EP 6
路上に響く『月曜日の社畜』と、全中間管理職の涙の輪唱
ズズズズズズズズッ……!!
ドォォォォォォンッ! ドォォォォォンッ!
ポポロ村役場・村長公邸の二階、貴賓客間に響き渡る、まるで重装甲車が廊下を爆走してくるかのような重金属の地響き。
純金の金算盤を胸に抱きしめ、毛を逆立てて床を転がっていた三毛猫CFOニャングルが、「ヒエェェッ!」と悲鳴を上げて長テーブルの下へ潜り込んだ。
円卓を囲んでいたルナミス帝国のオルウェル内務官、獣人王国のサイラス内務官、魔皇国のルーベンス宰相、そして炎魔将軍グレンの四人も、揃って直立不動で身を固くする。
「ゴルド商会のオロチ……! 大陸全土の流通網と闇金融を牛耳り、三大国の国家予算すら裏から動かすと言われる、あの経済怪獣か……!?」
「フン、フン……! 嗅ぎ慣れぬ、だが強烈な金の脂の臭いだ! 数千万枚の金貨と純金インゴットを全身に擦り付けたような、圧倒的な資本の暴虐……ッ!」
エリート官僚たちが額に冷や汗を滲ませ、身構える。
廊下の向こうからは、ジャラジャラと無数の金貨が擦れ合う凄まじい音とともに、あのドスの利いた、だが異様にハイテンションな名古屋弁が近づいてきていた。
『ぎゃはははは! なんやお前ら、湿気たツラして集まっとるがねぇ! 噂のポポロ村っちゅうのはここかしゃん!? どえりゃあ儲かる金の匂いがプンプンしとるがねぇぇぇッ!!』
部屋の扉がメリメリと音を立て、いよいよその巨躯が突入してこようとした――まさにその刹那だった。
キィィィィィィィィン……ッッッ!!
空気を切り裂くような、耳障りなマイクのハウリング音。
公邸の廊下ではなく、窓の外――村役場の正面広場、コンビニ『タローソン』の店舗前の路上から、その音は響いてきた。
続いて、スピーカー代わりに置かれた安物の魔導拡声器から、ポコポコと指先で叩くような鈍い音が鳴る。
『あー、あー。マイクのテスト中なんですの。……ええい、タローソンの店長、ゴミ箱の前にみかん箱を置くなと言ったって、ここしか人通りがありませんのよ! 通行人の皆様、足を止めてくださいまし! これより、銀河系最強の元・深海人魚姫にして現役超極貧地下アイドル、リーザ・シーランの路上ゲリラライブを開始いたしますわぁぁぁッ!!』
「……ん?」
俺――佐伯健太(四十二歳・戦闘力1馬力)は、小皿の塩茹で落花生をポリポリと噛みながら、客間の窓の外へ視線を向けた。
広場を見下ろすと、そこには薄汚れた芋ジャージの裾をからげ、鼻の穴にピカピカに磨き上げた五円玉を詰めた青髪の人魚少女・リーザが、みかん箱の上に仁王立ちしていた。
足元には、錆びついた空き缶が一つ。マジックで『お賽銭(できれば金貨、最低でもパンの耳)』と殴り書きされている。
『聞いてくださいまし! 地球のトップアイドル・朝倉月人様が、泥水を啜って生きる現代のすべての労働者たちへ捧げた、魂の鎮魂歌……! 『月曜日の社畜』ッッ!!』
ジャカジャカジャカジャカッ!
チープなアコースティックギターの魔導伴奏が、広場いっぱいに鳴り響いた。
そして――リーザがその小さな胸いっぱいに息を吸い込み、口を開いた瞬間だった。
パァァァァァァァッッッ……!!
大気が、一瞬にして澄み渡るような絶対神聖魔力で満たされた。
普段は五円玉を鼻息で撃ち出して野良犬と残飯を奪い合っているド底辺アイドルだが、その喉は正真正銘、大海を統べる人魚族の王族の血筋。
ひとたび歌声を解き放てば、嵐を鎮め、狂える海竜すら涙を流して眠らせるという、天性の超常ソウルシンガーの美声。
その美しすぎるベルカント唱法に乗せて、広場へ、そして村長公邸の客間へと叩きつけられた歌詞は――
あまりにも、あまりにも生々しすぎる「地獄の日常」そのものだった。
『〜♪ 満員列車は嫌だ〜 寿司詰めギュー詰め〜
汗と香水の スメルハザード〜〜!』
ドクンッ……ッッ!!
その第一小節が鼓膜を震わせた瞬間、客間にいた男たちの背筋が、感電したかのように一斉に跳ね上がった。
トレンチコートを握りしめた帝国内務官オルウェルが、銀縁眼鏡をガタガタと震わせ、青ざめた唇を開く。
「な……んだ、この歌は……!? 頭の中に……帝都の中央環状魔導鉄道、朝八時十五分の光景が……! 乗車率二百五十パーセント、見知らぬ泥酔貴族の吐瀉物の臭いと、安物コロンが混ざり合う密室で、肋骨を軋ませながら出勤していたあの地獄の通勤風景が、脳裏に直接突き刺さってくる……ッ!!」
だが、リーザの歌声は容赦なくサビへと突入していく。
人魚の魔力が旋律を極限まで増幅し、言葉の意味など知るはずのない異世界の中間管理職たちの魂の急所を、正確無比に撃ち抜いていく。
『〜♪ 電車が 止まってくれれば〜(あぁ、神様!)
会社に 隕石落ちてくれ〜(せめて台風!)!
誰だよ エビマヨ買い占めた奴ぅ〜(許せん!)
ツナマヨじゃ嫌だ オカカしかねぇ〜〜ッッ!!』
ドガァァァァァァァァンッッッッ!!!!
客間の全員の脳天を、巨大な隕石が直撃した。
「うわあああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
最初に絶叫を上げて床に崩れ落ちたのは、レオンハート王国のドーベルマン獣人、サイラス内務官だった。
革ジャケットの両袖をボロボロの涙で濡らしながら、床の絨毯を力任せに殴りつける。
「わかる……! 痛いほどわかるぞぉぉぉッ!! 王都のタローソンで、朝の激務の前に唯一の楽しみだった『具たっぷりエビマヨおにぎり』の棚が空っぽで、カピカピになったオカカしか残っていなかったあの日の絶望……ッ! 『誰だよエビマヨ買い占めた奴は!』と、保安局の権限で防犯カメラを全件押収して犯人を特定してやろうかと本気で血涙を流したあの朝の記憶が、鮮烈に蘇るぅぅぅッ!!」
「隕石だ……! 私だって、魔皇城に巨大隕石が落ちてほしかったぁぁぁッ!!」
続いて立ち上がったのは、炎魔将軍グレンだった。
タローマンの黒腕カバーで顔を覆い、二本の黒角の間からプシューッと蒸気を噴き上げながら号泣する。
「毎朝毎朝、出勤するたびに『魔王城の天守閣が消滅していないか』と祈りながら門をくぐっていたのだ! ラスティア様が推し活で国家予算を溶かすくらいなら、いっそ自然災害で財務省ごと吹き飛んでくれた方がどれほど楽だったか……! 神様……いや、朝倉月人君! 君はどうして、私の心の中をここまで正確に言葉にしてくれるのだぁぁぁッ!!」
「うっ……うぐっ……! エビマヨ……私も……マヨネーズのコクを求めていたのに……! 上層部の決裁待ちで買いに行けず、昼過ぎには廃棄同然のオカカしか残っていなかったのだぁぁぁ……ッ!」
アバロン魔皇国筆頭宰相ルーベンスまでもが、モノクルを外してソファーに突っ伏し、肩を激しく震わせて嗚咽を漏らしている。
さらに――
バァァァァァンッッッッ!!
客間の天井の換気用点検口が力任せにぶち破られ、ドサリ!と上から落ちてきた影があった。
小豆色の芋ジャージを着込み、頭に『月人命♡』のハチマキを巻いた金髪の女神――この世界を創った創造神ルチアナだった!
右手には『エンジェルすまーとふぉん』、左手には飲みかけの缶ビールを握りしめ、顔中を鼻水と涙でぐしゃぐしゃにしている。
「うわああああんッ! 月人くぅぅぅぅぅんッッ!! わかるよぉぉぉ! あたしの神殿にも隕石落ちてほしいぃぃぃッ!! 月曜日の朝の定例役員会議、マジでこの世から消滅してほしいぃぃぃッ!! 誰だよリボ払いの金利を年十四パーセントに設定した奴はぁぁぁッ!!」
創造神までが床に大の字になってジタバタと暴れ回る。
三大国の情報・軍事・行政の最高首脳陣と、世界を作った神が、一つの部屋で揃って「満員電車の苦痛」と「エビマヨおにぎりの恨み」を叫びながら集団号泣しているのだ。
――そして、俺自身もまた。
「………………」
作業着の胸ポケットから、天界指定の強精神性胃腸薬『ストマック・オメガ錠』を三粒取り出し、ボリボリと奥歯で音を立てて噛み砕きながら、静かに目頭を押さえていた。
痛い。
痛すぎる。
前世の四十二年間の記憶が、怒涛の濁流となって胸を締め付ける。
雨の日の総武線。他人の濡れた傘がスーツの太ももにピトッと張り付くあの不快感。
週明けの重役会議で、役員の思いつきの叱責を浴びる前に、コンビニの棚でエビマヨを目の前のOLに最後の一個を奪われた時の、あの膝から崩れ落ちそうになる虚無感。
あの時、俺も心の中で叫んでいたのだ。
「会社に隕石が落ちてくれ」と。
「……月人君、あんた、本当にいい歌を作るな……」
四十男の目尻から、一筋の熱い涙がつぅっと頬を伝い落ちた。
戦闘力1馬力だろうが、数万馬力の魔族だろうが、神だろうが関係ない。
現場で理不尽に耐え、泥をすすり、それでも翌朝になれば胃薬を流し込んで現場へ向かう「すべての働く者たちの魂」が、安物のみかん箱の上から響く人魚の歌声によって、完全に一つに溶け合っていた。
――その時だった。
ピタッ……。
客間の扉の前まで迫っていた、あの地響きのような金属音が、唐突に停止した。
半開きになった客間の扉の隙間から、ぬるりと姿を現したのは――
純金箔を織り込んだド派手な金色のスーツに身を包み、太い首筋に極太のプラチナチェーンをジャラジャラと巻き付けた、恰幅のいい五十男だった。
細長い瞳孔を宿した蛇目族特有の黄金の双眸。
指という指には、三大国の国宝級の宝石が嵌め込まれた指輪がギラギラと輝いている。
大陸最大の経済怪獣、ゴルド商会総帥・オロチ会長その人である。
本来ならば、「どえりゃあ儲かる金の匂いがするがね!」と怒鳴り込み、ポポロ村の権利書と利権を暴力的な資本力で巻き上げるはずだった男。
……なのだが。
いま、オロチ会長の視界に飛び込んできた光景は、あまりにも常軌を逸していた。
床に突っ伏して「エビマヨぉぉぉ!」と絶叫する帝国秘密警察のオルウェル。
テーブルを叩いて「ツナマヨじゃ嫌なんじゃぁぁ!」と号泣する獣人国保安局長のサイラス。
モノクルを濡らして「隕石を……!」と呻く魔皇国宰相ルーベンスと、角から煙を吹いて洟をすする炎魔将軍グレン。
畳の上で大の字になって「リボ払い消滅しろぉぉ!」と暴れる創造神ルチアナ。
そして、その中心で、くたびれた作業着姿のまま静かに胃薬をポリポリ噛み砕き、涙を拭っている四十男・佐伯健太。
「……な、なん……なんやこれは……?」
百戦錬磨の悪徳商人オロチの口から、完全にドスの抜けた、素っ頓狂な名古屋弁が漏れ出た。
手にした純金のキセルが、ポロリと指先からこぼれ落ちそうになる。
「お、おい……おみゃあら……三大国のトップ官僚に、天界の世界神様までおるだがや……! なんで、なんでそんな大物が揃いも揃って……みかん箱の路上ライブの歌詞に共鳴して、号泣しとるんだて……!? ど、どんな精神汚染魔術にかかっとるんや……!?」
百億ゴールドの巨万の富を築き上げ、あらゆる権力者を札束で殴り倒してきた成金モンスターが、初めて直面した「理解不能の光景」を前に、ガクガクと膝を震わせ始めたのだ。
俺は鼻をかみ、涙を指先でぬぐうと、作業着の膝をポンと払って立ち上がった。
そして、呆然と立ち尽くすオロチ会長に向かって、静かに歩み寄った。
「オロチ会長、ですね。……遠方からわざわざお越しいただき、ご苦労様です」
「ヒッ……!? お、おみゃあ、誰や……!? 魔力ゼロ……いや、気配すら感じられん……!?」
怯える大富豪に対し、俺は客間のサイドボードから、新しい湯呑みを取り出した。
魔法水筒を傾け、人肌温度(三十七度五分)に保たれた黄金色の「ぬるい陽薬茶」を並々と注ぐ。
さらに、小皿に盛っておいた「塩茹で落花生」を添え、オロチの目の前へスッと差し出した。
「ポポロ・コーポ管理人兼、村役場総務の佐伯です。……商談の前に、まずはお茶でも一杯どうぞ。遠路はるばる重い金貨を担いで移動してきて、お腹も減ったでしょう。……胃を温めると、落ち着きますよ」
トクトクトク……と湯呑みから立ち上る、素朴で優しい薬草の湯気。
殺気も、打算も、威圧も、金への執着すら一片も感じられない、完全に透明な中間管理職の気配り。
蛇目族の冷徹な瞳が、その湯呑みと、俺のくたびれた作業着を交互に見つめ――
オロチ会長の額から、タラリと冷や汗が吹き出した。
(こ……この男……! わしの放つ金貨一億枚の威圧を前にして、眉一つ動かさず、ただの茶を出してきた……!? 三大国の要人を従え、神を床に転がしておきながら……この底知れぬ静寂は何なんだて……ッ!!)
大陸最大の怪獣商人が、昭和の総務課長の「ぬるいお茶」の前に、強烈な深読みの罠へと足を踏み入れた瞬間だった。
読んでいただきありがとうございます。
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