EP 2
深淵からのカスハラ咆哮と、昭和総務の出前ケータリング部隊編成
ズズズズズズズズッ……!!
ドォォォォォォンッ! ドォォォォォンッ!
木造モルタル三階建てアパート『ポポロ・コーポ』の敷地全体を、まるで大型削岩機が床下で暴れ回っているかのような断続的な振動が揺さぶり続けていた。
遠く、ポポロ村の背後にそびえ立つ未踏山脈の地下数千メートル――神話の時代に惑星創造神の座を追われ、更生監獄として機能する深淵ダンジョンの最深部に幽閉されている特級更生受刑者・邪神デュアダロス。
その男が、三週間ぶりの「差し入れ便の遅延」に対してブチ切れ、特注スーツの革靴で隔離結界の鉄扉をドカドカと蹴飛ばしているのだ。
『おいコラァァァッ!! ルナミス新聞の競馬欄はまだかぁぁぁッッ!!』
『ルチアナのクソ尼公! ワインと葉巻と焼きチーズを差し入れんと、このダンジョンごと地表へカチコミかけるぞボケェェェッッ!!』
大気を震わせて届く、完全に筋金入りの広域指定暴力団組長そのものの怒号。
ポポロ・コーポ一階の女子棟(B棟)一〇一号室で、ようやく雑炊を平らげて人心地がついたばかりの不死鳥フレアが、「ひぃぃぃっ!」と掛け布団を頭まで引っ張り上げてガタガタと震え出した。
「ど、どうしよう佐伯さん……っ! デュアダロス様、完全に禁断症状が出てるよぉ……! あの人、競馬新聞の予想印と焼きチーズがないと、爪を噛みながらダンジョンの岩盤を素手で削り始めちゃうのぉぉぉッ!!」
「落ち着きなさいフレアさん。病人は横になって目を閉じる。それが現場のコンプライアンスだ」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、フレアの肩を軽く叩いて寝かしつけると、付き添っていた息子のヒエンに向き直った。
「ヒエン君、母さんの看病は女子棟二〇四号室のエミリアさんと、見習い神のリリスちゃんに頼んでおいた。……俺たちは一度、管理人室へ戻るぞ」
「う、うすっ! 佐伯さん!」
*
管理人室の六畳間に戻ると、そこにはすでに、顔面を真っ青にした二柱の神様が正座して待機していた。
一人は、小豆色芋ジャージを着崩し、缶ビールを両手で握りしめてカタカタと震える世界神ルチアナ。
そしてもう一人は、皺だらけの量産型スーツに身を包み、薄くなった後光を点滅させながら天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』をボリボリと貪り食っている、星区統括リーダーの主神オリンだった。
「佐伯君んんんんっ! 来てくれたかぁぁぁっ!!」
オリンが泣き叫びながら、俺の作業着の両膝にすがりついてきた。
「聞いたかね!? あのデュアダロスの怒号を! 天界の地震感知モニターがさっきから震度五強を連打しているのだ! もしあいつが本気で変身して終焉邪龍の姿を現せば、このアナステシア星区の地殻など数分でパスタのように両断されてしまう! 私の……私の銀河神への昇格試験が……また不祥事の減点で永久凍結になってしまうよぉぉぉッ!!」
「自業自得でしょハゲ頭! フレアにワンオペでダンジョン警備まで押し付けてたあんたの労務管理がザルだったんじゃないのよぉ!」
ルチアナが缶ビールをあおりながら叫び返す。
「あたしだって絶対に行きたくないからね! あいつ、昔の会議でちょっとツッコミ入れただけで『おい尼公、耳元で指パッチン鳴らされたくなかったら神殿の権利書置いていけ』って黒鉄の旧式自動拳銃を鼻の穴に突っ込んできたんだからぁぁッ!!」
騒ぎ立てる神界のトップたち。
俺は深くため息を吐き出すと、作業着の胸ポケットから自分の『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。
そして、手元の丸めた『ルナミス新聞』で、ルチアナとオリンの頭を同時にペシッ!と叩いた。
パシィィィッッ!!
「痛ぁっ!? な、なんであたしまで叩くのよ健太ぁ!」
「落ち着きなさい、二人とも。朝っぱらから六畳間でギャーギャー喚くな。……要するに、長期滞在中の気難しいVIP客へのルームサービスが、こちらの都合で三週間も滞ってクレームの嵐になってるって話だろうが」
俺が冷徹に状況を整理すると、オリンが目を白黒させた。
「る、ルームサービス……? 相手は星を粉砕する邪神だよ!? 最高級テーラー仕立ての濃紺スリーピーススーツを着た、正真正銘の任侠ヤクザなんだよ!?」
「どんな大物だろうが、客は客だ。前世の総合商社時代にもいたよ。指定の銘柄の煙草と朝刊が五分遅れただけで、総務のフロアに乗り込んできて灰皿を叩き割った大口取引先のワンマン会長がな。……そういう手合いの怒りを鎮める方法は一つしかない」
俺はちゃぶ台の引き出しから、赤ボールペンとメモ用紙を取り出した。
「『相手の要求しているブツを、期待値以上のクオリティで、秒速で現場へ届けること』だ。……ルチアナ様、オリンさん。デュアダロスさんが要求している品目は何だ?」
「えっ……? え、えっと……」
ルチアナが慌ててスマホのメモ帳をスクロールする。
「ルナミス新聞の過去三週間分の競馬欄、フルボディの高級赤ワイン、最高級ポポロシガー、それと……こんがり炙った焼きチーズと、酒のツマミ……かな?」
「よし、品目は把握した。……ヒエン君!」
「へいっ!」
「買い物カゴを持ってついてきなさい。村のコンビニ『タローソン』とホームセンター『タローマン』、それに直売所を回るぞ。特級受刑者向けの出前ケータリングセットを仕込む!」
「さ、佐伯君……! 本当に行ってくれるのかね!?」
オリンが後光をパァァッと輝かせて涙ぐむ。
「代わりに行ってくれるなら、神界の特級予算から出張手当も危険手当も青天井で決済するよ!」
「手当はきっちり請求書を回しますからね。……さあヒエン君、行くぞ!」
*
午前九時半。
ポポロ村の中央通りを、俺とヒエンはカートを押しながら駆け抜けた。
相手は舌の肥えた元・世界神の任侠ヤクザ。半端な安物を差し入れれば、逆に「ワレ、俺を舐めとんのか」とチャカを乱射されかねない。
現場の総務課長として、調達の精度には一切の妥協を許さなかった。
まずはコンビニ『タローソン』。
店長のタローマンに頼み込み、バックヤードに保管されていた過去一ヶ月分の『ルナミス新聞』のバックナンバーを全件回収。
俺はレジ横のイートインスペースで老眼鏡をかけ、赤ペンを走らせて、ジオ・リザード競馬の全レース結果と馬場状態、オッズの推移を、見開きごとのスクラップ帳へと手際よく整理した。さらに余白には、前世の競馬好き上司に付き合わされて培った「血統分析と脚質コメント」をビッシリと書き添えていく。
「すげぇ……佐伯さん、ただ新聞を束ねるだけじゃなくて、解説付きの特製競馬アルバムを作っちまうのかよ!」
「相手は三週間も外界の情報から遮断されてたんだぞ。過去ログを一目で追えるようにインデックスを貼るのが、総務の基本中の基本だ」
続いて、泥沼農園の直売所とタローマート。
肉厚で傘の裏まで純白な最高級の肉椎茸を木箱で二箱。
タローマンの酒売り場の地下セラーからは、ルナミス帝国北部で百年以上熟成されたという、黒葡萄とマナ果実を醸造した最高級のフルボディ赤ワイン『グラン・ルナミス・レセルバ』を二本。
さらに、村特産の最高級葉巻『ポポロシガー・ゴールドクラウン』を桐箱ごと三箱。
そして――本日のメインとなるチーズの調達だ。
「ニャングルさん、例のブツはあるか?」
「へいへい! 抜かりないで健太のおっちゃん!」
村役場の裏手から、三毛猫耳のCFOニャングルが純金の金算盤を脇に抱え、厳重に保冷された木箱を運んできた。
中に入っていたのは、高原の純白バッファローの搾りたて生乳を、ドンガン地下帝国の冷涼な鍾乳洞で三年熟成させたという、幻のハードチーズ『ドンガン・パルミジャーノ』の極厚ブロックだった。
表面にはアミノ酸の白い結晶がキラキラと浮き上がり、ナイフを入れた瞬間、ナッツとドライフルーツを凝縮したような濃厚な熟成香が爆発する。
「これや! 帝都の貴族でも年に一度しか口に入らん特級品やで! 炙ったら表面はカリッと香ばしく、中はトロットロに溶けて悪魔的な旨味になるんや!」
「よし、完璧だ。……あとは下ごしらえだな」
俺は管理人室の台所へ戻ると、卓上七輪と特製のミニ鉄鍋、そして自生調味料の醤油草とオリーブ草から引いた特製オイルを準備した。
一口大に切った肉椎茸に、ネギオから届いたばかりの聖葱剣『ネギカリバー』の白い茎、そして刻みニンニク(無臭加工済み)をオイルに漬け込み、現場で即座に加熱できる『肉椎茸とネギカリバーの特製アヒージョ仕込みセット』を完成させた。
チーズを炙るための携帯用小型バーナーと、ドンガン製の耐熱鉄板も工具箱にしっかりと詰め込む。
「……よし、出前セットの仕込みは完了だ。次は、配達部隊の編成だな」
*
午前十一時整。
ポポロ・コーポの駐輪場前。
俺の目の前には、これから深淵ダンジョンへ突入する「出前ケータリング部隊」の候補者三名が並んでいた。
一人目は、父ゆずりの筋骨隆々の体躯に炎熱の鍛冶ハンマーを背負った、孝行息子のヒエン。
「母さんの代わりに、俺が絶対に佐伯さんを守り抜くぜ!」と気合い十分だ。
だが、問題は残る二名だった。
「う〜ん……佐伯さん、俺、今日ちょっと体調が悪いというか……」
頭をポリポリと掻きながら視線を泳がせているのは、月給三十万円で村に雇われているA級冒険者フェイト・ラック(二十五歳)だった。
腰のホルダーから銀貨を取り出し、手元でパチンと弾く。
「さっき『コイントス』したら裏が出ちゃってさぁ。運気が地の底まで落ちてるんだよ。それに、ほら……急なんだけど、親友の従兄弟の隣のおばさんの友達の飼い犬の葬式が入っちゃってさ……有給申請書を出したいんだけど」
「却下に決まってんだろバカ野郎がぁぁッ!!」
パッコーーーーーーーーーンッッッッ!!!!
俺の持っていた『厚底ゴム底・来客用便所スリッパ(抗菌・茶色)』が、フェイトの額のど真ん中へ完璧なフルスイングで炸裂した。
「ぎゃべっ!?」
フェイトは白目を剥いて砂利の上にひっくり返った。
額にクッキリと刻み込まれる、抗菌スリッパの四角いゴム底痕。
「親友の従兄弟の隣のおばさんの犬の葬式に、誰が有給を出すか! もう関係ないじゃん! ミスリルアーマーを着て両手剣を担いでるくせに、サボろうとするんじゃない! 『管理人権限(労基コンプライアンス法)』発動、有給申請は即時却下だ! 働け!!」
「ヒ、ヒィィッ! す、スリッパが痛ぇぇぇっ! 行きます、行きますからぁぁッ!」
フェイトが涙目で飛び起き、直立不動で敬礼した。
そして――もう一人。
自警団詰所の裏庭、タローマン製の三人用耐火ドームテントの隙間から、おずおずと赤いトサカと黒い角を覗かせていたのは、竜人族のイグニスだった。
「あ、あの〜……佐伯の旦那ぁ? 俺様、部屋を全焼させて敷金没収されて以来、アパートの敷地内立ち入り禁止になってる身なんすけど……俺様も行くんで?」
「当たり前だイグニス」
俺はずかずかとテントの前へ歩み寄り、ポケットから一枚の書類をチラつかせた。
「『ポポロ・コーポ再入居審査・特別減点相殺申請書』だ。今回の深淵ダンジョン護衛業務を無遅刻・無事故・無火災で完遂した暁には、あんたの過去の失火ペナルティから銀貨五十枚分を免除してやる。……冬になる前に、畳とエアコンのある部屋に戻りたくないのか?」
「も、戻りたいっすぅぅぅぅぅッッ!!」
イグニスが目を血走らせ、テントから飛び出してきた。
「冬のテント生活は凍死寸前なんすよ! 任せてください佐伯の旦那! 道中の雑魚モンスターは、俺様の突貫火炎で灰一つ残さず焼き尽くして道を開けてみせますっす!!」
「よし、全員揃ったな」
俺は満足そうに頷き、背中の特大背負子に買い込んだ高級ワイン、桐箱のポポロシガー、ドンガン・パルミジャーノチーズ、競馬スクラップ帳、そしてアヒージョの調理器具をしっかりと固定した。
腰には、愛用の水筒――人肌温度(三十七度五分)に保たれた「ぬるい陽薬茶」が満たされている。
「これより、深淵ダンジョン最深部・特級更生受刑者邪神デュアダロス組事務所への『定期差し入れデリバリー作戦』を開始する。……安全第一、定時退勤目標だ。遅れずについてきなさい!」
「「「うおおおおおおおおっ!!」」」
秋晴れの空の下、四十男の総務課長と護衛部隊は、怒号轟く深淵ダンジョンの入り口へと向けて力強く一歩を踏み出したのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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