EP 7
名古屋弁怪獣の毒気抜きと、賢者葱の極上ちゃんこ鍋
ポポロ村役場・村長公邸の二階、貴賓客間。
先ほどまで路上から響いてきた極貧人魚姫リーザの『月曜日の社畜』に魂を揺さぶられ、帝国・獣人国・魔皇国のエリート官僚と世界神ルチアナが集団号泣していたこの部屋は、一転して奇妙極まりない緊張感に包まれていた。
「……な、なん……なんやこれは……?」
半開きになった客間の扉の敷居を跨いだまま、金縛りに遭ったように立ち尽くしているのは、純金箔を織り込んだド派手な金ピカスーツに身を包んだ五十男――大陸全土の流通網と闇金融を牛耳るゴルド商会総帥・オロチ会長だった。
太い首に巻かれたプラチナチェーンが、持ち主の狼狽に合わせてジャラジャラと小刻みに揺れている。
その足元――長テーブルの真下から、純金の金算盤を抱えた三毛猫耳のCFOニャングルが、耳をペタリと伏せて恐る恐る顔を覗かせた。
「オ、オロチ会長……! な、なんでアンタがわざわざ帝都の本部からこんな辺境へ直々に乗り込んできとるんや……!?」
「ニャ、ニャングルぅ!? おみゃあ、こんなとこで何やっとるんだて!」
オロチ会長はぎょろりとした蛇目族特有の黄金の瞳を剥き出しにし、部屋の中を狂ったように見回した。
「ルナミス帝国の秘密警察の元締めオルウェルに、獣人王国の猟犬サイラス……! アバロン魔皇国のルーベンス宰相と炎魔将軍グレン……! さらには畳の上で芋ジャージ着て洟垂らしとるのが、天界の創造主・ルチアナ様……だとう……!? ど、どういう陣容裁定や! 大陸が三回くらい消滅するレベルの連中が、なんで全員揃って鼻かみながら落花生食っとるんだがね!?」
百億ゴールドの巨万の富を築き、あらゆる王侯貴族を札束の暴力で跪かせてきた経済怪獣のプライドが、目の前の超絶カオスを前にして音を立てて砕け散りかけていた。
だが――俺はそんなオロチ会長の狼狽など意にも介さず、手に持った湯呑みを客間のサイドテーブルの上にトンと置いた。
「オロチ会長、ですね。立ち話も何ですから、どうぞ座ってください。……長旅で喉も渇いたでしょう」
「ヒッ……!? お、おみゃあ……誰や……!?」
オロチが後退りし、脂ぎった額から冷や汗を吹き出させる。
その視線が、俺の作業着、履き古した便所スリッパ、そして胸ポケットから覗くインク内蔵式三文判(佐伯)を舐めるように走査した。
(な、なんやこの男……魔力測定値が完全に『1馬力』……!? 一般市民の二十分の一の最弱数値だがや! それなのに……この泰然自若とした空気は何やて!? わしが全身から放つ『純金貨一億枚の覇気』を前にして、眉毛一本ピクリとも動かさん……! もしや……この枯れた風貌そのものが、神々すら手玉に取る絶対的支配者の擬態かしゃん……!?)
案の定、この成金オヤジの脳内でも、お約束の「超弩級の深読み」が凄まじい勢いで火を噴き始めていた。
俺はため息を一つ吐き出すと、作業着のポケットから天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を取り出し、二粒をポリポリと噛み砕いた。
「ポポロ・コーポ管理人兼、村役場総務の佐伯です。……オロチ会長、手ぶらでお茶だけというのも芸がありませんからね。ちょうど昼飯時ですし、何か胃に優しいものでも作ってきますよ。ニャングルさん、会長をおもてなししておいてくれ」
「へ、へい! 了解や、健太のおっちゃん!」
ニャングルが机の下から這い出し、引き攣った笑顔でオロチをソファーへ誘導する。
俺は出勤鞄を小脇に抱え、客間を後にして一階の給湯室兼厨房へと向かった。
*
村役場の一階厨房。
調理台の前に立った俺は、腕まくりをして冷蔵魔導庫を開け放った。
集まったのは、三大国の情報・軍事・行政のトップに、世界神、そして大陸最大の豪商。
どれもこれも、日頃の激務や金勘定のストレスで胃壁がボロボロに荒れ果てた、典型的な「現代病中年男(およびダメ神)」ばかりだ。
そんな連中に、脂っこいステーキや濃口のフレンチなど出せば、一発で胃もたれを起こして倒れてしまう。
必要なのは――五臓六腑を内側から優しく洗い流し、凝り固まった野心と毒気を骨抜きにする「圧倒的な滋味」だ。
「……よし、あれを使うか」
俺が野菜室の奥から取り出したのは、新聞紙に包まれた奇妙な野菜だった。
ポポロ村の怪異農作物の一つ――『たまんネギ(煩悩賢者葱)』である。
薄皮に包まれたその球根からは、新聞紙越しにも微かに、下品極まりない怨念じみた独り言が漏れ聞こえていた。
『……ぐへへ……たまんねーなオイ……! ルナミス新聞の袋とじグラビア、あの太もものムチムチ感がたまんねぇぇぇ……!』
相変わらずの変態野菜である。地中でエロ本の電波を受信して煩悩を煮えたぎらせているのだ。
だが――俺は迷うことなく、右手の包丁の刃先で、たまんネギの茶色い外皮を、根元から一気にベリッと引き剥がした。
ペリリリリッ!
『ああっ……!? お、俺のエロ本妄想が……剥がされるぅぅぅ……ッ!?』
ピカァァァァァァァッッッ……!!
外皮を一枚剥がされた瞬間、たまんネギの表面から、後光のような神々しい白銀の燐光が立ち昇った。
すべての邪念、煩悩、下心が瞬時に蒸発し、完全なる解脱――『賢者モード』へと強制移行したのだ。
『……我が身を食べたまえ。刻んでスープにするもよし、煮込むもよし。万物は無常なり……南無……』
澄み渡るような声とともに、宝石のように透き通った乳白色の肉質が現れる。
煩悩を極限まで削ぎ落とした賢者モードのたまんネギは、玉ねぎ特有のエグみや辛味が完全に消滅し、ただひたすらにピュアな甘みと、驚くほど透明感のある極上の出汁を放つ奇跡の食材へと昇華するのだ。
「成仏しろよ」
トントントンッ、と心地よいリズムでたまんネギを分厚い半月切りにしていく。
続いて取り出したのは、かつて合体四天王ダストン(元・雷魔将軍&土魔将軍)から直伝された、特製ちゃんこ鍋の仕込みレシピだった。
大鍋に清らかなポポロ山の雪解け天然水を張り、泥沼農園から届いた肉厚な肉椎茸の乾燥軸、そして昆布草を放り込んで弱火にかける。
じっくりと出汁を抽出したところへ、スライスした賢者たまんネギを惜しげもなく投入。
コトコトと煮込むうちに、立ち上ってきたのは――言葉を失うほど澄み渡った、甘やかで深遠な湯気だった。
「……いい出汁が出たな」
そこへ、タローマンの肉売り場から仕入れてきた新鮮な地鶏の粗挽き肉に、ネギオから届いた聖葱剣『ネギカリバー』の小口切りとすりおろし生姜、少量のドンガン岩塩を練り込んだ「特製鶏団子」を、スプーンで丸めながらポトポトと落としていく。
さらに、角切りの肉椎茸、一口大の白菜、豆腐、油揚げ。
仕上げに、村特産の醤油草から引いた天然醤油と、料理酒代わりのイモッカをひと回し。
調味料は最小限。素材が持つ力だけで完成された、ダストン直伝・『賢者葱と肉椎茸の極上すましちゃんこ鍋』の完成である。
「よし、運ぶか」
*
ガララッ、と客間の引き戸が開いた瞬間。
室内に漂っていた重苦しい沈黙が、ふわりと立ち込めた圧倒的な芳香によって、一瞬にして吹き飛ばされた。
「お待たせしました。たいしたものは作れませんでしたが、昼飯の用意ができましたよ」
俺が卓上魔導コンロの上にドンッと置いたのは、フツフツと心地よい音を立てて煮え立つ大鍋だった。
蓋を開けた瞬間――
ポワァァァァァァァッッッ……!!
黄金色に澄み渡るスープの海。
余計な灰汁など微塵もなく、賢者たまんネギから溶け出した透明なエキスが、七色に輝く油の輪となってキラキラと反射している。
湯気とともに広がるのは、生姜とネギカリバーの清涼な香り、そして肉椎茸と鶏出汁の重厚なアロマ。
「な……なんや、この匂いは……!?」
オロチ会長が、突き出た腹を震わせてソファーから身を乗り出した。
金に物を言わせて大陸中の三ツ星レストランを食べ歩いてきた男の鼻腔に、かつて嗅いだこともない「一切の濁りのない純粋な旨味」が直撃したのだ。
隣では、腹を空かせていたオルウェル、サイラス、ルーベンス、グレン、そして床のルチアナまでもが、パブロフの犬のように喉を「ゴクリッ!」と激しく鳴らしていた。
「オロチ会長、どうぞ。まずはスープから一口啜ってみてください」
俺は木製のお玉で、透き通った黄金スープと、クタクタに煮込まれた賢者たまんネギ、肉厚な肉椎茸、そして熱々の鶏団子を深皿によそい、オロチの前へ差し出した。
オロチは恐る恐る、金の指輪が嵌まった太い指で木匙を持ち上げた。
匙を満たす、黄金のスープ。
ふー、ふー、と息を吹きかけ、口元へ運ぶ。
ズズッ……ズズズッ……。
「………………ッッッッッ!!!!」
その瞬間、オロチ会長の全身の毛穴という毛穴から、ブワッ!と心地よい汗が噴き出した。
衝撃。
舌の上に触れた瞬間は、まるで上質な白湯のように軽やかだというのに、喉を通る刹那、爆発的な旨味の津波が押し寄せてくる。
雑味が、一切ない。
賢者たまんネギの極限まで濃縮された上品な甘みが、鶏出汁のコクと完璧に融合し、キノコの濃厚なアミノ酸が味の輪郭を力強く下支えしている。
日頃の暴飲暴食と強欲な金勘定で脂ぎっていた胃袋の粘膜が、まるで聖なる泉の水で丁寧に洗われていくかのように、スーッと浄化されていく感覚。
「う……うみゃあ……!! なんちゅう……なんちゅう澄んだ出汁だてぇぇぇッ!!」
オロチ会長の口から、魂の底からの絶叫が漏れた。
「甘い……! 砂糖の甘さじゃにゃあ! この玉ねぎ……口の中でとろけて、跡形もなく消えていくがね! 鶏団子も、噛んだ瞬間に生姜とネギのキレが炸裂して……肉汁が溢れて止まらんッ! なんやこれ、わしが今まで食ってきた金粉入りの宮廷料理は、ただの生ゴミだったんかしゃん……!?」
「皆さんのお口にも合えばいいんですが。さあ、遠慮せず食べてください」
俺が声をかけると、客間の面々は堰を切ったように鍋へと群がった。
「う、美味い……! 胃に……徹夜で穴の開きかけていた胃壁に、温かい毛布が敷かれていくようだ……!」
「フン、フン……絶品だ! この肉椎茸、噛むほどに山の滋味が溢れ出してくるぞ!」
「はふはふっ……! 健太、おかわり! あたし鶏団子五個追加ねぇぇぇッ!」
オルウェルが、サイラスが、ルーベンスが、グレンが、そして世界神ルチアナが、夢中で木匙を動かしている。
ハフハフと立ち上る白い湯気と、男たちの満ち足りた吐息。
そこには、国家の対立も、権力の駆け引きも、金勘定のギラつきも存在しなかった。
あるのは、同じ鍋を囲み、温かい汁を啜って胃袋を温め合う、純粋で健やかな食卓の幸福だけだった。
「……ふぅぅぅぅぅっ」
大鍋のスープを三杯も飲み干し、深皿を置いたオロチ会長は、ソファーの背もたれに深く体重を預けた。
額の脂汗は引き、細長く吊り上がっていた蛇の瞳孔は、まるで日向ぼっこをする子猫のように丸く穏やかに緩んでいた。
すっかり毒気の抜けた顔で、自分の手のひらをじっと見つめている。
「……佐伯、さん……ちゅうたな」
「はい、佐伯です」
俺は青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を燻らせながら、冷たいお茶をオロチの前へ差し出した。
オロチはその茶を受け取り、しみじみと呟いた。
「わしはな……貧しいドブ板長屋から這い上がって、金こそがこの世の全てだと信じて生きてきたんだがね。金貨を積めば神も皇帝も買える、そう思っとった……。だが……おみゃあの作ったこの鍋を食ったら、なんだか胸のつっかえがポロリと取れてまったわ。……おみゃあ、ただの管理人じゃにゃあな?」
「いえ、ただの管理人ですよ」
俺は苦笑し、煙草の灰をトントンと灰皿へ落とした。
「アパートを掃除して、家賃を回収して、腹を空かせた住人や客人に飯を食わせる。それ以上のことも、それ以下のこともしてませんよ。……オロチ会長、金儲けは結構ですがね、美味い飯が食えなくなるほど胃を痛めてちゃ、何のために稼いでるのか分からんでしょう」
「………………ッ!」
オロチ会長の巨躯が、ビクンと小さく震えた。
誰にも言えなかった、大富豪の孤独。
毎日、裏切りと暗殺と為替の暴落に怯え、枕元に魔導拳銃を置いて眠り、口にする高級料理の味すら分からなくなっていた成金男の胸の奥を、くたびれた作業着の四十男の言葉が、優しく、真っ直ぐに撃ち抜いたのだ。
「……違ぇねぇ。全くだわ……おみゃあの言う通りだて……」
オロチ会長は目頭を指先で押さえ、深く長い溜息を吐き出した。
そして――居住まいを正すと、胸元のプラチナチェーンを直し、鋭い、だが先ほどまでの下品なギラつきの消えた「真の商人の目」をして俺を見据えた。
「佐伯さん。……わしと、一つデケぇ商売の話をしてくれんかしゃん?」
客間の空気が、ピシリと心地よいビジネスの緊張感を帯びた。
胃袋を掴まれ、毒気を抜かれた大陸最大の経済怪獣が、ついにポポロ村との本格的な経済提携へ向けて動き出そうとしていた。
読んでいただきありがとうございます。
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