EP 8
名古屋弁怪獣のライブコマース構想と、深夜の契約書赤ペン添削
どれほど強大な資本力を誇る巨大企業のトップであろうと、美味い飯を腹いっぱい食って胃の腑が温まった瞬間、その顔つきから「捕食者のギラつき」が綺麗さっぱり抜け落ちる。
午後四時過ぎ。
ポポロ村役場・村長公邸の二階、貴賓客間に漂っていたちゃんこ鍋の湯気は、穏やかな秋の夕暮れの日差しの中に溶け込み、満腹になった男たちの鼻息だけが静かに響いていた。
世界神ルチアナは畳の端で「食った食った〜、もう動けなーい☆」と芋ジャージの腹を突き出して爆睡を決め込み、三大国のエリートたち――オルウェル、サイラス、ルーベンス、グレンの四人は、もはや他国の要人であることすら忘れたように、爪楊枝をくわえて茶を啜り合っている。
そんな中、純金箔織りのスーツを少し着崩したゴルド商会総帥・オロチ会長(五十歳・蛇目族)は、丸く穏やかになった黄金の瞳をスッと細め、居住まいを正した。
「……佐伯さん、改めて言わせてもらうがね」
「はい、何でしょうオロチ会長」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、空になった大鍋をテーブルの端に寄せ、作業着の胸ポケットから老眼鏡を取り出して鼻先にかけた。
オロチ会長は首の太いプラチナチェーンをジャラリと鳴らし、手元の黄金のアタッシュケースをパチンと開けた。
「このポポロ村……ただの緩衝地帯の田舎農村だと思っとったら、とんでもにゃあ宝の山だがや。わしらゴルド商会は、大陸全土に張り巡らされた巨大な流通魔導網と、数千店舗の商店ギルドを牛耳っとる。だがな……今の時代、ただ店頭に品物を並べとるだけじゃあ、利幅が薄くてやってられんのだて」
「ほう。モノが溢れて、消費者の購買意欲が冷え込んでるわけですね」
「そうなんだわ! さすが佐伯さん、話が早くて助かるがね!」
オロチ会長は膝を乗り出し、身振り手振りを交えて熱弁を振るい始めた。
「そこでだて! わしが目をつけたのが、この村から発信されとる『ゴッドチューブ』の異常な数字の化け物どもよ! 元・氷魔将軍スアイの『開拓DIY村・極寒サウナ動画』……あれ、全宇宙で高評価率九九・八パーセントのメガヒット枠だがね! それに、あのアホ毛天使キュララの生配信! あいつが画面越しに『このポポロシガー、めっちゃいい匂い〜♡』と一言呟くだけで、帝都のセレブどもが札束を投げて殺到する! ……これだわ!」
オロチ会長はテーブルをバンッと叩いた。
「動画配信と、わしの流通網を直結させた新時代の販売革命――名付けて『大陸規模・リアルタイム魔導ライブコマース事業』だがねッ!! スアイやキュララが配信でポポロ村の特産品を紹介し、視聴者が画面のルナPayボタンをポチッと押せば、ゴルド商会の配送網が大陸全土へ即日お届けする! どえりゃあ爆益が約束された、ウィンウィンの大シノギになると思わんかね!?」
客間の空気が、ざわりと揺れた。
長テーブルの下から這い出してきた三毛猫CFOニャングルが、純金の金算盤を「チッチッチッ」と火花散る速度で弾き、目をドルマークにして息を呑む。
「ひ、ひえぇぇ……! ゴルド商会の全大陸ロジスティクスと、うちの村のトップインフルエンサーのタイアップやと……!? 試算するだけで年間売上、金貨百五十万枚……!? ポポロ村の国家予算が百倍に跳ね上がるやんけぇぇッ!!」
「がはは! ニャングルの小僧、分かっとるやにゃあか! さあ佐伯さん、これが提携の契約書だわ! ここにサインとハンコを一発ポンと押してくれりゃあ、今すぐ前受金として金貨十万枚を村の金庫にブチ込んでやるがね!」
ドンッ!とテーブルの上に叩きつけられたのは、羊皮紙を三十枚ほど束ねた、極太の金モールのリボンで綴じられた豪華絢爛な契約書だった。
表紙には金箔押しで『包括的業務提携および全大陸専売権許諾契約書』と威風堂々たる文字が躍っている。
「うわぁ……金貨十万枚の前受金……! これさえあれば、村の防空ドームをもう三基増設できるでぇ!」
飛びつこうとするニャングルの首根っこを、俺は作業着の左手でヒョイと掴んで引き戻した。
「ニャングルさん、落ち着きなさい。数字に目を眩ませて契約書の束を精読しないのは、三流の経理のやることだぞ」
「ふ、ふみゃっ!? だ、かて健太のおっちゃん、相手は大陸最大のゴルド商会やで!? 願ってもない大口取引やんか!」
「甘いな。……前世の総合商社時代、甘い言葉で近づいてきたITベンチャーの巨額業務提携契約書に、後から『知的財産権の無償独占譲渡』という極小フォントの特約が仕込まれていて、危うく自社の基幹特許を丸ごと奪われかけた案件を俺は二回経験してるんだよ」
俺の冷徹な一言に、オロチ会長の黄金の眉がピクリと跳ね上がった。
俺は胸ポケットから、愛用の赤ボールペンを取り出すと、テーブルの上の契約書をペラペラとめくり始めた。
「……さて。法務チェックとコンプラ審査に入りますかね。――リバロンさん」
「かしこまりました、佐伯殿」
燕尾服の人狼執事リバロンが音もなく進み出ると、客間の壁に据え付けられた魔導通信石のスイッチを入れた。
キィィン……と空中に浮かび上がったのは、村外れの廃工房から中継された立体ホログラム映像。
画面の向こうには、眼鏡を光らせて巨大な分厚い法学書を何冊も机に積み上げている、インテリ奇樹ネギオの姿があった。
『フッ……待っていたぞ、佐伯の旦那。オロチの狸親父が持ち込んできた契約書だな。全条文のスキャンデータはすでにこちらの魔導端末へ同期されている。……ドンガン式減価償却と大陸独占禁止法の下流規範に照らし合わせ、徹底的に切り刻んでやろう』
「ひ、ヒエッ……!? あ、あのネギ頭の化け物、なんでわしの契約書の文面をもう持っとるんだて!?」
オロチ会長が目を丸くして狼狽する。
俺は赤ペンを指先で回し、契約書の第十四条をトントンと叩いた。
「それではオロチ会長、順に読み合わせといきましょうか。……まず第十四条『配信コンテンツおよび肖像権の帰属』。【本提携に基づき制作された全動画・画像・キャラクターライセンスの排他的権利は、甲(ゴルド商会)に恒久的に帰属するものとする】……オロチさん、これ、何ですか?」
「えっ? い、いや……うちが流通リスクを背負うんだから、宣伝用の素材を自由に使う権利くらいは……」
『却下だ、単細胞が』
ホログラムのネギオが、冷酷無比な声で一刀両断した。
『スアイの開拓動画も、キュララの配信権限も、ポポロ村の固有文化資産である。これを貴社へ恒久譲渡すれば、将来的にポポロ村は自らの名を冠した特産品を自前で販売する権利すら失うことになる。露骨極まりない包括的アセットの囲い込み(ロックイン)だ。……修正案:【権利は乙(ポポロ村)に留保され、甲には本事業の範囲内における期間限定の非独占的利用権のみを許諾する】。当然だな』
「ぐっ……! だ、だが、前受金十万枚も出すんだから、それくらいは色をつけてくれても……」
「次、第二十二条『決済手数料およびマージン配分』」
俺はオロチの言い訳を完全にスルーし、赤ペンで契約書に大きなバツ印を書き殴った。
「【プラットフォーム利用料として売上の四〇%を甲が控除し、さらに魔導通信維持費として一五%を上乗せ控除する】……合計五五%のピンハネ。オロチ会長、あんた、うちの村の農民や配信者を自分とこの奴隷か何かと勘違いしてませんか?」
「ひ、ピンハネだなんて人聞きが悪いがね! 全大陸のサーバー維持費や配送のリスクを考えたら、これくらいの手数料は業界の常識――」
「業界の常識を盾に暴利を貪るのは、前世の悪徳下請けイジメ企業と同じ手口だ」
俺は老眼鏡を外し、冷徹な総務課長の眼差しでオロチ会長の眉間を射抜いた。
「ポポロ村の特産品――塩対応メロロン、肉椎茸、ポポロシガー、ネギカリバーは、他所では絶対に真似できない唯一無二のキラーコンテンツだ。買い手市場ではなく、完全なる売り手市場なんですよ。ゴルド商会が扱わなくても、うちの村には始祖竜ロードの超音速宅配便と、ニャングルの直営通信販売網がある。……手数料は一律十五%。通信維持費は全額そちらのインフラ投資枠から持ち出し。これ以上の条件を要求するなら、この商談は白紙撤回、帝都の他の商業ギルドと単独提携を結ぶまでです」
「じ、十五パーセント……!? そ、そんな薄利で巨大商会が動けるわけが――」
「動けますよ、オロチ会長」
ニャングルがニチャァと三毛猫の牙を剥き出し、金算盤をパチィン!と弾いた。
「手数料が十五%でも、キュララの配信とスアイの動画が回れば、月間の流通総額は金貨数十万枚規模や。薄利多売でも、あんたの商会には莫大なキャッシュフローと、全大陸の消費者データが手に入るんやで? ……損してへん、むしろどえりゃあ得な話やないですかぁ?♡」
「うぐっ……! う、うぬぬぬぬ……ッ!!」
オロチ会長の首筋から、脂汗が滝のように吹き出す。
完全に急所を突かれていた。
田舎の農民相手に法外な搾取条項を忍ばせて暴利を貪るつもりだったのが、元総務課長の徹底的な赤ペン添削と、インテリ奇樹の法務トラップ解除、そして守銭奴猫耳銀行員の冷徹な利益シミュレーションによって、分厚い契約書の欺瞞が、一枚残らず身ぐるみ剥がされていく。
「さらに極めつけは、第三十五条『管轄裁判所および準拠法』だ」
俺は赤ペンで最後の条文をグルグルと丸で囲んだ。
「【本契約に関する一切の紛争は、ゴルド商会本店所在地の帝都商事仲裁所を専属管轄とし、商業ギルド規約を準拠法とする】……これも全面修正。【管轄はポポロ村役場とし、準拠法は基本法OS『LEX-LUCIANA』ならびにポポロ・コーポ管理規約とする】。……これでどうだ?」
「ガ、ガオガオンの直結法廷が準拠法……!?」
オロチ会長は白目を剥きかけ、ソファーにへたり込んだ。
少しでも納期の遅延や未払いをやらかせば、宇宙空間から黄金の巨神『聖獣機神ガオガオン』がレーザー照準を合わせて会社ごと消滅させに来るという、史上最悪に逃げ場のない超法規的担保である。
「……どうします、オロチ会長。飲むか、帰るか。どちらでも構いませんよ」
俺は赤ペンを置き、冷めた陽薬茶を一口啜った。
背後では、客間に同席していた三大国のエリートたち――オルウェル、サイラス、ルーベンス、グレンが、無言のまま腕組みをしてオロチを冷ややかに見下ろしている。
帝国の秘密警察、獣人国の保安局、魔皇国の財務省が、完全にポポロ村の味方として背後に控えているのだ。
いかに大陸最大の富豪といえど、この包囲網を前にして突っぱねられるはずがなかった。
「………………はぁぁぁぁぁぁぁっ」
オロチ会長は深く、魂の底からの長いため息を吐き出した。
そして、胸元のプラチナチェーンを弄りながら、苦笑いを浮かべて首を振った。
「参った……参ったがね、佐伯さん。……わしが何十年もかけて磨き上げてきた百戦錬磨の契約トラップが、赤ペン一本でここまで綺麗に骨抜きにされたのは、商売人人生で初めてだて……。おみゃあ、本当にただの管理人かしゃん? 帝国の商務大臣でも、ここまで完璧な査察はできんぞ」
「ただの、元・総務課長ですよ。契約書の不備で泣きを見る現場の人間を、前世で腐るほど見てきましたからね」
俺が穏やかに微笑むと、オロチ会長は金の羽ペンを握り直した。
「……ええわ! 乗ったがね! 赤ペンで直されたその条件で、正式に契約を結んだるわ! ただし佐伯さん、その代わり、スアイの開拓グッズとポポロ村の特産品、初回の納入枠は絶対に切らさんといてちょうよ! わしが責任持って、大陸中の金持ちどもの財布を空っぽにしたるがね!」
ガリガリッ!と力強い音を立てて、オロチ会長が修正済みの契約書へ自署を叩き込んだ。
続いて、ニャングルがポポロ村商務代表として爪印を捺す。
そして最後に――俺は作業着の胸ポケットから、愛用のワンタッチ認印(インク内蔵式三文判)を取り出した。
承認欄のど真ん中へ、迷いなく力強く押し込む。
ポンッ。
――ユニークスキル『管理人権限(最上位稟議決裁)』執行。
――神界統括OS『SELESTIA-CORE』および基幹法廷OS『LEX-LUCIANA』へ直結登記。
――【ゴルド商会×ポポロ村・全大陸ライブコマース包括的業務提携協定】を因果律確定。
キィィィィィン……ッッッ!!!!
契約書全体が眩い白銀の神聖光を帯び、不可逆の絶対条約として宇宙の理に登録された。
これで、ポポロ村の特産品と住民たちの配信活動は、搾取されることなく大陸全土へ販路を広げ、莫大な外貨を安全に獲得する永久ルートを確立したのだ。
「よし、商談成立だな。……ニャングルさん、前受金の入金確認と口座開設を進めてくれ」
「任しときぃ! ガッポガッポやでぇぇぇッ!!」
ニャングルが歓喜のあまり客間の天井までジャンプし、金算盤を狂ったように鳴り響かせた。
*
時計の針を見れば、午後五時半。
秋の釣瓶落としの夕陽が地平線の向こうへと沈み、空は美しい群青と紫のグラデーションに染まっていた。
客間の片付けを終えた俺は、オロチ会長に温かいポポロ珈琲を一杯手渡した。
「オロチ会長、長時間の交渉お疲れ様でした。……今夜はポポロ・コーポの客室を一室空けてありますから、泊まっていきなさい。一階の大浴場サウナで汗を流せば、長旅の疲れも吹き飛びますよ」
「おお……サウナかしゃん! ありがたいがね! ……佐伯さん、おみゃあと酒を酌み交わすのが楽しみになってきたわ」
すっかり角の取れた笑顔で珈琲を啜るオロチ会長。
そこへ、ソファーで静かに煙草を燻らせていたルナミス帝国のオルウェル内務官と、獣人国のサイラス内務官が、音もなく立ち上がった。
二人の表情には、他国の動向を探る険しさは微塵もなく、ただただ「今夜のサウナと晩酌」を待ち望む、純粋な疲労困憊の中間管理職の顔があった。
「佐伯殿」
「何です、オルウェルさん」
「……素晴らしい手腕を見せていただきました。あの悪名高きゴルド商会を、武力も脅迫も使わず、ただ契約書の条文精査と現場の正論だけで完全に対等な関係へ組み敷くとは……。帝国の内務省法務局でも、これほどの離れ業は不可能です」
「フン、フン……全くだ。我が研ぎ澄まされた嗅覚が、貴殿の周りに一片の私利私欲も嗅ぎ取れんことが、もはや恐怖を通り越して清々しいほどだ」
サイラスが黒い犬耳をピクッと動かし、深く一礼した。
魔皇国のルーベンス宰相も、モノクルを正して優雅に微笑む。
「佐伯殿、先ほどリバロン殿から伺った『定例サミット』の件……来月の二十五日を待たずとも、今夜、早速その前哨戦として大浴場をお借りしてもよろしいでしょうか? ……私もグレンも、ラスティア様の推し活の尻拭いで、身体の芯まで冷え切っているのです」
「ええ、もちろんですよ。男湯のフィンランド式サウナ、薪ボイラーを満タンにして温めてありますからね。全員まとめて、極冷水風呂でととのっていきなさい」
俺が胸ポケットから青箱のハード煙草を取り出し、ジッポライターでカチリと火をつけると、三大国の実務トップと大陸最大の富豪が、揃って子供のように嬉しそうに目を輝かせた。
――平和だ。
作業着の左胸ポケットの中で、ウサギ村長キャルルから託された『人参柄刺繍ハンカチ』が、俺の安定した心音を感知して、トクン……トクン……と規則正しい温もりを伝えてきている。
国家の命運を左右する実務者たちと、経済を牛耳る怪獣商人を巻き込んだ、前代未聞の「サウナ不戦条約サミット」の夜が、いま静かに幕を開けようとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




