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『戦力1馬力のおっさん管理人、魔境の村で静かに暮らしたい〜ぬるい茶と三文判で神や竜王を手懐けていたら世界の黒幕に〜』   作者: 月神世一


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EP 4

深夜の豚骨テロと居留守の狼王〜管理規約第1条のスリッパ〜

 引っ越しの荷解きを終えた俺は、念願だったポポロ・コーポの大浴場へと直行した。

 併設されたフィンランド式サウナ小屋の熱気は本物だった。

 熱されたサウナストーンにアロマ水を注ぎ、立ち上る白煙と熱波を全身に浴びて汗を流す。地下水を引き込んだ水風呂に浸かり、外気浴スペースのベンチで夜風に吹かれれば、前世で蓄積した過労と胃痛が綺麗さっぱり溶けていくようだった。

(……最高だ。これだけでも、この村に来た価値がある)

 湯上がりに管理人室へ戻り、タローソンで買っておいた太陽芋の蒸留酒『イモッカ』をグラスに注ぐ。炭酸水で割り、青箱のタバコに火をつけ、至福の一服を味わおうとした――その瞬間だった。

 ゴゴゴゴゴ……!

 地鳴りのような重低音が床を揺らした。

 同時に、廊下の通気口から、鼻腔を力任せにぶん殴ってくるような異臭が侵入してきた。

 煮えたぎる獣脂、焦げ付いた髄液、そして濃厚極まりない豚骨の匂い。

 直後、二階から凄まじい勢いで床を踏み鳴らす振動が響き渡った。

「おい一〇一号室の親父ィ! 夜中の二時に部屋でロックバイソンの骨を強火で炊き出すんじゃねぇ! 換気扇の油煙が窓から逆流して、干したばかりの作業着が全部豚骨臭くなっただろうがぁぁッ!!」

 二〇一号室の鍛冶青年ヒエンの絶叫だった。

 さらに、追い打ちをかけるように隣の一〇二号室の壁の向こうから、神経を逆撫でする大音量の電子音が炸裂した。

『ピロリロリ〜ン! キュインキュインキュイン! 激熱! 大当り確定だワン!!』

『ガハハハ! キタキタキタァ! 確変ループ突入じゃオラァッ!!』

 夜中の二時に、片や深夜の豚骨テロ、片やパチンコ台の爆音連打。

 手元のイモッカ・ソーダの氷が、怒りの微振動でカランと鳴った。

「……おいおい、入居初日の夜だぞ」

 俺は深くため息をつくと、グラスを机に置き、丸めた『ルナミス新聞』を右手に、愛用の便所スリッパを左手に引っ提げて立ち上がった。

 定時退勤と平穏な晩酌を脅かす輩には、神だろうが怪物だろうが、現場のルールを叩き込んでやるのが昭和の管理人というものだ。

      *

 まず向かったのは、白煙と強烈な獣脂臭を廊下中に撒き散らしている男子棟一〇一号室。

 ドアノブは熱で素手では触れないほど熱せられていたが、俺が手を触れた瞬間、『管理人権限』が発動して熱量が強制減衰された。

 ガチャリとドアを開けて足を踏み入れる。

 そこは、六畳間の真ん中に人間が三人丸ごと入れそうな超巨大寸胴鍋が鎮座し、立ち上る熱気と蒸気で完全に視界がゼロのサウナ状態だった。

 鍋の前に腕組みをして仁王立ちしているのは、仕立ての良い暗色のコートを羽織った白髪混じりのダンディなイケオジ。口元に太い葉巻を燻らせ、鋭い金色の竜瞳をギラつかせている。

 マンルシア大陸の頂点に君臨する神話級ドラゴン、竜王デュークその人だった。

「……む? 何奴だ。我がスープの仕込みの邪魔をする羽虫め。灰塵になりたいのか」

 デュークが片手をわずかに持ち上げただけで、室内の空気がキシキシと軋み、推定一万馬力の黄金の闘気が部屋中に満ちた。

 普通なら内臓が破裂して圧死する重圧だ。

 だが、俺の足元から淡い白銀の幾何学模様が床一面に展開した。

――【敷地内絶対平穏(ハウス・ルール)】適用。

――事象:深夜の室内火気濫用および近隣騒音威圧。

――竜王の闘気を『共用部迷惑行為』として強制減衰します。

 シュウウゥ……と、部屋を満たしていた絶対零度の殺気と熱風が、まるで換気扇に吸い込まれるように霧散した。

 デュークの金色の瞳が、驚愕に見開かれる。

「な……!? 我が闘気が……消えた……!?」

「消したんじゃない、廊下に漏れてたから換気したんだよ」

 俺はスリッパをパチンと鳴らし、ずかずかと寸胴鍋の横へ歩み寄った。

「ポポロ・コーポ管理規約第1条『夜間静粛の遵守』。夜中の二時に部屋でロックバイソンの骨を炊き出す奴があるか! ほら見ろ、換気扇のフィルターが油煙と煤でドロドロに目詰まりしてるじゃないか! これじゃ部屋中に煙が逆流して二階のヒエン君の洗濯物が全滅するのも当たり前だ!」

 バシィッ!

 持っていた便所スリッパで、一万馬力の竜王の頭頂部を容赦なく叩いた。

 物理も魔法もあらゆる防御を貫通する『管理人権限』の絶対懲罰。

「痛ッ!? な、貴様……この我が、スリッパごときで痛覚を……!?」

 頭を押さえて目を白黒させるデューク。

 俺は作業着のポケットから使い捨ての不織布フィルターを取り出し、換気扇のカバーを外して手際よく貼り替えた。

 さらにシンクにあった大きな木べらを手に取り、寸胴鍋の縁に浮いていたどす黒い灰汁をサッと掬い取る。

「いいか、強火で炊くのは結構だが、灰汁の引き際を見誤るな。表面のこの泡をこまめに取らないと、せっかくのロックバイソンの甘みが全部えぐみに変わるぞ。……ほら、鍋肌の焦げも落としておくから、弱火でトロトロ回しなさい」

「お、おお……? す、すまぬ……いや、違う! 貴様、なぜ我が門外不出の博多豚骨の秘訣を知っている!?」

「前世でラーメン屋の居抜き物件を何十軒も清掃・改修してきたからな。焦げ付いた寸胴の洗い方ならあんたより詳しいよ。次から夜間にガラを炊く時は、村外れの廃工房か屋台でやりなさい。わかったな?」

「う、うむ……肝に銘じよう……。……時に、新任の管理人とやら。その、味見をしていかんか? 米麦草の極細麺をバリカタで茹でてあるのだが……」

 恐縮しきった様子で丼を差し出してくる竜王。

 俺は差し出されたスープをレンゲで一口啜った。

 口いっぱいに広がる暴力的なまでの旨味と、驚くほど澄んだ後味。

「……美味いな。ネギオの刻みネギを入れたら満点だ」

「ほ、本当か! 太郎の味に近づいているか!?」

 無邪気に喜ぶイケオジ竜王を背に、俺は「ごちそうさん。鍋の火の始末だけはしっかりな」と言い残して一〇一号室を後にした。

      *

 さて、問題は次だ。

 一〇二号室の前へ回ると、相変わらず「フィーバー! 確変突入!!」という轟音とジャラジャラという玉の音が鳴り響いている。

 ドアノブには「本日休業・爆睡中につきノック無用」という手書きの札がぶら下がっていた。

 居留守を使う気満々である。

 しかも、カルテによればこの部屋の住人――狼王フェンリルは、家賃三万円(銀貨三十枚)を三ヶ月間丸々滞納している常習犯だった。

「おい、フェンリル! 開けなさい、管理人だ!」

 ドアを叩くが、中の電子音はピタリと止まり、息を殺す気配だけが伝わってくる。

「……チッ、寝たふりか」

 俺が腰の鍵束からマスターキーを引っ張り出した、まさにその時だった。

 廊下の奥から、地響きとともに凄まじい鉄の擦れる音が迫ってきた。

「そこをどいてください、佐伯さんッ!!」

 現れたのは、鹿毛の馬胴を猛スピードで疾走させる自警団長マンミアだった。

 その両腕には、鋼鉄の杭打ち機を内蔵した巨大な刺突盾『アグニ』が構えられ、シリンダーから高圧の魔導蒸気がプシューッと噴き出している。

 単体百八十馬力の突進力。

「自警団員でありながら三ヶ月も家賃を踏み倒し、パチンコに狂って村の風紀を乱す駄犬など、我がパイルバンカーで部屋ごとミンチにして更地に変えてくれますッ!! 穿てぇぇッ!!」

「待て待て待て! ストップだマンミアさん!!」

 俺は咄嗟に廊下の真ん中に立ちふさがり、丸めたルナミス新聞をパッと掲げた。

――【敷地内絶対保全(ハウス・ルール)】適用。

――事象:自警団長による集合住宅の物理的破壊未遂。

 突撃してきたパイルバンカーの鋭利な杭が、新聞紙の先端に触れた瞬間――カツン、と拍子抜けするような乾いた音が響き、百八十馬力の突進エネルギーが完全にゼロへと吸収された。

 慣性の法則すら無視してピタッと静止するマンミア。

「ふぇ……!? ア、アグニの最大出力杭打ちが……新聞紙一枚で受け止められた……!?」

「マンミアさん、気持ちは分かるが器物損壊は規約違反だ。部屋を壊したら修繕費で余計に大赤字になる。こういう手合いには、ちゃんとした『大人の手順』を踏むもんだ」

 呆気にとられるマンミアをなだめ、俺はマスターキーをドアの鍵穴へ差し込み、ガチャリと回して一気に引き開けた。

「佐伯の認印、入りまーす」

「ぎゃあああっ!? だ、誰だテメェ合鍵使いやがったな!?」

 煙草の吸い殻と空き缶が散乱する万年床の上で、銀髪に狼耳を生やした無精髭の青年――狼王フェンリルが飛び起きた。

 手元には違法改造された卓上パチンコ機『CR異世界転生トラックでドン!』が置かれている。

「フェンリル君だな。新任管理人の佐伯だ。今月の家賃三万円、それに過去二ヶ月分の滞納分を合わせて銀貨九十枚、耳を揃えて払ってもらおうか」

「あぁん!? 知らねぇよ! 俺様は帝都のパチンコで全財産スッちまって一文無しなんだよ! だいたいな、この狼王フェンリル様に家賃を請求するたぁいい度胸じゃねぇか! 噛み殺されてぇのかオッサン!!」

 牙を剥き出し、獰猛な冷気ブレスを吐き散らしながら飛びかかってくる狼王。

 だが、俺は眉一つ動かさず、丸めたルナミス新聞を片手でスッと振り抜いた。

 パスンッ!

「ぎゃんっ!?」

 眉間を新聞紙で叩かれた瞬間、フェンリルは両手で鼻を押さえて床をゴロゴロとのたうち回った。

 神話の魔獣が、まるで丸めた新聞で躾けられる柴犬のように涙目になっている。

「い、痛ってぇぇぇぇ!? なんだよこの新聞紙、オリハルコンより硬ぇぞ!? 鼻がもげるかと思ったじゃねぇか!!」

「親や上司から教わらなかったか? 借りた金は返す、住まわせてもらったら家賃を払う。人間として……いや、狼として当たり前の義務だ」

 俺は胸ポケットから、村役場で作ってきた『自警団害獣駆除・日雇い労働シフト表兼賃貸料天引き承諾書』を取り出し、フェンリルの鼻先に突きつけた。

「金がないなら体で稼ぎなさい。明日から毎朝六時に起きて、村の周囲の魔獣駆除に出撃すること。日当から銀貨一枚ずつ、滞納分が完済されるまで天引きする。……はい、ここに拇印を押しなさい」

「な、なんで俺様がそんな真面目に働かなきゃいけねぇんだよ! 嫌だね、俺は一日中パチンコ打って暮らすんだ――」

「押せ」

 俺がスリッパを構え直すと、フェンリルは「ヒィッ!」と悲鳴を上げて親指を差し出した。

 すかさず朱肉を押し付け、承諾書の署名欄に親指を叩き込ませる。

 仕上げに、俺はポケットから三文判を取り出し、決裁欄へポンと力強く押し込んだ。

――ユニークスキル『最上位稟議決裁(ハンコ・アプルーバル)』発動。

――基本法OS『LEX-LUCIANA』へ直結承認。

 契約書が淡い黄金の光を帯びて確定した瞬間、フェンリルの首元に目に見えない『労働規約の首輪』がカチリと嵌まった。

 明日から無断欠勤しようとすれば、天界の法廷執行レーザーがケツを直撃する仕組みだ。

「よし、契約成立だ。財布に残ってる当月分の銀貨三十枚は今すぐ回収するぞ」

 俺は枕元に転がっていた革袋から、きっちり銀貨三十枚を抜き取って領収書を置いてやった。

 床で涙目になって縮こまる狼王を尻目に、ドアの外を振り返ると、マンミアが両手を口元に当て、顔を真っ赤にして打ち震えていた。

「す、凄すぎます……佐伯さん……! あの凶暴極まりない狼王を一撃で躾け、暴力に頼らず法と労働の力で完全に従わせるなんて……! なんて頼もしい……なんて大人の男の包容力なのでしょう……!」

「いや、ただの家賃回収とシフト管理ですよ。滞納者を放置したら物件が荒れますから」

「そんな謙虚なところも素敵です……! ああっ、私の背中、いつか佐伯さんをお乗せするために鍛え直さなくては……!」

 鼻息を荒くして蹄を鳴らすマンミアに苦笑いしつつ、俺は一〇二号室のドアを閉めた。

 ようやく静けさを取り戻した廊下を歩き、一階の管理人室へと戻る。

 氷のすっかり溶けてしまったイモッカ・ソーダを飲み干し、煙草の煙を窓の外の夜空へ吐き出した。

「やれやれ……初日から残業続きだな」

 胃薬を二粒水で流し込み、俺は万年床に倒れ込んだ。

 明日こそは、定時で上がってゆっくりサウナに入りたいものである。

読んでいただきありがとうございます。

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