニター画面が血のように赤く点滅し、新たな「倫理崩壊の神」の足音が、ポポロ村の平穏を脅かそうと忍び寄っていたのである。

読んでいただきありがとうございます。

面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。