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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 5

無欲の虚無と、深読みエリートたちの極限スキャン

 ポポロ村役場、村長公邸二階の貴賓客間。

 先ほどまで「上がやらかした大赤字と無茶振りの尻拭い」という共通の悲哀によって、男泣きと号泣の渦に包まれていた円卓の空気は、俺がタローソン特製の蒸したて肉まんを皿に盛り、ぬるい陽薬茶のおかわりを配り終えた頃には、奇妙な静けさを取り戻していた。

 だが――それは決して、穏やかな日常への回帰ではなかった。

(……待て。私は一体、何を口走っていたのだ……?)

 円卓の左側で、冷めかけの肉まんを両手で持ちながら、ルナミス帝国の情報統括局内務官オルウェル(四十五歳)の冷徹な知性が、激しく警鐘を乱打していた。

 帝国の暗部をすべて掌握し、皇帝直属の秘密警察を束ねる冷酷無比の官僚。

 その彼が、事もあろうに敵性国家の要人たちの前で、自国のマルクス皇帝が鳩の餌を奪い合う飢餓天使キュララを網で捕獲した内情を涙ながらに暴露し、敵国の宰相や将軍と手を取り合って泣きじゃくったのだ。

(あり得ん……! 国家反逆罪で即刻銃殺刑に処されても文句の言えぬ醜態だ! なぜだ……!? なぜ私は、これほど警戒を解き、心の奥底に秘匿していた防壁を全開にしてしまったのだ……!?)

 オルウェルは銀縁のスクエア眼鏡のフレームを押し上げ、レンズの奥で極小の魔導情報スキャン術式を起動した。

 視線の先――円卓の正面で、くたびれた作業着の袖をまくり、小皿の塩茹で落花生の殻をパキンと割って口へ放り込んでいる中年男。

 佐伯健太(四十二歳)。

(この男の仕業か……!? 先ほど飲まされたあの『ぬるい陽薬茶』に、精神を弛緩させる超高度な自白魔導薬でも混入されていたというのか……!?)

 オルウェルの視界に、不可視の魔導ステータス解析画面が展開される。

 帝国が誇る最高精度の鑑定魔導レンズ。ドラゴンの逆鱗の厚みから、魔導要塞の装甲の継ぎ目まで暴き出す国家機密の透視術式が、作業着の四十男を頭の先から足元のスリッパまで徹底的に走査した。

 ――ピピピッ。

【生体識別:佐伯(さえき) 健太(けんた)】

【種族:人間族(元・異世界転生個体)】

【筋力:1馬力(地球人の中年男性平均)】

【魔力残量:ゼロ(マナ感知不能)】

【闘気放射:ゼロ(武術経験なし)】

【保有スキル:管理人権限(清掃・帳簿整理に適性あり/ハズレ枠)】

【深層心理欲求ログ】:

 ・『今日の夕飯、タローマートの半額肉椎茸残ってるかな』

 ・『早く五時にならんかな。定時で上がってサウナ入りたい』

 ・『イモッカのソーダ割りに、ネギオの刻みネギ散らしたら絶対美味い』

 ・『腰がちょっと痛い。夜に湿布貼ろう』

「……なっ!?」

 オルウェルの喉から、掠れた悲鳴が漏れた。

 エラーか?

 世界を滅ぼしかねない三巨頭(竜王・狼王・不死鳥)を店子として従え、五聖獣の合体OSを再起動させ、三大国の実務トップを一つの円卓に座らせて不可侵協定にサインさせた男の深層心理が――

「半額の肉椎茸」と「定時退勤」と「サウナ上がりの酒」だけで満たされているだと……!?

(バカな……! 権力欲は!? 名誉欲は!? 領土拡大の野心や、三大国を裏から操って大陸を統一しようという覇気はどこにある!? ……ゼロ……!? 一切の邪心も打算も存在しないというのか……!?)

 一方、円卓の右側では、レオンハート獣人王国の保安局長サイラス(四十五歳)もまた、極限の緊張状態で全身の毛を逆立たせていた。

 ピンと直立した黒い犬耳が、空気の微小な振動を捉える。

 そして――大陸全土のあらゆる嘘と裏切りを暴いてきた、あの「研ぎ澄まされた嗅覚」が、佐伯健太という存在から漂うフェロモンを限界まで嗅ぎ分けていた。

(フン……フン……! おかしい……あり得ん……! 人間がこれほどの超常現象を巻き起こし、国家元首クラスを平伏させれば、どれほど隠そうと『傲慢』や『支配欲』、あるいは『他者を出し抜いた快感』という名の甘ったるい脳内麻薬の匂いが必ず滲み出るはずだ……!)

 サイラスの鼻腔が捉えたのは――

 青箱のハード煙草の乾いた紫煙の匂い。

 天界指定胃腸薬『ストマック・オメガ錠』の生薬特有のほろ苦い香り。

 そして、朝から一生懸命に雑巾がけと配管清掃をこなした者だけが纏う、石鹸と清潔な綿の匂いだけだった。

 濁りが、ない。

 血の匂いも、権力の脂ぎった悪臭も、一片たりとも混ざり合っていない。

 サイラスの黒い額から、タラリと冷や汗が顎へと伝い落ちた。

(透き通っている……! 我が嗅覚をもってしても、一片の欺瞞すら嗅ぎ取れん……! この男……本当にただ純粋に、我々の胃痛を心配し、現場の泥を片付け、ぬるい茶を出しただけだというのか……!?)

 二人の超エリート情報官の脳内で、凄まじい勢いで「深読みの螺旋」が加速していく。

(そうか……そうだったのか……!!)

 オルウェルの銀縁眼鏡が、カチリと白く光った。

(これこそが……『真の支配者』の境地! 武力で脅す者は、より強大な武力に屈する。財力で釣る者は、より巨大な資本に裏切られる。だが――この男は違う! 『無欲の虚無』を装うことで自らを透明化し、相手の最も脆い急所――すなわち『現場で孤独に耐えかねた中間管理職の胃壁』へ、一片の抵抗感すら抱かせずにスッと入り込んでくるのだ……ッ!!)

(底が……底が知れなさすぎる……ッ!!)

 サイラスの犬耳が恐怖でペタリと伏せられた。

(竜王や魔王を従える圧倒的なカリスマを持ちながら、それを『家賃3万円のアパートの住人』として扱い、自らは戦闘力1馬力のおっさんとして泥臭い掃除と書類仕事に徹する……! これほどの怪物でありながら、己を完全に殺して黒子に徹する胆力……! 我がレオンハート王国の獣王アーサー様など足元にも及ばん、真の怪物だ……ッ!!)

 二人は戦慄し、互いに視線を交わした。

 そこへ、円卓の向かい側で珈琲を啜っていたアバロン魔皇国筆頭宰相ルーベンスが、モノクルの奥で憐れむような笑みを浮かべた。

 昨晩、同じように健太の恐るべき包容力と「電卓ダコの共鳴」によって魂を救われた魔界の貴公子である。

「……フッ。オルウェル殿、サイラス殿。ようやく理解できたようですね」

 ルーベンスが優雅に脚を組み、静かに囁きかけた。

「佐伯殿の前に小細工は通用しませんよ。私とグレンも、昨夜は胃を痛め抜いてこのポポロ村へ乗り込みましたが……佐伯殿の神業のような帳簿科目振替と、人肌のサケスキー陽薬茶割りによって、完全に骨抜きにされました。この御方は、世界の均衡を『現場の実務』という名の不可視の法網で支配しておられるのです」

「うむっ! 全くその通りだ!」

 四天王筆頭グレンが、分厚い『表計算魔導ボード』を愛おしそうに撫でながら力説した。

「我々がどれほど国家の威信を振りかざそうと、現場の数字が合わねば国は滅びる! 佐伯殿は、その絶対真理を誰よりも深く理解しておられるのだ! 見よ、あの迷いのない落花生の割り方を! 無駄のない力加減、一切の虚飾を排した実務の所作そのものではないかッ!」

 絶賛の嵐。

 三大国の重鎮四人が、揃って熱烈な畏怖と尊敬の眼差しを作業着の男へ注いでいる。

 ――だが、当の佐伯健太はといえば。

(……ん? なんかやたらと熱い視線を感じるな)

 俺は落花生の薄皮をペッと指先で払い、不思議そうに円卓を見渡した。

 オルウェルは青ざめた顔で直立不動、サイラスは忠犬のように背筋を伸ばし、ルーベンスとグレンは感銘を受けたように頷き合っている。

 まあ、無理もない。

 前世の総合商社時代もそうだった。

 徹夜続きで極限状態に陥った他部署の課長連中に、夜食のカップ麺と栄養ドリンクを差し入れて愚痴を聞いてやった翌朝は、なぜか全員が俺に対して異様なほど礼儀正しく敬語を使ってきたものだ。

 極限状態の男たちを救うのは、いつだって「温かい飯」と「共感」なのだ。

「オルウェルさん、サイラスさん。肉まんが冷めちゃいますよ。タローソンのやつは、冷めると皮が固くなりますからね。熱いうちに腹に入れなさい」

「は、はいっ! いただきますッ!」

「ありがたく頂戴いたしますッ!」

 二人は慌てて肉まんにかぶりついた。

 ハフハフと息を吹きかけながら頬張ると、オーク豚の濃厚な肉汁とネギカリバーの香ばしさが口いっぱいに広がる。

 すかさず、ぬるい陽薬茶を喉へ流し込む。

 五臓六腑が歓喜の声を上げ、二人の表情から完全に「冷徹な情報機関の鬼」の仮面が剥がれ落ちた。

「う……美味い……! 胃が……胃壁が喜んでいる……」

「フン、フン……絶品だ……! 生姜の効いた豚肉の旨味が、鼻腔を心地よく刺激する……!」

 そこへ、客間の隅で優雅に煙管(キセル)を燻らせていた人狼執事リバロンが、スッと銀のトレイを掲げて歩み寄ってきた。

 手帳の銀時計をパチンと閉じ、完璧な執事の笑みを浮かべる。

「皆様、胃の腑が温まったところで、実務的なご報告がございます。……先ほど佐伯殿が決裁印を押された『三大国実務担当者間における相互情報共有および不可侵協定』に基づき、第一回定例サミットの日程を策定いたしました」

「おお……! もう日程が決まったのか!」

 グレンが身を乗り出す。

 リバロンは手帳を捲り、淡々と読み上げた。

「開催地は、もちろんここポポロ村。日時は毎月二十五日――各国の給料日および予算締め日の翌日、午後七時より。場所はポポロ・コーポ一階の共同大浴場フィンランド式サウナ、ならびに管理人室。議題は『上層部の無茶振りに対する合同愚痴吐き出し、および越境予算の裏ロンダリング調整』でございます」

「「「「素晴らしいッッ!!!!」」」」

 四人のエリートが、揃って立ち上がり熱烈な拍手を送った。

 給料日直後のサウナと、美味い晩酌、そして他国の同胞たちとの愚痴大会。

 これほど過労死寸前の中間管理職にとって魅力的な福利厚生が、この世界のどこにあるだろうか。

「決まりだな。……オルウェルさん、サイラスさん、ルーベンスさん、グレンさん。来月からは、手ぶらで来てくださいよ。サウナマットと冷えたイモッカは、俺がしっかり用意しておきますから」

 俺が青箱のハード煙草に火をつけ、紫煙を燻らせながら微笑むと、四人は感動のあまり涙ぐみ、直立不動で最敬礼を返した。

「佐伯殿……一生ついていきますッ!」

「我が保安局の極秘情報、いつでも貴殿にお流しいたしますぞ!」

 こうして、大陸を二分しかねなかった三大国の情報・軍事・行政の最高実務責任者たちは、昭和の総務課長の「ぬるい茶と肉まん」によって、完全に胃袋とメンタルを掌握されたのだった。

 ――だが、その平和な客間の空気が、突如として激変した。

 ドタバタドタバタッッッ!!!!

 公邸の廊下を、けたたましい足音を立てて走ってくる気配。

 続いて、客間の重厚な防音扉が、ドォォォォンッ!と力任せに蹴破られた!

「大変やぁぁぁぁぁぁッッ!! 健太のおっちゃん、リバロン、全員伏せぇぇぇッ!!」

 飛び込んできたのは、純金の金算盤を抱え、三毛猫の耳を極限まで逆立てたCFOニャングルだった!

 その顔面は蒼白を通り越して緑色に変色し、尻尾の毛がタワシのように膨らんでいる。

「ニャングル殿、客間の扉を蹴破るのはマナー違反ですよ。……どうされたのですか、その取り乱しぶりは」

 リバロンが眉をひそめるが、ニャングルは床を転がりながら叫んだ。

「マナーどころの話やないんやぁッ! 来てもうたんや! あの御方が……ゴルド商会の総帥、大陸全土の流通と闇金融を牛耳る『金の亡者怪獣』が、ポポロ村の境界ゲートを突破して乗り込んできよったんやぁぁぁッッ!!」

 ズズズズズズズズッ……!!

 ドォォォォォォンッ! ドォォォォォンッ!

 ニャングルの絶叫と同時に、公邸の床全体が、大型トラックが突入してきたかのような凄まじい地響きを立てて揺れ始めた。

 廊下の向こうから近づいてくる、異様な金貨の擦れ合うジャラジャラという重金属音。

 そして――客間の空気を一瞬で黄金の脂ぎった欲望で染め上げる、ドスの利いた、だが強烈に陽気な「あの地方の訛り」が轟き渡った。

『ぎゃははははは! なんやお前ら、湿気たツラして集まっとるがねぇ! 噂のポポロ村っちゅうのはここかしゃん!? どえりゃあ儲かる金の匂いがプンプンしとるがねぇぇぇッ!!』

 大陸最大の経済怪獣、ゴルド商会会長オロチ(五十歳・蛇目族)。

 名古屋弁を轟かせる成金モンスターが、ついにポポロ村の静寂を力任せに踏み破ろうとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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