EP 3
ポポロ・コーポ着任! 全焼部屋の内見とテント暮らしの竜人
村長公邸を出た俺を待っていたのは、蹄の乾いた足音だった。
カツン、カツンと硬質な響きを伴って歩み寄ってきたのは、すらりとした女性の上半身と、しなやかな鹿毛の馬の胴体を持つケンタウロス族の美女だった。
腰まで届く赤褐色の豊かな髪をポニーテールにまとめ、ドンガン製の頑丈なミスリル編み込み防弾チョッキを身に纏っている。その身の丈は優に二メートルを超え、背中には巨大なヘビークロスボウと、杭打ち機のような無骨なシールド――パイルバンカー式刺突盾『アグニ』を背負っていた。
単体推定百八十馬力。一小隊を単独で壊滅させられるだけの威容を誇るその武人は、俺の前でピタリと足を止めると、きびきびとした敬礼をビシッと決めた。
「あなたが新しく着任された管理人殿ですね! ポポロ村自警団最高責任者、マンミアです! リバロン殿より案内を命じられました!」
「あ、どうも。佐伯健太です。これからよろしくお願いします、マンミア団長」
「団長などと畏まらなくて結構ですよ、佐伯さん! この村の治安維持を担う者として、建物の保全や住人トラブルの相談には全力で協力させていただきます! さあ、こちらへ!」
気風の良い挨拶とともに、彼女はカツカツと軽快に歩き始めた。
四本足で器用に歩くその姿を斜め後ろから見上げながら、俺は並んで村の中央通りを進む。
道の両脇には、コンビニの『タローソン』やホームセンターの『タローマン』、生鮮スーパー『タローマート』が立ち並び、行き交う村民たちが農具の代わりに九九式魔導ライフルを肩から提げて買い物をしている。やはりどう見ても近代日本のデフレ商店街と重火器要塞の悪魔合体だった。
「マンミアさん、この村の防衛体制はすごいですね。農民の方々まで当たり前のように銃を担いでいる」
「ええ! 三大国のちょうど境目ですからね。いつどこの軍隊や野盗が押し入ってきてもいいよう、日頃から徹底した射撃訓練を行っているのです! ……まあ、先週までは前村長が『暴行しない券』などという情けないサブスクに頼っていましたが……これからは我が自警団が実力で村の平和を守り抜く所存です!」
拳を握りしめて熱弁を振るうマンミア。
真面目で責任感が強く、いかにも元・帝国辺境騎士団長らしい凛々しさだ。
だが、求人票の裏側にリバロンが走り書きしていた『要注意住人カルテ』によれば、彼女は今年で二十五歳、恋人いない歴二十五年の独身であり、「大人の男性を背中に乗せたことが一度もない処女の背中」をこじらせているらしい。
クリスマスの夜にはタローマートの半額ケーキを一人で抉って泣いているという記述を思い出し、俺はそっと胸中で合掌した。触れてはならない乙女の地雷原である。
「見えてきました、佐伯さん。あちらがあなたの職場兼住居となる『ポポロ・コーポ』です!」
マンミアが指差した先には、木造モルタル三階建てのどこか懐かしい集合住宅が建っていた。
外壁のペンキは所々剥げているものの、耐魔防音施工が施されているらしく、建物の骨組みそのものは極めて頑丈そうだ。
玄関脇には「集合住宅 ポポロ・コーポ」と墨文字で書かれた看板が掲げられ、向かって左側には男女別の大浴場と、太い煙突の突き出たフィンランド式サウナ小屋が併設されていた。
「素晴らしい……本当にサウナがある」
「ふふ、喜んでいただけて何よりです! 元々は山奥のドワーフやエルフの逗留施設として建てられたものですが、今では村の防衛幹部や訳ありの単身者たちが暮らす寮のようになっています。家賃は光熱費・マナWi-Fi込みで月額三万円(銀貨三十枚)。一階の中央が、あなたの管理人室ですよ」
渡された真鍮の鍵で、一階の管理人室の引き戸を開ける。
中は六畳一間の和室に、小さなキッチンとユニットバス、そして通りに面した受付窓口がついていた。
長年空室だったため埃は積もっているが、畳も壁紙も十分手入れの範囲内だ。
何より、窓を開ければ中庭の緑が見え、風通しもいい。
「気に入りました。荷物を解いたら、すぐに掃除を始めます」
「頼もしいですね! ……あ、ですが佐伯さん。その前に、一つだけ至急ご確認いただきたい案件がございまして……」
マンミアが急に歯切れを悪くし、気まずそうに目線を泳がせた。
耳を伏せ、蹄を所在なさげにコツコツと鳴らしている。
「案件、ですか?」
「はい……実は、同じ一階の男子棟・一〇四号室のことでして。今朝方、ちょっとした『火災事故』が起きまして……現状の損害確認をお願いしたいのです」
「火災? ボヤ騒ぎですか?」
「ボヤというか……その、現場を見ていただいた方が早いかと……」
マンミアに連れられ、一階の廊下を奥へと進む。
途中、一〇一号室のドアの前を通ると、中から「ゴトゴト……」と巨大な鍋が煮え立つ地鳴りのような音と、強烈な豚骨と獣脂の匂いが漂ってきた。
さらに隣の一〇二号室からは、「キュインキュインキュイン! フィーバー!!」というけたたましい電子音と玉の弾ける音が漏れ聞こえてくる。
(……一〇一号室がラーメン屋台の竜王で、一〇二号室がパチンコ狂いの狼王だったか)
カルテの狂気じみた住人リストを反芻しつつ、突き当たりの一〇四号室の前に立った瞬間、俺の鼻腔を焦げ臭い煙の臭いが直撃した。
ドアノブに手をかけるまでもない。木製のドアそのものが炭化してひび割れ、蝶番から黒い煤が垂れ落ちている。
ギギギ……と軋んだ音を立ててドアを押し開けると、そこは完全に『全焼現場』だった。
「うわぁ……」
思わず声が漏れた。
六畳間の畳は炭と化してボロボロに崩れ、壁紙は真っ黒に焼き焦げ、天井の照明器具は熱でグニャリと飴細工のように溶けて垂れ下がっている。壁に備え付けられていたはずの最新式『冷暖魔導エアコン』に至っては、基盤がドロドロに融解して黒煙を上げていた。
焼け野原と化した部屋の真ん中で、頭を抱えて体育座りをしている赤髪の青年が一人。
頭部に二本の鋭い真紅の角を生やし、背中には黒い皮膜の翼を生やした竜人族――自警団員のイグニス・ドラグーンだった。
「うう……親父、お袋、ごめんよ……。俺様はまたやっちまった……。初任給の手取り十四万円から天引きされたら、今月の飯代がマジでゼロになっちまうよぉ……」
「イグニス! 新任の管理人殿がお見えだぞ!」
マンミアの鋭い叱責に、竜人青年はビクッと肩を跳ね上げて飛び起きた。
身長は百八十センチを超え、筋骨隆々の体躯には大斧を背負っているが、その表情は完全に怒られた大型犬のそれである。
「ひっ、マンミア団長!? ち、違うんすよ! 俺様だってわざとやったわけじゃねぇんす! 朝起きたらちょっと鼻がムズムズして、特大のくしゃみが出そうになったから手で口元を押さえたんすけど……そしたら指の隙間から『獄炎竜息』が漏れちまって、気づいたら部屋がこんなことに……!」
「言い訳無用です! ポポロ・コーポ管理規約第3条『室内での無許可の火気使用厳禁』に明確に違反しています! 幸い耐魔防音壁のおかげで延焼は免れましたが、この修繕費用、一体いくらかかると思っているのですか!」
「うぎゃあああ! 勘弁してくれよ団長! 俺様、先月も演習場の手榴弾をくしゃみで誘爆させて弁償中なんだよぉ! これ以上給料を差し押さえられたら、タローソンの廃棄弁当すら買えなくなっちまう!!」
床に額を擦り付けて号泣するイグニス。
戦闘力測定水晶で見れば、この青年も楽に百馬力以上はある凶悪な竜人のはずだ。それが手取りの少なさと弁償金の恐怖で涙と鼻水を垂れ流している。
前世のビルメン時代、タバコの不始末でワンルームを丸焦げにし、敷金精算の場で泣き喚いていた二十代前半の若手社員を思い出し、俺は思わず深い溜息をついた。
「イグニス君、と言ったね」
「ひ、ヒィッ!? だ、誰だこのくたびれた作業着のおっさん!? ま、まさか帝都から派遣されてきた凄腕の取り立て屋か!?」
「新しくここの管理人になった佐伯だ。……まぁ、落ち着きなさい。怪我人が出なかっただけ不幸中の幸いだ」
俺は懐から青箱のタバコを取り出しそうになり、火気厳禁の現場であることに気づいて引っ込めた。
代わりに、ポケットに入っていた胃薬の瓶をチャリと鳴らし、黒焦げの部屋を見渡す。
(工務店を呼んでスケルトン解体からやり直せば、最低でも金貨五十枚……日本円で五百万円コースだな。だが、手取り十四万の若造にそれを背負わせたら間違いなく夜逃げするかグレる)
やるしかないか。
俺は部屋の敷居を跨ぎ、炭化した畳の上にゆっくりと足を踏み入れた。
その瞬間、全身の毛穴が微かに開き、頭の奥で何かが『カチリ』と噛み合う感覚があった。
――ユニークスキル『管理人権限』発動。
――対象建造物:ポポロ・コーポ男子棟一〇四号室。
――管理規約違反事象:過失による室内火災汚損。
――【敷地内絶対保全&即時原状回復】を適用します。
「佐伯さん……? 危ないですから、あまり中には入らない方が――」
マンミアが心配そうに声をかけた、その時だった。
俺は持っていた清掃用のホウキを構え、黒焦げの床に向かってサッと一振りした。
パチンッ、と小さな乾いた音が部屋の中に響き渡る。
刹那――常識を根底から覆す光景が広がった。
ホウキの穂先が触れた床から、淡い白銀の幾何学模様が急速に展開していく。
ジュウウウッ!と炭化していた畳が時間を巻き戻すように繊維を取り戻し、青々とした真新しい藺草の香りを放ち始めた。
黒く煤けていた壁紙は、ホウキの風圧が通るそばから純白の真新しいクロスへと張り替えられ、ドロドロに溶けていた冷暖魔導エアコンのプラスチックがカチカチと音を立てて新品の直方体へと再構成されていく。
天井の照明器具が光を取り戻し、窓ガラスの煤が煙のように消え去った。
わずか三秒。
一〇四号室は、まるで「たった今新築で引き渡されたモデルルーム」のような清潔感と輝きを取り戻していた。
「………………は?」
マンミアの四本の脚がピタリと硬直した。
馬の尻尾がピーンと真上に跳ね上がり、大きな瞳が今にもこぼれ落ちそうなほど見開かれている。
床にへたり込んでいたイグニスに至っては、口をあんぐりと開け、顎が外れそうなほど間抜けな顔で天井と畳を交互に見つめていた。
「な……ななな……なんじゃこりゃあぁぁぁぁぁッ!?」
「へ、部屋が……部屋が元通りになってる!? いや、元通りどころか、入居した時よりピカピカの新品になってるぅぅぅ!?」
「さ、佐伯さん……!? あなた、一体何を……!? いま、高位神聖魔術の詠唱も、時空巻き戻しの魔導陣も一切展開されていませんでしたよ!? ただ、ホウキを一振りしただけで……!?」
二人の絶叫が廊下に木霊する。
俺は手元のホウキをトントンと整え、くたびれた作業着のポケットから例の三文判を取り出した。
「いや、ただの原状回復ですよ。賃貸物件の基本ですからね。退去時や事故の際には、契約前の状態に戻すのが管理人の務めです」
「ぜ、前代未聞です! 帝国宮廷魔導師団の最高顧問ですら、全焼した建物を三秒で無傷に復元するなど不可能です! あなた、本当に戦闘力1馬力の一般人なのですか!? 伝説の古代修復術師の生き残りでは……!?」
マンミアが詰め寄ってくる。長身のケンタウロスに間近で迫られるとさすがに圧巻だが、心拍数すら乱れない俺は、壁のエアコンのスイッチをカチリと押して冷風が出るのを確認した。うん、動作も完璧だ。
「神話の術師なんて大層なもんじゃありませんよ。ただのハズレスキル『管理人権限』の応用です。……で、イグニス君」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
声をかけると、竜人青年は直立不動の直角お辞儀で返事をした。
先ほどまでの粗野な態度は完全に吹き飛び、まるで鬼上司の前に立たされた新兵のようにガチガチに震えている。
「部屋は直したが、規約違反は規約違反だ。君のくしゃみ体質は不可抗力だとしても、この建物は木造モルタル造りなんだよ。次また同じことをやられたら、他の住人に被害が及ぶかもしれない」
「う……うう、仰る通りです……! 俺様が悪かったっす……!」
「というわけで、残念だが君には退去勧告を出す。……と言いたいところだが、行く宛もないんだろう?」
「はい……実家に帰る旅費もねぇっす……」
「なら、こうしよう。村の中央広場に自警団の備品用大型耐火テントがあったな。くしゃみの制御ができるようになるまで、君の住居はあそこのテントに移す。家賃は半額の銅貨十五枚に減額してやるから、その浮いた分で自警団詰所の床の弁償代をニャングルさんに払いなさい」
「えっ……!? お、追い出さないでくれるんすか……!?」
イグニスが潤んだ赤い瞳で俺を見上げた。
「追い出したら余計に野垂れ死ぬだけだろう。ただし、テント生活の間もポポロ・コーポの大浴場とサウナは使っていい。汗を流したら、管理人室に顔を出しなさい。煙草は吸わせないが、ぬるい陽薬茶くらいなら奢ってやる」
「おっちゃん……! いや、佐伯の旦那ぁぁぁっ! 一生ついていきますっ! 毎朝の広場掃除とゴミ拾い、俺様が全部タダでやらせてもらいますからぁぁッ!!」
大の男が鼻水を垂らしながら床に突っ伏した。
やれやれ、手のかかる若手社員だ。
横で見守っていたマンミアは、胸の前で両手をギュッと組み、息を呑んで俺を見つめていた。
「器物損壊を瞬時に無効化する人知を超えた神技を持ちながら、若者の過失を責め立てず、生活の再建まで見据えた慈悲深い配慮……。なんて器の大きい殿方なのでしょう……! 力に驕らず、現場の秩序を重んじる大人の男性……素敵です……!」
頬をほんのりと朱に染め、瞳をキラキラと輝かせている。
なんだか妙な好感度メーターが急上昇している気配を感じるが、気のせいだろう。四十過ぎのくたびれたおっさんに向けられる熱視線ではないはずだ。
「さて、イグニス君の荷物をテントへ運んだら、俺も自分の管理人室を片付けないとな。マンミアさん、手伝ってもらえますか?」
「は、はい喜んで! 私のこの頑丈な背中、荷物運びならいくらでも使ってくださいね! ……あ、背中に乗るのはまだ心の準備が……いえ、荷物なら全然平気ですからっ!」
「? 荷物を載せるだけで十分ですよ」
早口で狼狽えるマンミアに首を傾げつつ、俺は一〇四号室の引き戸をカチリと閉めた。
現場の修繕は完了。トラブル処理も一件落着だ。
だが、安堵の息を吐いた俺の耳に、廊下の向こうから新たな不穏な音が届いた。
「ゴゴゴゴゴ……!」とベランダを震わせる地鳴りのような重低音。
猛烈な勢いで換気扇から吹き出してくる、ドロドロに濃厚な豚骨と獣脂の焦げるような獣臭。
そして二階の床をドンドン!と踏み鳴らしながら怒鳴り散らす青年の怒声。
「おい一〇一号室の親父ィ! 夜中に部屋でロックバイソンの骨を強火で炊き出すんじゃねぇ! 洗濯物に油の匂いが染み付くだろうがぁぁッ!!」
どうやら、俺の念願の「定時退勤とサウナと静かな晩酌」への道は、まだまだ遠いらしい。
俺は作業着の袖をまくり直し、スリッパをパチンと鳴らして一〇一号室のドアへと向かった。
読んでいただきありがとうございます。
面白いと思っていただけましたら、★評価やブックマークで応援していただけると励みになります。




